第1章 ファイル9
《》内に書かれている言葉は英語翻訳したものではありません。
ご理解のほどヨロシクお願いいたします。
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黒子による鋭い威嚇の眼光は、人なざるキールにとっては無意味に等しかった。
しかし彼女は闘志を燃やしながら凝視し続ける。
藤野の目からは、彼女が時間をかけて何かを発する準備をしているかのようにも見てとれた。
「同調……確認」
黒子は一瞬。
キールへの凝視を止め、手を胸の中心に当てて目を閉じた。
マザーコンタクトとは違う光。黄色い布のように薄い光が黒子を覆うと、さらに不気味な霧が彼女の周りに発生した。
「《あなたのための私》アーティファクト・オーバーサイド発動!」
彼女を覆う光と煙が消え、再び相手に視線を向ける。
彼女の見た目に変わったところは見られない。
少し様子が違うとすれば表情がさらに自信に満ち溢れているくらいだ。
しかし彼女の中は違っていた。
アーティファクト・オーバーサイドはまだ未完成である。
彼女の足元から消えた影。それが戻る事によって初めてこの力は最大限に発揮する。
しかし、そうで無くても十分と言っていいほどにこの力には‘凄さ’があった。
彼女の父親は錬金術師の家系であり、母親は妖術師の家系である。
さらに二人とも多少の魔術も嗜んでいた。
だがその類いの力のほとんどは娘の黒子に受け継がれることはなく、唯一このアーティファクト・オーバーサイドは彼女が影を失ってからしばらくして発現した力だった。
しかも。この力は彼女だけに身についたオリジナルの力であり、この力や戦闘能力、そして武装によって……歴代の闇絵家の戦闘者としてはトップクラスに君臨する実力がある。
この力の能力は同調。
彼女の手に触れた物は刀であれ道端にある石であれ、その物の潜在能力を最大限に発揮することができる。
それは人間にも発動が可能だった。
つまり今の彼女は筋肉などの内部の波長を合わせて、全てがベストな状態になったということだ。
さらに。
「久方振りだぞ……コレは」
銃を握る左腕を腰に、右腕は前に差し出し背筋を伸ばして小さく息を吐いた。
『闇絵流古武術』は純粋な強さだけなら武術において一番の格闘術だ。
独特な構えから相手の呼吸を伺い、後は連撃をあたえるだけ。それは機械仕掛けの相手でも問題はない。
行動を先読みして、鉄の呼吸を感じる黒子。
――相手にとって不足はない。
黒子は心の中でそう呟いた。
彼女は真っ向から向かってくる相手に過小評価はしない。
しばらく様子を伺った後、先に動いたのは鉄の殺人鬼。
地面を這うように走り出すその姿は、まるでクモのようだった。
高く飛び上がり、黒子の頭上から勢いよく殴りかかる。
一方の黒子は後ろへ飛んで難なく避けた。
アスファルトにめり込んだキールの拳が、その凄まじいパンチの威力を物語る。
再び拳による攻撃を仕掛けるが、彼女の鋭いカウンターがキールの顔面を捕らえた。
「――シィ!」
顔面に三発、ガラ空きのボディに二発の強打を浴びせて鈍い音が響いた。
少しばかり怯んだキールだったが、すぐに黒子の攻撃と同時に己の拳を突き出す。
拳と拳が重なりあって衝撃波が風を切った。
休むことなく次の攻撃に移るキール。上段の蹴りが黒子の額を掠める。
回避を確認した黒子は右足を蜂のように突き刺したが、相手はバク転をして紙一重で避けられた。
ヘリポートの端に佇む藤野は、ただ驚愕に息を呑む。
彼の目の前で繰り広げられている戦いは想像以上に凄まじかったようだ。
一つ一つの激突に風圧を感じるほど、さらに人間離れのスピードに彼の視力では若干追い付けないでいた。
その驚異と破壊力はまるでアクション漫画のソレと勘違いしてしまうくらいだ。
再度、二匹の狼による睨み合いが始まった。
黒子は軽い足運びでゆっくりと位置を変える。
キールを軸に時計回りに移動してから慎重に間合いを詰めていく。
さらに彼女は警戒しながら新人の部下への配慮も怠らない。
彼女は可能な限りの完璧だった。
不安要素があるとすれば他者への妨害だが、ここまでくるとそれも考えにくい。
黒子は一度、自分の銃の弾倉を確認してから一旋させて持ち直す。
一方のキールも動きをみせる。右腕を変形させて装備したのは刃渡り三十センチほどの草刈りナイフだった。
これは彼女の読み通りの展開のようだ。
大きなエモノよりも小回りのきく武器の方が素早く動き回る相手に効率がよいとキールが判断すると思ったからだ。
「フン……厄介なのは好物だ」
寸分違わぬタイミングで、二人は互いに向かって走り出す。
キールのナイフによる凶刃の一振りは虚しくも空を切り、すぐに繰り出した凪ぎ払うような攻撃も黒子の銃で起動を逸らされた。
モアリジシタンほどの強度はないものの、黒子のNDSKでもキールのナイフを防ぐことができるようだ。
ここぞとばかりに彼女は一発の弾丸を相手のこめかみに撃ち込む。
至近距離からの発砲に、さすがのキールも体勢を崩したがパンチのキレは落ちることはない。
しかしそれは相手も同じだった。
キールの攻撃を左腕で防いだ黒子は、そのままの勢いで拳を振りかざして相手の頭部を叩きつけた。
轟音とともに倒れこむキール。
追い討ちをかけるよう、寝転んだキールに黒子はかかとを落とした。
今の黒子にかかれば、ヘリポートの堅い床もガラス細工のように粉々に砕ける。
回転を加えながら黒子の一撃の回避に成功したキール。
しかし右腕のナイフは根元から綺麗に折れていた。
足のつま先でアスファルトの一枚を剥がして蹴り飛ばす。
素手による素早い対処でアスファルトを弾き飛ばした彼女だが、一瞬だけ視界を塞がれた後の光景に戦慄を走らせる。
キールが隙をみて藤野を襲いにかかったのだ。
はた目から見ても優位なのは超人並みの強さをもつ女刑事だった。
そう判断したキールの選択は勝率を上げるため、人質の確保することに変更されたようだ。
いつの間にか黒子はキールによって誘導され、自分の背後に位置付けていた藤野から距離を離されていた。
デザートイーグルを片手に表情を引き締める藤野。
銃口をキールに向けたものの、瞬時にして目の前に現れた敵に体を固まらせる。
「なっ!」
硬直により引き金を引くのが遅れる。
一発の弾丸はキールによって簡単に銃身を掴まれて逸らされた。
死を覚悟した藤野だったが、キールの背後から迫る影に死の覚悟は一気に生の希望へと変わる。
キールの行動は闇絵黒子の想定の範囲内だった。
多少の距離が離れたとしても、すぐに追いつける自信はあった。
しかし、キールの阻止にかかった黒子は直感から悟る。
――これは罠だ。
あくまでキールの標的は彼女ただ一人。そのために藤野を利用したのだ。
待ち構えるようタイミングよく向かってくる黒子を蹴り飛ばした。
ドンッと藤野を押し倒すと、吹き飛んだ黒子を追いかける。
すぐに起き上がり、銃を構える藤野だったが。
「くっ……いつの間に!」
藤野のイーグルは見事なまでにバラされていた。
キールは黒子の襟元を掴み、刃のない右腕で数発殴りつける。
予想外の角度からの攻撃、膝を使ったりと変幻自在の攻撃に耐える黒子。
形勢は一気に逆転したかのように見えたが、今の黒子にはキールの攻撃に反応できない身体ではない。
正確に致命傷を避けながら、反撃のチャンスを伺う。
キールは彼女の銃を掴んで武器破壊を試みる。
が、キールの握力をもってしてもNDSKはヒビ一つ入らない。
「悪いな、コレは特別性だ」
チャンスを見逃さず、サンドバック状態から解き放たれる黒子。
豪快な頭突きにキールは掴んだ手を離す。
「そろそろ終いにしようか」
身体中の裂傷や打撲を気にすることなく、前髪を掻き上げながら黒子は言う。
二人の距離は偶然にも、このヘリポートで始めて向かい合った時と同じ距離だった。