第3話 ポンコツな天才と生活能力ゼロ
フェルゼン王国辺境の町クレセント。
夕暮れの一等地は、昼間とは違う静謐を纏っていた。
石畳は沈みゆく太陽を映し、琥珀色に染まっている。通りの両脇には均整の取れた街路樹が並び、整えられた庭園と白壁の邸宅が規則正しく続いている。遠くでは噴水の水音が微かに響き、空気には高級香油と焼きたてのパンの匂いが混じっていた。
ここが富裕層の居住区であることは、一目で分かる。
その中を、俺――ユキは、アリアに手を引かれて歩いている。
彼女の歩幅は大きい。鎧がかすかに鳴り、赤いポニーテールが夕陽を弾く。その姿は堂々としていて、隠れるという概念を持っていない。
対して俺は、白い髪を目立たぬよう整えたレベル1のポーター。
周囲の視線が痛い。
Sランクパーティ『白銀の乙女』のリーダーと、レベル1の少年。
どう見ても釣り合わない。
囁き声が、風に紛れて耳に届く。
「あれが剣聖アリアか……」
「隣の子、誰だ?」
「新しい従者か?」
従者。
まあ、間違ってはいない。
やがて辿り着いたのは、白亜の壁が夕陽を受けて輝く豪邸だった。
重厚な鉄門には精緻な紋章が刻まれ、蔦の絡む外壁は丁寧に手入れされている。庭園には色とりどりの花が咲き、中央には大理石の噴水が水を湛えていた。
辺境の町とは思えない規模だ。
「ここが私たちの拠点、パーティハウスだ!」
アリアが誇らしげに胸を張る。
「さあ、遠慮せずに入ってくれ!」
重厚なオーク材の扉を、勢いよく押し開けた。
……だが。
一歩足を踏み入れた瞬間。
俺の鼻を突いたのは、華やかな生活の香りではなかった。
鼻の奥を刺激する埃。
湿った布のようなカビの匂い。
長時間閉め切られた空気の淀み。
「……」
視線を巡らせる。
脱ぎ散らかされたミスリル銀の籠手。
床に転がる片方だけのブーツ。
壁際に積まれたままの戦利品袋。
大理石の床は曇り、足跡が幾重にも重なっている。高価な彫刻入りの棚の上には、うっすらと灰色の層が積もっていた。
指でなぞれば、確実に線が引けるだろう。
外観は完璧。
中身は壊滅。
この落差は、ある意味芸術的だ。
「失礼します……。……アリアさん。随分と、前衛的な内装ですね」
俺は言葉を選んだ。
「あー……その、なんだ」
アリアは頬を掻く。
「専属のポーターが辞めてから、少しばかり雑務が滞っていてな。私たちは戦闘特化型なんだ。生活面は……多少、大雑把だ」
多少。
その言葉の響きに、思わず床の埃へ視線を落とす。
多少ではない。
これは、生活の停止だ。
だがアリアは気にした様子もなく、奥へ進む。
「まずはメンバーを紹介する。ウチの『頭脳』だ。ルナー! 入るぞー!」
二階奥の扉を勢いよく開ける。
そして俺は、さらに言葉を失った。
壁一面を埋め尽くす魔導書。
だが棚は限界を超え、羊皮紙や文献が床を覆っている。一歩踏み出すたび、カサリ、と乾いた音が鳴る。天井近くまで積み上げられた「本の塔」が、部屋の各所に乱立していた。
わずかな振動で崩壊しそうな危うさ。
空気は紙とインクの匂いで満ち、窓は閉め切られている。光は薄く、室内は常に夕暮れのようだ。
「……うるさい、アリア。今……古代術式の並列処理が、臨界点……」
本の山の奥から、くぐもった声がした。
そこにいたのは、銀髪の少女。
絡まり放題の青みがかった銀髪。
紫水晶のような瞳。
人形のように整った顔立ち。
だが目の下には深い隈が刻まれ、頬はわずかに痩けている。
彼女こそ、王国随一の魔導知識を誇るSランク冒険者。
『大賢者』ルナ。
「ルナ、新しいポーターのユキだ。レベル1だがアイテムボックス持ちだぞ」
「……ポーター?」
ルナはゆっくりと俺を見る。
数秒間、無言で観察。
その視線は、魔力の流れを読むように鋭い。
一瞬だけ、背筋に緊張が走る。
《偽装》は完璧だ。神話級の鑑定すら欺く。
だが、彼女は理屈を超えて直感で掴むタイプかもしれない。
……数秒後。
彼女は興味を失ったように視線を戻した。
「……歓迎する……。それより、アリア……」
声に覇気がない。
「買い出しの当番、忘れてた……。備蓄の干し肉、もう……一切れ……」
「なにっ!?」
アリアが素っ頓狂な声を上げる。
「ということは、今日の晩飯はなし!?」
ルナは無言で頷いた。
王国最強のパーティ。
その実態は、買い出し忘れで餓死寸前。
俺は静かにキッチンへ向かった。
広い。
設備は一流だ。
魔導コンロ。大鍋。香辛料棚。冷蔵用魔石箱。
だが――使われていない。
魔導コンロの魔力供給口は冷えきっている。鍋は光沢を保ったまま。包丁は刃こぼれすらない。
(これは……)
ポーターとしての本能が告げる。
この拠点は、戦闘能力は最強。
だが、生活基盤は脆弱。
補給管理。
備蓄計画。
消耗品の回転率。
どれも、まともに機能していない。
今までは前任のポーターが回していたのだろう。
だが、その歯車が外れた瞬間、全てが崩れた。
アリアが背後から言う。
「ユキ。どうだ? なかなか立派な家だろう?」
「……ええ。建物は、立派ですね」
俺は正直に答えた。
問題は建物ではない。
中身だ。
生活能力ゼロ。
家事能力ゼロ。
補給管理ゼロ。
だが、二人とも悪気はない。
本気で気づいていない。
(……なるほど)
俺は静かに結論を出す。
ここなら、俺は目立たずに済む。
戦闘は彼女たちが担う。
生活は俺が担う。
役割分担としては、合理的だ。
それに――。
腹を空かせた大賢者と剣聖が、こちらを見ている。
強い。
だが、どこか放っておけない。
最強で、無防備。
それはある意味、俺よりも危うい。
「……とりあえず、備蓄状況を確認しましょう」
「おお、頼もしいな!」
アリアが満面の笑みを浮かべる。
ルナは椅子に沈み込んだまま、ぼんやりと呟いた。
「……お腹、空いた……」
最強の天才。
だが生活能力は壊滅的。
ポンコツな天才と、見た目だけが立派な拠点。
どうやら俺の新生活は、戦場ではなく。
まず、この家の立て直しから始まるらしい。




