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最強の《土魔法》使いの少年――バレると面倒なのでレベル1ポーターを演じてます  作者: 猫野 にくきゅう


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第4話 胃袋を掴むシチュー

 Sランクパーティ『白銀の乙女』の拠点。

 豪奢な外観とは裏腹に、その内部は冷え切っていた。


 広々としたキッチンは、無駄に天井が高く、窓から差し込む午後の光だけが、静かに床へと落ちている。

 磨けば鏡のように光るはずの調理台は、うっすらと曇り、指でなぞれば薄い粉塵が浮き上がりそうだった。


 高価な魔導コンロが三基も並んでいるというのに、火が入った形跡はほとんどない。

 整然と吊るされた銅鍋は、職人の刻印が誇らしげに輝いているが、その底は新品同様の光沢を保っている。


 つまり――使われていない。


 これが、王国最強のパーティの台所。


 ルナは買い出しを忘れる。

 アリアは料理をすれば物理的に厨房を破壊する。


 その結果が、この静寂だ。

 音のない空間は、奇妙な圧迫感を伴って胸にまとわりつく。


「……さて」


 俺は深く息を吐いた。

 冷えた空気が肺に入り、わずかに喉を刺す。


「まずは、この『餓死の危機』を排除しないとな」


 俺が求めているのは、帝国から身を隠すための平穏な日常だ。

 リゼルド帝国の追手をやり過ごし、フェルゼン王国のクレセントで静かに暮らす。それが理想だ。


 だが、住居の機能が崩壊している環境では、平穏どころではない。

 生活基盤が瓦解している状態は、戦場よりも性質が悪い。

 ここは立て直す必要がある。確実に。今すぐに。


 俺は周囲を確認する。


 赤髪のアリアは、落ち着きなく椅子に座り、脚を揺らしている。

 ルビーレッドの瞳は退屈を隠そうともせず、しかし空腹にはまだ気づいていない様子だ。


 青髪のルナは本を抱えたまま、虚ろなアメジストの瞳でこちらを見ている。

 視線は合っているが、意識は別の計算式の中に沈んでいるのだろう。


 誰も、俺の手元を注視していない。


 俺は《アイテムボックス》を起動する。

 空間がわずかに揺らぎ、目に見えない水面のような歪みが広がる。


 取り出したのは、王宮御用達の野菜と肉。

 アルトリア王国の宮廷で供されていた最高級品だ。


 みずみずしい人参。

 瑞々しく張りのある玉葱。

 霜降りが均等に入った最上級の牛肉。


 これらは時間停止された空間で保存されている。

 鮮度は収めた瞬間のままだ。

 包丁を入れれば、内部の水分量すら理想値を保っていることが分かる。


 トントン。


 包丁がまな板を叩く音が、無機質だったキッチンに一定のリズムを刻む。

 乾いていた空間に、生活の鼓動が戻ってくる。


 俺の動きに、迷いはない。

 それは宮廷料理人から学んだ技術だけではない。


 本質は別にある。


 俺の《経験値獲得量一万倍》。

 このチートのせいで、俺のレベルは1600を超えている。


 膨大なステータス補正が、感覚そのものを別次元へと押し上げた。


 視力は肉の繊維の走行を捉え、

 嗅覚は野菜の糖度の変化を嗅ぎ分け、

 触覚は刃先に伝わる抵抗から内部の水分量を計測する。


 魔力制御精度に至っては、火力の揺らぎを魔力単位で把握できる。


 人間の域を逸脱している。

 だが、だからこそできることがある。


 バターを溶かす。

 乳脂肪がゆるやかに広がり、黄金色の光を帯びる。


 肉を投入する。


 ジュウゥッ。


 弾ける音。

 脂が跳ね、香ばしい匂いが一気に立ち昇る。

 熱が空気を震わせ、冷え切っていたキッチンの温度が、目に見えぬまま上昇する。


 その瞬間、空気が変わった。

 死んでいた台所が、呼吸を始める。


 続いて野菜を加える。

 玉葱が透明に変わるまで炒める。


 火加減は最小単位で調整する。

 焦げる寸前の甘味を最大化し、苦味の発生を完全に抑制する。


 スープストックを注ぐ。

 液体が鍋底を叩き、柔らかな蒸気が立ち上る。


 コトコト、と。

 穏やかな音が、一定の間隔で響く。


 数分前まで「空腹」という言葉すら忘れていた空間に、暴力的なまでの香りが満ちていく。

 鼻腔をくすぐり、脳の奥を刺激し、本能へ直接訴えかける匂いだ。


「……くんくん」


 最初に反応したのはアリアだった。

 椅子から立ち上がり、紅の髪を揺らしながら鼻をひくつかせる。


「なんだこの匂いは……!」


 次に現れたのはルナ。


 本を抱えたまま、幽霊のようにふらふらと歩いてくる。

 しかしその紫の瞳は、徐々に焦点を取り戻していく。


「……非論理的……。この香りは、脳の報酬系を強制的に刺激している……」


 理屈で抗おうとしているが、足取りは正直だ。

 鍋の前でぴたりと止まる。


 俺は鍋を火から下ろす。

 余熱すら計算に入れている。


 皿に盛る。

 とろりとした飴色のシチューが、ゆっくりと器に広がる。

 肉は形を保ちながらも、触れれば崩れそうな柔らかさを宿している。


「できました」


 まずはアリアへ差し出す。


 彼女は一瞬だけ警戒した。

 戦場で幾度も死線を越えた剣聖の本能だろう。

 だが次の瞬間には、その警戒を空腹が上回る。


 スプーンを握る。

 一口、口へ運ぶ。


 ――沈黙。


 そして。


「うまっ!!」


 絶叫がキッチンに響いた。

 頬が一気に赤く染まり、瞳が見開かれる。


「なんだこれ! 肉が溶けるぞ!? 野菜が甘い! いや甘いのに重くない!」


 戦場では冷静沈着な剣聖が、完全に崩壊している。

 椅子に座り直す間も惜しみ、次々と口へ運ぶ。


「おかわりはあるか!?」


「ありますよ。まだ鍋にたっぷり」


 その言葉を聞いた瞬間、彼女の表情がさらに輝いた。


 次はルナ。


 恐る恐るスプーンを口に運ぶ。

 論理と本能が拮抗しているのが見て取れる。


 刹那。


 瞳が見開かれる。

 体が小刻みに震える。


「……これが……食事……?」


 彼女の中で、何かが音を立てて崩れていく。


「私は今まで……干し肉を合理的と定義していた……。だがこれは……幸福という概念そのもの……」


 理論武装は意味を失った。

 スプーンが止まらない。


 完食。


 皿を置き、ゆっくりと立ち上がる。

 そして、まっすぐに俺へ近づいてくる。


 距離が近い。

 近すぎる。


「……ユキ」


 両手を掴まれる。

 指先は冷たいが、その握力には確かな意志が宿っている。


「今この瞬間をもって、あなたを私の『生存戦略』として独占する」


「……え?」


「命令。離脱禁止」


 袖を掴まれる。

 力は弱い。

 だが決して離さないと宣言するような圧がある。


「おい待て! ユキは私が連れてきたんだ!」


 アリアが割って入る。

 赤と青の視線が火花を散らす。


 二人のSランクが、レベル1の俺を巡って言い争うという異常事態。

 しかも理由は、シチュー。


(……これのどこが平穏なんだ)


 心の中でため息をつく。


 だが。


 腹を満たした二人の表情は、戦場では決して見せない柔らかさだった。

 緊張が解け、どこか幼さすら滲んでいる。


 最強の王子――ルキーユ・ルド・アルトリアが、今はユキとしてポーターを演じ。

 ポンコツ天才たちの胃袋を掌握する。


 どうやら俺のスローライフは、別の意味で波乱含みらしい。

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