2.遭遇
水島景親は12歳の若さにして、30万石を誇るハマの国の大名であった。
つい先日、先代大名である父が病気で他界し、家督を継いだばかりである。
そして今現在、伯父と弟の連合勢力によってその地位を奪われようとしていた。
ひとつ年下の弟である水島是近を御輿にし、伯父の土井安隆が1000の兵を率いて奇襲を仕掛けてきたのだ。
30万石の大名ともなれば、一万の兵を動かすことができる。
ただし、平時からそのような大軍を維持するのは経費がかかり過ぎるし、動かすとなれば集めるだけで数週間はかかる。
景親が常備兵力として手元に置いていた兵力はたったの300であった。
そのうち半分はすでにこの世になく、そして残りの半分は逃げたか降伏していることだろう。
這々の体で居城を逃れた景親に現在も付き従っている者は10に満たなかった。
「景親様、ひとまず追手は撒けたようです」
白髪交じりの男が報告する。
50は超えていようが、背筋は伸びており老人というようには見えない。
吉田弥兵衛。
景親が生まれるはるか以前から水島家に仕えている武人である。
狼牙族の特徴である大きな耳を動かして周囲を探っている。
人族である景親には聞き取れない、遠くの音聞いているのだった。
「そ、そうか」
景親は荒い息を吐きながらようやくそれだけ口にした。
追われる身となってからすでに3日が経過していた。
安隆の放った追手は次第に数を増やしている気がする。
未だ身体の出来上がっていない景親には、昼夜を問わずの逃避行は辛かった。
「大丈夫でございますか? さぁ、呼吸を整えてくだされ」
「大事ない」
景親の強がりを弥兵衛はひと目で見抜いた。
諭すように語りかける。
「戦場の空気に慣れぬうちは常より疲れやすいものですからの。無理はならさらぬよう」
「・・・うん」
景親はゆっくりと深呼吸した。
心臓の鼓動は収まらなかったが、呼吸は楽になった。
ふと、弥兵衛が止まれの合図をする。
木陰の向こうから人影が近づいてくる。
先行していた弥兵衛の息子、良秀であった。
「父上、前方に見慣れぬ者が」
「近くの村の者かの?」
「いえ、妙な服装をしておりました。大陸の者かもしれません」
ここ最近、海を渡ってヒノモトへとやってくる大陸人が増えていた。
それも長年交流があった帝国ではなく、大陸の反対側からやって来ているという。
服装から行動様式までまるで違う彼らは、大陸産の珍しい品の輸入業者として各地の大名と交流していた。
「何人じゃ?」
「2名です」
「共は」
「おりません」
弥兵衛が顎に手をやり、考えこむ。
「じい、どうしたのだ?」
「大陸人がたった2人だけで、こんな森の中に入るのは不自然ですな」
「伯父の・・・安隆の手のものだろうか?」
「我らの捜索に大陸人を使うとも思えませぬが、避けて行くのが良いでしょう」
「うん、そうであるな」
景親が頷き、弥兵衛が周囲の者へ指示を飛ばしていく。
しかし、遅かった。
「あ、いたいた。さっきの人だ。公一、すごいじゃん。なんでこっちだってわかったの?」
「そりゃあ、子供のころから山ん中でかくれんぼとかしてたんだから。このくらいはな」
「なるへそ。なんにせよ、これで道が聞けるね。すいませーん、ちょっとお尋ねしたいんですけどー!」
木々の間を縫うように見慣れない格好をした男女が近づいて来ていた。
弥兵衛が苦い顔をする。
「良秀、このたわけが。つけられおって」
「申し訳ありません。責任はこの手で」
良秀は腰に差した刀の柄に手をかける。
「斬るのか?」
景親が不安そうに聞く。
弥兵衛は重々しく頷いた。
「こと、ここに至っては致し方ありませぬ」
「しかし、無関係の者かもしれぬぞ」
「景親様、まずはご自身の安全を優先させねばなりません。ときには心を鬼にすることも必要なのですぞ」
「・・・うん。わかった。弥兵衛に任せる」
景親は躊躇いながらも承知した。
当主とはいえ景親は元服も迎えておらぬ子供。
対して弥兵衛は30年以上も水島家に仕えてきた宿将である。
実際的な判断は弥兵衛に任せるべきだった。
弥兵衛が周囲の者に指示をだす。
「良秀、光頼、信春の3人で仕留めよ。残りは景親様を守れ」
「「はっ」」
名を呼ばれた3名は頭をたれ、残りのものは景親を守るように囲った。
すでに件の2人は顔が判別できるほどのところまで来ている。
「なぁ明美、あの人達ヘンじゃないか。着物だし、刀持ってるし、獣耳とか尻尾をつけてる」
「映画の撮影中かな?」
「ならスタッフがまわりにいるだろ」
「きっと予算が足りなくて最小限の人数なんだよ」
話しながら近づいてくる2人に、良秀たちは囲むように広がった。
「なんだか、怒ってるように見えるのは気のせいか?」
「撮影の邪魔しちゃったからかな。すいません、私達、道に迷っちゃいまして、ってか気づいたらここにいたんですけど、ここがどこだかわかりますか?」
良秀が鯉口を切る。
公一が明美の腕を引いた。
「ちょっと待った。ヤバそうだよ」
「えっ? なに?」
明美はキョトンとしていた。
相手が自分に害意を持っているなど、つゆにも思っていない顔だった。
「下がって」
公一は舌打ちをしたい気持ちを堪え、明美を力づくで後ろに回した。
「すいません! 僕たちは道に迷った者たちなのですが!」
叫ぶ。
良秀が伺うように弥兵衛を振り返った。
「構わん! やれ!」
弥兵衛の命令に応えるように、良秀が刀を抜いた。
公一は後ろ手で明美に下がれと合図した。
振り向くだけの余裕はなかった。
無意識のうちに膝をわずかに曲げ、いつでも飛び出せるように構えていた。
「待って! 敵意はありません! 言葉は通じているんでしょう!? まずは話を!」
「問答無用! いぇやああああああっ!」
良秀が刀を右肩に担ぐように構え、言葉にならない叫びを上げながら突進する。
相手が本気だとわかれば、腹が据わるまでには刹那のときもかからなかった。
靴裏の感覚で地面の固さを確認し、踏みしめる。
森の地面はよく滑ることを公一は知っていた。
高鳴る心臓のことは意識から追い出す。
深く息を吸って呼吸を止めた。
走る良秀が間合いを詰める。
あと一歩で刀が届く距離。
公一は思い切り地面を蹴る。
後ろで見ていた弥兵衛にはただの体当たりに見えた。
次の瞬間には、無防備な公一の背中に刀が振り下ろされるだろうと思った。
しかし良秀は驚きに目を剥いていた。
伸ばした公一の左手は刀の柄頭を捉えていた。
これでは振り下ろすことなどできはしない。
さらに右手は良秀の顎をかち上げている。
2人分の突進の勢いを受けた首は限界まで反らされ、そのまま地面に叩きつけられる。
後頭部を強打し、良秀は意識を手放した。
折り重なるようにして倒れた公一と良秀を見て、その場の全員が息を飲む。
何が起こったのか理解するまでに僅かな時間がかかった。
その一秒にも満たないときのあいだ、公一だけが動いていた。
脱力した良秀の両腕を素早く左右に広げさせ、肘を踏みつけて動きを封じた。
奪った刀をその首に当てる。
「動くな! 全員動くな!」
公一が叫ぶ。
左右から囲もうとしていた光頼と信春はおろか、後ろにいた弥兵衛や景親まで動きを止めるほどの大声であった。
「まだ生きているぞ! 助けたくはないか!」
「構わ・・・」
「やめよ」
弥兵衛の叫びを景親が遮った。
「景親様、息子のことならば」
「光頼と信春も刀を収めよ」
当主の言葉に逆らうわけにはいかず、二人の武者が刀を収める。
それに抗議したのは弥兵衛であった。
「景親様!」
「俺には彼の者が安隆の手の者とはどうしても思えん。ならばこんなところで大事な家臣を失うわけにはいかぬであろ」
「しかし」
「無手であの良秀を倒したのだぞ。無理攻めをしていい相手ではないであろ」
そう言われると弥兵衛も黙った。
景親の言葉はもっともであった。
良秀は武の才に恵まれた自慢の息子である。
一対一ならばこの場にいる誰よりも強かった。
「其の方、話を聞こう」
景親が公一に声をかける。
公一は良秀の首から刀を外さないまま、景親に目を向けた。
「話の前に、まずは謝罪が必要だと思う」
「貴様! 景親様に向かってなんたる口の聞き方!」
「良い。すまなかった。その者は俺の家臣だ。離してやって欲しい」
頭を下げる景親。
公一はしばらくそれを眺めた後、ゆっくりと良秀から身を離した。
そのまま背を向けることなく後ろ歩きでさがる。
景親のまわりにいた者が良秀の身体を検め、運んでいった。
「公一・・・」
明美が不安そうに声をかけた。
顔が青ざめている。
いきなり目の前で斬り合いが始まったのだから、当然といえば当然の反応であった。
反撃を行える方が異常なのである。
公一は気を紛らわせようと、軽く戯けて肩をすくめてみせた。
「わけわかんないけど、とりあえず話ができるようになった」
「さっきの人、殺したの?」
「いや、生きてるって。そう言ったじゃないか」
「でもそれ、本物でしょ。なんでこんなことになったんだろ」
明美が指さしたのは公一が握ったままの刀である。
陽の光を反射する刀身は鋭く、模造刀などではありえなかった。
「それを返してもらおう」
弥兵衛が公一に手を向けた。
公一は即座に首を振った。
「断る」
「なんじゃと! 貴様、話をすると言ったではないか!」
「だからだ。話をするにはこれが必要」
「なにを馬鹿な」
公一はうんざりしたようにため息を吐いた。
「さっき、問答無用と言った。僕らが簡単に排除できるなら話など聞かずに斬り捨てればいいと考えたからだ。けれど、僕が思いのほか抵抗したんで話を聞く気になったわけだ。力ずくよりも話をしたほうが楽だから話をするんだ。つまりは戦力の拮抗状態が対話を促した。だから、話をするには僕は戦力を維持しなくてはならない。だからこの刀は返せない」
弥兵衛がポカンとした。
「何を言っているんじゃ?」
「いま説明したじゃないか。なんでわかんないの」
「公一、話し合いなら武器はいらないんじゃないの?」
明美が首をかしげた。
公一が肩を落とす。
いろいろと馬鹿らしく感じた。
「とにかく、刀を返すんじゃ」
「だから駄目だっての」
弥兵衛が食い下がるが、公一は取り付く島もない。
「それは我が吉田家が先代様に下賜された家宝なんじゃぞ!」
「知るか!」
公一も思わず怒鳴り返していた。
間に入ったのは景親だった。
「落ち着け、じい。この者の言うことはもっともだ」
「しかし景親様」
「戦場で勝利したものが敗者の財を得るのは当然のことであろ?」
弥兵衛が悔しそうに顔を歪めて黙る。
「だが、抜身のままでは話がしにくい。せめて鞘に収めておいてくれるか」
景親が鞘を差し出した。
気を失った良秀の腰から取ってきたものだった。
「わかった」
鞘を受け取る。
一度刀身を検め、先の取っ組み合いのときについた土などをハンカチで拭ってから鞘に収める。
少し迷ってから、右手に捧げ持つことにした。
それを見て景親が微笑む。
あまりに可愛らしい笑顔であったので、照れ臭さを誤魔化すために公一は頬を掻いた。
「では話をしようか」
「ああ。まずは自己紹介から。僕は須田公一。東京の大学生だ」
「私は須田明美。同じく東京の大学生よ」
「兄妹だったのか」
景親が驚いた。
2人には慣れ親しんだ反応である。
似ていない姉弟とはよく言われていた。
「あ、私のほうが年上だから。2つ上よ」
公一は実年齢よりも年上に、明美は年下に見られることが多かった。
そのため明美が補足した。
「なんと。二人は何歳か?」
「僕が19。明美は21」
景親は先程よりも驚いたようだった。
公一も明美も、あえてその理由を尋ねたりはしなかった。
「俺はこのハマの国を治める水島家の当主、水島景親だ。この者は家臣の吉田弥兵衛。さきほど公一が倒した良秀の父だ」
景親の紹介に合わせて弥兵衛が頭を下げる。
公一と明美は顔を見合わせた。
ハマの国を治めるとはどういう意味か、頭が理解を拒んでいた。
「ところで、トウキョウのダイガクセイというのは、なんだろうか?」
景親の疑問が止めをさした。