ぞぞう処理場の恐怖
ぼく、こぞう探偵が長野県白馬村で見つけ、侵入したぞぞう処理場は今でも動いている。今でもあの叫び声は聞こえている。
ぼくはそれを止めることができなかった。
なぜなら―――。
温泉行こう、倉下温泉、
茶色いお湯が待ってるよ、
ぼくたち、こぞうとままとぞうちゃんとつかいさんは、倉下温泉への道を歩いていた。
赤い屋根。白い壁。
森の手前に一軒だけある建物。
少し唐突なその白い館、そこから聞こえるのは―――悲鳴?
「悲鳴、だよね?」
そうだね、と答えたのはつかいさんだった。
あそこはぞぞう処理場。こぞうさん、あそこには近づかないほうがいいよ。
「ちょっと、つかいさん!?」
うん、と言ってつかいさんはその赤い屋根の建物から眼を離した。
つかいさんは黙ったまま、ままは温泉の歌を歌いながら、ぼくたちはぞぞう処理場と呼ばれた建物を通り過ぎた。
こぞう探偵が動かないわけがない。当然つかいさんもそう思っているはず。
ままは?
なんだかさっきより黄色いね。
抜け出すのはみんなが寝静まった夜。月明かりの下。
どころか星も見えないや。
ままのペンライトを拝借。
闇夜のこぞう探偵は長距離トラックをひらりとよけて、さっそうと行く。
ひらりひらり。
あっ突風だ。びゅう。飛ばされた。
ライトアップはされていなかった。
悲鳴も今は途切れていた。
風が冷たい。
突風。ひゃあ。飛ばされた。
お、ちょうどよく門の中に入っているよ。
運がいいのも探偵の重要な資質だよね。ほら、非常ドアも開いている。
ガタン、グワワン、ゴーン。
何かと思ったね。
それはぞぞう処理場が動き出した音だった。
きゃあ――っ。ひゃあ――っ。
またはじまったんだ。
悲鳴の方へと急ぐ。機械の音も近い。
ベルトコンベアがぬいぐるみたちを運んでいた。
その先には。
ぬいぐるみが悲鳴をあげて、その中へ落ちる。
むっとする暑さ。
ぬいぐるみたちはなにやら混沌としたプールへ次々と落ちてゆく。
悪寒を感じた。彼らの悲鳴が、実は歓喜の叫びだったと気がついたからだった。
注意してみると、ぬいぐるみたちはみな、年を経て色が変わったり、擦り切れていたり、ほこりだらけだ。
誰も縛りつけられているわけではない。ベルトコンベアから降りようと思えばいつだって降りられる。
だけどみんなプールの中へ声を上げて落ちてゆく。
時々プールの表面が意思を感じさせるように、うごめく。
これは犯罪とか、ままのためとか、そのような日常の出来事ではない。
探偵の出る幕なんて、ない。
物音に振り向くと、そこにほそいさんがいた。
「今日の受付はもうおしまい。そんな所にいてはいけない」
ベルトコンベアのぬいぐるみたちと同じようにくたびれた感じがする。
「ほそいさん?」
「知らないな」
何を知らないんだよ、ほそいさん。
「ベルトコンベアに乗りたければ、明朝九時過ぎに来なさい」
「説明してよ、ほそいさん」
「ほそいじゃないよ――今は」
何だよ、今はって。
話にならない。悲鳴は途切れない。
「みんなやめろ!そんなとこ降りなよ。やめなきゃ無理やり止めちゃうぞ。機械だって爆発だ。ドカン」
僕は叫びながらベルトコンベアを横目に走った。
誰も降りようとはしない。
「なんでそんなに――」
息が切れる。
「どうして自分から――」
「とめないで」
ベルトから立ち上がる影があった。
「僕たちは生まれかわりたいんだ。あの頃に帰りたいんだ。もう一度、愛されたいんだ」
「どういう意味か知りたくなんかない。ぼくは止めるよ、勝手に止める。こぞう探偵は正義の人だ」
タタタタタッと走る。
ええいと適当なボタンをプチプチと押す。
「お願い、やめて!」
別の声が聞こえた。
色あせて、ほつれた縫い目を修繕されたウサギのぬいぐるみが大きな声で言った。
「わたしたちはここを目指してきたの。みんな遠くから。わかって。もう一度、魂が欲しいのよ」
ぬいぐるみに宿る魂。
魂のありかはぬいぐるみと持ち主の間。
そして彼らは一度得た魂を、失った者たち。
ぐえ。
襟首を持ち上げられて足が宙に浮いた。
ブランブラン。
「こぞう探偵、もうよろしいですね?」
ぼくはそのまま建物の出入り口まで運ばれた。軽いからね。
「あなたは邪魔者です。ここでは誰もあなたを必要としていない」
くそぉ。ほそいさん、覚えていろよ。
ポイ。
もう一度乗り込もうとしたぼくを悲鳴が止めた。
あのウサギの悲鳴だった。
ああ。
誰も止められるのを望んでいない。
求めたものだけが、
そのベルトに乗っている。
この地にたどり着くまでの時間。
考え直す余地は十分にあったはず。
きゃあああああぁ
それは悲鳴であり歓喜の声。
もう一度魂が欲しいと求める声。
ここでぬいぐるみは生まれかわる。
らしい。どうやって?
知るもんか。くそ。
びゅう。突風に吹き飛ばされた。門の外だった。ひょいと持ち上げられた。
振り向くと、つかいさんがいた。
ぼくの魂は、ぼくとつかいさんとままの間にある。
「帰ろう、こぞうさん」
それがいつか失われた時、ぼくはここへ来たいと思うだろうか。
ぐす。
涙が溢れそうになる。
ああ鼻水が出る。
認めなきゃいけない。
ぼくは、何もできなかった。
悔しいけれど、何もできなかった。
「ままにお土産を買って帰ろうか」とつかいさんが言った。
「開いている店なんてないよ」
白馬村の夜は早い。
コンビニの光も近くには、ない。
「あれ」
ぼくはつかいさんに抱えられたまま、歩道の隅を指差した。
「あの石、象に似てる」
つかいさんはしゃがんでそれを拾うと、じゃあこれがお土産だね、と言った。
そのあとぼくたちは言葉を交わさなかった。ただ、つかいさんの靴がアスファルトの歩道をたたく音と、その腕の中で鼻をすすり上げる音だけが、冬の近い白馬で、しばらく続いた。