第4部 第9話 深淵との対話
原初の門を抜けた瞬間、周囲が漆黒の空間に変わった。
光も音もなく、ただ胸の奥の環だけが響いている。
(ここが……黒点の核)
遠くで何かが脈打ち、やがて巨大な瞳のような光が開いた。
《来たか、調停者。いや、追放者よ》
声は低く、空間全体を震わせた。
リュシアンは無意識に剣に手をかける。
「話がしたい。もう渦は消えた。
お前も解放できるはずだ」
《解放? 愚かだな。私は渦そのものではない。
私は“記憶”だ。世界が恐れを捨てぬ限り、私は消えぬ》
(記憶……? なら、倒しても意味がない)
胸がざわつく。環が速くなり、呼吸が浅くなる。
(でも、放っておけばまた災厄になる)
《お前も見ただろう。追放の日、裏切り、嘲笑。
憎しみを糧にすれば、お前はもっと強くなれる》
空間に、過去の記憶が再び浮かぶ。
民衆の罵声、宮廷の冷たい視線。
「やめろ……!」
拳が震える。(確かに……あの日の痛みはまだ消えていない)
(でも、もうあれに支配されない。
俺は、赦すためにここに来た)
「憎しみは力になる。だが、同時に世界を焼き尽くす」
《焼き尽くして何が悪い。新しい世界が生まれる》
「なら、俺は焼かない道を選ぶ。
お前を滅ぼすんじゃない――受け入れる!」
胸の奥の環が白金色に輝き、光が全身を包む。
恐怖が消え、黒点の影すら眩しく見えた。
(怖くない……これが、俺の選んだ道だ)
巨大な瞳が一瞬だけ揺れる。
《……受け入れる? それができるなら、私はお前の一部となろう》
影が螺旋を描き、リュシアンの胸へと吸い込まれていく。
全身に冷たい感覚が走るが、不思議と痛みはない。
影と光が混ざり、胸の奥の環がさらに大きな音で鳴った。
(これが……統合)
空間が震え、深淵全体が新しい光で満たされる。
だが遠方に、巨大な門が開く音がした。
《来るぞ……原初の影が》
リュシアンは舵輪を握りしめた。
「ここからが最後だ。全員、備えろ!」