第1章 ファイル3
◆
大東京警察署・鑑識課の施設から車で十分と行った所にある繁華街と住宅街のちょうど間辺り、少しばかり人気のない場所にソレはあった。
『空間喫茶・スケルトンエンジェル』
僕は停車させた車の窓からその店を見て思わず声が出た。
「昼間からヘビーすぎませんか?」
店の壁は派手なラクガキで、とてもじゃないが喫茶店に見えなかった。
天使の翼を生やしたガイコツの絵が壁のほとんどを埋めつくしている。
なかには奇妙な悪魔のような生き物も描かれていた。
「たわけたことを言ってないでサッサと降りろ」
僕が車から降りると同時に、最近女性に人気のある原付バイク『ティア』に乗ってくる人物がコチラに向かって来た。
バイクを黒子さんの車の横に止めると、その人物は半ヘルを取って驚いた顔で話しかけてきた。
「あれ〜? 黒子さん今日店に来るって連絡ありましたっけ?」
その人物は何とも可愛らしい女の子だった。
年齢は高校生か大学生といったところ、黒髪のロングでモデルのようにスタイルが抜群。クマのヘアピンが印象的だ。
格好は上着はともかく下はバミューダパンツなのがまだ寒い三月には不釣り合いに思える。
「あぁ、店に直接電話したんだがな……見たところ開いてないようだが?」
すると彼女は両手を腰にあて、膨れ顔で怒りだした。
「とっくに店開く時間なのにテンチョーまだ寝てるんだわ! きっと黒子さんの電話とった後に二度寝したんですよ!」
呆れた顔をしたかと思うと、彼女は黒子さんと僕に向かってスミマセンと頭を下げる。
僕達は手を横に振って頭を上げるように言った。
「黒子さん今日は何曜日ですか?」
「火曜日だ」
「ならココですね」
店の窓際に並ぶ植木鉢の前に立ち、右から二番目の鉢の下から店の鍵を取り出して店に入る。
「中でお待ちください」
彼女は切り替わり早く営業スマイルで僕達を一階に待たせ、二階で寝ていると思われる店長を起こしに行く。
店の中は外と違い、普通の喫茶店だった。あの外見だとバーのような店でもおかしくはないと思っていたのだが。
カウンター席に腰かけると黒子さんが僕にボソッと呟く。
「藤野、耳を塞げ」
「え?」
しかし、僕が耳を塞ぐ前にソレはきた。
「テンチョ〜!!」
店長を起こす彼女の怒鳴り声が店中に響いた。
「――ッ!」
僕だけ耳を塞ぐのが遅れて鼓膜が破れそうになる。
しばらくして。彼女はバンダナを口にくわえ、エプロンを付けながら階段を降りてきた。
黒子さんは少し笑みを浮かべて言う。
「女房は大変だな雪名」
「誰が女房ですか黒子さん。あんなヘラヘラした人が夫ならコッチから願い下げです」
赤いバンダナを付けながら彼女は言った。
「黒子さんはいつものミルクジャム入りコーヒーのクリーム乗せで、相方さんはカプチーノ……ってアレ? 知らない顔?」
棚からコップを出しながら彼女はキョトンとした。
「また替わったんです?」
「あぁ、前のヤツはクビだ。名前も忘れたな」
「うわ……西島さん可愛そう」
黒子さんとお喋りしながら、セッセと店の準備をしている彼女の苦労を知ってか知らずか、この店の店長が意外なところから現れた。
……ムギュ。
「きゃあああ!」
彼女の背後から胸を鷲掴みにする大きな手。
彼女はすぐに振り返りパンチを繰り出すが避けられてしまった。
百九十センチ以上ある大きな体で素早い身のこなしをするこの人物がこの店の店長らしい。
白髪のショートヘアーで黒いバンダナ。アゴ髭も白く、なによりその長身のおかげでエプロンが小さく見える。
しかし顔立ちは良く、カッコイイ大人の男性だ。
「これで雪ちゃんの胸揉み記録は九十五勝一敗に更新だ。いや〜雪ちゃんは身長も胸も小さいね〜」
ニコニコとした笑顔で店長が言った。
「テンチョーが大きいんですよ。私はこれでも百六十五ありますし、毎日牛乳も飲んでます。それよりテンチョー……ズボン穿いてくださいよ」
寝ぼけていたのかボケを狙っていたのか、僕と黒子さんが言わないかわりに彼女がアッサリとツッコミをいれた。
パンツをさらけだした店長は慌ててズボンを穿く。
「あとテンチョー、目障りですから早くヒゲ剃ってください」
「ダンディな感じになろうと思ってたんだけどね。でも剃っちゃったら、あまりのカッコ良さに雪ちゃんメロメロになっちゃうかもよ」
上目遣いで彼女は店長を見る。
「ご心配なく、なりませんから。本当にテンチョーまともな死に方しませんね」
「そう? いや〜ありがとう」
「誉めてませんよ」
なんとも息のあった‘夫婦漫才’に見とれてしまった。
そんな中、黒子さんは辺りを見回すと座っていた席を立ち歩き出した。
向かった先には、人形のように椅子に座っている一人の少女がいた。
「元気だったか姫子?」
「……うん」
黒子さんはその少女の頭を撫でた。
その子は何とも不思議な少女だった。
年齢は小学校の高学年くらい。
髪は肩までウェーブのかかった金髪で、雪名という子と似ている今度はネコのヘアピンを付けている。
服装は、どこかのお嬢様学校の制服のような格好で何より彼女はずっと目を閉じているのだ。
側に首輪をしている茶色い毛並の大きな犬がいる。
首輪には『レオン』と書かれていて、名前の下に永久盲導保険の文字があった。
永久盲導保険とは。寿命がきてもクローン技術による記憶と経験の脳遺伝プログラムにより、主が死ぬその日まで盲導犬として生き継がれる少し残酷なシステムだ。
その大人しい盲導犬の頭も撫でる黒子さん。
盲導犬が側にいるということは、少女は目が見えないことは明白だった。
「姫子、目はどうだ?」
「大丈夫だよ黒子。いつも通り何も見えない暗い闇……『白い光』は見えてないよ」
少女は黒子さんに見せるように見えない目を開いた。
一瞬で閉じたその目を僕はハッキリと見てしまった。
何故か彼女の眼球は血のよう赤かった。
「そうか。くどいようだが『白い光』が見えてしまったら、私がお前の両目を殺さなければならない」
少女は少しだけ笑みを作った。その笑みはどことなく悲しみの笑みにも見てとれた。
「うん。三年前の約束……だね」
奇妙な会話のやり取りに僕は痺れを切らして話しかけた。
「あの黒子さん、できれば皆さんを紹介して頂けると嬉しいんですが」
そうだな、と言って黒子さんは店の人達を順番に紹介した。
「この子は神宮寺姫子。三年前に私が拾ってワケありでココに預けている」
拾って、という言葉が出た時点で僕の理解できていない。
「それと、このスケルトンエンジェルの唯一の店員で綾瀬川雪名と店長のヴィンセントだ」
「僕のことは普通に店長と読んでくれよ」
健やかな笑顔で店長が言った。
「は、はい」
すると雪名ちゃんがカウンターから移動して、姫子ちゃんのもとへ歩み寄る。
「黒子さん。姫の相方を一名紹介するの忘れてますよ」
雪名ちゃんは座り込み、レオンの両頬を摘まんで少し低い声で喋りだした。
「俺はレオン様だ! ここでは一番年上なんだぜ。姫にちょっかい出したらタダじゃ済まさねぇぞ小僧、肝に銘じておけ……ワン!」
店の雰囲気が一気に和み、笑いが起きた。
雪名ちゃんに頬を摘ままれて嫌がるレオンを見て僕は腹を抱えて笑った。
順番的に次は僕だと思い自己紹介をする。
「僕は今日から四課に配属になった藤野進です。ヨロシクお願いします」
店長と雪名ちゃんが拍手をした。
「なかなか男前じゃないですか?」
目を細め、今にもニャオンと言い出しそうな口と獲物を狙う猫のような目つきで雪名ちゃんは僕の顔を覗き込んだ。
「ハハハッ。ところで、この店は何で『空間喫茶』って呼ぶんですか?」
その質問に雪名ちゃんは一度だけ店長の様子を伺い、店長が頷くのを確認してから口を開いた。
「ここは特別な空間なんですよ」
「特別な空間?」
「はい。普通の人間はこの店には絶対に来れないんですよ」
その時、店長が話に割って入った。
「来れないと言っても君みたいに黒子ちゃんに連れられたら来れるけどね」
はぁ、と僕は返事をした。
「じゃあ、雪名ちゃん達も普通の人間じゃないんだ?」
雪名ちゃんは少し緊迫した口調で答える。
「はい。私達……普通じゃないんです」
一瞬、店の中が静かになった時。姫子ちゃんが僕に囁くように言った。
「あなた……悲しい人ですね」
その言葉に反応したのは僕以上に黒子さんだった。
黒子さんは険しい顔で姫子ちゃんを見た。
「オジ様。私はココアが飲みたいです」
姫子ちゃんの注文に笑顔で返事をする店長は準備を始めた。
黒子さんは先ほどの意味ありげな言葉を姫子ちゃんに問いただそうとした。
その時だった。
――プルルルルッ
――プルルルルッ
黒子さんのケータイが鳴った。
電話に出た黒子さんは用件を聞くと、雪名ちゃんが作ったコーヒーを飲み干して僕の名前を呼ぶ。
「藤野行くぞ。二人目のバラバラ死体が見つかった」
「えっ! あ……ハイ!」
姫子ちゃんの言葉を気にかけながら、僕も今日で三杯目のコーヒーを飲んで黒子さんを追いかけた。
「またおいで藤野くん」
店長の言葉に手を振って答え。
僕は店を出た。