~こちらの料理事情~
お日様が頂点にぷっかり浮かんだこの時間、ディナンは広場のベンチで考える人になっていた。
(う~ん、やっぱり俺にはあまり合わないなぁ……)
村の中央にある少々立派な広場だ。 円形になっており、中央には結構大きな木が立っている。 その周りには木製にベンチが並んでおり、木陰に入って休める憩いの場所だ。
そして、ディナンが先ほどから悩んでいる事柄が、
(さすがにあのかったいパンは食えなくもないが、少々嫌になってくる)
そう、転生話でよく出てくる転生先での食事事情である。 こちらではどうやらイースト菌や、酵母を使った上等な物はなく、無発酵の、それも少々混ぜ物をしてある小麦粉で作られた固くてどっしりとしたパンだ。
ディナンは前世の記憶からパンは柔らかいのが常識と刷り込みが入っているのだ。 固いパンもこちらに来て食べ慣れてはいるが、どうしても差異が出てくる。
(確か、果物を発酵させれば酵母が出来たような……)
ディナンは前世では休日では気分が乗ると凝った料理を作りたがる症候群に罹っていたので、パンも作ったことがあった。 雑誌などで作り方を調べていた時、天然酵母パンが特集として取り上げられていたのを覚えている。
ディナンが覚えているつくり方では、果物を丸ごと潰して、それをを煮沸消毒した瓶に詰めて1日に1回ほど振り、ガス抜きのために蓋を開ければ夏場では2、3日ぐらいで酵母が出来るのでそれを漉せば酵母エキスの完成だった気がする。
エキスでパン種を作り、それをパン生地に混ぜて作れば、まぁ混ぜ物がされている小麦粉でも今よりは柔らかいパンが出来るだろうと思っている。
(ふむ、試してみる価値はあるかな)
ディナンはさっそく酵母作りの土台となる果実を探しに北の森に入って行った。
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「これは良い物を見つけたなぁ。 ここいら辺りはベリの実の群生地か」
ベリの実は外見は前世のキイチゴと似たようなものだ。 違いはキイチゴより少々大きいところと種が実の中にあるのではなく、種の周りに実が付いている所か。
味の方はキイチゴの方は熟すと甘酸っぱいのだが、このベリの実は熟すと甘い。 しかし、ただ甘いのではなく少し酸味もあるので後味はすっきりしている。
そんなベリの実、春と秋に実が生り年に2回収穫が出来る。 こちらではポピュラーな果物なので子供からご老人もみんな大好きだ。
(このベリの実を磨り潰して、瓶に詰めて、日光に当たる窓際に置いておけば出来るかなぁ)
何事も試行錯誤だと、ディナンはそこいらの大きな木の葉で簡単な葉っぱの籠を作り、ベリの実を放り込んでいく。
十何個か収穫するとすぐに葉っぱの籠はいっぱいになった。 まぁ、失敗するかもしれないから家で使うのみと考えて、瓶1本か2本ほど作れればいいだろうと思いながら家に帰る。
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「ただいま~」
ディナンが帰宅したとき、ランチタイムの山場がちょうど通り過ぎたのか、人は4、5人しかおらず、皆寛いでいる。
ディナンはカウンターの横で手持無沙汰に座っていたメイシアに走り寄る。 メイシアはそれに気づき、微笑みながらディナンを受け止めた。
「おかえりなさい、ディナン。 あら、ベリの実たくさん採ってきたのね。 おやつに食べるのかしら?」
「えへへ~、旅の人から聞いたもの作るの。 パンを柔らかくする魔法の液体なんだって」
「あら、そうなの? すごいじゃない」
見る限りメイシアはあまり信じてはいないようだった。 子供の言うことなので半信半疑なのだろう。
次にディナンは厨房に入り、夜の部の仕込みをしていたゴルディアに話しかける。
「お父さん! ただいま」
バカでかい寸胴の中身をゆっくりかき回しながらゴルディアはディナンの方に顔を向ける。 匂いから察するに野菜スープだ。
「おかえり、ディナン。 おや? たくさん採ってきたねぇ、それをどうするんだい?」
ディナンは葉っぱの籠に入ったベリの実を掲げながらさっきメイシアに言ったことを繰り返す。
「あのね、旅の人から教えてもらったパンを柔らかくする魔法の液体を作るの。 だから、ちょっとキッチンを貸してほしいの」
ゴルディアは少々思案顔になってから、いいよと笑顔で許可を出してくれた。
「ただし、包丁とコンロを使うときはお父さんに言うこと。 まだディナンが使うのは危ないからね」
「うん、分かった」
こうして、ディナンは潰したベリの実を煮沸消毒した瓶に入れて、自分のベッドの近くにある窓辺に置いた。 あとは発酵を待つのみである。
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5日後、無事発酵が済んだ酵母を布で漉し、新たな煮沸消毒をした瓶に詰める。 これで酵母液の完成なはずである。
(においもアルコールのような感じがするから大丈夫だと思うんだけどなぁ……)
次はパン種作りをするのでまたゴルディアに言って作り始めた。
いつも使っている小麦粉と水を用意して瓶に入れていく。 横で見ていたゴルディアが顔を顰めながらディナンに問う。
「ディナン、これは上手くいっているのか? なんだか腐ったような匂いがするんだが……」
「うん! 大丈夫だよ、お父さん。 旅の人もこんなような匂いがすれば、それは上手くいっている証拠だって言ってた」
その言葉を聞いてゴルディアは困り顔をしながら、腕を組む。
(まぁ、ディナンにも失敗を経験させた方がいいか)
そう思いながら、我が子が楽しそうにパン種作りをするところを後ろから眺める。 いつも見ている我が子が、確かに成長しているところを嬉しく思いながら。
そして、昼の部が始まる頃には作業は終わったらしくディナンはゴルディアに瓶には触らないように言ってから、自身は外に出かけて行った。
(ふむ、我が子が何をしているのか見ていても全然意図が見えんが……)
そのことをカウンターの横の椅子に座っているメイシアに言うと、あの子に任せておきましょうと楽しそうな笑顔で言われ、ゴルディアもそうだなと思い、昼の部の料理を作るためにキッチンに立つのであった。
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昼の部が終わり、夫婦そろってまったりしていると、ディナンが外から帰ってきた。
「ただいま、お父さん、お母さん」
「おかえり」「おかえりなさい」
帰宅の言葉もそこそこに、ディナンはさっさと厨房の方に入って行った。 どうやら昼に作っていた瓶の中身の様子を見に行ったのだろう。
「そういえば、あの瓶の中身時間が経つにつれ徐々に増えいくのだが、あの中身は腐っているのではなかろうか」
「そうだとしても、私たちが止めては何もならないと思うわ。 ディナンが自分の手で作って、失敗させてあげなきゃ経験にはならないわよ」
そうメイシアは相変わらずの笑みを浮かべながら、自分の夫にもたれ掛る。 ゴルディアも妻の肩を抱き引き寄せながら、そうだなと一言つぶやいた。
一方、ディナンと言えばパン種が何とか形になっており、安堵の溜息をもらしていた。
(うん、何とか出来ているようだ。 少々小麦粉をもらって作ってみるか)
ディナンは出来たてホヤホヤ(実際には湯気は出ていない)のパン種を使い、パンを作り始める。 小麦粉、水、塩、パン種、油を混ぜ合わせ、1次発酵、2次発酵を重ね、竈に入れて焼き上げる。 もうこの時点であと少しで夕食というところなのでちょうど良かった。
(おおぅ、ちゃんと焼きあがってる。 前に比べれば格段に柔らかくなってるし!)
パンが成功し、ディナンは厨房の竈の前で小躍りをしていたのは内緒。
読んでいただき、ありがとうございます。
相変わらずの亀更新ですが……。