3.交流
「どうぞ」
「ありがとうございます」
お盆に載せたお茶を持ってきてくれた小坊主に明美が礼を言った。
小坊主は顔を赤くし、小声で何事かを呟きながら去っていった。
「可愛い。公一もちっちゃい頃は可愛かったのに」
「なに言ってんだ」
お互いの境遇を話しあったあと、公一と明美は景親たちに同行した。
追われる身の景親たちであったが、『不幸な誤解』が解けたあとは公一たちに好意的であった。
他に頼るあてもない公一たちは、素直に景親の世話になることにしたのだった。
現在、滞在しているのは安国寺という、それなりに大きな寺である。
弥兵衛の従兄弟が住職を務めており、その伝手を頼って来たのだった。
滞在中の居室として2人には座敷が与えられた。
この世界に来て初めての、落ち着ける場所であった。
道すがら、公一は景親たちといろいろな話をした。
それらをまとめて考えると、どうやら公一と明美は別の世界へと来てしまったという結論に達した。
景親の上げる国名に聞き覚えがないのもたしかだが、それ以上に弥兵衛たちの獣耳や尻尾が決定的であった。
弥兵衛は狼牙族という種族で、人族に比べて嗅覚と聴覚に優れていると言っていた。
他にも猫目族や長耳族といった多様な種族が混在しているという。
初めはタイムスリップでもしてきたかと思った公一であったが、まさか別世界だとは思わなかった。
刀や着物があり、あまりにも文化が日本に似ていたのがその一因である。
景親はこのあたりをまとめてヒノモトと呼ぶと言った。
現在、ヒノモトは長らく天下を治めていた大将軍の権威が失墜し、群雄割拠の時代を迎えていた。
政治は各地を治める大名の自治に任され、隙あらば隣国を支配下に置いたり、当主を抹殺して実権を奪ったりと、まさに戦国時代である。
そして今まさに景親がハマの国を奪われようとしていた。
弟を担ぎあげた伯父が兵を挙げ、景親は追われる身である。
当の景親たちはこの寺についてから延々とその対策を話し合っているようだった。
「公一、これからどうしよう?」
明美がお茶を啜りながら尋ねる。
不安が表情に表れていた。
「どうしたものか」
公一もお茶を啜った。
緑茶は少し、渋かった。
「帰れるのかな」
明美の問いに、公一は首を振った。
「ぶっちゃけ絶望的」
「なんで!?」
明美が血相を変える。
公一はさも当然と答える。
「当たり前だろ。どうやって来たかもわからないんだから。せめて景親たちに心当たりがあれば良かったんだけど」
別の世界から来たという話をしても、景親には理解されなかった。
なので遠い国から来たとだけ説明していた。
「タイムマシンくらいなら、まだ理論的になくはないけどさ。別世界となるともう想像の範囲外、フィクションの領域だよ。無理やり仮説を立てるとしても、突如発生したワームホールで宇宙のどこかの別の星にやって来たってのが精々じゃないか?」
「どうすんのよ、今週末必修のレポートがあるのに。あの教授めちゃくちゃ厳しいから遅れたら受け付けてくれないんだよ!」
明美ががなり立てる。
公一はどうでも良さそうにお茶を啜った。
「授業の心配とかしてる場合じゃないだろうに」
「必修落としたら留年しちゃうでしょ。お父さんに怒られる!」
「明美さぁ、僕らさっき死にかけたんだよ。そういう心配をしようよ」
「でも結局助かったじゃん。弥兵衛さんもいい人だったし」
さっきまでの悲壮感は何処へやら、明美はカラカラと笑った。
公一が眉をひそめる。
明美は普段から感情的なところがあったが、それが酷くなっている気がした。
口では楽観的に振舞っていても、ストレスは感じているのだろうと思った。
とりあえず衣食住の心配はなくなったが、のんびりはしていられない状況なのはわかっていた。
横に置いた刀をちらりと見る。
良秀との立ち合いを思い出す。
自分はあのとき、死ぬことと殺すことを覚悟した。
あのときは必死だったためか冷静でいられたが、いま思い出してみると脂汗が噴き出してくる。
景親が話し合いに応じていなければ、良秀の首を掻っ切り、光頼や信春と切り結んでいただろう。
そうなれば、いまのようにのんびりと茶を飲んでいることなどできなかったはずだ。
あらためて、当たり前のように日々を生きていけた故郷とは違うことを思い知らされる。
そして、そう理解したならば、手を打っていかねばならないと思った。
「ちょっと、景親のとこに行ってくる」
「公一?」
問いたげに見上げる明美には構わず、公一は部屋を後にした。
安国寺はそれなりに大きな寺である。
本堂の他にも人が寝泊まり出来るだけの建物がいくつもあった。
公一はその間をフラフラと行き来していた。
景親たちに会おうと部屋を出たまでは良かったが、肝心の景親がどこにいるかを知らなかった。
そのため片っ端から建物を渡り歩いていたのだった。
そんななか、遠目に見覚えのある顔を見つけた。
景親とともに安国寺にやって来た狐娘である。
景親一行で獣耳と尻尾があるのは弥兵衛、良秀の他にはこの娘だけである。
また、その亜麻色の髪は珍しく、すっきりと鼻筋の通った面立ちによく似合っていた。
それゆえ、話したことはないがこの娘のことはよく覚えていた。
「すみません」
「はい。これは、公一様。なにか御用でしょうか」
娘が頭を下げる。
景親が公一たちを客人として遇すると決めて以来、彼女たちも安国寺の者達も一様に丁寧であった。
「景親に会いたいのですが、迷ってしまいまして」
「左様でございますか。私でよろしければご案内致します」
「お願いします」
「はい、こちらに」
言葉は丁寧であったが、なんとなく態度が冷たい気がした。
やはり警戒されているのだろうなと、公一は思った。
娘のあとについて歩く。
左右に揺れる尻尾が気になった。
公一はモフモフしたものに目がなかった。
実家でも、近所の野良猫を餌付けしてモフモフしていたものだった。
その公一が見る限り、娘の尻尾は膨らみがあり、柔らかな毛並みと相まってとても良い手触りを想像させた。
思わず伸びそうになる手を、公一は抑えた。
相手は猫ではない。
尻尾をもつ人間である。
不用意に尻尾を撫でてはどんな不興を買うかわかったものではない。
公一は自制した。
しかし身体は正直だった。
「ひぃっ!」
娘が小さな悲鳴をあげる。
まったく意識とは関係なく、公一の左手が娘の尻尾を撫でていた。
「あ、やべっ」
公一は慌てて手を引っ込める。
だがそれで過去がなかったことになるわけではない。
娘はすでに公一と距離をとって身構えていた。
左手で尻尾を抑え、公一を睨みつけている。
「な、何をなさるのですか!」
公一が弁解する。
「すいません、つい手が。いつもの癖で」
「常習犯・・・!?」
娘の顔に戦慄が走る。
公一は慌てた。
「いえ、違います。尻尾がですね、うちの近所に猫がいまして、よく撫でていたのでその癖が」
「私は猫ではありませんよ」
「はい。とても良い毛並みでした」
公一は正直な感想を口にした。
褒めたつもりだった。
しかし娘は顔を赤く染め、眼尻をさらにつり上げた。
「こ、こんな辱めを受けたのは初めてです!」
そう叫んだ娘はくるりと背を向け、あっという間に走り去ってしまった。
公一が感心するほどの健脚であった。
しまったと思ったときにはすでに遅く、後手に回った対応では挽回はできなかった。
やってしまったなぁ、という思いで公一は立ち尽くした。
「はっはっは、振られてしまったな」
「当たり前だ。いきなり尻を撫でられて怒らぬ娘がいるか」
愉快そうに笑う声に公一が振り向くと、2人の青年が物陰から出てきた。
安藤信春と井手光頼。
先日、吉田良秀とともに公一と立ち合いを演じた2人である。
どこか軽薄な印象を受けるのが信春、真面目な方が光頼である。
「覗きかよ。趣味が悪いぞ」
公一が砕けた物言いで答える。
この2人とは安国寺までくる途中によく一緒に行動したせいか、それなりに親しくなっていた。
「それは違うぞ公一。たまたま通りかかり、偶然にも一部始終を目撃してしまっただけだ」
信春が悪びれもせずに言った。
「口が減らない奴だ。それと、尻を撫でたんじゃないぞ。尻尾だ」
「似たようなものだろう」
光頼が呆れてみせる。
だが公一は断固として抗議した。
「お前とは一度、よく話し合う必要がありそうだ」
尻と尻尾を似たようなものだということは、獣耳を人耳と似たようなものだというようなものだと公一は考えていた。
モフモフはファンタジーなのである。
「公一はああゆうのが好みなのか?」
信春が娘の逃げていった方を見ながら言った。
いつもどこか浮ついた雰囲気のある信春にしては珍しく真面目な顔をしていた。
「うん、まぁそうだ」
公一は正直に告げた。
信春の顔が曇る。
「あの娘はやめとけ。ありゃあ吉田家の下女だろ」
「それがなにか?」
公一は首を傾げた。
何が問題なのかわからなかった。
「どこぞの田舎の賤民の生まれらしい。髪の色も薄いしな」
「それがなにか?」
公一は信春の言わんとする事を理解した。
生まれと身体的特徴による差別意識である。
その上で、自分には問題のないことだと告げた。
「・・・まぁ、公一がいいなら俺は止めんが」
信春が顔を逸らしながら言う。
2人にも公一たち姉弟が遠いところから来たのは話している。
だから、公一たちがこの国の風習などに疎いことは理解していた。
信春の言葉はそういう状況を鑑み、公一を慮ってのものであった。
公一もそれは察していたが、その上で問題ないと言い切ったのである。
それがわかってしまったから、信春は顔を逸らした。
公一が好みだといった女性を貶める言葉を口にしたことを気にしたのだった。
意外と繊細なところがあるな、と公一は内心で思った。
「それよりも、あの娘とどこへ行こうとしてたんだ?」
気まずそうにする信春を見て、光頼が話題を変えた。
空気の読める男であった。
「まさかどこかにシケこんで手篭めに・・・あーれー、お助けをー、なんてことになってたら俺が格好よく登場したんだがな。公一、今度はもっとうまくやれよな」
信春が笑いながら茶化した。
「んなわけあるか。景親に用があったから案内してもらってたんだんだよ」
「それなら俺が連れてってやるよ」
「建物の近くまでだがな」
信春が請け負い、光頼が補足した。
「なんで近くまでなんだ?」
公一が聞くと信春と光頼がなにを当たり前のことを、という顔をした。
「そりゃ、本来俺たちみたいな下級武士は理由なく景親様には近づけないからだ。この間は特別な」
「ヘタをすると首がとぶ」
光頼は何気なく言ったが、この場合は解雇ではなく物理的に首が飛ぶのだろう。
公一は封建社会の厳しさを垣間見た気がした。
「じゃ、頼む」
「おうよ」
公一は2人の武士のあとに従った。