ケプラーゼ航空戦 前哨戦2
1944年 2月1日
ケプラーゼ防衛線、南部方面軍第186監視哨にて監視を行ってたラキア上等兵とその部下のゴキブリャスクはまだ眠い目をこすりながら黎明時の空を見上げていた。
「眠い……」
山岳要塞の一端とは言え前線から離れている後方の監視哨で見張りを行うゴキブリャスクはあまり気合が入っていなかった。それは先輩兵士のラキアも同様であり、先程から大欠伸を連発していた。
「そもそも上空を監視したところで対抗できる航空兵力なんてなかろうに……」
ラキアがぼやきながら取り置きしてあった夜食の乾パンを齧る。口内を砂漠にする事で定評のあるトゥーレ王国軍の乾パンは一口、また一口と盛大な音を立てながらラキアの口内へと消えてゆく。ついでとばかり、そばに置いてあった水瓶の中身も消えてゆく。いつもの夜明けの日常である。
「さて、そろそろ交代の時間だが……ん?」
人族のゴキブリャスクとは違い獣人のラキアの目は良い。その目が何かを捉えたのである。ラキアが注視するその先には、はるか上空を通過する物体があった。そしてそれを見つけたラキアの眠気は一瞬で吹き飛んだ。
「おい!ゴキ!でたぞ!」
「ゴキじゃなくてゴキブリャスクです。虫でも出たんですか?」
後輩がどうでもいいツッコミを入れながらのそのそとやってくるが、ラキアはそれどころではなかった。
「……こいつは定期便じゃないぞ。方角も時間も違う!」
彼らが定期便と呼ぶのはガ空軍による小規模な戦略爆撃である。1月末より単独の偵察機の後に6〜8機程度の大型機による後方への爆撃が始まっていた。これらは山岳要塞の補給路遮断を目的としていたが、そもそも国家連合軍が大規模な輸送網を持たない事、戦訓を生かし夜間に活動の重点を移していることなどから目立った被害は出ていなかった。それはガ空軍も把握しており、今行われている偵察機と爆撃機の混成編隊による索敵攻撃やレーダー搭載機による夜間爆撃など試行錯誤が続いていた。もっとも要塞本体は完全に地下化されており、重要拠点の把握すら進んでいないのがガ軍の現状でもあった。この様に空振りを続けるガ空軍は総統の意向もあり方針を転換、脅威となり得る日米両軍の展開拠点の捜索と攻撃に重点を移そうとしてた。
「ゴキ!本部に連絡だ。偵察と思われる飛行機械が西方へ直進中!」
「あの……、通信士が寝てますが」
「叩き起こせ!早く!」
ラキアの怒声に飛び上がったゴキブリャスクは着地と同時に回れ右を決め仮眠室へとすっ飛んでいった。やがて各所で叩き起こされた通信士による魔信によって転送リレーが行われ、無事に本部へとたどり着いた情報はさらに連合軍司令部へと転送され日米の連絡士官の耳へと入る。
「バレたかな」
「バレたでしょうね」
連合軍司令部に詰める龍騎参謀のイダトス大佐と連絡士官の本沢中佐が忙しなく動き回る通信兵を尻目に呟く。
「できればもう少し時間を稼ぎたかったのですがね」
本沢中佐がため息混じりに呟くその理由は、関係者の不眠不休の努力により翌週には新型機を装備した第22戦隊の進出が決まっていたからであった。わずか12機とはいえ、その戦力は喉から手が出るほど欲しいものであった。
「我々の新型機は間に合いましたので、一週間程度なら凌げるでしょう」
一方得意げに割って入ってくるのは米海兵隊のコリンズ中佐であり、彼の言う通り米海兵隊は新型機であるF4Uコルセアを装備した第221戦闘飛行隊の先遣隊を展開させていた。
基地の設営開始はほぼ同じタイミングであったが、今までに進出できた機数は日本が36機であるのに対しアメリカは海兵隊から42機、陸軍から19機の計61機と倍近い機数を配備していた。これはひとえに基地の規模の差であり、工兵能力の差が顕著に表れていた。
「まったく、優秀な設営隊をお持ちで羨ましい限りだ」
またもや溜息をつきながら呟く本沢中佐に対しコリンズ中佐が至って神妙な顔で返答する。
「しかしそれでも機数は100機に満たない。これでは全く足りない。早急に増援が必要だ」
その言葉に本沢中佐は改めて国力の違いを感じていた。この短期間で100機近い航空戦力、それも一級線の機体ばかりを集めておいて“全く足りない”とはどうなっているのか。
「我々のワイバーンも50騎程展開しているが……」
イダトス大佐がぽつりと呟くがその後の言葉が続かないのは、当のイダトス大佐を筆頭に龍騎関係者の誰もが対航空機用の戦力として期待していないからである。日米としてもとりあえず制空権とったら対地攻撃に使えるかな、程度の認識であり後方に待機させている。ちなみにイダトス大佐が連絡士官の二人とつるんでいるのも、龍騎参謀としての仕事がほぼ無く暇を持て余しているからである。
「まあ我々があれこれ言っても仕方がない。彼らの働きに期待しよう」
もともと連絡士官として司令部に詰めている彼らにとってこの件でできることは少ない。その数少ない出来ることのうちの1つである通報を終えた彼らはこれから大量に押し寄せてくる陸軍部隊の受け入れ調整に取り掛かり、イダトス大佐は司令部の雑用を指揮するのであった。
同日午前5時50分
独立偵察飛行隊第1偵察飛行隊に所属するヨーステン大尉は愛機であるRZ-3を操りながら、久しぶりに感じる緊張感を味わっていた。今大戦においても両手では数え切れないほどの出撃を行なっているヨーステン大尉であったが、独立偵察飛行隊の創設に当たってしばらくの間前線を離れていたこともあり迎撃のリスクがある偵察飛行は一年ぶりであった。
「後方敵機なし。いつもの空です」
後席に座る偵察員兼通信員のミハルス航空軍曹がヨーステンへ報告を行う。ペアを組んで早くも5年、もはや以心伝心の関係であった。
彼らの操るRZ-3は単発複座の戦術偵察機でありその名の通り戦術レベルでの偵察飛行任務を目的として設計されている。ガーランド帝国初となる偵察専用設計である本機の最高速度は時速約629kmと非常に高速であり、航続距離も増槽無しで2000km以上と空軍機としては長い脚を持っている。その反面偵察任務以外の装備はトコトン削られており、空気抵抗になるとして防御機銃すら装備から外されている。その限定的な用途から生産は少数であり予備機と機種転換用の練習機を除く全ての機体が独立偵察飛行隊へ集められている。
「いつ敵機がくるかわからん。注意しておけ」
「例のエディス市のやつですか?我々と同じ技術力を持つとか何とか」
彼ら第1偵察飛行隊が前線配備されてから初任務となる今日までの間、暇を持て余した彼らの話題は必然的にエディス市に現れた謎の敵に絞られる。
先の空襲から二週間後、軍上層部から正式に新たな敵国が発表された。その通達によればその二カ国は先進的な科学技術を持ち我々の軍備にも対抗できるほどの質と量を備えているとの事であった。後方地域においてかなりの驚きを持って迎えられたこの通達は瞬く間に末端の兵士にまで浸透し、しばしの間彼らの話題を独占する事となる。
その一方、エディス市攻略作戦に参加した将兵からは情報の遅さに失望する声も漏れている。特に早々に相対するであろう海空軍部隊においてその声は顕著であった。そして彼らはさらなる情報を求めた。つまりのところヨーステン大尉ら独立偵察飛行隊の第1偵察飛行隊が急遽配備されたのは空軍上層部の政治的思惑の他に、情報が足りないと前線部隊の指揮官らが連名で抗議した事を受けての事という側面も持っていたのである。数年間、技術力のアドバンテージに物を言わせて戦ってきた彼らであったが、情報収集という戦争の基本は忘れてはいなかった。
独立偵察飛行隊のそもそもの設立理由は創立間もなく政治的に弱い空軍が陸海軍に対し優位に立てる"情報”の収集を目的として設立されたものである。そのため行われる偵察任務は通常の戦術偵察から戦略偵察、海上索敵などの他にも通常は行わない類のものを含め多岐に渡る。そして任務の多様性に応じて装備機も多様化しており、中には限定任務の為だけのワンオフ機なども存在する特殊な部隊であった。
「先の空襲の話を聞いたが、どうやら航空機の性能はかなり高いらしい」
「あー、戦闘機隊がかなりやられたとか」
ミハルス航空軍曹が適当に呟く通り、エディス市支援作戦で暴れに暴れまくった日米の機動部隊は五月雨式に到着したガーランド空軍の戦闘機隊を局所的数的有利を活かし多数叩き落としていた。さすがに第4次攻撃ともなると稼働機の減少とガーランド空軍の大規模増援もありある程度の被害を被っていたが、それでも全体を通して見れば優勢を維持し続けていた。
「まあこいつに追い付く機体なんぞ無いとは思うが……。強行偵察になるだろうから注意しとけ」
「了解」
やがてRZ-3は挺身諜報隊から報告のあった地点への最終偵察コースにのる。ここから先が最も重要かつ最も危険な時間となる。
「コースそのまま。目標まで5分」
チャートを読む淡々としたミハルス航空軍曹の声だけが機内にこだまする。操縦桿を握る手は既に汗にまみれ、口の中は乾燥しきっていた。西に向かう機体の先には、地平線から顔を出そうとしている太陽から漏れた光が充満していた。黎明時を期しての偵察は予定通りに開始できそうである。
「……あったぞ!いつの間に滑走路なんか作ってやがったんだ」
ヨーステン大尉のその言葉と同時に眼下で爆発が起こる。これは明らかに高射砲弾の炸裂であり、これまでにない現代兵器での反撃であった。
「高射砲陣地がありますね。手っ取り早く終わらせましょう」
ミハルスはいつも通りに呟きつつカメラのシャッターを切りまくる。RZ-3はミハルスが持つ手持ちカメラの他に機体下部に自動カメラを2台備え付けてありこれらを使用するために基地上空をフライパスするのである。
「このままいくぞ」
「了解」
次第に正確になる対空砲火に揺さぶられながらRZ-3は基地上空へと侵入する。一発で撮影コースに機体を乗せたヨーステン大尉はゴクリと生唾を飲み込む。これから撮影が終わるまでは回避機動も取ることができないため格好の的となる。
「撮影開始」
ヨーステン大尉が撮影ボタンを押すと同時に永遠のように感じられる時間が始まる。撮影に要する時間はわずか数分であるが、ヨーステン大尉にはそれが永遠のように感じられた。しかし2人の不安は他所に撮影は無事に終了する。
「よし、引き上げるぞ」
長居は無用とばかりに機首を翻すと洋上へと進路を向ける。最短距離で帰るならば180°反転するのが一番であるのだがらその進路では再度高射砲陣地を通らねばならない。それを回避するため、そして地上からの追跡を避けるため迂回を選択したのである。
しかし彼らは気付いていなかった。はるか低空を、静かに跡を付ける機体がいる事を。
明けましておめでとうございます。今年もマイペースな投稿となりますがよろしくお願いします。




