表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
追放された宮廷魔術師、辺境で無双した末に星々を導く者となる  作者: マルコ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

12/133

第1部 第12話 空の縁(ふち)で息をする

 夜明け前の王都は、呼吸の仕方を思い出したばかりの街みたいに静かだった。

 石の目──《灰視の瞳》は脈打ちを落とし、塔の上には薄い風の布が掛けられている。


 その布が、いつもより少し強く鳴った。

 音が高い。弦を強くはじいたみたいな、伸びる音。


(風の高さが変わる。……来るな)


 深海で“声”に告げられた次の舞台──空。

 海で学んだのは“潜る勇気”だった。

 なら、空で必要なのは“手放す勇気”だと、なんとなく直感していた。


 手すりに置いた掌を、風が撫でる。

 くすぐったい。怖い。少し、嬉しい。


「出立の準備、整いました」


 セリーヌが書記隊を率い、塔の円環の内側に新しい術式を広げていた。

 《灰視》の網に、風の紋を編み足す。

 名を《風視エアサイト》という。

 地(灰)・海(潮)に続く三つ目の視座。まだ半分は仮説だ。


「カエルは?」

「港で“潮見”を続けています。上へ行くあなたの眼になると言って」

「任せる」


 俺は肩で息を整え、杖の重みを確かめた。

 深海から上がって以来、杖は軽い。

 代わりに胸の奥が重い。

 “自分の救済=他者の救済”と口にしてから、責任は体重みたいに実在になった。


(重いままで、飛ぶ)


 転移ではない。

 今回は、街ごと“上を視る”。

 塔の頂の円環が鳴り、書記隊の声が一段、二段と高さを変える。

 風の紋が光り、王都の屋根瓦が細かく震えた。


「第三の目、空相そらあいへ切替──《灰視・空相》」


 合図と同時に、世界が薄くなる。

 地面の重さが足首から剥がれ、胸の奥がふっと浮く。

 怖い。

 それでも、落ちない。


(落ちじっと、世界が言っている)


 視界の焦点が遠のき、王都の輪郭が掌の上の模型みたいに小さくなった。

 空気の層がいくつも見える。

 見える、というより、触るに近い。

 冷たい層、乾いた層、固い層──その一つひとつに、裂け目の薄い亀裂が走っている。


 南東の空が、紙を爪で裂いたみたいに白くめくれた。

 風が逆向きに流れ、雲が内側へ巻き込まれる。

 音はない。

 無音が、最も大きな警報だ。


「……いたか」


 裂け目の端に、薄布の影が立っていた。

 人の形、けれど風の厚みでできた人形。

 聖灰会・評議のひとり──とばり

 名は“覆うもの”。海のアルガスが試し、深海の声が問うたのなら、空は覆い隠してくるのだろう。


『境界の子』

 耳ではなく頬で聞く声。

 風が喋ると、皮膚が先に理解する。


「覆いに来たのか。目を」

『守りに来た。まぶたは、目を守る。

 見過ぎる目は、世界を壊す』


 反論は簡単だ。けれど、簡単さほど危ない言葉はない。

 俺は一度、口をつぐんで自分の心を覗いた。

 確かに、見過ぎる恐怖はある。

 第三の目を開き続ければ、街は一睡もしない眼だ。

 眠らない目は、やがて自分を傷つける。


「じゃあ、瞬きの仕方を教えに来たのか」

『否──閉じよ、と言いに来た』


「断る」


 即答。

 胸の奥が熱い。

 断ると言ってから、怖くなる順番を、俺はもう知っている。


『お前は海で“手放さない勇気”を得た。

 空で必要なのは“手放す勇気”だ』

「知っている」

『なら閉じよ。まぶたは優しさだ』


 優しさ。

 甘い言葉だ。

 けれど、覆いは容易く怠惰と結託する。

 見ないことで守れることもある。

 だが、見ないことで壊れるものの方が多い夜もある。


「閉じるんじゃない。瞬くんだ」

『瞬きの間に、何が入り込む?』


「信頼」


 帷が風を強める。

 塔の円環が軋み、書記隊の声が揺らぐ。

 セリーヌの声が一音、大気の底を固めた。


「リュシアン、一拍置く!」

「了解」


 俺は詠唱を切り、沈黙を一拍、街に与える。

 《灰視》の瞳が薄く閉じ、同時に《風視》がふっと開く。


(これが瞬きか)


 世界が息を吸い、吐く音がした。

 王都の窓に灯る無数の灯が、同じ拍で揺れた。


『……なるほど』


 帷がわずかに退く。

 覆い布が、風に持ち上がる。

 退くのではない。位置を変える。

 “覆う”から“遮る”へ。

 裂け目の縁へ、帷は布を張った。


『ならば、その瞬きの間に、嵐を通す』


 風壁の上から、白い翼の影が降りた。

 鳥ではない。

 風が羽根を覚えた存在。

 風翼ふうよく

 触れれば裂かれ、裂けば増える。


「来い」


 杖を立て、足を後ろへ半歩。

 雷を呼ぶ。だが真上から叩きつけるのは簡単すぎる。

 空の戦いで必要なのは、落とす雷ではなく、支える雷だ。


「《雷翼サンダーウィング》!」


 背中に熱が走り、肩甲骨の奥から稲妻の羽根が展開する。

 光は重い。

 押し上げるほど、胸が焼ける。

 それがいい。

 痛みは、今を保証する。


 風翼が切り込み、稲妻の羽根が受け流す。

 受ける、流す、つなぐ。

 落とさない。

 落とせば、王都へ降る。


 帷が風を絞り、裂け目は狭まりながら深さを増す。

 縦に逃げる隙間を、風翼が列をなして滑ってくる。


「セリーヌ、下層、抑えてくれ!」

「《風視・街路接続》──下から支えます!」


 塔から伸びた薄い風の柱が、屋根と屋根のあいだを渡す。

 通りの上に、見えない橋がいくつも掛かる。

 人の叫びが、泣き声が、笑いが、橋を渡って塔に集まる。


(聞こえる。……それが目になる)


 風翼の群れが一瞬、躊躇した。

 “今”の音は、侵略にとって毒だ。

 目があるところで、生き物は不用意に刃を振るえない。


 ふいに、稲妻の羽根が痺れた。

 力が過ぎた。

 俺はほんの少し、握り過ぎたのだ。


(怖がった時、人は握る)


 深海で学んだのは、掴む勇気だった。

 空で必要なのは、離す勇気だ。


「……離す」


 呟いて、雷を薄くし、羽根を風へ明け渡す。

 支えの一部を、街へ委ねる。

 《風視》が王都の屋根へ、庇へ、手すりへ、絆を張る。


『手放すか』

「手放す。だが、捨てない。任せる」


 帷の布が微かに震え、音が柔らかくなる。

 風翼のいくつかが、裂け目ではなく、布へ吸い込まれた。

 覆いは、護りにもなる。


(瞬き=任せる時間)


 胸がゆっくりと広がる。

 怖さは消えない。

 けれど、その形がわかると、怖さは刃ではなく、柄になる。

 握り方を知れば、武器ではなく道具になる。


「いま、行く」


 俺は天と地と海の線を同時に視た。

 《灰視(地)》《潮視(海)》《風視(空)》──三つの目をひとつに束ねる。

 名を与える。

 三位のトリア・オクルス


 名は術の骨だ。

 名付けは責任だ。

 それでも、名がなければ、世界は掴めない。


「三位の環、起動」


 街の瞳が瞬き、潮がひと呼吸し、風が一拍溜めて吐いた。

 上昇気流が真ん中から立ち上がり、裂け目の内側の圧をほどく。

 帷の布が、その圧を受け止め、ゆっくりと閉じていく。


 風翼が散り、光の粉になって王都の上に降った。

 降るのは刃ではなく、履歴。

 過去の風、失われた航路、なぎの日々。

 それらは街路の石へ染みこみ、王都の地図に新しい線を足していく。


『……見事』


 帷の輪郭が薄れ、声だけが残る。

『瞬きを知る目は、壊さない。

 だが忘れるな、境界は次に“影”で試す』


「蝕か」

『そう──光が欠ける。

 その時、お前は何を見ないと決める?』


 問いだけが残り、風は平らに戻った。


 落ちる。

 怖くない。

 落ちるというより、“戻る”。


 塔の縁に足が触れ、膝が笑う。

 掌に汗。

 それは生きて帰ったという、いちばん正しい証拠だ。


「うまくいったのね」


 セリーヌが近づき、額の汗を拭う布を差し出す。

 彼女の指は冷たい。海の朝を連れてきたみたいに。

 布の繊維が、胸の痛みをほどく。


「瞬き、わかった」

「次は、まぶたの裏に何を置くか、ね」


 笑い合う。

 王都の窓から、誰かが鍋を叩く音が聞こえた。

 祝いか、合図か。

 どちらでもいい。

 音が重なる街は、生きている。


 遠くで、鴉が一度だけ鳴いた。

 黒い封蝋の気配。

 胸の奥が、熱と氷で同時に満たされる。


 夜の端で、月が薄く欠けた。

 昼ではない蝕。

 誰も気づかないほど小さく、しかし確かに光が減る。


(影の稽古だ)


 書記隊が散り、塔の灯が落ちる。

 静けさの中、セリーヌが一行だけ書き付けた。


《次は、見ないことを選ぶ》


 俺はうなずき、胸の上に手を置いた。

 そこにある拍動は、深海で拾い、空で確かめたものだ。


「……行こう。蝕の門へ」


 風が短く頷いた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ