第1部 第1話 追放、そして辺境へ
──断罪の日。
王国の広間は、異様な静寂に包まれていた。
玉座から伸びる赤い絨毯の上に、俺はひざまずかされ、鎖で両手を縛られている。
冷たい石床が皮膚に食い込み、じわりと血が滲んだ。
視線が突き刺さる。
王、貴族、兵士、そして──セリーヌ。
俺はあえて顔を上げた。
かつて婚約者だった公爵令嬢セリーヌが、氷のような目で俺を見下ろしている。
(……信じられない)
かつては笑い合い、未来を語り合ったその唇が、今は俺を断罪するために動くのか。
「宮廷魔術師リュシアン・グレイ。お前は国王暗殺を企てた罪により、辺境への追放を命ずる」
国王の声が広間に響き、どよめきが広がる。
俺の耳には、その音が遠くに聞こえていた。
「セリーヌ……お前まで、俺を……」
掠れた声が、広間に落ちる。
セリーヌの肩がぴくりと揺れたが、冷たい瞳は揺らがない。
「あなたがそんなことをするなんて、思いたくなかった……でも、証拠は揃っているわ。さようなら、リュシアン」
心臓が凍り付く。
息ができない。
証拠? そんなもの、捏造に決まっている。
俺は無実だ。無実なのに……。
怒りが喉までこみ上げるが、声にならなかった。
ここで叫んでも、誰も信じない。
むしろ、哀れな罪人として見られるだけだ。
(……いい。もう何も言わない)
冷たい決意が胸の奥に沈んでいく。
王都を出る馬車の中、俺は揺られながらひとり考えていた。
脳裏には、王都での記憶が次々と蘇る。
魔術師団の仲間たち。
共に研究した日々。
セリーヌと過ごした静かな午後。
それらが全て奪われ、足元から崩れ落ちていく感覚。
「……ふざけるな」
初めて声に出した。
馬車の御者が怪訝そうに振り返る。
俺は視線を伏せ、拳を握った。
(見ていろ……絶対に、俺を見下ろした全員を後悔させてやる)
数日後、村に到着した。
そこは、噂に違わぬ荒れ果てた土地だった。
柵は壊れ、畑は枯れ、村人の顔には絶望が貼り付いている。
「……追放者か。せいぜい長生きできるように祈るんだな」
村長が吐き捨てるように言った。
胸の奥で何かがぷつりと切れた。
「安心しろ。俺は死なない。ここで生き抜いてやる」
声は落ち着いていたが、内心は煮えたぎっていた。
その日の夕刻。
村の外から、けたたましい悲鳴が響いた。
「魔物だ! 村の外だ!」
村人たちは青ざめ、子供を抱えて逃げ出そうとする。
俺はゆっくりと立ち上がった。
(これだ。俺の存在を証明する好機だ)
杖を手に取り、村の門を出る。
そこには体長三メートルの狼型魔獣が牙を剥いていた。
目が赤く光り、こちらを睨みつける。
(怖い……だが、逃げるわけにはいかない)
喉が乾き、心臓が暴れる。
だが、その恐怖を力に変える。
「──《雷槍》!」
空から雷光が落ち、魔獣を一撃で黒焦げにした。
煙と焦げた匂いが鼻を突く。
村人たちは息を呑み、やがて歓声を上げた。
「すごい……!」
「これで村が救われた……!」
俺は荒い息をつきながら笑った。
心臓がまだ早鐘を打っている。
(そうだ……これだ。この感覚だ。俺は生きている)
その夜、村人たちは俺のために宴を開いた。
焚き火を囲み、酒を酌み交わし、歌が響く。
「リュシアン様! あなたは村の守護者だ!」
その言葉が胸に染みた。
王都では罪人と呼ばれた俺が、今は英雄と呼ばれている。
エリナがそっと盃を差し出してくる。
「ありがとう……私たちを守ってくれて」
盃を受け取り、酒を飲む。
喉が熱くなると同時に、胸の奥の氷が少しずつ溶けていくようだった。
(ここが……俺の居場所なのかもしれない)
翌日。
村の門前に豪奢な馬車が現れた。
「王都からだ!」
「貴族だぞ!」
村人たちがざわめき、武器を手にする。
馬車の扉が開き、降りてきたのは──セリーヌだった。
その後ろに、かつて俺を断罪した貴族たちが並ぶ。
そして彼らは、信じられない行動を取った。
「リュシアン様、どうか……どうかお助けください!」
土の上に額をこすりつける貴族たち。
セリーヌまでもが、泥にまみれたドレスのままひざまずいている。
心臓が一瞬止まったかと思うほどだった。
(あの日、俺を見下ろしていたお前が……今は頭を下げるのか)
胸の奥から、ゆっくりと冷たい笑いがこみ上げる。
「……面白い。話くらいは聞いてやろう」
そう言って、俺は彼らを村の広間へ招いた。
物語は、ここからさらに面白くなる。