第十九話『戦士は悲劇と共に誕生する』
優斗が逃げろと言った時に私は素直に逃げていた方が良かったのかもしれない。
「リュウオウセッカが……」
ワルキューレバーサーカーの力を前にリュウオウセッカはなす術もなく、その体を地に横たえていた。
ただただ眼下の残酷な現実に私は言葉を失っていた。
最初はほぼ互角の力で戦っているように見えた。トリスの剣を受けては返すリュウオウセッカは負けているようには見えなかったし、隙を見つければ積極的に攻撃を放つ放つこともあった。
二人が剣をぶつける度に、森が揺れ、大地が脈打つような衝撃が駆け抜けた。傍から見ていても、勝敗なんて予想できない戦いを繰り広げていたと思う。
そのはずが、いつしか優斗は当初の勢いを失い徐々に傷を負っていけば、膝を曲げた優斗に追い打ちをかけるようにして振り下ろしたトリスの一振りの前に崩れ落ちた。
既に戦意が無いことが今のトリスには理解できないのか、横たわる優斗の背中に幾度となく剣で斬りつけ始める。トリスが剣を振るう度に、スーツを構成する素材の一部なのか青色の液体が周囲に飛び散った。
私は感じていた。今まさに、目の前で友人が友人を殺そうとする場面に遭遇しようとしていることに。
「――やめて! トリス!」
この時の私はどうにかしていたかもしれない。誰の言うことも聞かないトリスに駆け寄るなんて、無謀にも程度がある。
飛び込んできた私に無反応のトリスに恐ろしさを感じながらも、私の足は止まることなく優斗とトリスの間に割って入る。そして、庇うようにして優斗の前に立つ。
「それ以上したら、もう後戻りできなくなっちゃうよ! トリスは正義のヒロインなんだよ!? そんな貴女が、人殺しなんてしちゃダメだよ!」
必死の願いを込めた私の一言はメットの下で顔の見えないトリスに届いたのか、振り上げていた剣を下げた。
気持ちが届いたのかと思ってしまった私だったが、気の抜けた顔に鋭い衝撃が走った。
「――あう!?」
トリスが左手の裏拳で軽く私の顔を殴ったのだ。
鼻が折れてしまったと言われても信じてしまいそうなほどの激痛に、私はここでも無様に地面を転がる。
「あぁ……トリス……」
涙が溢れてくる。気持ちではない、痛みのせいで涙が止まらないのだ。
ここまできても私はトリスに甘えようとしていた。みんなが優しくしてくれるから、トリスもきっと甘えさせてくれるんだと根拠のない安心感。単なる子供かそれ以下の感情でしかない。
誰の役にも立たない私は、このまま死んでしまえばいいのだろうか。
そう考えれば、何を考えているんだと慌てて首を横に振る。眩暈も頭痛も、きっと見えにくくなっている視界は血を流し過ぎているからだろう。
戦隊ヒーロー達、いや、桜花、麗衣刃、アイリーン、トリス、優斗もみんなさほど年齢が変わらないのに、こういう苦しみの中で歯を食いしばって戦い続けたのだ。私は、きっと心の中ではどれだけ辛くても一度でも正義の味方になってしまえば、戦うことが当然だと考えていた。でも、戦いは戦いでしかない。戦いの結果として誰か死ぬし、どれだけ言葉で飾ろうともやっていることは戦争でしかない。
今さらそのことに気づいてしまった。もっと早く気づいていれば、戦いを終えたばかりの四人に別の対応が出来たかもしれないのに。
幸いにも体は動く。どうやら、トリスは剣を振るう相手でもないと判断して裏拳で殴ったのだろう。
どうせこのままここに居ても、トリスによって八つ裂きにされる。なら、一パーセントの可能性を拾う為にも、生きて私を入れた五人で再会する為にも、今すぐに崩れ落ちそうな足で立ち上がる。
「ト……トリスッ!」
トリスも今度は少しだけ驚いたようだった。鼻血を拭った私は、奇声のような叫び声と共にトリスに突進した。
ぶつかったトリスは慌てることもなく、少しだけたじろいだぐらいで、不思議そうにメットの顔は私を見下ろしていた。こんな私の姿はさぞ滑稽に映るかもしれないが、不器用で弱虫な私なりに両手を広げて真っ向からトリスに向かい合う。
「トリス! 貴女が目指した正義はこんなものなの!? トリスはいつも悪を倒すことばかり考えていたけど、それ以上に美味しい物を食べたり、食後にみんなでお喋るする時間も幸せそうにしていたよ!? そんなトリスは……どっからどう見ても、ただの女の子にしか見えない!」
私はトリスのメットに触れれば、両手でその顔を包み込んだ。
「もう戦わなくてもいいんだよ、もう傷つける必要も壊す必要もないよ。これかは自分の為に、トリスの為に生きて。ごめんね、貴女に戦いを強いていたのは私達。ごめんね、貴女の幸せな日々を奪ったのは私達。……私達はただただ、そんな貴女達に憧れて求め続けていただけだった。でも、それは貴女の世界で話。ここでは、貴女は貴女の為に生きていいんだよ?」
顔に触れていた左手を滑らせれば、剣を握ったままのトリスの右手に触れた。そっと潜り込むように手を滑らせれば、内側から力を入れて剣を手から離させようとする。
「これだけは言わせて、トリス。貴女達の戦いは当然のように扱われるから、時々みんなは忘れてしまうけど……ちゃんと感謝している。きっと、前の世界のみんなはトリスにこう言いたかったんだよ。本当の戦いの終わりを迎える前に消えてしまった貴女へ。――ありがとう、これからは幸せに生きてほしいって」
トリスの手から剣が零れ落ちた。地面に突き刺さる剣に、私は信じて向かい合って良かったと心の底から思っていた。
感動した私はトリスを抱きしめようとその体に両手を回した――。
「――ぁ」
トリスの左手が深々と私の腹を貫いた。感じたことのない痛みに声にならない声を上げれば、今まで生きて来た中で史上最悪とも呼んでいい不快感と共にずぶりと左手が私の腹部のあらゆる所を壊しながら抜き取られた。
立っていることができなくなった私は、何とか逃げようとした結果、リュウオウセッカに覆い被さるように倒れてしまう。
そこまできて、ようやくトリスの行動が理解できた。
きっとどれだけ語っても、トリスは変わっていない。――私に武器を使う必要が無いと判断しただけだ。
赤黒い色の吐血をしながら、私に死期が迫っていることを察していた。もう喋る力もなかった。次第に痛みを感じなくなり、体温は低くなっていく。このまま瞼を閉じれば、間違いなく私は死んでしまうことだろう。
「うぐ――ぁ」
優斗にやったことと同じように、トリスは剣を振り落とすと、私と優斗ごと貫いた。
そこまできて、完全に私の意識は暗転した。
※
――ムツミ。
黒の絵の具一色で染めてしまった暗黒の世界で私は目が覚めた。正確には目が覚めたというよりも、意識だけが耳を傾けているような状態かもしれない。
私の肉体は既にこの黒一色の世界の一部になってしまっているのだ。
もう一度、強い声で私は呼びかけられた。
――ムツミ。
「だれ」
――僕だよ、優斗だよ。
「ゆうと……。だれか、わからない」
――……それでいい、せめてセツカが目覚めていればこんなことにならなかったんだけど、君に迷惑かけちゃったね。
「どういうこと?」
――いや、いいんだ。もう僕のことはいい。……なあ、ムツミ。君は正義についてどう考えている?
「よく分からない。貴樹未の言っていることが、理解できない」
――難しすぎたか。だったら、戦隊ヒーローについてどう思う?
戦隊ヒーロー、という言葉に胸の奥が熱くなる。
長いこと湯船に入っていたり過剰にアルコールを摂取したような、もやのかかった思考にその言葉だけが響いた。
私はそれを知っている。私はそれに強い憧れを抱いていた。
「私にとっては、眩しくて太陽のような存在」
――太陽か……。きっと、みんなが喜びそうだ。もっとたくさん話をしておきたけど、時間がない。単刀直入に聞くよ? ……正義の味方になるつもりはないかい?
「なりたい」
一切の思考を挟むことなく、私は即答した。何故そう考えたのかは、心当たりはないが、私にはその肩書きが必要だと思えた。
ゆうとが笑った気がした。
――正義の味方は、辛くて苦しくて、時にどれだけ頑張っても報われないかもしれない。それどころか、誰かの為に頑張ったはずが、石を投げられ、裏切られ、罵られるかもしれない。物語のように甘くはない正義の味方は、何も楽しいことが無いかもしれないよ。それでもいいの?
子供の頃を思い出した。
変身ポーズをして、玩具を振り回していた私がある時言われたんだ。
どれだけ変身しても、それは遊びで正義のヒーローにはなれないと。
誰が言ったか思い出せないが、その言葉は私を傷つけて棘のように深く深く刺さり続けた。
あの時の私はどう考えていたのだろう? ああそうだ、それも思い出した。
両親を失い、特撮ヒーローでいつも一人で遊んでいた私は、こう考えたんだ。
「どれだけ辛くても、どれだけ悲しくても、両親のように急な事故で命を奪われる人達を救い上げたくて、もう二度と悲しい思いをしない為に私は正義の味方になる。ただ勧善懲悪の物語に憧れただけじゃない。……手にれた幸福を二度と手放したくない、私はその為の力が欲しいと願い続けていた。誰かを救うことこそが、私を救うことに繋がるんだって」
世界は次第に明るくなり、ギラギラと全身を焼く程の熱量の光が私の体を飲み込む。それは決して不快な光ではなく、私はそれを心地良く思った。
光は輪郭を取り戻し、影は――セツカに姿を変えた。
私は完全に記憶を取り戻した。
――ムツミ、セツカをよろしく頼む。君になら、セツカを頼めそうだ。
「優斗、君は……」
――余力を使って、この空間に君の意識を逃がしたが……僕の肉体はもう限界だ。だが、僕の力とセツカの力を合わせた真のリュウオウセッカの力を君に託すよ。
「でも、セツカは悲しんで、きっと言うことを聞いてくれない」
――セツカのような魔導機人は次の契約者を見つけると前の契約者の記憶を消すようにプログラムされている。全てをリセットしたセツカは、君をご主人様のように扱ってくれるさ。
「そんなの、悲しすぎるよ……」
――それも大丈夫さ。僕は知っているんだけど、魔導人機は心のどこかに前の契約者の思い出が残る。それは悲しいものではない、嬉しい記憶だけが残り、未来を守る為の力になる。僕の意思は生き続けるのさ。
清々しい優斗の声に、私はそれ以上彼の覚悟に水を差すことはできなかった。
意識のはっきりした私は、彼の正義を受け継ぐことを決意する。
「セツカは私に任せて。貴方の意思も全て背負って生きていくから」
――……安心したよ、正義の味方に憧れ続けたその気持ちを忘れないほしい。
闇は消え、光は世界に広がる。
優斗の命が消え、心の世界は終わり、覚醒が始まる。
目の前のセツカに触れて、私は世界も未来も運命も全てを受け止める気持ちで彼女の体を強く抱きしめた。




