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第1部 第6話 宮廷粛清と新たな陰謀

夜がわずかに薄まり、王城の尖塔が灰色に滲む。

 戦火の匂いはまだ石畳にしみついていて、風が吹くたび、焦げた皮と鉄の匂いが鼻腔を掠めた。


 ──終わっていない。

 胸の底で、冷たい声が繰り返す。

 王都は救った。名誉も回復した。けれど、あの日の“断罪”に、手を染めた手は一人ではない。


 俺は王城の大広間に向かって歩を進める。

 歩幅を一つ進めるたび、靴底に瓦礫の粉が小さく鳴いた。

 扉の向こうでざわめく貴族たちの喉奥には、まだ取り繕いきれない恐怖が残っているはずだ。

 それを、俺は見逃さない。



 大広間。

 王は蒼白の面差しに疲労を隠し、玉座の肘掛を握っていた。

 左右に列をなす大臣と諸侯。肩書と刺繍は立派でも、眼は泳ぎ、指先は落ち着きを失っている。


 俺は一礼も最小限に、正面へ歩み出る。

 舌の上に載せた言葉が、冷たく研がれているのを自分でも感じた。


「陛下──粛清の場を。今すぐに」


 ざわめきが走る。

 誰かが「早計だ」と呟き、誰かが「それは王権の専権だ」と囁く。

 俺は視線だけで、その雑音を押し流した。


「王都が破られたのは偶然ではない。

 結界の維持術式に意図的な欠落が仕込まれていた。

 設計図を改竄できたのは、宮廷魔術師団と財務局、そして宰相府――三者の接点に立つ者だ」


 王の瞳がわずかに揺れる。

 昨夜、玉座の間で交わした“名誉回復”の宣言。その直後に俺が提示した、焼け焦げた書簡と、暗号を解いた出納帳。

 バルクの屋敷から回収したそれらは、ここへ運ぶ途中もずっと、俺の胸の内で熱を帯びていた。


「名を挙げよ」

 王が低く言う。


 俺は、静かに三つの名を告げた。

 財務局次官ガルナ、術式監査役エーディン、宮廷参事官ベルメ。


 空気が凍りつく。

 列の中ほど、豪奢な外套の一角が微かに震え、視線が泳いだ。

 俺はそこへ、刃を当てるみたいに、言葉を差し込む。


「昨夜のうちに捜索した。バルクの机の二重底から、異国の銀貨と印章、そしてこの“契約文言”が出た」


 従者が布に包んだ証物を捧げ持つ。

 印章の面には、黒曜石に似た艶のない紋──円の中に灰が舞い、一本の斜線がそれを切り裂いている。


 見た瞬間、胸骨の内側が固く鳴る。

 この印、俺は知っている。

 禁書庫の、埃をかぶった一冊で見た。

 “聖灰会せいはいかい”。王国のはじまりより古い、影の結社。

 血と灰、そして誓約を媒介に、境界を穿つ儀を行う連中。


(やはり、ただの利権争いじゃない。外から“裂いた”のでもない。

 内側に踏み石を置いた者たちが、門を開けた)


 口腔が乾く。

 怒りと、氷のような恐怖と、しかしどうしようもなく湧く“理解”の熱。

 俺の頭の中で、点が線になる感触があった。

 王都決戦で現れた異形。あの数、あの質。

 自然の魔物が、偶然に、あのタイミングで、城門へ一直線に押し寄せるはずがない。


「ガルナ、エーディン、ベルメ」

 俺は振り返らない王の代わりに、名指しする。

「前へ」


 三人は動かない。

 左右にいる護衛の手が柄に落ちる。

 数拍ののち、エーディンが一歩だけ進む。笑っていた。薄氷の上で踊る道化のように。


「証拠の『解釈』はいつだって恣意的だ、リュシアン殿。術式監査の印は、貴殿の“旧設計”にも押されている。君が王都を去ったあと、我々は君の仕事の尻拭いをしていただけだ」


 言葉の刃先が、古傷をなぞる。

 俺は眉一つ動かさず、手に持った薄い紙束を掲げた。


「君の署名がある。

 《境界通路・一時的抑止解除》の承認。

 そして、バルクが“外”へ送った書簡に書かれた《灰の礼》の日付が、門が破られた前夜へぴたりと重なる」


 エーディンの笑みが一瞬だけ歪む。

 そこへ、ガルナが叫んだ。


「貴様に何がわかる! 王都の財がいつから枯れ始めたか! 民は腹を空かせ、貴族は財布の底を鳴らし、術師どもは莫大な予算を食らう! 何かを犠牲にしなければ、何も守れはしない! 我々は、王都を、王国を──」


「守った、と言いたいのか」

 俺の声は、自分でも驚くほど静かだった。

「守るために、門を開けたのか。

 守るために、誰かの血を捧げ、誰かの村を焼き、誰かの帰る場所を灰にしたのか」


 胸の内側が焼ける。

 エリナの笑顔が、焚き火の炎の色と一緒に浮かぶ。

 “ここが居場所だ”と言ってくれた、あの夜の声。

 それを奪うものが、この大広間にいる。

 そして、その背後に“印”を持つ影がいる。


 王が静かに手を上げた。

「監察官──いや、今はお前にふさわしい名がないな、リュシアン。

 私は王として命ずる。

 ここでの裁定を進めよ。

 お前の術と、理と、目をもって」


 胸の奥で、何かが静かに落ち着いた。

 俺は一度、短く頷く。


「陛下の権威のもと、三名を拘束する。

 ついで、宰相府・財務局・術式監査室の記録すべてを封鎖。

 出納と通過印、魔力流路のログ、使い魔の往来記録。

 すべて、私に提出してもらう」


 護衛が動く。

 鎖の音、布擦れ、抗弁。

 大広間の空気が、刃に触れた紙のように乾いていった。



 尋問は、塔の一室で行った。

 朝と昼の境目、光が白く差し込み、埃が踊る。

 言葉は刃に等しい。

 だが刃は、ただ振り下ろせば良いわけではない。

 研いで、角度を測り、次にどこへ当てるかを読む。


 最初に崩れたのはベルメだ。

 目が泳ぎ、額に汗を滲ませていた彼は、三杯目の水を飲む前に、指先を震わせた。

 彼の口から出たのは、ひどく生々しい“手順”だった。

 王都の外郭に点在する封印石。

 そこへ“灰”を撒き、静脈のように広がる魔力管路の二箇所で、流れを逆転させる。

 儀は、夜半。歌の代わりに誓文を唱え、血滴を用いて門の目付けを盲目にする。


 俺は吐き気を飲み下した。

 指先が冷たくなり、代わりに背骨の中が熱くなる。


「誰が教えた」

「……印が来た。黒い印章。バルクが持っていた。商人を名乗る男が、夜ごとに出入りして──」

「名は」

「聞いていない。ただ、奴は指に焼き印があった。“灰”の紋に、斜線」


 “灰”。

 喉奥に砂が詰まるみたいな感覚。

 俺の記憶に沈んでいる禁書の頁が、水面に浮かんだ。


 聖灰会。

 境界を扱う古い術。

 対価を支払い、秩序を一時的に盲目にする禁忌。


(やっぱり、いる)


 俺は壁の石の冷たさに、掌を一度当てる。

 指の腹に、石の目の細かさと、わずかな割れ目が伝わった。

 不意に、自分が石になってしまえたらと、子供じみた願いが過った。

 何も感じず、何も決めず、ただそこにあるだけのものに。


 だが、俺は術師だ。

 見てしまうし、決めてしまう側の生き物だ。



 夕刻、塔の回廊でセリーヌが待っていた。

 光は傾き、横から差し込んで、彼女の睫毛の影を長く落とした。


「……手は、震えている?」

 セリーヌが問う。

 俺は自分の手を見る。

 気づけば、ほんのわずかに震えていた。

 怒りで、あるいは、自分の中の何かが擦り減っていく音のために。


「平気だ」

 そう言いながら、声の端が自分でも驚くほど柔らかかった。

 セリーヌが目を伏せる。

「私、告解したい。あの日、あなたを信じなかったことを、償いたい。

 名ばかりの令嬢でしかなかった私にできることなんて、ないのかもしれないけれど」


 胸の奥の硬い部分が、少しだけ形を変える。

 赦しとは別の名前を持つ感情。

 “共に在る”という形に似ている。


「なら、見届けてくれ。

 俺が刃を振るうとき、間違えないように。

 王でさえ、人である以上、迷う。

 俺だって、迷う。

 だから、目で止めてくれ」


 セリーヌは、静かに頷いた。

 その頷きが、俺の肩の位置をほんの少し正しい場所に戻してくれる。



 粛清は二日に及んだ。

 拘束、尋問、記録照合、再現実験。

 “術式監査局”は解体し、“境界監きょうかいのかん”の職を新設。

 王命で、俺は“王国大術監グランド・サウマトルグ”に任ぜられた。

 本来なら誇らしいはずの称号。

 けれど、肩にかかるのは栄光ではなく、鉛のような重みだった。


 夜更け、書見台の上で、古文書がかたんと鳴る。

 瞼の裏に、村の焚き火が灯る。

 エリナの笑い声が、紙の擦れる音にまじる。

 あそこへ、必ず帰る。

 そのために、今はここで手を汚す。


(戻る。戻るために、繋ぐ)


 文字が、意味を成し、線となり、図となり、術式の骨格へ変わっていく。

 結界の再構築。

 薄くなった膜を、編み直し、補強し、新たな“目”を付ける。

 灰に盲目化された“瞳孔”を、別の周波で見張らせる。

 喩えるなら、眠らされた門番の背中に、もう一人、眠らない衛兵を立てるような……。


 ふと、窓の外で羽音がした。

 一羽の鴉が、夜を裂くように舞い降り、格子に止まる。

 脚に結びつけられた小さな筒。

 中から出てきた羊皮紙には、たった一行。


《ヘルムの森、空が裂けた》


 心臓が、音を忘れた。

 胸が空洞になり、次の瞬間、熱と氷が同時に流れ込む。

 ヘルムの森──俺の“辺境の村”の、北の境だ。


(間に合わなかった、のか……いや、まだだ)


 鴉の黒い目が、夜の端で鈍く光る。

 指先が勝手に動いて、杖を掴む。

 踵が床に音を刻む。

 走る。

 廊下を、階段を、眠らない城を、裂くように。



 城門までの道すがら、地下の詰所から兵が駆け上がる。

 王の私兵隊長が肩で息をしながら、俺の前に立った。


「大術監、報せは確かか」

「確かだ。森の封印石が“外側”からではなく、“こちら”から盲目にされた形跡がある。

 灰の印を持つ者が、まだ王都にいる」


 隊長ののど仏が上下する。

「こちらから……? まさか」

「あり得ない話じゃない。

 粛清は“首”を落としたにすぎない。

 胴には、まだ血がめぐっている」


 喉の奥で、鉄の味がする。

 怒りとも焦りとも違う、狩人が嗅ぎ取る血の匂いだ。


「俺は先に向かう。王には──」

「伝令は私が」

「頼む。王都の外郭結界の再起動は、セリーヌ……王女殿下に」

 隊長が目を丸くする間もなく、俺は塔の石段を駆け上がり、転移陣の扉を開いた。


 魔方陣の線が、青白く脈動する。

 陣の中央に立つ。

 胸の内で、二つの声が争い、やがて、ひとつになった。


(守るために──裁く)


 光が、世界を塗り替えた。



 移動の瞬間、“声”が聞こえた。

 遠くから、灰を踏む音に似た、乾いた囁き。


《九日後、灰は王都を覆う》

《境界は二度、盲目になる》

《最初の裂け目は囮だ》


 耳ではない場所で聞く声。

 術式の余白に忍ばせた、呪いの残響。

 喉元が詰まる。

 九日。

 それは、結界再編に必要な“最低限”の調律日数と、奇妙に重なる。


(時間を、奪いに来ている)


 視界が戻ったとき、ヘルムの森の黒い木々が、夜の縁でざわめいていた。

 空の高みに、薄い裂け目が光る。

 まるで硝子に走った亀裂に、月の光が絡まっているように。


 足元の土が、かすかに脈を打つ。

 森が息をする。

 口を開きかけている。


 俺は杖を掲げた。

 背中のどこかに、遠い王城の気配がまだ残っている。

 セリーヌの瞳。

 王の「任せる」という重い一言。

 村人たちの、焦げた夜と酒の笑い。

 全部が背骨を支える。


「──誰が、そこにいる」

 森の暗がりへ、言葉を投げる。

 風が葉を掻き、同時に、別の音がした。

 歩く音。柔らかい底で、森に慣れている歩き方。


 影から、フードを被った男が一人、出てきた。

 顎から喉仏にかけて、白い古傷。

 そして右手の甲に、焼き印──灰の紋と、斜線。


「久しぶりだな、リュシアン」

 声が骨に触れた瞬間、背骨の奥が冷たくなった。

 かつての、師。

 術の初歩を叩き込んだ、言葉の厳しい男。

 王都の混乱で死んだと聞かされ、俺が心のどこかで、もういないと片付けた人間。


「……アルガス」

 名を出すと、男は小さく笑った。

 フードの下の目が、灰の光を宿している。


「九日。

 間に合うなら、止めてみろ。

 選べ、リュシアン。

 王都を守るか、村を守るか。

 境界の秤は、片方しか持てない」


 胸の内側で、何かが裂けた。

 怒りでも悲しみでもない。

 “選択”という名の、冷たい刃が、心臓の縁をなぞる。


 俺は、ゆっくりと、杖を構えた。

 指の震えは、もう、ない。

 喉の奥に金属の味が上がる。

 視界の隅で、空の裂け目が細く笑ったように見えた。


「秤ごと、造り替える」

 自分の声が、驚くほど静かだった。

「お前たちが知っている境界は、もう古い。

 灰は、光にもなる。

 灰を、目にする術を俺は編んだ。

 九日は、お前の時間であって、俺の時間じゃない」


 アルガスの口角が、僅かに跳ね上がる。

「なら、見せてみろ。

 “救済”と“断罪”を、同時に掲げる術を」


 森が鳴る。

 空の裂け目が、音もなく開き始める。

 俺は、呼吸を一つ深く取り、地脈へ指を差し入れるように意識を沈めた。


(帰るために。

 帰る場所を、これからも帰る場所にするために)


 術式が、骨の中で目を覚ます。

 王都の塔で一晩中書き換えた、新しい“目”。

 灰に盲目化された瞳孔の、さらに奥に置いた、第三の視力。

 俺が俺であることの、いちばん硬い場所。


 光が走った。

 森の影が裂け目に向かって傾き、そして、俺の周囲は、音を失った。


 ──選ばない。

 選ばず、両方を掴む。

 そのために、俺は追放され、ここまで来た。


 胸の内側で、何かが静かに微笑んだ。


 闘いが、始まる。



(※続く:第7話「灰の予言」)

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