第八話『ユーティアとアーリンマ』
変身ヒロイン達と呼べる彼女達を差し置いて、魔導戦士リュウオウセッカは猪男とカメレオン男に対して挑発するように右手の四本の指をくいくいと曲げて相手の戦意を煽った。
ただでさえ怒り心頭に達していた猪男とカメレオンの男の次の行動は明白だ。奴らは恐怖を忘れるほどの憤怒と共に攻撃を行う。
リュウオウセッカの体が左側に傾いた。どうやら、右肩を透明になった猪男が突進して通り過ぎたようだ。続いて、今度は右に体のバランスを崩せば、往復してきた猪男達に追突されたことが分かる。
明らかな質量を持った突風が前方から、後ろから、時折左からも右からも、上からも来るようだった。
熾烈な攻撃を受け続けたリュウオウセッカは次第に蓄積したダメージによって、立っていることもままならなくなり、肉体を破壊されてしまう――そう思われていた。
相手をいたぶるように、それこそ美味な食事を味わうようにいやらしい部分を狙って攻撃していた猪男達だったが、姿勢は崩してもその場から動いていないリュウオウセッカに焦りを感じていた。足や腕を狙い、胴体や急所を狙うような攻撃から、今はがむしゃらにひたすら高速で動いて攻撃をするだけに変わっている。
素人目から見ても、何故か攻撃を受けている側が圧倒しているのがはっきりと認識できた。
ちらりと戦隊ヒロイン達の表情を伺えば、微妙に差異はあるものの驚愕していることが分かった。同時に、自分達では苦戦する相手を、リュウオウセッカという正義の味方は一人で悠然と武力を使わず追い詰めている現実に。
「なんでだっ! なんでぇ! お前は、倒れないいぃ――!」
きっと声を発したら何か変化が訪れる。先に声を上げたのは猪男であり、既にその声は敗北者の出すそれだった。
地響きとリュウオウセッカに追突する衝撃音が聞こえ続けていたが、周囲からぴたりと音が消えた。
リュウオウセッカは自分の肩よりも少し高い位置に右手を伸ばして、見えない何かを掴んでいた。そのまま見えない何かにリュウオウセッカがグッと力を込めると、短い悲鳴の後に何もない空間が赤黒い液体に染められる。
「いぃ――ぎゃ――」
猪男の声だった。流れ出た赤黒い液体は、彼らの血液であり、血液で体毛を染めることによりその輪郭が露わになっていった。
リュウオウセッカの掴んだのは猪男の鼻に当たる部分だったようで、流れ出た血液は牙や口に色を付け、熊を二足歩行にしたような大きな体をその場にさらした。
さすがにカメレオン男も『アニキ』の危険を感じたのか、猪男の透明化が消えると同時にカメレオン男がリュウオウセッカの背後に素早く動いたようだ。そのまま、カメレオン男は口から垂らした舌を槍のように硬くさせてリュウオウセッカへと放った。
「ぎゃあっ――!」
喉の奥が震えて血液ごと震わせるような声が響く。それは、カメレオン男が望んだ声ではない――。
「――ア、アニキィ……!」
リュウオウセッカは猪男の鼻を掴んだまま反転し、カメレオン男の舌の盾代わりに使ったのだ。槍による一突きにも等しいカメレオン男の一撃は、猪男の胸を貫き、カメレオン男が動揺したことでリュウオウセッカに到達する前にしなびて垂れ落ちていた。
「フン!」
猪男を貫いたままの舌をリュウオウセッカが掴んで引っ張ると、舌を右手の拳に巻き付けた。
うまく状況を飲み込めないカメレオン男を右腕を引いて引き寄せれば、自然とその体は猪男に叩きつけられるようになり、ぶつかったカメレオン男のクッションになったことで吐血する。
「す、すいません! アニキッ!」
「ごふっ……にげ……ろ……」
カメレオン男はミミズのように舌を動かせて逃れようとするが、強く握りしめたリュウオウセッカがそれを許しはしない。
リュウオウセッカは猪男を間に挟んだままで、その背中に顔を当ててカメレオン男に聞こえるように喋りだす。
「僕は強いか」
それは質問とはかけ離れた、脅迫染みた一言だった。
カメレオン男は下手に喋るとその振動で猪男を傷つけることに気づき、何度も首を縦に振る。
「僕はお前らよりも強いだろ」
猪男の肩からカメレオン男を覗き込む姿は、それは死神にも等しい存在感だった。
「は、はい……」
息を吐くような声でカメレオン男が返事をすれば、猪男の背中にリュウオウセッカは体を引っ込めた。
「僕は君達のような悪を許さない。前の世界を含めてこの世界でも、既に何百人という悪を倒してきた。しかし、悪はいつだって諦めが悪い。指の一本、頭の一欠けらでも残れば、カビのようにいくらでも増殖ししぶとく生き残る。だからこそ、前の世界では甘かった僕は徹底して、悪の殲滅……いや、掃除をしようと思ったのさ」
カメレオン男の掴まれた舌にさらに力が込められ、言葉以上の圧力がかけられる。ぽろぽろと涙を流すカメレオン男の姿は、もはや同情的だ。
だが、正義の執行者はカメレオン男に情けをかけない。
「しかし、セツカは僕のことを紳士だと評価してくれる。それなら、愛しい人の望んだ自分になりたいと思うものだろ。君達のような悪に、誰かを愛する心を説いてもしょうがないかもしれないけどね」
リュウオウセッカの力が急激に緩んだ。今まで力が入っていたゴムがたるむように舌が緩くなったその時――。
「――紳士的に、君達に粛清を与えよう。喜べ、許しの罰だ」
――猪男の肉へ口内にと戻る為に潜っていたカメレオン男の舌をリュウオウセッカが再度追いかけて掴めば、そのまま手に捻りを加えて豪快に引きちぎった。
「――いぎぎぎぎぎゃやややや!!!」
口からはドバドバと壊れたスプリンクラーのような血液を吐き出しながらカメレオン男は痙攣しつつ、仰向けに倒れ込んだ。カメレオン男の吐き出した血は、リュウオウセッカを濡らすこともなく盾代わりにしていた猪男を染めた。
今度こそリュウオウセッカは、猪男を蹴り飛ばす解放した。
「僕の殺意は君達のものだ。僕の罪を業として数えたまえ」
およそヒーローの戦いとは思えない光景に私達が言葉を失っていると、瓦礫の山から転がり落ちていたはずの猪男がのそりとその重たい体を起こしていた。
「……許さん……お前だけは……」
既に猪男は白目を剥いていた。もう意識も遠くなり、垂れたままで止まることのない唾液は猪男が正常でいられなくなっている証明だった。
「まさか、アイツ……」
桜花の声にはっとしてリュウオウセッカを見れば、右の拳を握りしめて腰を低くして何らかの攻撃を放つ準備を始めていた。最初は埃のようにも見えた金色の粒子がリュウオウセッカの周囲に漂う。よく見れば、リュウオウセッカの拳からは光が溢れそれを中心に粒子が発生していることが理解できる。
「嘘でしょ……もう戦えない相手に……これ以上攻撃なんてしたら……」
「それが、アイツの……リュウオウセッカの正義なんだろう」
トリスが吐き捨てるように言った。直後、「変身」と後方から聞こえたかと思えば、翼を生やした赤い影がリュウオウセッカへと飛翔した。――エンジェルレンジャーだ。
「これ以上の暴力はやらせない! 貴方がやっていることは正義じゃない――」
嫌な予感が全身を駆け巡り、ぞぞぞっと血管を冷たい何かが逆流していくのを私は感じた。
「待って! エンジェルレンジャー! ……アイリーン! 行っちゃダメ!!!」
頭の上を飛び越えようとするエンジェルレンジャーに必死に手を伸ばして、私は足を掴んだ。
「なっ……! 離してください、ムツミ様!」
「違うっ、アイリーンが危ないんだよっ」
なおもジタバタとするアイリーンに掴まってでも離さないようにしていると、視線を感じればリュウオウセッカと目が合う。
「――良かった、君が止めてくれたお影で攻撃できる」
その一言を私に向かってはっきりと告げれば、漂っていた金の粒子はリュウオウセッカの拳に集中した。
唸るような咆哮が聞こえれば、猪男が今までで最も早い突進を行おうとしたところだった。まさにそれを待ち構えていたリュウオウセッカは、引いていた拳が見えなくなるほどの光の玉を纏わせればそれを発射するようにして猪男へと向かって突き出した。
「――ドラゴブレスフィニッシュ!!!」
私達に痛みはなかった。その直後、強烈な光の波が私達を通り過ぎていった。
視界は眩い光の影響で役目を失い、息が詰まりそうな熱量は私の体を襲う。ふと楽になったのを感じて、半分以上見えなくなった視界が赤一色に変わっていた。そこで、ようやく理解する。アイリーンが、私を庇って守ってくれているのだ。
「アイリーン……ごめん……」
変身したアイリーンには、私の言葉が聞こえていることを信じて、強烈な閃光を浴びた私はショックと精神的な限界から意識を失った。
※
浅い眠りから目を覚ませば、見慣れない天井が目に飛び込んでくる。このまましばらく横になっていたい気持ちもあるが、見知らぬ部屋で寝続けるというのも気味が悪いのでずっしと重たくなった体を起こした。
天蓋付きのベッドに真っ白いシーツ、天井や壁紙は清潔な白で何故か病院を連想してしまう。
ベッドから足を出して歩き出せば、こちらの世界で寝泊まりしている部屋の倍ぐらいの広さがある。きっと来客用に使わているのだろう。
家具らしい物と言えば化粧台にテーブルにクローゼット、ホテルなどで最低限の家具を揃えたらこんな感じなのだろうか。どうやらベランダもあるようで、カーテンをめくり外を覗いてみる。
「うわぁ……」
ようやく見覚えのある町が窺えた。ここは、紛れもなくオデルブーケであり、町全体を一望できる程の高い建物の一室にいるようだ。
しばらく飽きることもなく行き交う町の人達を眺めていると、町の一角で大勢の人達が何か工事をしているのが分かった。それは、意識を失い直前の記憶を思い起こさせた。
血まみれのカメレオン男に、光の中に消え去る猪男、あの時は直接被害を受けたわけではないが、きっとショックで気を失ってしまったのだ。
思い出した凄惨な記憶に沈んだ気持ちになる。
「あれは、しょうがなかったこと」
「え、へ!?」
気が付けば、ベランダの中に体育座りをする影が一つ。優斗と呼ばれた青年と共にいたセツカという少女だった。
「いつから、そこに!?」
「最初から。これだから、新米異世界人は注意が散漫になる」
ぐうの音も出ないで私は黙っておく、反論もしなければ言い訳もしない私をセツカはどう思ったか知らないが話を続ける。
「ムツミは特殊な力持っているの?」
いきなり名前を呼ばれて驚いたが、きっとこういう性格の子なのだろうとあっさり納得してしまう。
「いいや、私はただの一般人だよ。ちょっと道を間違えたみたいなノリで、異世界に来ちゃった戦闘レベルゼロ女子大生」
「ふーん……。私達のことを見たムツミは、どう思った? 清々しいまでの正義の味方? それとも、悪性と変わらない残忍な死刑執行人?」
やはり変化球を織り交ぜた会話が苦手らしいセツカは、ド直球で質問を投げかけてくる。
同じく変化球の苦手な私は、何度も人生を躓かせてきたドストレートへ投げ返す。
「あんなの、正義のヒーローじゃない」
セツカは背中を丸めて表情を隠すように膝に唇を押し付けた。
「……悪を裁くという意味ではヒーローと同質の存在だけど、じゃあ私達を悪だと言うの?」
「それも違う。多分、貴女……セツカ達はやっぱり正義なんだよ。なんて言うか、戦い方を見ていると……正義の味方っぽくないというか……きっとセツカをヒーローの枠組みに入れたくないのは、私の超個人的なこだわりの問題なんだよ」
「こだわり?」
セツカに聞かれて私は頷いた。
「別に説教をするつもりはないんだけど、セツカ達のやり方は確実で相手を殺さなくても悪事を起こさないように恐怖を叩き込む戦い方だよね」
「へえ、短い時間によく見ていたんだ」
「こう見えても、放送中の特撮ヒーローは戦隊に限らずチェックするようにしているので」
えっへんと胸を張る私にセツカは首を傾げるが、セツカの今の疑問を答えると一時間や二時間では足りないでの話を続行する。
「本当のヒーローていうのは、きっと子供達を笑顔にさせることができる存在なんだと思う。敵を倒しても、例え解決策が暴力だとしても最後には子供を笑顔にさせる。リュウオウセッカも私と一緒にいた戦隊ヒロイン達も……結果は一緒だけど、過程がヒーローからかけ離れている気がしたんだ」
言い切ってしまった後、私は今度こそ手で口を押さえた。
黙って聞いてはいるものの、セツカは私を非難するように目を細めていた。まるで、ネズミを捕まえようとする猫のようにその目がスーと線を引くように細くなっていった。
思い返してみれば、あまりに優遇されていたのが考えもしなかったが、なんで私はここにいるのだろう。戦いを妨害しようとした罰で何かの罪に問われた可能性だって低くはないはずだ。もしかしたら、これは新手の尋問なのではないか、と。
そこまで考えたところで、クスリと一つだけ残ったタンポポの種でも飛ばすような小さな笑みがセツカから漏れた。
「それは良いヒーローだね。……けど、そういう綺麗なヒーローを目指し続けて実行し戦い続けていき、老若男女にヒーローとして愛されたけど、最期は誠実で清廉であり続けたことでまだ手にしていない未来も手にしていた現在も同時に奪われた男もいたんだよ。……もしそういう男が二度目の生を受けるなら、果たしてどういう生き方を選ぶんだろうね。それでもなお、善性として生き続ける選択をしたというなら」
「それって、もしかして――」
そこまで言いかければ、扉の開く音に気付いて振り返った。
「ム、ムツミ! ば、バカ、心配させないでよ!」
手に持っていた洗面器をテーブルに置いた桜花は、涙ながらに私に向かって抱き着いてきた。
「わわわっ! 桜花っ」
一緒に見舞いに来ようとしていたのだろう、桜花が飛び込んできた扉から次は麗衣刃がやってくれば、驚いたように私を見た後に安心したように笑いかけた。
「元気になって良かったよ、ムツミ」
桜花に力強く抱きしめられたまま苦笑してから、ふとベランダの隅に視線を送ると既にそこにはセツカの姿はなかった。




