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狙われた町

 大学の課題レポートに四苦八苦していると、気づけばもう夕方だった。

 一人暮らしの狭いアパート、夕飯を用意してくれる母も彼女も家政婦もいるはずもなく、俺は腹の虫に従って腰を上げた。

「なにを喰おうか……」

 ポケットをまさぐるといくつかの小銭をつかみ取れた。茶銅の割合が大きく、財政の厳しさを思い知る。さて、バイトの給料が振り込まれるのはあと三日後だったか。

 台所下の戸棚を開くとなかにうどんの乾麺が入っていた。運がいい。姉の出張のおみやげが残っていたようだ。

 鍋に水淹れコンロに火をつける。

 ほどなくして泡立ち始める水面をぼう、と見つめる。


 ……なにしてるんだろう。


 俺はそもそも大学でやりたいことがあったわけではない。つまらない毎日だし、親に頭を下げて退学してもいい。あとは適当な資格をとって、適当に生きていきたい。

 刺激のない毎日に飽き飽きしつつ、それを打開する気力もない。

 俺のような奴は、落伍一直線なのだろうな。


 チャイムが鳴った。

 ピンポーんと、安っぽい音が、俺にコンロの火を消させる。

 訪問者とは珍しい。宅配物が届く話は聞いていなかったが、誰だろうか。

 ドアを開けると、そこには全身真っ黒なライダースーツを着た、峰不二子のようないでたちの若い女が立っていた。端正で妖艶な顔だち。見つめられると喰われていしまいそうな一筋縄ではいかない女の雰囲気を纏っている。髪の毛は茶で、一切の癖のないストレート。夕焼けに照らされ、その繊維の一本一本が立体性を持っており、いまにも毛が蛇に姿を変え、俺の姿を石に変えてしまいそうな……。

 妄想を膨らませていると、艶やかなピンクの唇が開いた。

「おばんです。このたび、隣の部屋に引っ越してきました。ぐるぐると申します」

 女の声は、耳がきいいいんと痛くなるような高音域だった。初対面で失礼だとはわかりつつ、思わず耳を抑えてしまった。

 口元に手を当てる女。慌てて喉をさすりはじめた。

「あ……がーぴー。いや、あーあー」

 一昔前の機械音が女の発声器官から洩れる。ぴっちりとしたライダースーツと肌の境目となった喉元は、スカートから覗く生足のごとく、フェチ的な魅力が現れていた。


「失礼、お耳に障りましたね。改めて、ぐるぐると申します。これからよろしくお願いします。粗品ですが」


 修正された女の声は落ち着いていた。俺は、人間にそのような機能があっただろうかという疑問を持ちつつ、女が差し出してきた小包を両手で受け取った。


「これは、これは丁寧にありがとうございます。伊藤です。……これは?」

「うどんです」

「……そうですか、それはどうも」

 台所のうどんの乾麺を想起しつつ、表情を崩さず、お礼を言えた。俺はこのとき自分が大人になったと感じた。

 女は、ひょいと俺の肩の上から顔を出し、部屋の中を覗いてきた。

「どうなさりましたか」

「あれ、いない……。すみません、実はペットが逃げ出してしまいまして、逃げ込んでいないかと」

 このアパートはペット禁止であるが、俺はひとまず事情を伺った。

「今日は一日家にいましたが、見かけませんでしたね。なんの動物ですか」


 猫や犬ではないだろうと踏んでいた。さすがにそれは大家にばれる。せいぜいとやかく言われない、ケージの中ですべてが済む動物、例えばハムスターを想定していた。しかし、彼女は真顔でありえない回答をした。


「ツチノコです」


 ツチノコ。久々に聞く言葉である。年代的に俺は外れているが、かつて日本中をハンターだらけにした幻獣。腹が平べったく、大きな顔を持つ蛇。奇妙な外見のそれは、実在しそうで見つからない、マニア心をくすぐるUMAであった。


 そう、UMAである。この女は、未確認生物をペットといったのだ。


「……それは見つかりそうにないですねえ」

 冗談を吹かれたのだと思い、俺はあしらおうとするが、女はドアノブに伸ばした俺の手に自分の手を重ねた。

「っ……?」

 女の手はひんやりとしていた。まるで、そこに存在しないような……。

「そうですか。そうですよね、こっちの人は認識できないのでした」

 意味深なことを口走る女。俺は女の手を振り払い、玄関に鍵をかけてもよかったのだが、日々の退屈にうんざりしていたからか、気まぐれが起きた。

「……よかったらあがっていきます?もしかしたらいるかもしれないですし」




 ちゃぶ台からパソコンをどかし、女にお茶を出す。夕焼けが、まどの外から差し込み、女の横顔がオレンジに染まる。俺はカーテンがない不備を誤りつつ、腰を下ろして対面する。

 女は、お茶に手を付けない。湯気が空気のなかに消えていく。

「……それで、いそうですか?タンスの隙間とかに潜り込んでいるものなんですかね」

「結構人懐っこいので、しばらく座っていれば出てくるはずです。お邪魔でなければ、一時間ほどいてもよろしいでしょうか」

 俺は、頬をかく。頭の片隅に置いていたレポートが主張し始めたのだ。だが、一時間あったところでものぐさな俺には意味がないだろう。

「夕食どきですし、さっきのうどんでもいただきましょうか」


 口をすぼませながら、麺をすする女。俺はそれに追いつくように箸を動かす。

「どちらからいらっしゃったんですか、えーと……お名前なんでしたっけ」

「ぐるぐるです。日本出身ですよ」

「不思議な名前ですね」

「こっちでは、普通ですよ」

 『こっち』とはどういう意味だ。キラキラネームが普及している地域が国内にあるのだろうか。何県何市の何町だ。

 女は、器を傾けて汁を迎える。のどが露わになり、液体を飲む音とともに微振動する。

 やがて、器を下ろした女の頬は紅潮しており、額には汗を浮かべていた。

「……っはあ。いい出汁を使っていますね」

 味の分かる女のようだった。俺は、これまた貰い物の、「高級な醤油」を用いてこの一杯を作ったのである。ここでその製造元を明かせば使いかけでも目利きが買い取りにくる可能性があるので、あえて商品名を言うのは控える。

 遅れて俺も器を空にする。汁まで飲むのは健康に悪いかもしれないが、その価値を知る俺は決して無駄にすることはできなかった。

 体温が上がり、ほんわかとした気分になる。食後にお茶をもう一杯飲み、女と談話する。

「ぐるぐるさんは、お仕事の都合で引っ越してきたのですか?」

 言ってから俺は、しまったと気づく。踏み込みすぎてしまったかもしれない。

 女の外見から、学生のようには思えなかった。このボロアパートに住もうとする人間は、貧乏学生か、訳アリな人間かのどちらかである。訳アリ、だった場合、気まずくなってしまう。

 しかし、それは杞憂だったようで、女は、なんの気もなしに、ええ、と頷いた。

「長期滞在の調査のために、身を移しました」

「調査?」

「ええ、こう見えて研究員なんですよ」

 肌に密着したライダースーツの生地をつまんで見せる女。

「へえ、しかし、このあたりに調査するものなんてあるんですかね。対して特徴のない土地だと思いますけど」

 この町、三蛙町は、都市に近い田舎町である。とはいえ、自然が豊富かといえばそうでもない。観光雑誌に取り上げられたこともあるらしいが、ここに住んでしばらく経つ俺からすれば、いったいどこをピックアップして記事を作ったのか見当がつかないほどなにもない。

 人口調査にも、生息調査にも不適切そうなこの町で、なにを調べようというのだろう。

「この町、動物園があるじゃないですか」

「……ああ、はい、そういえば」

 思い出すのに時間がかかったが、言われてみれば町はずれに「動物園」があった。地方の動物園の例に漏れず、人気の少ない平日、若干増える日曜日といった、赤字経営の園である。

「え、あそこの動物の調査をするんですか?」

「まあ、それだけではないですけど、はい。『ゴリラ』を知っていますか?」

「は?」

 ゴリラ。ゴリラゴリラ。霊長類の仲間で、子どもでも知っているメジャーな動物である。筋肉質で毛深い動物。ライオンや、虎などのようにかっこいいというよりは、面白いという風に見ている人が多いのではないだろうか。

 その、ゴリラ。もちろん知っている。

「ゴリラはこちらの世界には出現させられませんでしたので、データを取っておきたいのです」

「こちらの世界?」

「ええ。……わかりやすく説明しましょうか、本当は正式な名称もあるのですが、便宜的に、こちらを『表の世界』としますと」


 女は手をちゃぶ台の上にのせ、掌をこちらに見せる。それを、ひっくり返して、手の甲にする。

「私は、裏の世界から来たのです」


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