田舎町の一両編成
うーん、と、指をケータイから唇の下に移動させ、しばし考える。――ネタが。ネタが、ないのだ。
仕方なく、ぱちんと閉じる。私のケータイは今どき珍しい二つ折りのガラケーで、パケホなんて加入していなかった。友達からは、もはや骨董品、とまで言われてしまっている。でも私は、これで小説を書くのが好きだった。小さい頃から使っていたパソコンに慣れすぎたせいかもしれない。
電車内には、もう誰もいなかった。いつもこうだ。ここからは三駅ほど、この一両編成の終点である私の在住地まで、一人として乗降しない。それをいいことに、私はたまに、ある車掌さんと話をしていた。今日も今日とて、車掌の出入り口であるドアについている、小さなガラス窓を開ける。
「ねー、あずみん」
「おー?」
気楽、かどうかは分からないけれど、ワンマン車掌の安住さん。彼がいつも、この電車を走らせている。
「ネタない。ネタちょーだい」
「んだよ、俺からも何かひねり出す気か!?」
「ひねり出すとは失礼な」
私は、どうしてもネタが思い浮かばないとき、ごくたまあに、他人を拝借するだけだというのに。
私は、小規模な雑誌で雑務(簡単に言えば何でも屋)をしていて、短編小説も連載している。ターゲットが若い女の子なので、書くのはたいてい恋愛小説だ。しかし私はあまり経験がない。なので、想像力とネタ探しでなんとか成り立たせていた。
「じゃあさあ、電車の誰かで、良さげな雰囲気の人とかいないわけ? あずみん、一両編成専門でしょ?」
「……他の路線で、昨日は良さげなのがいたけどなあ」
「ええっ、どこどこ!?」
「教えるかよ」
「ひどいっ!」
くうっ、あんたの友人が困っているというのに、この兄ちゃんはっ。
ほっぺをふくらませていると、安住さんが小さく、あっ、と零した。
「おい、ほら」
「うー? ……あ」
言われるままに上げた目線。窓の外では、白い結晶が、はらはらと舞っていた。
「ゆ、き」
「……だな」
言葉を、失う。まさに今、その状態だった。今日はやたら寒いなと思ってたら、こういうことか。私はそこでようやく、そういえばもう十二月も末だな、と思い出した。
流れる沈黙。がたがたと揺れる車内。その結晶は私たちに当たることこそなかったけれど、どこか心の奥に冷たいものを残した。
「なあ」
「なに」
「……俺、」
来年から、別の路線に配属されるんだわ。
そんな言葉にも、何故か今なら、目が熱くなりそうだった。
「って、これ。使えんじゃねえか?」
「グッジョブあずみん」
さっそく私は、ケータイをカチッと開けて、メモ帳に書き込んだ。作業を終え、安住さんに向き直る。
疑わねえのか? ――そう言って、笑う。
だって、嘘なんでしょ? ――私も、笑う。
「どうせワンマンの一両編成は人気ないし、希望するのって、あずみんぐらいだろうし。ありがたく使わせてもらうね」
「言ってくれるなあ」
「ほんとのことでしょ」
はは、違いない。
安住さんはそう言うと、ブレーキに手をかけた。誰も乗ってこないっていうのに、ちゃんと駅ごとに停まるあたりが、あずみんらしい。
「じゃあ、こっちなら信じてくれるか?」
ゆっくりと、後ろに体が傾く。とっさに目の前のポールに掴まる。そして、がたん、と停車した瞬間、ガラス窓の桟に、額がこつんと当たった。
「俺は明日、お前を、食事に誘いたい」
私はそこでようやく、そういえば今日は二十三日だったっけ、と思い出した。
もちろん誰もいなかった無人駅をちらりと見やると、この男は笑いながら「返事は」と催促し、電車を発進させた。
北派文学クリスマス号掲載予定。