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全ての始まり

今回は短いです。

 1942年 6月6日。8月にハワイで開かれる予定の日米政府間交渉や、それに付随して行われる安全保障面についての軍高官同士の会議に先立ち現地入りする予定だった陸海軍の幹部や外務省職員を乗せた輸送機が羽田空港から飛び立った。これにはアメリカの駐日駐在武官や駐在官も同乗しており、サイパン、クェゼリン、ウェーク、ミッドウェイなどを経由して一路ハワイへと向かう予定であった。


 しかし午後零時を過ぎた頃、サイパンを飛び立ちクェゼリン環礁へと向かっていた輸送機からの連絡が突如として途絶する。そしてクェゼリン環礁への到着予定時刻を大幅に過ぎてもなお現れることはなかった。連絡を受け取った陸海軍では当初、アメリカ軍による攻撃の可能性も視野に入れて調査を進めていたが、米駐在武官が同乗していた事やSOSなどの緊急電も何もないことなどから突発的な遭難と断定する。だが、付近に展開していた水偵や大艇を動員して捜索活動を行うも発見できずに終わる。アメリカ側も連絡を受けてウェーク駐留の航空部隊を動員して捜索をしたが、生存者どころか機体の破片すら見つける事ができなかった。さらに海軍はタイミング良くクェゼリンに駐留していた第三十駆逐隊の4隻に海上の捜索命令を出すも発見はおろかなんの手がかりも掴めなかった。事故当日は天気も悪くなく乱気流なども確認されていない。捜査の担当者や専門家の弁をして


「遭難する要素が全くもって見当たらない。人為的なものとしても不可解な事件だ」


 と言わしめている。


 2週間後、生存の見込みなしとして本格的な捜索を打ち切り、搭乗者は全員死亡と判断された。


 世界では欧州で独伊を中心とする枢軸軍と英ソが中心となる連合軍が激戦を続ける中、本来ならば歴史に埋もれていくはずだったこの事件。しかしそれだけでは終わらなかった。


 先の事件から約1年後となる1943年6月9日。今度はシアトルから東京へと向かう途中であった貨客船「日枝丸」がウェーク島沖で消息不明となる。これは、定時連絡を絶ったことから日本郵船から海軍へと通報と捜索願いがあり判明したのだ。通報を受け取った海軍では、昨年の輸送機遭難事故の海域とほぼ同じ場所だったため直ちに捜索活動が行われる事となった。しかしまたもや、僅かな痕跡さえも見つけることができなかった。しかも今回は航空機とは違い排水量1万2千トン、乗客乗員合わせて350名を超える船である。それが跡形もなく綺麗さっぱりと消えてしまったのだ。さすがの異常事態に日本政府はアメリカ政府にも改めて通達、前年の遭難事故と合わせて再度付近の調査が行われる。海軍も米軍と協力してクェゼリン、エニウェトク、サイパン等に駐留している部隊を総動員して捜索を行うがやはり手がかりは無かった。藁にもすがる思いとの事で、事件当時に周辺海域を航行していた船や航空機の乗組員にも事情聴取を行ったが有力な情報は得られなかった。あったとしても当時一番近くを航行していた船の見張り員が変な構造物を見たというくらいだ。もちろん翌日の捜索ではそんなものは発見されておらず、寝ぼけていたか蜃気楼か何かを見たとして片付けられる事となった。そして遭難から1ヶ月後、乗組員全員が死亡と判断された。


 この事件により日米両国は改めてウェーク島やクェゼリン環礁周辺海域の調査を徹底して行うも、さしたる痕跡は見当たらず、未だ原因もわかっていない。しかし調査は継続され、今後は軍による監視を行うことも視野に入れて両国で協議されている。


 だが、その日米両国の努力をあざ笑うかのように、この怪奇事件は終わらなかった。今度はウェーク島に向け航行中だった米海軍の駆逐艦が行方不明となったのだ。しかし今回は一つだけ手がかりが残った。その駆逐艦が行方不明になる前に『謎』という一言の通信を残したのだ。状況から見て電文を送信中に何かがあったのだろう。この電文を受け取ったアメリカ海軍は困惑の渦に包まれることになった。日本にも確認を取ってきたがもちろん攻撃もしていないしそもそもその時間に駆逐艦がその海域を航行していること自体を把握していなかった。さすがにおかしいと見た両政府は調査が終わるまで周辺海域への民間船や民間航空機の立ち入り禁止を命じる。それと同時に海軍艦艇、航空機による哨戒を強化することで合意。米軍はウェーク島駐留の航空部隊や臨時に配備したカタリナ飛行艇などを動員する。日本側もクェゼリン環礁やウォッゼ環礁を中心に配備されている航空機、水上機を動員して警戒に当たっている。また南洋諸島一帯の警備を担当する第四艦隊からも駆逐隊が派遣され、周辺海域の哨戒任務に就いている。


 そして迎えた運命の1943年6月27日。日米両国ばかりかこの世界の情勢を一変する出来事が起こることとなる。そして歴史は、誰も予想しない方向へと変わっていく事となるのであった。

いよいよ序章も終わりとなりました。次回からは話の本筋に入ります。


それはそうと、誰か英軍のレーダーに詳しい方いませんかね。ネット上にあまり情報が無いもので…。

各形式とおよその性能、配備時期が分かれば有難いです。

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