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いくさのくに  作者: 勅使河原アキ
遭遇編
7/24

7.旅路

「地図が欲しいのですが」

「藪から棒になんじゃ」


公一たちが安国寺に世話になり始めてから三日目。

大方の方針は決まり、各方面へはすでに使いを出している。

それでも公一、景親、弥兵衛による軍議は恒例となって続いていた。


「これまで戦い方についていろいろ話してきましたが、地図がないといまひとつ、考えがまとまらないので。ありますか、地図」

「だめじゃ。国内の地図は直臣以外には見せられぬ」


弥兵衛がキッパリと断る。

地図というのは行軍経路や戦術を考える上で重要な情報であった。

いわば軍事機密である。

味方とはいえ、客人にすぎない公一に見せられないというのは至極まっとうであった。


「じい、良いではないか」

「しかしですな」


景親の言葉に弥兵衛が渋る。

最近、景親は公一に甘すぎる気がした。


「公一はこれまで幾つもの策を示してきたのだぞ。それに、敗れたら元も子もあるまい」

「・・・仕方がありませんな」


苦渋の決断であった。

現状が苦しいのは弥兵衛もよく理解していた。

弥兵衛が戸棚から風呂敷包みを取り出す。

安隆に居城を襲われたさい、これだけはと思って持ちだした品である。

中にはいくつかの冊子があり、そのうち一冊を公一に差し出す。


「くれぐれも、内容は漏らさぬように」

「はい」


公一は冊子を開いた。

ぺらぺらとページを捲る。


「なんですか、これ」

「地図じゃろう」


冊子の中身は公一の期待とはかけ離れたものだった。

等高線もなにもなく、街やら橋やら河やらの大まかな位置が載っているだけである。

測量など全くされていない。

役に立たないとは言わないが、十分であるとも言いがたい。

そんな地図であった。


「伊能忠敬はまだいないのか・・・」


思わず公一は呟いた。

無いものはどうやっても見ることはできない。

こうなれば地図ではなく自分の目で確認するしかなかった。


「ひとつ、頼みというか提案があるのですが」

「申すがよい」


景親の顔には期待がこもっていた。

また公一が面白いことを言い出すという、そんな気持ちが表れていた。


「合戦予定地、ミヤノハラでしたか? その周辺の地形を調べたいんですが」

「なんのためにだ?」

「地の利といいますし、地形を予め調べておくことは大事です。それにここ数日で出せる案は出尽くしましたから、情報収集に移ろうと思います」

「今から調べるというのか。2週後には戦だぞ」


2週間というのは、こちらが兵を集めたのを敵が察知し、動くまでの時間を予想したものだ。

およそ数日の前後はあるだろうが、それが1周間になったり4週間になったりはしないと弥兵衛が保証していた。

弥兵衛の経験と勘による判断なので、公一はいまいち信用していないが、外れた場合はそのとき考えようと開き直っていた。

どのみち公一にはそのあたりの判断材料がないので、考えても何もわからないからだ。


「徒歩で2日あれば着くのでしょう? 遅くはないと思います」

「そういうものか・・・よし、じい。出立の準備をせよ」

「公一殿はともかく、景親様はなりませぬ」

「なぜだ!?」


景親が驚きの声をあげる。

その反応を予想していたのか、弥兵衛が落ち着いた声で諭した。


「お立場をお考えください。外にはどこに刺客がいるかわからぬのですよ」

「むぅ・・・」


景親はちらりと公一を見た。

縋るような目であった。

だが、これについては公一も弥兵衛と同意見だった。


「ちょっと見てくるだけですから」


公一は当たり障りのない事を言ったつもりだったが、景親の地雷を踏んだらしい。

景親が目を吊り上げて怒りだした。


「ずるいぞ。公一ばかり!」

「景親様、お聞き分けください」

「だいたい、外が危険だというなら公一だって駄目ではないか!」

「僕は景親と違って狙われる理由がありませんから」

「理不尽だ!」

「ちゃんと説明しているでしょう」


弥兵衛と公一が宥めすかし、なんとか落ち着かせる。

頬を膨らませていじけていたが、最終的にはなんとか納得してくれた。


「じい、ならば公一には供をつけよ」

「そうですな。良秀とすずがよいかと」


弥兵衛の言葉を、隅に控えていた良秀が聞きとがめた。


「父上、自分には景親様の警護が」

「この場にいる限り、警護など要らぬだろう」


良秀の反論を弥兵衛が切り捨てた。

それを言ってしまうと良秀が今までここにいたのはなんだったのかと公一はツッコミたくなったが、空気を呼んで黙っていた。


「安隆めも初代様ゆかりの寺を襲うことはすまい。それに景親様には儂がついておる。お前も兵が集まるまでは手持ち無沙汰であろう。公一殿と合戦場を下見してまいれ」

「・・・はっ」


しぶしぶといったふうに良秀は頭を下げた。

話がついたところで、公一は気になっていたことを聞くことにした。


「鈴というのはどなたでしょうか?」

「何を言っておる。ここまで一緒に来たじゃろう」


公一は景親たち一行の顔を思い浮かべる。

まだ名を聞いていない者が何人かいたので、そのうちのどれかだろうと当たりをつけた。


「土地に詳しいのですか?」

「地元だ。みな詳しい」


であれば供はひとりで良さそうなものであるが、そこは信用の問題かと公一は思う。

公一が裏切って敵方へ走らないとも限らない。

良秀と鈴はそのためのお目付け役も兼ねていると見るべきか。

いや勘ぐり過ぎだと、公一は思い直す。

単純に、暇そうな息子に仕事を与えようという弥兵衛の親心かもしれない。

それに見張りがいたところで困ることはないと、公一は深く考えなかった。




思い立ったが吉日。

その日の昼前には旅の準備を整え、公一は寺の前にいた。

準備といっても大したものはなく、食事当番のお坊さんにお弁当を作ってもらい、水を入れた竹筒と毛布を持っただけだ。

旅の途中は民家や寺に泊めてもらうそうだが、いざというときはこの毛布にくるまって野宿することになる。

テントの類は荷物が増えるので持っていかない。

季節は春だが、夜は冷える。

冬でないだけマシかと、公一は前向きに考えることにした。

また、公一は服も着替えていた。

元の世界の服は目立ちすぎるからである。

今は小袖に袴姿である。

護身用として、良秀から奪った刀も腰に差していた。


見送りには明美と信春、光頼、そして住職の宗林坊が来ていた。

景親も来たがっていたが、弥兵衛に止められていた。

宗林坊は弥兵衛の従兄弟であり、安国寺の住職である。

当然、頭を丸めているのだが、獣耳の坊主頭というものはなかなかに斬新であった。

ついつい目がいってしまうのを我慢するのは結構な難事業であった。


「気をつけて行きなさいよ。ちゃんと毎日ご飯食べるんだよ」

「大丈夫だって」


旅装を整えた公一を、明美はしきりに心配していた。

なんだかんだとは言っても、二人きりの姉弟である。


「心配だわ。やっぱり明美もついていこうか?」

「お前はおとなしく待ってろ」


下手なことをいうと本当に今からでも付いて来かねないので、公一は冷たく突き放す。

多少なりとも危険があるところに、明美を連れて行く気はなかった。

その様子を、他の3人は温かい目で見ている。


「なんつうか、仲いいよな」


信春が姉弟をそう評した。


「そう? 普通じゃない?」

「良いと言うほどじゃないだろ」


姉弟が同時に答えた。


「俺にも姉がいるが、こんなふうではなかったな。普段はろくに言葉も交わさなかった。もう嫁に行ってしまったが」


光頼がやや寂しげにそう言った。

昔のことを思い出しているようだった。


「善哉善哉。仲良きことは素晴らしきこと。肉親ならば尚の事じゃ。光頼もことが片付いたら一度姉のところを訪ねてはどうかね。やり直しができるのは生きているうちだけじゃぞ」


宗林坊がそうまとめた。

坊主らしく含蓄のある言葉である。

光頼も思うところがあったのか、何かを考えこむように黙りこんだ。

気丈でしっかりした人物というのが公一の光頼に対する印象であったので、思い悩む姿は意外であった。

だがよくよく考えてみれば人間なのだから悩みの1つや2つあるだろうと、深くは触れないことにした。


「しかし、他の二人は遅いな」

「すぐ来るだろ。ほら、噂をすれば」


信春が顎をしゃくった先には、荷物を背負った袴姿の娘がいた。

獣耳と尻尾を持つ、数日前に公一と諍いがあった娘であった。

ずんずんと音が聞こえそうな迫力でやってきて、公一の前でピタリと止まる。


「須田公一様でいらっしゃいますね。吉田弥兵衛様の命により、ミヤノハラへのご案内を致します、鈴と申します。よろしくお願い致します」


ペコリとお辞儀する。

丁寧であるが、愛想は全くなかった。

とくに目には警戒の色が強い。


「この前は、どうも。よろしくお願いします」


この前は、のあたりでキッと睨まれた。

忘れてはいないようだった。

耳がピクピクと動いて、尻尾がピンと持ち上がっている。


「失礼ながら、私のようなものにそのような言葉遣いはもったいのうございます」

「あ、はい。わかりました」


鈴の目つきが鋭くなった。

思わず公一の腰が引ける。

なにがまずいことを言っただろうか考える。

言葉遣いを直していなかった。


「わ、わかった」


公一がそう言うと、鈴は目を伏せて頭を軽く下げた。

一緒に尻尾も下がる。


「あなたが鈴さん? 公一をよろしくね」

「かしこまりました。ただ、私のことはどうか鈴と呼び捨てください」

「え? ええと、わかったわ」


鈴は明美に対しても顔色ひとつ変えなかった。

誰にでもそうなんだなと思い、公一は少しだけホッとした。


「無愛想な子ね」


明美が正直な感想を公一に囁く。


「そうかな? 僕には感情表現豊かに見えるけど」


耳や尻尾は良く動いているし、目もとも変化が多い。

すくなくとも、常に笑みを崩さないよりはよっぽどわかりやすいと思っていた。


「公一、やっぱりあんたちょっとおかしいわよ」

「明美さん、公一はあの娘みたいなのが好みだってこの前言ってましたから」


呆れる明美に信春が爆弾を落とした。

慌てたのは公一である。


「信春! なに言い出しやがる!」

「ん? なにかまずかったか?」


信春は心底、何が悪いのかがわかっていない顔をしていた。

悪意がないだけ、たちが悪かった。


「そりゃお前・・・わかるだろ? 目の前でそういうのは、困る」


公一の声は尻すぼみに消えていった。

自分でも動揺しているのがよくわかった。


「あらま、公一ってば慌てちゃって。それ墓穴じゃない?」

「いやいや、元気があってよろしいと思いますぞ」


外野は面白半分で勝手なことを言っていた。

横目で鈴の様子をうかがう。

一度垂れたはずの尻尾が再び持ち上がり、公一を警戒の目で見ていた。

公一は泣きたくなった。

なぜあのとき、自分は素直な感想を口にしてしまったのかと後悔する。


「まぁ、そう落ち込むな。女なんていくらでもいる。なんなら今度、手頃なのを紹介してやるぞ」

「うるせえ馬鹿。あとで覚えてろ」


公一は信春を睨んだ。

旅の道中のことを考えると気が重くなった。

良秀が合流するまでの間、公一は気まずい雰囲気に耐えなければならなかった。




道程ではほとんど会話がなかった。

鈴は黙々と先頭を歩き、公一は大人しくその後に続き、後ろでは良秀がむっつりとした表情で付いて来ていた。

出発したのが遅かったため、半日ほどで終ったのが救いであったが、明日からのことを考えて公一は嘆息した。

宿は近くの村の農家に泊めてもらう事になった。

鈴が家々を回ったが、答えは芳しいものではなかった。


「いくさの雰囲気を感じているらしく、門戸が固くなっております。納屋で良ければ泊めてくれるところがありましたが」


納屋の床は地面が剥き出しである。

土の地面は固く、冷たく、寝るのには辛いものがある。

床板があるだけでも大分違うものだった。


「しょうがないか。雨風が凌げるだけでもありがたいよ」


公一はそう納得したが、


「けしからん農民共め。我らはこの地の領主たる水島家の家臣だぞ」


良秀は気に入らなかったようだ。

根が庶民――実家は兼業農家である――公一と、支配階級である良秀の意識の差であった。


「ちゃんと名は告げたのか?」

「いえ。武者修行中の一行ということにしています」

「そんな事だから舐められるのだ。どれ、俺が名乗りを上げてやろう」

「お待ちください」

「いや、ダメだろ」


鈴と公一が同時に止めた。

顔を見合わせ、お互いに譲りあった結果、言葉を引き継いだのは公一だった。


「壁に耳あり障子に目ありと言うし、誰がどこにいるかわかったものじゃないんだから素性は隠したほうがいい」

「俺は武士だぞ。間者の真似事をしろというのか」

「実際やってることは物見だし。真似事じゃなくて間者だし」

「やってられるか。俺は名乗るぞ」

「やめろって」


公一は止めようとするが、良秀は聞く耳持たなかった。

手近な民家へと歩き出した。


「貴様の命令など聞かん」

「弥兵衛さんに報告するぞ」


これはさすがに聞き捨てならなかったのか、良秀が止まる。

振り返って公一を睨みつける。

公一は気力を振り絞って目を逸らさないよう努力した。

これは獣の喧嘩であった。


「・・・ちっ」


舌打ちをし、良秀が顔を背ける。

どうやら、諦めてくれたようだった。


「話はついた。鈴、案内をお願い」

「かしこまりました」


心配そうに公一と良秀のやりとりを眺めていた鈴であったが、とりあえずは大丈夫と思ったのか公一の言葉に従った。

とりあえず、今日の宿はこれで解決したが、同じことをあと最低3回繰り返すのかと思うと暗澹たる気分になる。

会話が無いのはそれはそれで問題だが、いがみ合うのはもっと問題だと、公一はこれからの道程を思ってため息をつくのだった。

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