第1章 ファイル2
◆
……私が影を失った『あの日』から目覚めてしまった能力がある。
同僚は皆。マザーコンタクトだの大層な名前をつけたが、ただの検索能力である。
生者死者問わず、その場の過去の情報などを引き出す能力。
話し方、身体的状況、持病、出身地、職業、家族構成、客観的情報など本人ですら知り得無いことまで知ることが出来る。
だが、調べられることは人それぞれ異なる。
人の情報にはプロテクトが存在するのだ。
私の能力は、そのプロテクトを可能な限りこじ開ける程度の力しかなく、私は決して万能ではない。機械のように優れてはいないため、そういった優れる仲間も自然とできた。
私は普通の人より優秀であり、それは異常とも便利な道具ともとれる意味を持つ。
まさに本部の飼い猫だ。
◆
しばらくして、黒子さんを覆う光が消えた。
僕は口を開けたまま、その不思議な光景に呆けていた。
「残念ながら彼女は何も見ていない。犯人を見る前に殺された」
何かの呪縛から解き放たれたかのように、彼女はゆっくりと立ち上がる。
「本田なおみはファイルどおりの女だよ。いくつか存在したプロテクトはいずれ分かることを祈るだけだ」
現場に残る二人の刑事にそれを告げると、車の鍵を手に歩き出した。
サッサと来い新人、と黒子さんは僕を呼ぶ。僕は二人の刑事に一礼してその場を後にした。
黒子さんに追いつき、停車させていた車を前にして僕は何気なく口を開く。
「あの〜。僕が運転しましょうか? BMWなら前に友達のを運転させてもらったことありますし」
「断る。そのつもりなら署からお前に運転させていたよ」
案の定、アッサリと断られてしまった。
スポーツ仕様の新車だ。確かに今日会ったばかりの相手に易々と運転させたくもないだろう。
車に乗り出し、黒子さんはケータイで先ほど言っていた鑑識の者に連絡をとる。
しばらくすると遺体を乗せた救急車が走りだし、それを確認した黒子さんは車を走らせた。
移動中。
相変わらず僕と黒子さんとの間には見えない壁がある。
これからパートナーとして一緒にやっていく以上、少しずつでも親密になっておかなくてはならない。僕はそんなことばかりを考えていた。
前を睨み付け、タバコを吸いながら運転している黒子さんは視線をそのままに、いつまでも呆け顔な僕に話しかけてきた。
「世間知らずのエリートには少し刺激が強すぎたか?」
「いえ、さっきのアレって……害者の記憶を読み取ったんですか?」
あぁ、と黒子さんは呟くように言うと赤になった信号を見て車を止めた。
ハンドルにもたれかかるようにして信号待ちをする彼女の姿は、あくまでも隙をみせない百獣の王をイメージさせる。
僕は躊躇わずにその王に問う。
「その力って、その影が無いことに関係あったりするんです?」
「ほぅ……なかなか鋭い観察力だな。それに発想力もいい。先ほどの侮辱の言葉は訂正しよう」
黒子さんの意外な言葉に僕は目を丸くした。
「それで……黒子さんの影は今どこに?」
「さてね。私に付いてくるのが嫌にでもなったんだろう?」
誰にでもわかる彼女の軽い冗談。
その言葉は僕の心を少し安らげてくれた。この人への警戒心は好奇心へと変わりつつある。
僕は無邪気な子供心を出すように質問を続けた。
「いつでも使えるんですか?」
「アレか? そうだな。あの検索能力は多用しない方が良い気がするのでな……日に一回、多くて二回を目処に使用する。いざ使えなくなったら不便ではある」
信号が青に変わると、黒子さんのウィーリィX2000は勢いよくマフラーを吹かして周りの車に続く。
「だがな、力を身につけた人間は社会から外れやすい。私はまだ利用されるぶん運が良いが、大抵のやつは孤立して化け物扱いだ」
「いや〜僕は見た目通り鈍い人間ですから、そんなこと微塵も思わないですけどね」
この言葉を発した時、僕の目には黒子さんが少し笑ったように見えた。
「だろうな。本部で見た時からどの程度の器かは把握できたよ……藤野進」
◆
『大東京警察署・鑑識課・待合室』
詳しい鑑識の結果が出るまでの時間、僕達は待合室で待機していた。
僕は備え付けの椅子に座り、味からして安っぽいブラックコーヒーを飲みながら静かすぎる場の雰囲気に少し落ち着かないでいた。
黒子さんは壁にもたれながら相変わらずタバコを吸っている。
僕は椅子に座るよう彼女に勧めたが断られてしまった。
途中、黒子さんの吸うタバコの灰を確認した四足型の掃除機ロボットが彼女のもとへ向かい灰皿を取り出した。
コチラヘドウゾ、と片言の話し方をするロボットに黒子さんは少しばかり目付きが変わる。その目は決して穏やかではなかった。
灰を捨てた黒子さんは去っていくロボットを視界から消えるまで見続ける。そんな彼女の姿を見て僕は勝手に解釈してしまった。
この人はロボットが嫌いなのだと。
しばらくして受付から呼び出され、僕達は二号棟へと向かう。
待合室のある一号棟からセキュリティドアを一つ開けて二号棟へ入ると、先ほどまでとは明らかに空気が違っていた。
粘り気のある嫌な空気が肌に感じて居心地が悪い。
少し歩いた所に孤立された部屋があった。
扉に『担当医・木村忍』と書かれた名札が少しばかり外れかけていて情けなく思えた。
――コンコン
「木村先生。闇絵刑事がお見えです」
受付の人の言葉に反応してか、こちらに向かってくるスリッパのパタパタという荒い音が中から聞こえた。
「いらっしゃいお嬢様!」
中から現れた人物は勢いよく扉を開けると、黒子さんめがけて飛び付く。
しかし見事な黒子さんのボディブローによって抱擁を拒まれた。
腹部を押さえ、その場にしゃがみ込むこの女性が木村忍先生のようだ。
少し大きめの白衣を羽織り、黒のロングヘアーに赤色のヘアバンド。あまりに似合う黒縁メガネが彼女の魅力を引き立てていて美人だった。
「どうぞ……中へ」
引きつった笑顔がなんとも痛々しい。
「美鈴ちゃんありがとな。後で旅行先で買ったクッキー持ってくから受付の皆で食べてや」
はい、と忍先生に返事をして受付の人は戻って行く。
中へ入ると普通とは程遠い、なんともバランスの悪い部屋だった。
どうやって使うのかわからない器具があると思えば、ゲーム機や漫画が無造作に置かれている。その部屋の中央にある台の上には『本田なおみ』の遺体が横たわっていた。
「流行って……またアメリカ?」
「今度はフランス。いいで〜あっちは昔と変わりなく景色キレイやし、料理も新鮮で最高やったわ〜」
旅行先での出来事を軽くまとめて話した彼女は、視線を黒子さんから僕に移す。
「さてさて自己紹介まだやね。ウチは木村忍いいます。まだ三十路の一歩手前やから、そこんとこヨロシク」
「どうも。藤野進です」
曇ったメガネでジロジロと僕を観察しながら彼女は黒子さんの肩をポンっと叩いた。
「何人目の相棒や?」
「そんなこといちいち覚えてない」
十人目ですよと言いかけたが、どうでもいいことなので僕は口を閉じた。
「お二人さん何か飲む?」
「これからヴィンセントの所で飲むから私はいらない」
「僕も結構です」
そっか、と残念そうにする忍先生を急かすように黒子さんは『本田なおみ』の遺体を腕を組んで見下ろす。
「……で、どうだった?」
「そんなこと言うて、大抵のことは分かってるんやろ? 横山さんからアレ使ったって聞いたで」
いつの間にか忍先生の表情も仕事モードに切り替わっていた。
僕も気を引き締めて遺体を見る。
自分でも驚くくらい、公園で見た時とは違い‘この’遺体には慣れてしまったようだ。
「専門家の意見を聞いた方が確実でしょ……あなたが私の知る鑑識バカの中で一番信頼できるから指名したのよ」
「お誉めの言葉ありがとうございます」
忍先生は黒子さんに深々とお辞儀をすると、ズレたメガネの位置を戻しながら結果を発表した。
「死亡推定時刻は昨夜の十時……十三分!」
声を張り上げて忍先生は黒子さんの顔を覗き込む。
「十時十五分だ‘忍先生’。本田なおみは時間に厳しい性格で、死ぬ間際にも腕時計で時間を確認している」
クイズ番組で答えを間違えた解答者のように、指をパチンと鳴らして悔しがる忍先生。気持ちを切り替えて話を続けた。
「コホン! え〜身を守ろうとする手に防御創の痕跡もないことから、犯人は背後から彼女を殺害した。しかも聞いて驚きなや〜」
少し間をおき、一呼吸してから口を開く。
「衣服なんて関係無く、僧帽筋からバッサリと首と体がお別れしてもうたんや。最初は左腕を切り落とされたんやけど、もはやコレは普通の人間の仕業や思われへんな」
うむ、と言って黒子さんは忍先生を評価した。
「彼女の記憶を覗いた時に、彼女の視界から前方へ飛んだ左腕が見えた……まず間違いないな。その後すぐ、振り返る前に首を飛ばされて記憶の続きを見れなくなったことから人間の腕力ではあり得ない切断能力だ」
二人の会話に僕はただただ口を開けて聞いていた。
「切り裂くジャックも驚きですね」
僕に背を向けて立っている黒子さんの表情は窺えなかったが、僕の何気ない一言に忍先生だけが笑ってくれた。
「臭いがしたな」
黒子さんがボソッと言った。
僕と忍先生は顔を見合わせて首をかしげる。
「彼女が殺される瞬間……嗅ぎ慣れた臭いがしたな」
「血やないの?」
「いや、今は思い出せそうにない」
そう言うと黒子さんは部屋の壁に掛かっている時計を見て部屋を出ようとした。
時刻はもうすぐ正午になろうとしている。
「じゃあ失礼するよ忍。また何か分かったら連絡を寄越して」
「あ〜い。お嬢様に期待されても自信ないけどな〜」
ヒラヒラと手を振り、彼女は部屋を出る僕達を見送った。
黒子さんはどうやら今から『ヴィンセントの店』に行くようだ。
「にしても黒子さんの知り合いの鑑識課にあんな綺麗な女性がいたなんて少し驚きましたね」
相変わらず僕の言葉に黒子さんは振り向いてまではくれなかった。確かに今のは黒子さんに失礼過ぎたかな。
しかし、彼女の口から耳を疑いたくなる言葉を聞いた。
「確かにアイツは綺麗な‘男性’だな」
……僕の中で何かが崩れる音がした。