閑話 2
1943年10月26日
西部標準時 16:50
アメリカ合衆国カリフォルニア州の南部にある大都市ロサンゼルス。その北方に位置するオセアノは現在業火に包まれていた。沿岸部の住宅、そしてささやかな工業地区は軒並み倒壊、港に係留されたり浜に乗り上げていた小型商船や漁船は大破着底、比較的損害が軽微なものでも弾片により何かしらの被害を被っていた。既に国籍不明艦隊による砲撃は途絶えているものの、火災は今もなお延焼を続け、死傷者は右肩上がりに増えていく。市内では消防車や救急車が駆け回り、助けを求める市民の叫び声がこだまする。まさに阿鼻叫喚、地獄絵図であった。
その喧騒を片目に航行する艦が4隻。通報を受けサンディエゴ沖から急遽駆けつけた米太平洋艦隊所属の駆逐隊である。艦名はそれぞれ「オバノン」「シャバリア」「ニコラス」「ストロング」。いずれも新鋭のフレッチャー級駆逐艦であり、米東海岸のメイン州にあるバス造船所で建造された艦だ。この4隻は2ヶ月ほど前に太平洋艦隊への配属が決定し、サンディエゴ基地にて訓練を行っていたのである。
「くそッ、いいようにやりやがって。レーダーに反応は!」
艦橋から燃え盛るオセアノ市街を見ていた臨時駆逐隊司令兼オバノン艦長のテイラー少佐はオセアノを襲った敵艦隊が未だ発見できないことに苛立ちを感じていた。フィリピンや太平洋の小島ならいざ知らず、オセアノはれっきとした米本土であり太平洋艦隊の主要基地、サンディエゴのお膝元でもある。ここでみすみす敵艦隊を逃したとなれば太平洋艦隊どころか海軍全体が窮地へと立たされる事になるであろう。無抵抗な市民に対し容赦の無い攻撃をしかけた事に対する怒りがふつふつと湧いてくる中、敵艦隊が一向に見つからない事に対する焦りも生まれ始めていた。
「航空隊からの報告は無いのか?」
「いえ。陸軍からも何も」
この問いに対する通信士の反応は芳しく無い。既にカタリナ飛行艇やB17など多数の機体が発進しているはずだが報告は無かった。
第一報を入れた商船によると敵艦隊には少なくとも重巡クラスの艦が所属している事が判明している。駆逐艦4隻で何処まで太刀打ちできるのであろうか。サンディエゴ軍港にはサウスダコタ級戦艦やボルティモア級重巡洋艦を始めとする新鋭艦が多数停泊しているものの、それらの大型艦が出航するには今しばらく時間がかかるであろう。もし敵艦隊が30ノット以上を発揮できる艦で構成される高速艦隊ならば、主力艦の出航を待っていては取り逃がしてしまう可能性が高い。
(しかし敵は何処の国だ?……一番可能性が高いのは日本だが、それならばなぜオセアノを狙う?第一、ここまで哨戒網にかからずに来れる筈がない……)
まだ見ぬ敵に対し考察を深めていくテイラーであったが、見張り員からの報告がテイラーの意識を現実へ引き戻す。
「2時の方角、艦影!距離2万5千!」
これを聞いた艦長はすぐさま双眼鏡を覗き込む。それと同時にレーダーにも反応があったようだ。どうやら現在視認できる艦の他に4隻ほど発見したらしい。合計で巡洋艦が2隻に駆逐艦が3隻、砲撃戦では分が悪いが雷撃戦に持ち込む事ができれば勝機はある。
「艦種識別急げ!それから対水上戦闘用意だ!既に攻撃命令は出ている。射程に入り次第撃ち方開始!」
その言葉と同時にオバノン以下4隻は搭載されている5門の5インチ両用砲を敵艦へ向け照準を定める。フレッチャー級が装備するMk.12 5インチ砲の最大射程は凡そ1万5千m、あと1万m以上距離を詰めなければならない。
「レーダーに新たな反応!10時の方向、距離……7万!?」
「7万?航空機か?」
「違います!水上目標です!」
「……馬鹿な!遠すぎる!」
あまりにも現実味のない報告に一瞬思考が停止するが、すぐに大声を上げてこれを否定する。
地球というのは丸みを帯びているため、見通せる距離に限りがあるのは常識と言っても良い。身長170cmの大人の場合は凡そ4km、フレッチャー級のレーダー設置位置を海面上20mと仮定しても17〜18km程しか見通す事ができない。もちろん、見通せる距離は対象物が高ければ高いほど伸びるが、それでもこの時代、最長の見通し距離を誇る戦艦同士でも好条件下で40km超が限界だろう。しかし今回探知した目標は驚くべき事に70kmを超えた距離にあるのである。目標物の高さは概算で500m近くあるのではないだろうか。などとテイラーが思案していた時、見張り員からレーダーで捉えた新たな目標を視認した、との報告が入ってきた。テイラーはこれに触発されすぐさま双眼鏡を構え、そちらの方角を見る。
「……何だあれは!」
報告のあった目標は船などでは無かった。靄がかかり霞んで見え難いが、海上から巨大な構造物が突き出ているらしい。そしてその構造物は何やら禍々しい雰囲気を放っていた。
「報告だ!海上に巨大な不審物を発見!」
「わ、わかりました!」
通話機の向こうでは、命令を受けた兵が慌てて通信を始める。どうやら通信を受けた側も混乱しているようで、何度も同じ言葉を繰り返しているのがわかる。
「どうやら敵艦隊はあの構造物へと向かっているようです」
この報告にテイラーはまた思案する。あの構造物と敵艦隊にどの様な関係性があるかは不明だが、あの異様な構造物へ自ら向っているという事は無関係ではないのだろう。もしくは敵艦にはレーダーが装備されておらず、見張り員が盲目であるかのどちらかだ。
現在、敵艦隊は米駆逐隊の鼻先を通り抜けようとしているが、速力は全て駆逐艦で構成されている米駆逐隊の方が優っている可能性が高い。そうなると上手くいけばT字に持ち込む事が可能かもしれない。もちろん敵もそこまで馬鹿ではないだろうが、T字を避けるために舵を切れば構造物へ向かうことを阻止できる。時間を稼げば戦艦は無理でも巡洋艦や航空隊は間に合うはずだ。
「敵艦取り舵!」
「反航してすり抜ける気か」
この報告に一瞬思案したテイラーだが、すぐさま新たな命令を下す。
「針路0-6-0。反航戦で魚雷を発射した後に反転、敵艦隊の後尾に食らいつくぞ」
「針路0-6-0、アイ!」
復唱と同時に面舵が切られ、やや遅れて艦体が右へと針路を変え始める。その間にも水雷長以下水雷要員は魚雷発射の準備を粛々と進めている。
「敵巡洋艦、発砲開始!」
その報告とほぼ同時に砲声が聞こえてくる。テイラーは弾着時に襲われるであろう衝撃を予想して手すりを握る手に力を入れる。しかしその予想に反して襲って来た衝撃は軽いものだった。
「左舷後方に弾着!」
肩越しに振り返って見ると、着弾地点は思いの外後方である。水柱が2本、あの高さだと7〜8インチクラスの砲だと思われる。数が少ないのは前部の砲しか使えないからだろう。しばらくの間は発砲している艦は重巡洋艦のみであり、それも及び腰の砲撃であるため米艦隊に被害は生じなかった。
「敵艦隊、射程に入った!」
「よし。全艦、撃ち方始め!」
号令一下、敵艦に指向できる全ての砲が発砲、各艦3発、計12発の砲弾が敵艦へ向け飛翔する。フレッチャー級が搭載している5インチ砲は対艦戦闘時における最大射程こそ日本の駆逐艦に搭載されている12.7cm砲に劣るものの、15発/分以上の速射性能を誇っている。もっとも、夾叉弾もしくは直撃弾を得るまでは毎回弾着観測が必要になるため砲撃間隔は間延びするが。
第一弾目は全弾が近弾となるものの、観測されたデータはすぐさま次の砲撃に反映される。僅かに砲身が動き、砲身先に爆炎が灯る。もちろん敵も重巡のみならず駆逐艦も発砲を始めている。だがその弾着は次第に至近弾とも言える距離まで迫っているものの未だに直撃弾はない。薄明時という事もありしばらくの間は互いに有効弾を出さずにいた砲撃戦だが、距離1万を切ろうかという時、ついに戦いは動いた。敵巡洋艦の第6射目が飛来、「オバノン」の後方に従っていた「シャバリア」が水柱に包まれた。
「シャバリア被弾!……いえ、至近弾の模様!」
たかが至近弾、されど至近弾。これが自艦と同程度の砲ならば十分に防御できるであろう。しかし今回砲撃を受けたのは駆逐艦、対して砲撃を行なったのは重巡クラス。損害必至である。おそらく艦外に剥き出しのレーダーなどには異常が生じているかもしれない。だが今の所「シャバリア」は艦隊から落伍することなく続いている。せめて魚雷発射ポイントまでこのままでいて欲しいというのがテイラーの率直な思いであった。
「水雷長、用意はいいか!」
「はっ、今すぐにでもいけますぜ!」
近年航空機の脅威が増大する中、米海軍の中で何かと要不要について語られていた水上艦の魚雷だが、今回はその役目を存分に果たすことができそうである。電話越しに聞こえる水雷長の声が弾んでいるのも無理はない。
「発射までは直進を保つ。タイミングは任せたぞ」
「アイ・サー!」
やがて距離が近づくにつれ双方の射撃精度は上がり、ついには直撃弾が出始める。しかしそれは互いの上部構造物を傷つけるのみであり、未だに重要区画に深刻なダメージを負った艦はいなかった。
「もう少し……今だ、撃てッ!」
水雷長の号令と共に右舷に指向していた魚雷発射管から10発、4隻合計40発のMk.15魚雷が扇状に放たれる。敵艦隊がこのまま直進するならばおよそ4分後に到達する筈である。
(頼むぞ……)
テイラーは敵艦は向け突進する魚雷に対し心の中で声援を送りつつ敵艦隊を注視する。先頭を走る敵駆逐艦は前部にある2基の主砲のうち1基を潰している上、後部主砲は射角の問題からか発砲していないため脅威度は低い。問題は敵の雷撃だが、まだ完全に陽が落ちているわけでは無いので雷跡が見つかればすぐに見張り員から報告があるだろう。そして着弾まで残り僅かとなった時、敵艦隊に新たな動きが見られた。
「敵艦隊、回避運動を開始!」
先頭の駆逐艦が迫り来る魚雷に対して正対しようと面舵を切る。後続の鑑も舵を切って魚雷を回避しようとするが、針路が変わる前に魚雷の到達を許してしまう。
「命中!1本……2本を確認!」
「よしっ!」
テイラーが拳を掌に打ち付け、オバノンの艦橋が歓声で沸く。およそ5千mを疾駆した魚雷は単縦陣の2番艦に位置する重巡へ命中、その衝撃で信管が作動し弾頭に搭載されていた375kgのトーペックス爆薬が起爆する。この375kgのトーペックス爆薬はTNT換算でおよそ600kgに相当し、かの有名な九三式酸素魚雷にこそ及ばないものの、潜水艦用魚雷である九五式酸素魚雷を上回る破壊力である。これを右舷に2本食らったガ軍重巡「スラースト」は急速にその速力を落とし左に傾きつつ艦隊から落伍していく。
「よし、このまま……」
そう呟きかけた時、スラーストが最後に放った主砲弾の1発がオバノンの艦橋基部を直撃、テイラー以下艦橋要員の意識はそこで途絶えた。艦橋は倒壊し運良く海へ投げ出されて後に救助された者もいたが、大半は瞬時に戦死。遺品も残らなかった。
そしてそれから数十分後、ガ軍残存艦艇は漂流者の救助や大破艦の処分もそこそこに門をくぐり撤退、オセアノ沖海戦は幕を閉じた。米海軍は駆逐艦2隻大破(1隻は浮きドックが間に合わず後に沈没)、1隻中破の損害を出しつつもガ軍艦艇の撃退に成功する。
またアメリカ世論は突然の攻撃に驚愕するとともに、これを阻止できなかった海軍に対し非難を浴びせた。しかし米国政府から異世界云々の説明があると一気に沈黙することになる。これはこの攻撃を受けたことが不可抗力であると納得した訳ではなく、最初に出された公式声明があまりにもファンタジーじみていたからである。もちろん少しの間を置いて各地ではふざけるなとのデモが起こるが、各新聞社に対し門の写真を公開したほか、諸外国、特に日本であるが、そこから素早い同調声明が出された為にある程度は沈静化する。また攻撃を受けたオセアノを中心に他の西海岸地域と比べて保守層が多いカリフォルニア州の南部では卑劣な輩への報復をーーリメンバーオセアノーー合言葉に大規模な集会があちこちで起き連邦議員などもこれに参加、さらに新聞社の煽りも加わりヒートアップ。こうなるとアメリカ世論は手がつけられない程に加熱する。さらに政府が異世界進出へ積極的(事前情報を得ている為、既にレンドリースと称して各種艦艇、航空機、物資の増産を行ない始めている)だった事もあり対ガーランド戦はトントン拍子に決まることになった。
米軍視点での試し書きを兼ねて。本来ならば鹵獲重巡の話を書くつもりがいつの間にかこうなりました。鹵獲重巡については次の話となります。
 




