りんごのおばあさん
白雪姫が森の小人のお家で暮らし始めて、半年が過ぎたころ。もう白雪姫は小人たちの一員になりつつありました。
白雪姫がお家の掃除を始めると、春の陽気に誘われたのか一羽の小鳥が窓から飛び込んできます。
「あら、小とりさん。お出かけにはまだちょっとさむいんじゃない?」
白雪姫は笑顔とともに小鳥を手のひらでそっと包みました。
「あったかくなってきたけどね、まだまだおうちにいた方がいいよー」
そう言うと、白雪姫は小鳥を部屋のおくにある机の上に置きました。
とんとん。扉を叩く音がしました。
「はあい、なんですか?」
白雪姫は戸の近くまで駆け寄ります。
「お嬢さん、りんごはいりませんかえ?」
扉を開けると、立っていたのはりんご売りのおばあさんでした。
白雪姫は心の中で考えをめぐらせます。た人にはしんせつにしなくちゃいけないわ、でもりんごって大きらいなのよね……。
「ごめんなさい、今日はりんごをかえないの。でも、おはなしはききたいわ。あがっていってくださる?」
白雪姫は部屋にりんご売りを招きました。
そのおばあさんはとても優しそうに見える人でした。目もとに刻まれたしわは常に笑っているように見え、りんごをたくさん抱えた腕は少したくましくも見えます。けれど、腰を折りまげて歩く姿には思わず手助けしたくなるようでもありました。
「りんごうりのかた、お名まえはなんて?」
白雪姫は踊るようにお茶の支度をします。
「あたしの名前かいな? それは、秘密にしておこうかねえ」
「まぁひどい。教えてくださってもいいのに」
茶目っ気たっぷりで片目をつぶるおばあさんに、白雪姫はその瑞々しい唇を尖らせました。
「じゃあお前さんにだけ特別だ、あたしはグリムヒルドっていうのさ」
「あら、すてきなお名まえね!」
さぁおちゃをどうぞ、とグリムヒルドに勧めながら白雪姫もいすに腰かけます。
白雪姫の用意したお茶とお菓子は小人たちも大好きなものでした。お茶に使われている葉っぱは小人と一緒に森でとったもの。そのお茶の色は太陽のように鮮やかな黄色をしています。お菓子は甘くつくられた豪華なもので、もちろんりんごは入っていません。お城のお菓子ばかり食べていた白雪姫でもとてもおいしいわ、とよく絶賛していました。
「ありがとうねぇ。ところでお前さん、何でりんごを食べられないんだい?」
「あ、それは……えぇ、と。わたし、りんごがすきじゃあないのよ。ご、ごめんなさい」
白雪姫の瞳は机の上をうつしていました。とても顔なんてあげられません。申し訳ない、という気持ちで白雪姫の頭の中は一杯になっていきます。けれど白雪姫がじっと体をこわばらせていると、
「素直なのはいいことだよ。でも、好き嫌いはなくさなくちゃあね」
という言葉とともに頭に優しく手が置かれたのでした。
「ご、ごめんなさい……! すきになりたいの、わたしも」
グリムヒルドの淡い紫の目と白雪姫の黒い目がしっかりと合いました。
西日が窓から差し込んでくる時間になりました。
「あら、いけないわ。まだおそうじのとちゅうだったのに」
はっと時間に気が付いた白雪姫はいすから音をたてて立ち上がりました。朝から今までずっとグリムヒルドと話していたのです。
「おはなしのとちゅうにごめんなさい、グリムヒルドさん。またきてくださいな」
「いやぁありがとうねえ。楽しかったさ、また来るよ」
笑顔で手を振る白雪姫の肩にはあの小鳥が止まっています。グリムヒルドはまた、たくさんの真っ赤なりんごを抱えて去っていきました。
「……りんごがたべられるようになれたらな」
白雪姫は顔に楽しげな笑みを残したまま呟きます。
「さて、小人さんたちがかえってくるまえにおそうじしなくっちゃ!」
* * *
新鮮なりんごのつぶれる音が暗く響きました。
「あの娘、まさかりんごが嫌いだったとはね! 私の努力を無駄にしてくれるわねぇ」
鏡の前でつぶやくのは白雪姫の継母、メーラ女王です。そして、彼女はさっきのグリムヒルドでもありました。
「あの姿でいるのにも世話が焼けるわ、ほんとうに」
お城の地下室で、メーラはいらいらとグリムヒルドとしてのお化粧を取っていきます。
「あれに何としてでもりんごを食べさせるのよ。じゃないと――、あそこまで美しくなっているなんてね」
メーラの美しい黒髪がとぐろを巻きました。