僕は大人を嫌悪する。
僕は大人を嫌悪する。それは何故か。気になるような輩には教えるつもりにはならない。これは人に決して話すことのない、本音なのである。何故人様に向けて意見を表明せねばならないのか、甚だ疑問である。『輩』も人間であるし、その他にもたくさん、人間を区別する単語があるだろう。面倒なのでここでは羅列しないが。
この文章にジャンルを付けるのなら、『私小説』というやつである。
日本の近代小説に見られた、作者が直接に経験したことがらを素材にして、ほぼそのまま書かれた小説をさす用語である。心境小説と呼ばれるらしいが、どちらでも構わない。これが読まれようが読まれまいが、それすらも、どちらでも構わない。
この文章は僕には関係のある話だが、君たちに僕との関係を強いることを迫るつもりはない。
君たちは僕の言葉の続きを、別に、読みたいなら読めばいいし、読みたくないなら、そっとブラウザバックをするべきだ。これは強制ではない。すでに君たちに『判断』を委ねている。
好きにしてくれ、と言っているのだ。
今から五秒数える。
その間に、君たちには好きにしてもらいたい。
話の続きを聞くか、この場から去るか。
五、
四、
三、
二、
一、
――ゼロ。合意が取れた、ということでよろしいだろうか。
ああ、困る。文章とは不自由の塊なのである。作者から読者に向けて、一方的に語りかけることしかできない、一方通行のコミュニケーションなのである。だから僕には、君たちの顔も名前も職業もわからない。この文章を本意で読んでいるのか、それとも僕の思想を『糾弾』せんと、敵愾心を以てこの文字に臨んでいるのか。
それすらも、分からないのである。僕にとって君たちは不明だ。だが、君たちにとって僕の正体は自明だろう。僕は小説家である。物語を作り、それを人に売る仕事をしている。しかし、昨今の業界の縮小も手伝ってか、あまり売れていない。一巻の印税は、サラリーマンのボーナスと同程度しか入らなかった。
半年をかけた文章が、サラリーマンのボーナスと同等である。
預金通帳を見た時、僕の情熱を一笑に付された気持ちになった。僕は紛れもなく情熱をあの文章に捧げたが、世間に聞く耳はないのである。ひどい話だ。しかし、僕はくたびれた小説家ではなく、新進気鋭の小説家だ。デビューして一年目。ならば、こんなものなのだろう。そう冷静に俯瞰する自分と、それでも悔しさに壁を殴りつけたい衝動に駆られる自分がいる。人間とは矛盾の塊だ。
これが冒頭の話に繋がってくるのである。僕のような子供以上に、大人は矛盾した生き物だ。矛と盾を同時に持っている。僕は、それが気に食わないのである。
比喩を用いる。大人の矛は正論であり、大人の盾は体裁である。
これから、僕は話をする。人様には決して話したくない、本音だ。そこで、お願いをさせていただきたい。どうか、『壁』でいてくれないか。人であることを捨て、今だけは僕の言葉を吸収する壁になってはもらえないだろうか。僕は、人にこんなことを話すつもりはない。だから、君には壁でいてもらわなければ、困るのである。
お願いしてもいいだろうか。
君は壁だ。人間の意思を強制することはできないのは、知っている。
だから、僕は君を壁だと思って話を勝手に続けることにする。
僕は、君が壁であることを心から望んでいる。
これ以上、文字を綴るのは、高望みというやつだろう?
だから、やめておくよ。とにかく、僕の話を聞いておくれ。
……さて、ここから、ようやく本題か。
とりあえず、盾の話からした方が、楽だ。その盾とは、サラリーマンのスーツである。あれは鎧なのである。自分が大人であるという体裁を保つ、防具なのである。
しかし、僕は、サラリーマンのネクタイが首を締めあげているように見えてならない。あれを身に着けていたら、死んでしまうのではないか、と心配になるのだ。
僕はあれを、『呪いの装備』だと思っている節がある。
……だから土日があるのだろう。月火水木金と休みなく働いた先にあるのが、土日という休日であり、楽園だ。彼らはそこで呪いの装備から解放され、初めて着の身着のまま、外に出ることが出来る。やはり、仕事とはスーツを身に纏わらないと殺されるような、戦場であるのだろう。いや、世の中には工場着という人もいるか。
とにかく、大人は仕事という戦地に赴く際、仕事という体裁を守るための防具を身に付けなければいけない。それが、気に入らないのである。くだらない、不服なのである。規律を守るために必要な行為なのは、分かる。模範的なふるまいであるのも、分かる。論理ではないのである。
感情的な部分で、あの鎧が気に入らないのである。まるで人を画一化するようで、僕としては、ふざけているとしか思えない。人とは個性の塊である。だが、それを抑圧しているのがあの鎧なのである。僕は、スーツ姿の人間を見る度、勝手に、哀れんでいる。本当はもっと個性的な人であるはずなのに、可愛そうだと思うのだ。しかし私服姿で仕事をすれば規律が乱れるだろう。それに、鎧をまとっていなければ、企業としての信頼が失われる。だから、僕は、もう、諦めている。
企業戦士は鎧を纏うべきである。それが正しい形である。必要なものなので、僕はそれを引っぺがすことはできない。嫌悪する理由ではなく、これは諦観である。
問題は、矛だ。
正論という矛だ。大人はそれで、僕という子供を刺してくるのだ。物理的なダメージはない。だが、矛で刺される度に『死んでくれ』と心の中で思っている。これは君と僕の秘密にしてもらいたい。さて、君も知っている通り、僕は小説家だ。小説家である以上、担当編集というものが付く。
担当編集とは、いわばレーベルとの窓口で、作品作りをするためにあれこれ手伝ってくれる人、という認識で構わない。奴は、歴戦の猛者、最強の矛の使い手なのだ。盾は当然備えている。矛だ、矛。奴は矛でズケズケと人のことを刺してくる。社会人であるからにはこうしろああしろ、うるさい。
僕は十九歳だ。本来なら大学一年生だ。だと言うのに、アラサーが刺して刺して刺して刺して刺して――人の心はないのか⁉
僕は実際に、ここで机を拳で思いっきり叩いた。
痛い。ふざけやがって。ふざけているのはどちらだ?
今、机を殴りつけた僕自身か、矛で刺してくるあの大人か。
おそらくは、前者だ。道徳的に正しいのは後者なのだ。
分かっているのだ、そんなことは。
だが、この矛盾した感情を吐露したいから、今この文章を書いているのだ!
正論は、嫌いだ。そこに、論理があるからである。僕はもっと、感情で話をしたい。ロジックなんてかなぐり捨てて、感性だけの話がしたい。大人とは、そんな話が出来ない。
僕は十九歳で、来年で二十歳になる。
立派な大人になってしまう。だが、ここで誓う。
僕は矛と盾を持つだけでなく、掌を差し伸べる。
転んでいる人を助ける、優しい掌の持ち主になりたい。
優しい大人になりたい。だが、今のところ、優しい大人というものを、僕は見つけたことがない。
認識なんて、出会い一つで変化する。
この凝り固まった思想も、いつか変わるものだろう。
だが、今にしか書けない若さの奔流に身を任せることにする。
僕は大人が嫌いだ。何故なら優しい大人に出会ったことがないから。
掌を差し伸べられたことがないから。神様仏様お釈迦様、早く僕に優しい大人と出会わせてください。
その出会いがない限り、
僕は大人を嫌悪する。
これは、君と僕だけの秘密にしよう。
秘密であり、私的な関係だ。公にするべきではない。
評価はいらない。ブックマークもいらない。
著者をユーザー登録するなり、著者のXをフォローするなりすれば、いつか又こんな独白を吐くだろうし、めぐり合うだろう。
まぁ、強制はできないが。
君との出会いに感謝を。




