8.決闘
ミヤノハラは盆地である。
周囲を山に囲われているが十分な広さがあり、1000や2000程度の軍勢ならば自由に動き回れそうだった。
中央には歩いて渡れる程度の河が流れており、この河を挟んでの戦いが予想される。
川幅はそれほどでもないが、曲がりくねっていて深さも一様ではない。
渡りやすいところを選ぶとすれば、進路はだいぶ限定されそうだった。
「地図があればこんなことしなくていいのにな」
そう呟きながら公一はメモ帳に地形を書き記していった。
それは弥兵衛に見せてもらった地図もどきと似たようなものだったが、ないよりはマシである。
「河の上流と敵方の行軍経路を確認したい。簡単なのはどっちかな?」
「河は山間部を通りますので道が険しくあります。敵方への本拠地までなら4日で往復できるかと」
鈴が答える。
公一は頭の中で旅程を計算する。
安国寺を出てから今日で3日目。
帰りの日程を考えても、あと4日追加ならまだ許容範囲だろう。
「上流は何日かかる?」
「わかりません」
「じゃあ河は諦める。敵本拠地への案内を頼む」
「はい」
鈴が先導で歩き始める。
草木が生い茂り、足元も不安定な山の中だが、鈴の足取りに危うさはない。
鈴は山の生まれであった。
ハマの国の山あいに住むイヅナという一族である。
もとは木こりと猟師を兼ねて生計を立てる一族であったが、先々代の水島家当主が山間部を踏破する能力に目をつけ、以来隠密として仕えてきた。
現在、各地の味方勢力へ伝令をしているのもイヅナの一族である。
けもの道とも呼べないような道無き道を平地のように歩む姿はまさしく山の民であった。
幼いころから山の中で遊んでいた公一は危なげなく着いていく。
だが、良秀はそうはいかなかった。
「ぬおっ!」
足を滑らせた良秀が転ぶ。
「大丈夫ですか、良秀様」
「まったく、なぜ俺がこんな間者のまね事などしなければならないんだ」
文句を言いながら良秀が立ち上がる。
怪我はないようだった。
「意外と山歩きに慣れていないんだな」
「こんなところは人の通る道ではない」
公一の呟きに、良秀が言い返す。
良秀とて、戦場を駆ける武者である。
実戦の経験こそないが、稽古として悪路を走ったりはしている。
しかしそれはあくまで平野でのこと。
深い森に覆われた山は勝手が違っていた。
「鈴の一族って何人ぐらいいる?」
「は?」
唐突に話題を変えた公一に、鈴が疑問を返した。
言葉足らずだったことに気づき、公一が説明する。
「いやね、周囲の山の中に伏兵を忍ばせたり、山を通って背後に回りこんだりできないかと思ったんだ。どうも普通の人だとこの道はきつそうだから」
「一族について詳しいことはお答えできません」
「水島家の興亡に関わることでも?」
鈴は答えなかった。
表情も変わらない。
ただ、尻尾が少し、持ち上がった。
「言っておくけど、この戦いに景親が敗れたら水島家は滅ぶよ」
「何を言うか。敵方は是近様だぞ」
良秀が聞き捨てならぬとばかりに口を挟んだ。
今回の戦いは水島家の家督争いである。
たとえ景親が敗れても、水島家そのものが滅びことはないはずだった。
しかし公一は首を横に振る。
「御輿でしょ? 実権は伯父とやらが握っているんじゃないか。となれば、数年のうちに暗殺なり追放なりされてお終いじゃないかね。そうしたらお抱えの隠密はどうなるか」
鈴は公一の言葉を噛みしめるように聞いていた。
しばし迷い、口を開く。
「多くはありません。戦場で戦えるものは30もおりません」
公一は顎に手を当てて思案した。
30程度では陽動にもならないだろう。
破壊工作程度がせいぜいである。
「他に似たような一族は?」
「2、3あります」
「仲間にできるかな?」
「此度の戦には間に合わないでしょう」
公一は頭を掻いた。
いい思いつきだと思ったが、なかなかうまくはいかないものだ。
「そうか。多少遠回りになっても、良秀の歩きやすい道で案内してもらえるか」
「かしこまりました」
「おい、俺なら平気だ」
良秀が睨みつけるような目をしていた。
いったいなにが気に触ったのだろうかと疑問に思う。
言い方が少し、当て付けがましかったかもしれない。
気遣ったつもりでも、相手がその通りに受け取ってくれるとは限らない。
侮られたと感じたら、誇りに傷もつくだろう。
公一はフォローしておくことにした。
「別に良秀を気を遣ったわけじゃないぞ。そういう道を知っておきたいんだ」
「気に入らぬ」
唸るような声であった。
良秀の右手は刀の柄に伸びていた。
公一が後ずさる。
「おい、なんのつもりだ、おい」
鯉口を切る。
冗談では済まなかった。
「貴様、俺を馬鹿にしているのだろう。刀を持って無手に破れ、軍議にて策を献上することもできず、いまもこうして足手まといとなるこの俺を」
「良秀様! 落ち着いてください!」
鈴が宥めようとするが、耳に入っていない。
良秀の目には公一しか映っていなかった。
「笑われて黙っているようでは武士とは言えぬ! 抜け!」
「誰も笑ってなんていないだろっ。それにこんなところで斬り合いして、景親や弥兵衛さんにはなんて報告するつもりだ!」
「ふん、敵方の間者と偶然出会ったとでも言えばよかろう」
なんていい加減な言い訳だと、公一は内心で罵倒した。
なにより気に入らないのは、自分でも弥兵衛がそれで納得しそうだと思ったことだった。
「鈴もいるんだぞ!」
「間者のひとりやふたり、どうとでもなろう」
「人をなんだと思ってやがる」
「抜け!」
良秀の叫びはいよいよ最後通牒じみていた。
公一は鈴の様子をうかがった。
目があう。
不思議と、それだけでお互いの意図が通じた。
「抜かぬなら抜かせてやろうか!」
良秀が刀を抜いた。
同時に、公一と鈴が背を向けて走りだした。
良秀が呆気にとられる。
「むっ? おい待て! 敵に背を向けて逃げるなど恥を知れ!」
良秀も追いかけようとするが、差は広がるばかりである。
もともと山歩きに慣れていないうえ、刀を持っていては片手が塞がり走りづらい。
あっという間に2人は見えなくなってしまった。
「武士の面汚しどもめ! 逃げられると思うなよ!」
良秀の遠吠えが山の中にこだました。
「ここまでくれば、ひとまず大丈夫でしょう」
さすがに息を切らせながら鈴が言った。
公一も荒い息を整えながら後ろを確認した。
追ってくる様子はない。
「なんなんだ、いったい」
「是近様の謀反からいろいろとありましたから、お心が乱れてしまったのでしょう」
大して驚いた様子もない鈴が、公一には信じられなかった。
錯乱した味方に斬られるなど、そうそうあって欲しくない。
「だからって味方に斬りかかるか? あんなのと一緒に寝起きしてたと思うとゾッとする」
「だれもが公一様のように強くいられるわけではありません。いくさがあるとなればなおのことです」
「僕は強くはないんだが」
公一は眉をひそめる。
強いなどと言われる理由が思いつかなかった。
「ご謙遜を。先日、良秀様を倒した組打術は見事でございました」
「あれはまぐれ。もう一度やれと言われてもできないぞ。だいたい、あれが実力だったら逃げてなんかいないよ」
「あの時は明美様がいらっしゃいましたし、私共もおりましたから」
公一は目を細めた。
「詳しく聞かせてもらえるか」
「はい。明美様は公一様ほど山歩きに慣れていないように見受けられます。また、あの時点では私達の足の早さを公一様はご存知ではありませんでした。逃げられるかどうかがわからなかったので、公一様は戦うことを選んだと考えます」
「では、さっきは?」
「戦えばおおよそ公一様が勝つと思いますが、勝負はみずものと申します。負けることがないとは申せません。ですが、良秀様が山歩きに慣れていないことはこれまでの旅で明白。逃げ切れることが確実であったため、逃げることを選んだと考えます」
公一は感心していた。
公一に対する高すぎる評価を除けば、鈴の言葉は真実をついていた。
おそらく良秀は鈴の言うことを理解できまい。
少しでも考える頭があるのなら、あの場で刀を抜くことはなかったはずだ。
公一が良秀だったなら、せめて逃げられないような状況を作るだろう。
同行者の一人は救いようのない馬鹿であったが、もう一人はまともであったことを公一は喜んだ。
「鈴は、切れ者のようだ」
「とんでもございません。私は無学な女でございます」
鈴は表情を変えることなく一礼して謝意を示した。
しかし尻尾がわずかに揺れていた。
「今後の相談をしたい」
「良秀様をどうにかしなくてはならないかと」
「あの馬鹿を? 放っておいて先に行けばいいのでは?」
公一は嫌そうに答えた。
現在のところ、公一の中で良秀の評価は最低辺にあった。
できればこのまま二度と顔を合わせることなく、安国寺まで帰りつきたい。
「良秀様は狼牙族です。匂いでどこまでも追ってくるでしょう」
「匂いは河を使えば消せると聞いたことがあるけど」
「山の中で野垂れ死なれても困ります」
「・・・弥兵衛さんか?」
公一の回答に鈴はうなずいた。
「弥兵衛様は良秀様をたいそう可愛がっておられます。何かあっては今後に差し支えるでしょう」
「つまり、最悪でも生け捕り。できれば説得したいと?」
「はい」
「無理難題を言う」
「無理ですか」
鈴は意外そう。
公一にとっては自明のことだが、鈴の見解は異なるようだった。
「罠とか策略を使わずに、正々堂々と倒せと言うんだろ」
「はい」
「こんなところで命を張りたくない」
「今の世は何事も命がけでございます」
公一は苛立ちを覚えた。
無理だと言っているのにやれという。
しかも掛かっているのは自分の命である。
これに怒りを感じない者がいるだろうか。
「そういう鈴は」
「は?」
「鈴は良秀に勝てる?」
意地の悪い質問であった。
そんなに言うならお前がやってみろ、というのである。
「私は女ですが」
「勝負事に男女の違いがあるとは知らなかった」
公一の言葉に、鈴はきょとんとする。
そして徐々に笑みに変わっていった。
まるで長年解けなかった命題の解答を得たかのような、嬉しそうな笑みだった。
「・・・得物があれば」
鈴の回答は否定ではなかった。
公一の理性的な部分は鈴を疑っていたが、感覚的な部分はこの答えを肯定していた。
なんとなく、鈴は良秀よりも強い気がしていた。
「これでいい?」
公一は腰の刀を差し出す。
以前、良秀から奪った刀である。
「よろしいのですか」
「これで僕を守ってくれるんだろう?」
男が女に対して言うセリフとしてはどうかと思ったが、先ほど男女の違いはないと言い切ったばかりである。
細かいことは気にしないことにした。
「頂戴いたします」
鈴は跪き、両手で刀を受け取った。
主君に対する作法であったが、公一は気にしなかった。
良秀は半刻ほどで表れた。
着物は泥に汚れ、枝に引っ掛けたのか何箇所もほつれていた。
「追い詰めたぞ卑怯者め! いまこそ引導を渡してくれる!」
「なにがどう卑怯なのか」
公一は本心からそう言った。
逃げることは卑怯でもなんでもないというのが公一の考えだった。
「黙れ! 背を向けて逃げるなど武士の風上にも置けぬ! 覚悟はよいか!」
「よくない」
「ならばそのまま斬り捨ててくれる!」
意気込む良秀と、あくまで戦う気のない公一。
その間に割り込む者がいた。
「お相手は私が」
鈴である。
腰に刀を帯びる姿が様になっていた。
「ひっこんでおれ! 女の出る幕では・・・むっ? 貴様のその刀」
良秀が鈴の刀に気づく。
鈴は優しげな手つきで柄糸を撫で、鯉口を切る。
「先ほど公一様より下賜されました」
「貴様、水島家よりあれほどの恩を受けながら裏切るつもりか!」
良秀の顔に怒りが満ちる。
対する鈴は嘲笑するように顔を歪める。
「これは異なことを。我ら隠密は家臣ではないのではなかったのですか? もとより金で仕事を請け負う身、裏切ったなどと言われる覚えはありません」
「ふん、これだから間者は信用できぬというのだ!」
なにやら確執めいたものがあるようだった。
「いや、僕は別に水島家に敵対してないからね。そこんとこ、よろしく」
公一がボソリと言うが、すでに2人は聞いていなかった。
良秀が刀を右肩に担ぐように構える。
鈴は真っ直ぐ正眼に構えた。
良秀の顔色が変わる。
先の公一との戦いのように、走りこみながら斬りつけようとしたのだろう。
走りながらの斬撃は勢いが増す。
相手が同じように刀を振ったとて、打ち合いになればまず負けないし、受けようとしたならば受けた刀ごと押し切ることもできる。
その弱点は公一が行ったようなカウンターであった。
当然ながら、全力疾走からの急停止はできない。
間合いが詰まったところを狙われると弱かった。
そこへ正眼の構えである。
鋭い剣先を向けられ、それでも突っ込んでいけるほど良秀は命知らずではなかった。
良秀が上段に構えを変える。
鈴が憐れむような笑みを浮かべた。
構えを崩さず、歩み足で無造作に間合いを詰める。
良秀は待ち構えた。
あと一歩踏み込めば刀が届くという距離で歩みが止まる。
不意に鈴の剣先が下がった。
上段に構える良秀に対し、鈴の上半身はがら空きになる。
好機と見た良秀が踏み込みながら刀を振り下ろす。
全ては誘いであった。
得意の技を封じた上で間合いを詰めて圧迫感を与える。
その上で弱みを晒す。
冷静であればそれが罠だと悟るだろう。
しかし、真剣勝負においては冷静さを保つことこそが難しい。
一秒後には致命傷を負うかもしれない状況は冷静さを奪い、焦りを生む。
機会を見つけたならば、飛びつかずにはいられない。
その点において、良秀は技量は充分でも心が未熟であった。
そして、来るとわかっていれば避けるのは容易い。
鈴は一歩下がることで軽々と良秀の斬撃を躱し、振り下ろした腕が止まったところを狙って右前腕を貫いた。
「がぁっ!」
前腕を刺し貫かれた良秀が苦痛の声をあげた。
刀を取り落として片膝をつく。
鈴は素早く刀を引き戻して切っ先を良秀に向ける。
「続けますか?」
「・・・おのれ」
良秀は呪詛を呟いた。
切っ先が顔に近づく。
「お返事は?」
「・・・俺の負けだ」
「はい」
鈴が刀を引いた。
手ぬぐいで血を拭き取り、刀を納めて公一の元へやってくる。
落とした良秀の刀を回収することも忘れない。
「勝ちました」
「ああ、うん。見てた。お見事です」
「はい」
鈴の表情は相変わらずだが、尻尾がパタパタと動いていた。
嬉しいらしい。
思わず頭に手が伸びそうになるが、堪える。
不用意に尻尾を撫でて怒らせたのは記憶に新しかった。
公一は敗者の様子をうかがった。
良秀は手ぬぐいで傷口を抑えていたが、血が止まらないようだった。
「大丈夫か?」
「血が、止まらぬ」
良秀は顔面蒼白になっている。
血を流したせいか、血を見たせいか。
きっと両方だろう。
「鈴、治療できる?」
「この程度ならば放っておけば治ります」
鈴の答えは辛辣であった。
さすがにそれはないだろうと公一は思う。
「そうもいかないって。良秀、とりあえず横になれ」
「あ、ああ」
公一はポケットから手ぬぐいを取り出した。
寺を出るときに旅道具として貰ったものだった。
上腕をきつく縛る。
良秀が呻いた。
「い、痛いぞ」
「このくらいしないと血は止まらない」
結び目を作り、落ちていた枯れ木を使ってきつく捻じりあげる。
血だまりができるほど流れていた血が、やがて止まった。
良秀がホッとしたようなため息をつく。
「鈴、針と糸は持ってる?」
「ありますが、どうするのですか?」
鈴は袖の下から針と糸を取り出した。
袖の下は小物入れとしても便利である。
公一は針を受け取り、糸を通した。
「傷口を縫う」
「縫う!?」
良秀が目を剥いた。
傷口を縫うのは一般的ではないのだろうか。
「拷問かなにかですか?」
鈴が真顔でそんなことを言った。
公一は目蓋や口を縫う拷問を思い浮かべた。
「違うよ。治療だよ」
「聞いたことがありません」
「僕の故郷じゃ普通なんだよ。針太いな。痛かったらごめん」
一応の断りをいれ、針を刺した。
肉の感触は布と違って気持ちが悪かった。
「まて、しばし待て! あ、痛っ、いたたっ!」
「男の子でしょ、我慢しろ。鈴、取り押さえて」
「はい」
鈴は良秀に覆いかぶさるように乗ると、両足で左腕を、両手で右腕を抑えた。
良秀の抵抗は完全に封じられる。
「痛い! 重い! もうやめてくれ!」
「あとちょっとだから我慢ね」
「私は重くなどありません」
良秀の悲鳴はしばらく続いた。