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ザーーーー...
「・・・ぅぐ。」
外が強い雨によって支配される最中、とある家の部屋の隅っこに体育座りをして俯く少年がいた。その少年の肩は震え、何かを耐えているようであった。
そう、その少年は痛みに耐えていた。ただひたすらに、その涙が枯れるまで。
「ひぐっ...。」
ザザーーーーー...
そして少年が我慢した分を全て吐き出すかのように、その暗い部屋から覗く外の景色はさらに強い雨によって支配された。
「う...うぇ、うぐっ。」
雨が強くなると共に少年の心の涙は枯れ始め、それでも涙を流すかのようにとめどなく嗚咽がこぼれ続けた。その苦しみは自分の罪であり、世界の罪でもあるのだ。
「う...うぅ...。」
しばらくすると少年から嗚咽が聞こえなくなり、ついには泣き疲れてそのまま眠り込んでしまった。隙間から覗くその目は赤く腫れており、どれだけ泣き続けたのかが手に取るようにわかる。
『・・・はぁ。』
そんな少年の頭に天井から球体の光のようなものが雪のようにヒラヒラと落ちてきて、頭にぶつかる直前に停止し、そのまま頭の周りを回り始めた。その様子は少年を見定めるようで、また労わろうとしているかのようであった。
『・・・まだいと若き少年よ、お前は何故泣き、何故苦しむのだ。私には分からぬ、分からぬのだ。』
そう光の玉が少年を起こさないように気をつけながらその場で言い放つと、また天井に舞い上がってしまった。
〈・・・〉
また、その光景を遥か高みから覗くある一人の神がいた。その神は少年の住む世界では〈夢神〉と呼ばれ、またある世界では〈夢魔〉さらには〈夢魔族〉とも言われていた。そんな多くの名を持つ夢の神、ユメニクルは全世界の生き物の夢を統合、処理する役目を担っていた。夢と聞くと何ともメルヘンなものに聞こえるかもしれないがその仕事は楽なものでなく、一度でも失敗してしまうと一人の人生をも崩壊させるという危険性を持つため、作業中はひとつの油断もできないとされていた。
〈またあやつか...この少年も難儀よのぉ。あのような悪魔に目を付けられるとはの。このまま見放すという手もあるが...それは些か都合が悪いかの。流石にあやつらの戦力を増やさせるわけにはいかんか...はてさて、どうするか。〉
少年を見下ろしながらそう呟くユメニクルの目は鋭く、まるでそこにはいない何者かを睨みつけるようであった。
「・・・うぐっ...。」
その気が強すぎたのか、本来干渉しないはずの世界までにもその影響が行き届き、少年が少し身じろいだ。その声はまだ夢の中で泣いているかのようで既に涙が枯れてしまったはずの目から赤く煌めく雫が頬を伝った。
〈はぁ...。こやつももう、長くはないか。〉
ユメニクルは急いだ方がよいだろうと思考を加速させた結果あることを思いついた。
〈ふむ、そうじゃのう。たまには夢の神として働いてみようかの。〉
そう名案が浮かんだとばかりに呟いたが決して普段神としての仕事をサボっているわけではない。確かに夢の神とは人の夢を喰い、時には黄泉へと誘う役目を担っている。だが何も夢は生きている者の夢とは限らない。時には死んだものの夢を誘うということもあるのだ。いや、こちらが本来の役割とも言えるだろう。夢とはその者の魂に刻まれた【記憶】、或いは【呪い】とでも言うべきだろうか。そしてその夢は死ぬと同時に魂へとへばり付き、また次の輪廻へと引き継がれるのだ。だがそれは世界に大きな負担をかけ、放っておくと一年と経たずに世界が衰退してしまう。だからこそ夢の神は主に死者の夢を黄泉へと誘う役目を持っているのだ。
〈ふむ、久しぶりにやるが...上手くいくかの?〉
そんな不安も残るなかユメニクルは視界に映る少年へと手をかざし、その手の中心がちょうど少年のつむじへと重なる位置まで調整した。そしてついにその少年のつむじへとその手が合った時、その言葉は紡がれた。いや、紡がれてしまった。
〈【廻夢】〉
その言葉を紡ぐと同時にユメニクルの手のひらから糸のようなものがスーッとゆっくり垂れ下がっていき、突如少年の頭の上に現れた裂け目のような所からその糸の先端が姿を現した。その糸はほのかに光っており、ただの意図ではないことは明白であった。そしてユメニクルの手のひらから糸が出なくなっても、その糸はまるで誰かにも持たれているかのように宙でピシッと伸びたままその少年のつむじへと綺麗に突き刺さっていった。だが少年は神の仕業を感じることができるはずも無く、ただただされるがままにされていた。
〈これで...まにあうかの?〉
だがその心配は少年に対するものでなく、自分が失敗すれば立場が危ういという心配であった。ユメニクルはあくまで神、人ひとりのことなど気にしていられないのだ。
そしてその糸が少年の頭の中へと完全に入った瞬間、少年の頭が一瞬光り輝き、その頭からビュッ!と先程の糸が勢いよく発射された。だが糸は途中で少年の頭から切り離されることも無く、延々とどこかへ向かって伸び続けた。
〈ふぅ、上手くいったようだの。さぁ、少年よ、心を鍛えに行ってくるのだ。〉
その言葉が紡がれた瞬間、少年の身体はその場によこたわった。