5.神器
「神器ですか?」
休憩を終えて軍議を再開したところ、景親から『神器はどうか』という話が出た。
聞きなれない言葉に公一が首をかしげる。
「うん、神器持ちは一騎当千の働きをするという。これを使えないだろうか」
景親が公一を期待のこもった眼差しで見つめるが、公一は神器なるものがいまいちよくわからなかった。
道具のような響きがあるが、武器か兵器の類だろうか。
まさかこの期に及んで神頼みではあるまいな、と思う。
「そんなにすごいものなのですか」
「強いことは強いがの」
弥兵衛が歯切れ悪く肯定する。
含むものがある言い方だった。
「なにか?」
「数が少なく、万能でもないのじゃ」
なるほど、と公一はうなずく。
数が少ないというのは当然だと思った。
神器などという大仰な呼び方をしておいて、それが大量にあったのでは名前負けである。
また、万能でないと聞いて公一はむしろ安心した。
公一は万能やら最強などという、魅力的な言葉を信用していなかった。
完璧なものなど存在しない。
もし存在するとしたら自分には扱い切れないと公一は考えていた。
「いくつあるのですか」
「神器は基本としてひとつ限りじゃ。国内にあるのは長坂家の石貫、酒田家の自在鞭、土居家の土蜘蛛、そして水島家の水切じゃな」
「どういうものなんですか」
「石貫は見かけは鉄の槍じゃ。持ち主に怪力を授ける。自在鞭は2間(3メートル)ほどの鞭で思った通りに動かせる。土蜘蛛は鋼より硬い糸を出せるそうじゃ」
「すごそうですね」
「うん、すごいのだぞ」
景親が自慢気に頷いた。
その笑顔を曇らせないため、公一は神器に対して感じた胡散臭さを腹の中に留めた。
怪力の槍、自在に動く鞭、鋼より硬い糸。
どれもこれも与太話としか思えない。
「それで、水切は?」
「それはの・・・」
弥兵衛が言葉を濁す。
答えたのは景親であった。
「水切は凄いのだぞ。こう、バシッっと遠くのものが斬れるのだ」
「景親様! 水切の力は家中の秘密でございますぞ」
どうやら水切の能力は隠されているようだった。
話を聞く限りは遠距離攻撃のようである。
遠くからの不意打ちに適した能力ならば、知られていないことが利点になるからだろうと、公一は推察した。
「良いではないか。公一はこうして軍議にも参加しておるのだし」
「しかしですな」
「細かいことを申すな」
なおも食い下がろうとする弥兵衛を景親が切って捨てる。
「その水切というのはここにあるんですか?」
「これだ」
景親が横に置いておいた脇差しをとってみせた。
紺の柄糸に黒鞘。
取り立てて変わったところは無かった。
「普通の刀に見えます」
「見かけはそうだの。どれ、なにか斬ってみせようか」
景親が水切を腰に構え、キョロキョロとあたりを見回す。
慌てたのは弥兵衛であった。
「景親様! いけませぬ。いけませぬぞ。水切は水島家の至宝。いくら景親様といえど、そう安々と抜いてはなりませぬ」
「少しくらい、良いではないか」
「なりませぬ」
重ねて言う弥兵衛に景親は口を尖らせた。
お気に入りの玩具を取り上げられた子供のようである。
「むぅ、じいは何かと隠したがる。道具は使ってこそだのに」
「宝は滅多にお目にかかれないくらいが有り難みがあって良いのです」
どちらも一理あるなと思いつつ、公一は黙って2人を見守ることにした。
これまでの話から、神器に対する興味を失いつつあった。
しばしの睨み合いの末、先に折れたのは景親の方だった。
わかったわかったと、面倒くさそうに弥兵衛に手を振る。
「公一、あとでこっそり見せてやろう」
景親が小声で囁いた。
だが公一は弥兵衛の耳がピクリと動いたのを見逃さなかった。
聞こえていたのだろうが、わざわざ咎めるつもりはないようだった。
おおっぴらには認められないが、隠れてする分には見逃すということだろう。
公一は景親に頷いてみせた。
「それで、その水切は今回の戦いには使えるのでしょうか?」
「出番はないじゃろう。景親様が水切を抜くときは本陣まで敵が迫ったときじゃ」
「たとえば、他の人に水切を貸し与えたりは」
「ありえぬ!」
弥兵衛は断固として答えた。
「そうですよね」
公一もこれまでの遣り取りから薄々予想はしていたので素直に頷いた。
となれば、もう水切について話すことはない。
あとは他の神器をどうするかである。
「土居家の土蜘蛛も安隆が持っているのでしょうか」
「おそらくはそうじゃろう。神器は当主が持つものじゃ」
ということは土蜘蛛も水切と同じように本陣でお留守番ということになる。
「残るは長坂家の石貫と酒田家の自在鞭ですか」
「そうじゃな」
「長坂はこちらで酒田は向こう。敵方に2つないだけマシといったところでしょうか。あとは酒田に長坂をうまく当てて、倒してくれることを祈るくらいですね」
暗にそれ以上は期待しないと公一は言った。
それには弥兵衛も同意しているようだった。
景親が目を伏せる。
「俺の考えは駄目だったのだろうか」
「いえ、そんなことはありません。僕は神器の存在を知りませんでしたし、酒田に長坂を当てるという案も出ました」
「そ、そうか?」
「ええ、お手柄ですよ」
公一が景親の頭を撫でる。
景親は気持ちよさそう。
目元口元が緩んでいる。
「公一殿、元服前とはいえ水島家の当主を子供扱いするのは如何なものかと」
「あ、すいません」
公一が慌てて手を引っ込める。
景親がとても残念そうな顔をする。
「じい、余計なことを言うでない。公一もじいの言うことなど気にするな」
このあと、景親の機嫌を直すためには幾らかの時間を必要とした。
日が傾き始め、軍議を終えて居室に戻ってくると信春と光頼がいた。
縁側に腰掛け、明美とともにお茶を啜っている。
「お前ら何やってんの」
「あ、公一お帰り」
振り返った明美が手を振る。
公一は軽く手を上げて答えた。
「何とはご挨拶だな」
「明美殿の警護だ」
信春と光頼が胸を張ってそんなことを言った。
公一が鼻で笑う。
「僕には茶を飲んでくつろいでいるようにしか見えないが。もしかして、お前ら暇なのか」
公一の軽口に若武者たちは苦笑する。
憤慨したのは明美であった。
「もう公一、そういう態度やめなさいって。信春君も光頼君も明美の話し相手になってくれてたんだよ。ごめんねー、ウチの弟ってばいつもこんなで」
明美がペシペシと公一の肩を叩いてくる。
公一はそれを鬱陶しそうに手で払った。
「いえ、俺らが暇なのは本当のことですし」
「景親とか弥兵衛さんは忙しそうにしてるが」
信春のフォローに、公一は横槍を入れた。
「そりゃ、お二人は偉い方々だから色々考えなきゃいけないんだろうけどさ。俺らみたいな下級武士は槍を振るうしか能がないのよ」
「兵が集まるまではやることないんだ。そういえば、公一は景親様のところで何してきたんだ? 結構時間がかかったみたいだが」
「軍議に参加してきた」
しれっととんでもないことを言う公一に、若武者たちは耳を疑った。
景親と弥兵衛がどんな話をしているかは知らないが、水島家の将来を決める重要な内容であることは理解していた。
信春や光頼のような下級武士では参加することすら許されない。
そしておそらく、話を聞いたところで自分たちには理解できない。
公一はそれに参加してきたという。
それは驚くべきことであった。
「え? それ新手の冗談かなにかか?」
「そんなわけあるか」
信じようとしない信春に公一が眉根を寄せる。
「公一はもしかして頭いいのか?」
光頼の問いに、公一は少し考える必要があった。
自分を客観視するのはあまり得意ではない。
「そうだな。それなりに良い方だと思っている」
「公一、そこは謙遜しなさい」
明美が注意した。
だが公一は訂正するどころか逆に胸を張った。
「事実だよ。この世の9割の人間よりは賢い自信がある」
「言い切ったな」
光頼がむしろ感心したというように唸った。
事実はどうあれ、そこまで言い切ることのできる精神は評価できると思った。
「でもそれだと10万人集めたら1万番なんだよな。こうするとあまりよく思えない不思議」
公一そんなことを言いながら、ひとりでうんうん頷いていた。
自信満々で言ったはいいが、公一は実のところどうだろう、とも思う。
頭の良し悪し、人の優劣はそう一概に決められるものだろうか。
時と場合、評価の仕方によってころころ変わりはしないだろうか。
しばらく考えて、これはいま考えてもわからないなと結論づけた。
「ま、それは置いといて。暇なら明美なんかより景親の警護をすればいいじゃないか」
「景親様には良秀がついているだろう」
公一は軍議のときの様子を思い出す。
良秀は一言も発さずに座敷の端に控えていた。
まったく発言しないので妙だと思っていたが、あれは警護だったらしい。
「警護なら何人いてもいいんじゃないか?」
「前にも言ったろ。俺達は身分が低いから景親様にはあまり近づけないの」
信春のセリフには自虐的な響きがあった。
身分のことを気にしているようだった。
「それにここにいる限り、滅多なことはないからな」
「そうなのか?」
公一が首をかしげる。
安国寺は塀で囲われているわけでもなく、守りの拠点としては頼もしいとは思えなかった。
不思議そうにする公一に光頼が説明した。
「安国寺は水島家や他の有力豪族とも縁が深いんだ。ここで騒ぎを起こすような無茶なやつはいない」
「へぇ・・・ってことは、いまのお前らって穀潰し? 役立たず? ニート?」
「こら公一!」
ニヤニヤとした笑みを浮かべた公一の頭を、明美がペシンとひっぱたいた。
そのまま頭を抱えてヘッドロックをかける。
「ニートというのは知らんが、穀潰しなのは確かだな」
「光頼君、このバカの言うことなんて気にしないでいいのよ」
明美はヘッドロックを締めあげた。
公一が必死に外そうとするが、がっちりと手首を握りこんだ明美の手は万力のようであった。
たまらず公一がタップする。
しかし明美に外すつもりは無いようだった。
「まぁ、それもあと一週間だ。そしたらぼちぼち兵も集まるだろうし、俺らもどっかの隊に入れられるだろ。ところで公一、大丈夫か?」
信春が心配そうにするが、公一に答える余裕はなかった。
公一が明美の脇腹を指で突く。
これには明美も呻いた。
腕の力が緩んだ隙にヘッドロックを脱出する。
頭がクラクラしていたが、意識はしっかりしている。
「2人は戦いに出るのか?」
痛む頭を押さえながら公一が尋ねる。
若武者たちは当然というふうに頷いた。
「そりゃ、武士だからな」
「公一はどうするんだ?」
「やだ、光頼君たら。公一がそんなところに行くわけないじゃないの」
明美がケラケラ笑いながら否定した。
それは公一も同感だった。
「そうだな。少なくとも戦場には出ないよ」
「もったいない。せっかくのいくさなのに」
「公一ならいい槍働きができると思うが」
二人とも心底残念そうであった。
はて、そこまで入れ込まれる理由があったろうかと公一は疑問に思い、そういえば武者修行中という設定だったなと思い出す。
先日、良秀を倒したのはまったく幸運によるものであったが、それを2人は知らない。
となれば、腕の立つ者を味方にしたいと思うのは当然であった。
「二人ともなに言ってるのよ。公一みたいなのが戦争しにいってもすぐに死んじゃうのがオチなんだから」
信春と光頼が顔を見合わせた。
少なくとも、2人はそう思ってはいなかった。
「明美さんは評価が厳しいな」
「いや、過保護なだけではないか?」
などと呟きあっていた。