第4部 第5話 氷の記憶
濁った航路の先に、氷の世界が現れた。
大地は純白に覆われ、空は澄んでいるのに冷たく重い。
オルビタが港に着くと、氷の長老と数人の従者が出迎えた。
「よく来たな、調停者」
長老の瞳は深い氷のように青く、感情を読ませない。
(ここからが本番だ……)
胸の奥で環が静かに鳴る。
昨日の戦闘で残った疲労がまだ抜けきっていない。
(だがここで引けば、すべてが水泡に帰す)
氷でできた広間に通されると、中央には古い碑文が立っていた。
そこには、過去にこの世界を襲った渦災厄の記録が刻まれている。
「我らは忘れないために、この碑を守ってきた。
お前たちの光は、記憶を薄める」
リュシアンは碑文に手を当て、目を閉じた。
胸の奥で環が震え、映像が浮かぶ。
渦に飲まれ、家族を失い、寒さの中で泣く人々の姿。
(これが……彼らの記憶)
胸が締め付けられ、喉の奥が熱くなる。
(忘れられるくらいなら、痛みのまま抱えていたいのか……)
「忘れさせたいわけじゃない。
むしろ、みんなでこの碑を見に来るようにしたいんだ。
忘れないために、閉じ込めるんじゃなく、広げる」
長老が目を細める。「広げれば、踏みにじる者も出るぞ」
「なら、守ればいい。誓約と監査と、そして俺が。
光が境界を壊すなら、境界をより強く美しい形で作り直す」
弟子が叫ぶ。「口先だけだ! 渦がまた来たらどうする!」
胸の奥で環が強く鳴り、リュシアンの瞳に光が宿る。
「来るなら――また戦う。
その時はお前たちの痛みも一緒に背負って」
長老が杖を突き、氷の床が割れた。
冷気が渦を巻き、幻影が広間を満たす。
それはリュシアン自身の過去――追放された日の記憶だった。
(これが……試されている)
胸が冷たくなり、息が詰まる。
だが目をそらさず、自分の幻影を見つめた。
「俺は、もう逃げない」
光が広間に満ち、幻影が砕けた。
長老がゆっくり杖を下ろす。
「見届けた。お前の光は境界を踏みにじるものではない」
弟子も視線を伏せ、「……次の会議には出る」と呟いた。
(やっと、つながった……)
胸の奥の環が穏やかに回り、深い呼吸ができる。
広間の外、遠い空に黒点が瞬いた。
それは以前よりも大きく、深い影を落としている。
(間に合った……でも、次はもっと大きい試練になる)
リュシアンは空を見上げ、拳を握った。




