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最強の《土魔法》使いの少年――バレると面倒なのでレベル1ポーターを演じてます  作者: 猫野 にくきゅう


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第6話 ギルドの嘲笑とSランクの溺愛

 冒険者ギルドの空気は、いつも不快な熱を孕んでいる。

 安酒の酸い匂い、汗に染みついた革鎧の湿気、手入れを怠った武具から漂う錆の臭い。それらが混ざり合い、昼間だというのに酒場のような澱んだ熱気を作り出していた。怒号と笑い声が反響し、木製の床板は重い靴音に軋んでいる。


 その濁流のような空間を、鮮やかに切り裂く存在があった。


「よし、手続きだ! ユキ、こっちに来い!」


 燃えるような紅の赤髪を揺らし、『剣聖』アリアが迷いなく俺の手を掴む。

 しなやかな指先から伝わる体温は高く、戦場を駆け抜けた風のように清々しい香りが、ギルドの不快な臭気を一瞬で押し流していく。


 周囲の視線が、一斉にこちらへ集まった。


 俺――ユキは、内心で静かに溜息をつきながら、彼女に引かれるまま中央カウンターへと進む。


 最大レベルに設定した《偽装》。

 レベル1600という異常な数値も、亡国の王子という素性も、すべてを塗り潰し、俺を「どこにでもいるレベル1の無能な少年」として固定するための仮面だ。フェルゼン王国のこのギルドでも、その効果は完璧なはずだった。


「あら、アリア様……えっ?」


 受付嬢の営業用の微笑みが、俺の顔とギルドカードを見比べた瞬間、見事なまでに凍りつく。


 【ユキ:レベル1】

 【職業:ポーター】


 その文字を認識した途端、彼女の喉がひくりと鳴った。周囲のざわめきが、わずかに強まる。


「ア、アリア様……こちらのユキ様を、正式に『白銀の乙女』へ登録されるのですか? 彼は昨日、『赤き流星』を追放されたばかりの……」


「ああ。私がスカウトした。彼は私たちのパーティにとって、不可欠な専門家プロだ」


 アリアの凛とした声がホールに響き渡る。

 その瞬間、空気が変わった。


「冗談だろ……」

「レベル1の寄生虫をSランクが?」

「あの顔に騙されたんじゃねえか」


 汚泥のようなざわめきが広がり、嘲笑が酒場の壁に跳ね返る。視線は好奇と侮蔑に満ち、遠慮なく俺を値踏みしていた。


 酒場の隅。

 くすんだ赤毛の男――『赤き流星』の元リーダー、マルスが、青ざめた顔でこちらを睨んでいる。唇だけが歪み、悔恨と焦燥が滲んでいた。自ら追い出したポーターが、Sランクに拾われた現実を、受け入れきれないのだろう。


 手続きは滞りなく進み、やがて新しい銀色のプレートが俺の首に下げられる。冷たい金属が鎖骨に触れ、わずかな重みが加わった。


 【ユキ:白銀の乙女 所属】


(よし、これで隠れ蓑は完成だ。Sランクの看板の陰にいれば、俺はただの雑用係として埋もれられる。……早く帰って晩飯の仕込みをしないと)


 そう考え、踵を返そうとした、その時だった。


 三人のCランク冒険者が、下卑た笑みを浮かべて道を塞ぐ。体格のいい獣人が先頭に立ち、鼻で笑った。


「よぉ、坊主。とんだ玉の輿じゃねえか。レベル1のゴミが、夜の『ポーター業務』でも頑張ったのか?」


 汚れた指が、俺のプレートを軽く弾く。金属音が、やけに乾いて響いた。


「高嶺の花に可愛がってもらえるなんてな。どんな魔法を使った? それとも、泣いて縋ったのかよ」


 周囲が同調するように笑う。

 嘲りは、毒のように拡散する。


 ――だが。


 この程度の罵倒など、俺にとってはそよ風だ。

 アルトリア王国が滅びる瞬間、民の悲鳴と炎の轟きを聞いた俺に比べれば、あまりに稚拙で、軽い。怒りよりも先に、空虚さが浮かぶ。


 しかし、俺の手を引いていたアリアの指先が、わずかに震えた。


「……おい。今、なんと言った?」


 低い。

 地を這うような声だった。


 次の瞬間、ギルド全体の空気が押し潰される。

 アリアから放たれた闘気が、目に見えぬ衝撃波となってホールを蹂躙したのだ。空間が軋み、酒瓶が震え、飲みかけのジョッキがテーブルから転げ落ちる。


 獣人たちの笑いが凍りつく。


「ユキを、ゴミだと言ったか? ……彼の実力も、その健気な努力も知らない貴様らが、どの口で彼を侮辱する」


 アリアは俺を自分の背後に隠すように庇い、腰の魔剣『紅蓮丸』の柄を握る。

 鞘からわずかに覗いた剣身が、ルビーのような殺意を宿していた。温度が、確実に下がる。


「この子は私の大切な仲間だ。彼への侮辱は、『白銀の乙女』……そしてこの『剣聖』アリアへの宣戦布告と見なす」


 その宣告は、誇張ではない。

 本気だ。


「ひっ……!? い、いや、悪かった! 冗談だ!」


 男たちは腰を抜かし、床を這うように後退する。

 先ほどまで嘲笑していた冒険者たちは、誰一人として目を合わせようとしない。全員が顔を伏せ、嵐の中心を避けるかのように沈黙していた。


 やがてアリアは冷徹な視線で彼らを一掃すると、俺の腕を引き寄せる。半ば抱きかかえるような勢いで。


「行くぞ、ユキ。こんな奴らの相手をする必要はない。お前は私の後ろで笑っていろ」


 豊かな胸の感触が腕に伝わり、思わず体温が上がる。距離が近い。近すぎる。だが彼女は一切気にしていない。守るべき存在を庇う、それだけの純粋な衝動だ。


(……アリアさん、恥ずかしいです。それに、これでは目立ちすぎる。俺は平穏に暮らしたいだけなんだ)


 内心の抗議は、口には出せない。

 俺は王都最高峰の美少女剣士に堂々とエスコートされ、嵐の後のように静まり返ったギルドを後にする。


 背中に突き刺さるのは、恐怖だけではない。

 羨望、憎悪、そして殺意に近い嫉妬。


 最強の力を隠した王子が、最強の『お姉さん』に文字通り溺愛される日々。


 ギルドの扉を抜け、外の空気を吸い込んだ瞬間、ようやく胸の奥の緊張がわずかにほどける。だが同時に理解してしまう。


 俺の望む「スローライフ」は、今日もまた一歩、遠ざかったのだと。

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