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いくさのくに  作者: 勅使河原アキ
遭遇編
6/24

6.水切

夕食を終え、寝床に入ってうつらうつらとしていると誰かに身体を揺すられた。


「公一、起きるのだ。公一」

「んあ? 誰だ・・・」


夜の帳はすでに下りている。

電灯の類はあるはずもなく、蝋燭や灯り皿の類もこの部屋には置いていない。

暗闇の中、雨戸の隙間から漏れる月明かりだけを頼りに顔を判別する。


「景親?」

「静かにせい。明美が起きてしまうぞ」


景親が囁く。

襖一枚を隔てた隣では明美が床についていた。


「まだ夜じゃないですか。なにかあったんですか?」

「寝ぼけるでない。水切を見せてやるといったであろ」


まだ夢見心地の頭を働かせ、昼間の会話を思い出した。

たしかに、軍議の最中にそんな話をした覚えがある。

だが、あとでとは聞いていたが、まさか夜中に忍び込んでくるとは思わなかった。


「てっきりもっとあとの話かと」

「公一も早く水切が見たかろうと思ってな」


景親が胸を張り、むふー、と鼻息を荒く吐く。

どのみち今度のいくさで使えないのならばそれほど急ぐ必要はなかったのだが、それをいうと景親が落ち込みそうだったので公一は口を噤んだ。


「ついてくるがよい」


景親に付き従って部屋を出る。

人工的な明かりのない夜は足元すら危うい。

公一は慎重に歩を進めた。

景親は境内を通り過ぎ、寺の裏手にある森のなかに入り、どんどんと進んでゆく。


「いいんですか? 勝手に出歩いたりして」

「構わぬであろ。前まではこうしてよく出歩いていたのだ。それが当主になってから急にあれこれとじいが止めるようになったのだ」


立場が変わればそりゃ変わるよなと、公一は思った。

おそらく暗殺やら誘拐やらを警戒してのことだろう。

事実、こうして安隆が謀反を起こしている以上、無用の警戒ではないはずだった。

安国寺は安全と聞いていたが、相手の良識に頼るのはいただけない。


「景親を心配してのことでしょう」

「公一までそんなことを言うのか。なんということだ、俺に味方はいないのか」


景親はこれみよがしに大きなため息を吐いてみせた。


「そう拗ねないでください」

「母上とも会えぬし、城は奪われるし、当主になってからろくなことがない」

「そう悲観しないでください」

「おまけに傍らにいるものときたら人の心の機微というものをまったく介していない。こういうときは励ましの言葉の一つでも欠けるべきだと思わんか。のう、公一?」

「そうですね」


公一は心から同意した。

景親の傍らにいるものといえば弥兵衛か良秀であるが、あの2人にそのような繊細な心配りは期待できそうにない。

弥兵衛は厳格な頑固爺といったふうであるし、良秀はといえば、公一はこれまで数えるほどしか言葉を発しているところ見ていない。


「・・・」

「・・・・・・」


景親が黙ったので公一も口を閉じた。

茂みをかき分け、草木を踏みしめる音だけが響く。


「公一よ」

「はい」


不意に景親に名を呼ばれる。

公一は足元に気をつけながら答えた。


「そなた、俺の話を聞いておったか?」

「ええ、まぁ。それがなにか?」


なぜわざわざそんなことを確認するのだろうかと、公一は疑問に思う。

景親はなぜか不満そうだった。


「ならばなぜ言葉をかけぬのだ?」


公一は首を捻った。

しばらく考えて、先ほどの景親の言葉が自分に向けられていたことに気づいた。


「僕が」


公一は自分を指さした。

景親が首肯する。


「景親を」


指をさすのは憚られたので手のひらを向けた。

景親が首肯する。


「励ますのですか?」

「なぜ疑問符がつくのだ」

「理由がありませんが」

「なんだと!?」


景親が顔を真赤にして怒った。

目尻が吊り上がり、頬が膨らんでいた。

ぷんすか、という表現が似合いそうな怒りようだった。

景親は怒っても可愛い。

公一は頬が緩むのを堪えるのに苦労した。


「いまのは失言でした。たしかに、人を励ますのに理由はいりませんね」

「少々引っかかる物言いだが、よかろう。さぁ」


景親が期待のこもった眼差しで公一を見上げた。

こんなに気合が入っている人間をこれ以上励ます必要があるのだろうか思いつつ、公一は景親の頭を撫でた。


「・・・なにをしておるのだ?」

「頭を撫でているのですが」

「そんなことはわかっておる。俺は言葉をかけろと言ったのだぞ」

「あぁ、そうですね。すみません」


公一は手を引っ込めた。

景親が眉根を寄せる。


「なぜやめるのだ」

「・・・景親の注文は難しすぎます」


公一は景親がいったい何を望んでいるのかわからなかった。

しばらく頭を捻り、景親がまだ子供であることを思い出す。

子供はなにかとよくわからない理由をつけては親兄弟に無理難題を迫る。

一種の甘えであるが、公一にも見に覚えのあることであった。

そう考えれば、景親のよくわからない行動にも納得がいった。

納得がいったからといって対処ができるわけではないが。

とりあえず頭を撫でて場を濁しつつ、励ましの言葉とやらを考えてみる。

考えてはみたが、どうにも月並なセリフしか思いつかず、公一は自分の文学的才能に失望を覚えた。


そんなことしているうちに、空が開けた。

小川のほとりであった。

水深は深いとろこでも膝が濡れない程度だが、進んで濡れようとは思わない。

思わず渡れそうな場所を探した公一であったが、幸いにして景親の目的地はここのようだった。


「もう着いてしまったか。仕方がない。続きは次の機会に預けるとしよう」

「ここが目的地ですか?」

「うん。適度な広さが必要だからの」


景親があたりを見渡す。

お目当てのものはすぐに見つかったようだった。


「公一、あの木を見るがよい」


景親が10メートルほど離れた場所にある木を指さした。

太い木である。

公一の腕では幹を抱えることができないほどである。

パチン、と景親が指を鳴らす。

木が震えた。


「むぅ? 少し太かったか」


さらに続いてパチン、パチンと指を鳴らす。

そのたびに木が震え、三度目の音が鳴ったあと、メキメキと音を立てて倒れ始めた。


「な、なんだぁ!?」

「ふはははっ! どうだ、すごかろう。これが水切だ」


公一は倒れた木と景親を交互に目を向けた。

ただ指を鳴らしていたように見えたが、今のが水切の力だという。


「水切ってその脇差しじゃなかったんですか」

「いかにもこれが水切だ。水切の持ち主が指を鳴らすと狙ったものが斬れるのだ」

「なんという・・・」


不意打ちにはもってこいの武器だった。

いまなら弥兵衛が必死に隠そうとしたのもうなずける。


「どうだ。水切を見た感想は」

「ええと・・・とても素晴らしいと思います。ええ、素晴らしいです」

「そうだろうとも」


景親が満足そうに頷く。

それにしても、と公一は思う。

どういう原理なのだろうか。

切り口は刃物で斬りつけたように見える。

何らかの物理的な力が働いていると思われるが、それがなんなのかがわからなかった。


「どうやって斬っているんですか?」

「なんのことだ?」


景親は公一が何を疑問に思っているのかがわからないようだった。

公一は言葉を補った。


「原理的な話です。なにかを飛ばしているとか」

「詳しいことは俺も知らぬ。父上から聞いたのは使い方だけだ」


なぜ斬れるかもわからないまま使っているらしい。

道具としてはあまりに不可思議な存在である。

神器というからどんなに凄いものかと思っていたが、これは想像を上回っていた。


「それ、僕にも使えますか」

「うん? なんだ、公一もやってみたくなったのか?」

「ええ、まぁ」


これは純粋に好奇心であった。

自分の理解できないものに出会ったとき、目を瞑ってしまうのか、それとも理解しようとするのか。

公一は後者であった。


「しかしのう、水切は水島家の家宝だからのう?」

「あ、そうですよね」


公一は昼間の弥兵衛の剣幕を思い出す。

他人への貸出は厳禁と言っていた。

家臣どころかただの客人である公一に貸し与える理由はない。

公一はそう納得したが、なぜか景親は怒りだした。


「なぜそこで諦めるのだ!?」

「いや、だってお宝なわけですから。部外者がそうホイホイ触っちゃまずいですよね」

「もっと粘り腰の交渉をしようとは思わぬのか」

「しつこい男は嫌われますから」

「むぅ・・・なんと聞き分けの良い」


景親は、自ら掘った落とし穴に落ちたような、なんともやるせない顔をした。

腕を組み、うんうんと唸っている。

なにかの葛藤をしているようだったので公一は黙って見守ることにした。

たまにチラチラと公一の顔をうかがうように見てくるが、気にしない。

やがてなにかを諦めたかのように、景親が深い溜息を吐く。


「仕方がないの」

「なにか?」

「公一、そこを動くな!」

「はい?」


景親は腰から水切を鞘ごと抜くと、公一の腰に着け始めた。


「景親、いいんですか?」

「黙るがよい」

「あ、はい」


ピシャリと言う景親に、公一は大人しく従った。

使わせてもらえるのなら文句はない。


「まったく、なんのために人目を避けてきたと思っておるのか」


景親がボソリと呟いた。


「景親、なにか言いましたか?」

「黙るがよい!」

「はい」


ズボンにベルトというのは袴と勝手が違うのか、景親は少々苦戦しているようだった。

下緒を駆使してベルトに固定する。

その出来栄えを確認し、景親は胸を張った。


「できたぞ。では使い方を教えるからしっかりと聞くがよい」

「指を鳴らすだけではないのですか?」


公一の疑問に景親はニヤリと笑った。


「浅はかであるな。そう思うならばやってみるがよい」


公一は手頃な木へ指を向けた。

先ほど景親が切り倒した木と同じくらいの太さの木である。

指を鳴らす。

何も起きなかった。


「あれ?」

「できぬだろう? 水切を使うには強い意思が必要なのだ。こう、斬ってやるぞぉ、という強い意思がな」


公一は言われたとおり、斬るイメージを思い描いた。

指を鳴らす。

木は微塵も動かなかった。


「そう簡単にはできぬぞ? 俺も最初はなかなかに苦労をしたからの」


風が吹いた。

木の葉が風に揺られ、木が傾く。

ずずん、という音と共に根本から倒れる。

あとには綺麗に切断された切り株が残っていた。


「できましたね」


公一が事も無げに言う。

景親は口をあんぐりと開けていた。


「ずるいぞ! こんなに早くできるなんて!」

「そういわれましても」


公一は困ったように頭を掻く。

教わったとおりにやって上手くできたのに、怒られるのは理不尽だと思う。

このあたり、公一は面目というものを理解していなかった。


「しかも俺より強力ではないか! どういうことだ!」

「才能があったのではないでしょうか」

「せっかく俺が教えられることだったのに、すぐ追い抜かれてしまったではないか」


景親が落ち込みだした。

公一が慌ててフォローする。


「ええっと、ほら、アレです。景親の教え方が良かったから僕もすぐできたんですよ」

「む? そ、そうか?」

「そうですとも」

「ならばよし」


景親は嬉しそうに笑った。

公一はホッと胸を撫で下ろした。

一度へそを曲げた景親の機嫌を直すのは一苦労である。


「それにしても、これは面白・・・いや便利ですね」


パチンと公一が指を鳴らす。

切断された木が倒れた。

もう一度パチン。

木が倒れる。

面白い。

森林破壊はいけないと思うが、なかなかどうして、面白くてやめられなくなりそうだった。


「公一、あまり使いすぎないように気をつけよ」


景親が忠告する。

しかし、少し遅かった。


「・・・あれ?」


目眩がした。

まるで貧血になったように視界が狭まり、平衡感覚がおかしくなる。

遠くで景親が名前を呼んでいた。




目覚めはお世辞にも良いとは言えなかった。

目眩は収まっていたが、吐き気に似た気持ち悪さがあった。

それでも寝起きばなに景親の心配そうな顔が目に飛び込んできたので、いくらか救われた気がした。


「気がついたか」

「ええ、はい。僕は気絶していたんでしょうか?」


体は地面の上に横たえられていた。

頭の柔らかい感触は景親の太ももだろう。


「そうだな。四半刻(30分)ほど気を失っていた」

「水切を使いすぎたからですか?」


他に理由が思いつかなかった。

思えば、あれだけのことをノーリスクで起こせるはずがないのだ。

それなのになんの警戒もなく使っていた自分の無思慮さが恐ろしくなる。


「うん。俺も同じように倒れたことがある。神器は人の気を食らって超常の力を発揮するそうだからの。使いすぎるとこんなふうに気力を失って失神してしまうそうだ。許すがよい。俺は10回まで使えたから公一もそうだと思い込んで止めるのが遅くなってしまった」

「景親は10回で、僕は3回ですか。強力な分、回数が少ないと考えれば妥当なところですね」


体を起こす。

少しふらついたが、もう倒れることはなさそうだった。

周囲を見渡す。

倒れたときは河原にいたはずだったが、今はやや森よりの場所にいた。

地面をよく見ると、足を引きずった跡が残っていた。


「景親がここまで運んだのですか?」

「本当は寺まで運ぼうと思ったのだが、無理だった。公一は重すぎるのだ」

「身長差がありますからね。景親も成長すれば僕くらいにはなると思いますよ」

「そうかのう?」


景親は自分の身体を見下ろしてペタペタ触っている。

公一の身長は170センチである。

これまで見てきたこの世界の人間を見る限り、平均身長は現代日本よりも低そうではある。

だが、良秀のように公一よりも恵まれた体格をしている者もいる。

ちゃんと栄養をとれば、届かない身長ではないだろう。


「なんにせよ、ありがとうございます。お手数をかけました」

「恩に着るがよい」

「では、そろそろ帰りますか。あまり遅くなると明日が辛くなりますし」

「うむ、そうだな」


立ち上がり、歩き出そうとしたところで足がもつれた。

ふらつく公一をすかさず景親が支えた。


「すみません」

「このくらいならばどうとうことはない。ほれ、肩に預けよ」


子供の景親に肩を借りるのは気が引けたが、恥は一時、怪我は一生と思い、体重を預ける。

手のひらに景親の体温を感じながら、夜の森を歩く。

寝ているところを連れだされ、失神までしてと散々な夜ではあったが、悪い気分ではなかった。

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