第十五話 知るという暴力
ジュジュから情報を聞いて以来、優絃は明らかに行動を変えていた。
いつものカフェにいる時間が増えた。
それだけじゃない。
仕事終わりにそのまま居酒屋へ誘ったり、適当な理由をつけて外に連れ出したり――。
気付けば、詩花と顔を合わせる機会は、以前とは比べ物にならないほど増えていた。
(……確かめる、って言ったし)
何気ない顔で詩花の隣に座りながら、心の奥で言い訳じみた言葉を繰り返す。
(そろそろ、化けの皮を剥いでやる)
散々はぐらかされてきた。
それももう終わりだと、彼女の胸の内を探るような言葉を投げかける。
最初の頃はいつも通りだった。
楽しげにくすりと笑って、
意味深な言葉を並べて、
のらりくらりとかわされるだけ。
けれど――。
(……最近は、なんかちょっと違う)
笑ってはいる。
それは間違いない。
けれど、ほんの一瞬だけ、その微笑みの裏に影が差すようになったのを、薄々感じていた。
曇る。
逸らす。
ごまかす。
それが前以上にあからさまに思えて、小さな違和感が、少しずつ積み重なっていく。
そして――その日もまた、居酒屋だった。
グラスの当たる音と周囲の笑い声が響く中、掘り炬燵に向かい合って座る。
それはいつもと同じようで、どこか噛み合わない空気があるような気がした。
最初は何気ない会話から始めて、次第に内容を少しずつ深いものに変えて。
それから核心的質問に移っていく。
警戒されないよう枝豆をつまみながら、優絃は何気ない調子で口を開いた。
「……ねぇ、玖我山詩花って名前さ」
その瞬間――グラスを持っていた詩花の手が、ぴたりと止まった。
「……もう、いいじゃないですか。そんな話は」
眉尻を下げた、明らかな苦笑い。
やんわりとした拒絶の意思。
「せっかくのお酒ですよ? 楽しく飲みましょうよ」
そう言って、コク、とひとくち。
彼女の喉元が小さく動いた。
(……またそれかよ)
優絃は、小さく舌打ちを噛み殺す。
まだまだ、今日は引き下がらないぞと。
そんな意志を込めて、手を止めた。
「いいじゃん。そろそろ教えてくれても」
「……教える必要、ないじゃないですか」
変わらない微笑み。
グラスを、コトン、と置く音が響く。
「わたしはわたしです。それ以外の何者でもない」
(……そうかもしれないけど)
胸の奥に、じわりと苛立ちが滲む。
この女は、ずっとそうだ。
肝心なところだけ、絶対に踏み込ませない。
ここで引き下がれば、いつもみたいにまたはぐらかされて、なあなあで終わる。
(……ここで引いたら、何も分かんないままだろ)
確かめる、と言ったんだ。
ぐ、と酒を一気に煽り、グラスを置いた。
ゆっくりと吐いた息は、ほんの少しだけアルコールの匂いがした。
その瞬間――覚悟が決まった。
「……志久谷真依花」
その名前を口にした瞬間。
「っ……」
個室の空気が……凍った。
刹那、店内の喧騒が遠のいたように感じる。
周囲は滲んだようにぼやけて、視界の中心にいる詩花だけがやけにくっきりと見えた。
そんな彼女は、動かない。
呼吸すら止まっているみたいに、ぴたりと動きが止まっていて。
やがて、ゆっくりと視線が持ち上がる。
「……どうして、それを」
これまでに聞いたことのない、あまりにも低く冷たい声。
揺れているのは、不安や恐怖からじゃない。
明らかに――怒りだった。
「……勝手に、調べたんですね」
その変化に、優絃は言葉が一瞬詰まる。
それでも、引くことなく答えた。
「あんたが教えてくれないから」
拳を握りしめながら、向き合った。
「……分かりたかったんだよ、あんたのこと」
真正面から、視線をぶつける。
すると、詩花は小さく息を吐いた。
「……見せる範囲は、わたしが決めています」
ただ、静かな声が個室内に落ちる。
「あなたが決めることじゃありません」
「……じゃあ」
優絃の眉が、ぴくりと動く。
「……見せてよ」
気付けば、声にわずかな熱が乗っていた。
何をここまでムキになっているのか。
自分でもよく分からない。
けれど、もう止まらなかった。
「……あたしはずっと、歩み寄ろうとしてんじゃん」
詩花は、何も言わない。
ただ、身じろぎひとつせずに黙って、こちらを見つめている。
その視線が、別人のように思えた。
「あんた、ほんとは名家の生まれなんでしょ。でも、なぜか消された」
「……やめてください」
「なんで、そんなことになってんのか分かんないけどさ」
構わず、言葉を続ける。
「……あんた、ずっと狙われてるじゃん」
一瞬、詩花の表情が強張る。
「……やめて」
今までより、はっきりとした拒絶。
けれど――こちらも止まれなかった。
(……放っとけばいいだろ。関係ないだろ、こんなの。ただ、何者なのかを探ろうとしただけ)
冷たい青と、視線がぶつかる。
その奥が、揺れているような気がして。
(なのに――)
それが分かった瞬間、胸の奥で、何かがせり上がってくる感覚がした。
「っ……」
言わなきゃいけないことがある。
そんな気がして――
気付けば、口が勝手に動いていた。
「……あたしが、守る」
意志を持った優絃の声が、じんわりと空気に滲んだ。
その瞬間――詩花の息が、止まった。
じわ、と目が見開かれていく。
「守らせてよ……あたしに」
「っ……!」
ほんのわずかに、身体が後ろへ引いた。
テーブルに置かれた手が、小さく震えている。
それが、あまりにも明確に見えて。
「ねぇ、なんとか言っ――」
「……いらない」
刹那、喧騒をかき消すほどの鋭い声が、優絃の胸に重く突き刺さった。




