第九話 魔法書の最終章
天下一武闘会を終えた翌日、私は王宮に招かれた。
貴族令嬢天下一武闘会の約束であった「叶えて欲しい願い」をソフィアに伝えるためだ。
私は謁見の間の赤絨毯の上で起立したまま、玉座のある檀上に女王ソフィアが現れるのを待つ。
「エレナさん。昨日は醜態をお見せしてしまい、大変失礼いたしました」
静寂を破るように、隣のフレイアが私に声を掛けてきた。
「私の方こそ、フレイア様に大変な無礼を働き、誠に申し訳ございませんでした。お身体がすっかり快癒されたようで、心から安堵しております」
謁見の間には、私とフレイアの二人しかいない。私がソフィアに伝える願いが外部に漏れないようにするため、意図的に人払いがなされているということだった。願いの内容によっては、他の貴族に要らぬ疑念や憶測を招くからだ。
また、フレイアは、武闘会の第二位としてソフィアに招かれているという話だった。しかし、第三位が招かれていないことからすると、おそらく彼女はソフィアの護衛なのだろう。私が不穏な動きを見せれば、すぐさま斬りかかれるように隣にいるのだ。
フレイアは笑みを浮かべたまま、私の胸元に視線を向ける。
「エレナさんが大切そうに抱えている本、それは魔法書でしょうか? どうしてそのようなものをここに?」
疑いの目で見るフレイアに、私は微笑みながら答えた。
「この本は、女王陛下に貸して頂いたものなのです。天下一武闘会が終わりましたので、お返しするためにここに持参いたしました。普段、私が女王陛下にお会いする機会は殆どありませんから……」
フレイアは私の言葉を聞いても、怪訝な表情を浮かべたままだ。
「少し見せて頂いてもよろしいでしょうか?」
私が魔法書をフレイアに手渡すと、彼女は目を大きく見開いた。
「これは……。王族専用の魔法書ではありませんか」
「そうなのですか? 女王陛下がお茶会で貸してくださったのです。王宮図書室の魔法書ですので、王族が所有する書物であることは分かっていましたが、まさか王族専用だとは知りませんでした」
フレイアは懸命に魔法書をめくる。そして、後半部分を見て、再び私に驚いた表情を向けた。
「エレナさんは、もしかして、古代ニホン語で書かれている後半部分も読めるのですか?」
私はコクリと頷く。
「はい、読めます……と言いますか、なんとなく内容が分かります。理由は不明ですが、私は生まれつき、古代ニホン語の習得能力が高いのです。一語一語をライゼンハルトの言葉に翻訳していくのは時間が掛かりますけれども、初見で大体の意味を理解できます」
フレイアは口元に手を当てる。
「凄いですね。私は挿絵はなんとなく理解できますが、その他は全く読めません……。ちなみに、後半部分には、古代ニホン語で何が書かれているのですか?」
私は視線を思わずフレイアから逸らした。そして、しばらくの間、黙り込む。
「エレナさん?」
フレイアが私を呼ぶ声に、私は上目遣いで彼女を見た。
「あの……、内容をお伝えしても良いのですが、怒ったりはしませんか?」
私がそう言うと、フレイアは何かに勘付いたように、私に貼り付けた笑顔を向けた。
「はい、当然です。怒ったりするものですか。約束します。……さぁ、早く内容を教えてください」
フレイアの視線は既に怒っていた。
私は魔法書のことを話さなければ良かったと思ったが、公爵家の人間の要求を、今さら伯爵家の私が断ることはできない。
「実は、後半部分には、古代ニホン語で『王権代理魔法』の秘術が書かれています」
「『王権代理魔法』?」
「王家だけに伝わる数々の魔法を、側近の貴族達が代理で行使できるようにする秘術です。遠い昔、他国と大規模な戦争が起こった時に、王に代わって特級魔法を使えるように、前線で戦う貴族達のために開発された秘術だと書いてありました」
「まさか、エレナさんの武闘会での異常な神剣強化術や、普通の貴族では考えられない魔法の数々は、『王権代理魔法』だったのですか?」
「はい、ご想像の通りです」
私が武闘会で王権代理魔法を行使したことを肯定すると、フレイアが言葉を失う。そして、しばらくして、彼女は絞り出すような声で言った。
「……このような魔法書、危険すぎます。これを手にした貴族は、ライゼンハルト王国に対して反乱を起こせるではないですか。もし、エレナさんにその気があれば……」
それを聞いて、私は説明を付け加えた。
「ご心配は無用です。王権代理魔法には欠点があり、行使には王族と同等の膨大な魔力を必要とします。私のような中級貴族は、魔力不足で王権代理魔法を起動することすらできません。ですから、遠い昔の大戦時は、膨大な魔力を魔導石に蓄えて戦場に運び、その魔力で王権代理魔法を使ったそうです」
フレイアは首を傾げる。
「しかし、エレナさんは武闘会で強大な魔法を使っていたではありませんか? 王族と同等の魔力持ちといえば、私とベアトリス、それから、ソフィア様ご本人ぐらいしか……」
私がその質問に答えずに苦笑すると、フレイアは目を大きく見開いた。
「まさか……」
私は武闘会の時のように、片手を上げて、手の平を正面の玉座に向ける。
「……もうお気付きのことと思いますが、私は武闘会の時、女王陛下の魔力を頂いていました」
フレイアの目付きが鋭くなる。そして、私をギッと睨んだ。
「ソフィア様の魔力を勝手に利用するなど、臣下に許されることではありません! あなたは大きな罪を犯しています!」
私は首を軽く左右に振る。
「いいえ、きちんと許可は頂いています。その魔法書の表紙の裏に、執筆当時の王族……、いえ、ライゼンハルト王国建国者の言葉と血の署名があります」
フレイアは慌てて手元の魔法書の表紙を開き、その裏を確認した。
彼女がそれを見て言葉を失う中、私はその文章を口に出して読んだ。
「『この魔法書を王から手渡された者に、王の代理人たる資格を与える』」
フレイアは息を呑むと、しばらくして、パタンと魔法書を閉じた。
「こんな魔法書の存在、認められません……。私は全力を出したにも関わらず、この一冊の魔法書に負けてしまったのですか……」
彼女はそう言って、悔しがりながら俯く。しかし、すぐに前を向いて視線を上げた。
「……とはいえ、エレナさんはソフィア様からその魔法書を手渡されたそうですから、そこに不正行為はありません。ソフィア様が、あなたに王族専用の魔法書を手渡したことが心の底から悔しいですが、あなたの勝利を認めざるを得ません」
フレイアは私に魔法書を差し出す。そして、苦笑いしながら、寂し気にポツリと言葉を続けた。
「やはり私はソフィア様に嫌われているのですね……。ソフィア様は、私が優勝しないようにエレナさんに王族専用の魔法書を手渡したのだと思います。この国の魔導士の頂点に立つソフィア様が、武闘会中の魔力の吸収に気付かないわけがありません……」
私はフレイアから魔法書を受け取りながら、言葉を返した。
「僭越ながら、女王陛下にそのような意図はなかったと思います。女王陛下は、読書感想会で私の時間を潰してしまったことへのお詫びだとおっしゃっていました」
私がそう言っても、フレイアは落胆したままだ。私は続けて、フレイアに尋ねた。
「……大変失礼なことをお聞きしますが、フレイア様は、どうしても女王陛下とご結婚なさりたいのですか? フレイア様ほどの美貌でしたら、たとえ王子から婚約破棄されていたとしても、国内の貴族からの縁談は引く手あまただと思います。……もしかして、フレイア様は男性よりも女性がお好きなのですか?」
フレイアは私に視線を向けると、困ったような笑みを見せた。
「エレナさんは、本当に失礼なことを、平気で公爵家の人間に訊くのですね」
私は慌ててフレイアに頭を下げる。
「もっ……申し訳ございません!」
「いえいえ、冗談ですよ。ですが、エレナさんには大きな誤解があるようです。私は女性が好きな訳ではありません」
フレイアの言葉に、私はゆっくりと顔を上げた。
「では、なぜ……」
「私はソフィア様ご本人が好きなのです。ソフィア様は私の人生を変えた特別な方です。誰が何と言おうとも、私は生涯、ソフィア様のお側にいたいと思っています」
フレイアは私をじっと見る。
「よく考えてみてください。人間の男女の差など、ほとんどありません。喜び、悲しみ、怒り、悩み、希望、絶望、愛しさ、切なさ……。日々の中で、面白ければ笑い、悲しければ泣く。それらは男女共通の感情です。どうして、男性が女性を好きになり、女性が男性を好きにならなくてはならないのですか? 私には理解できません」
フレイアは正面の玉座に視線を向けた。
「私が好きになった方の性別が、たまたま女性だったというだけです」
私は、そう話すフレイアにハッと気付かされた。
伯爵家の女子と言うだけで、家から出ることも許されず、勝手に婚姻相手を決められ、将来の自由を奪われる。私はそんな性別の呪いを、心底憎んでいたことを思い出した。
「……フレイア様のおっしゃる通りです。私もそう思います」
フレイアはそう答える私を見て、クスっと笑った。
「『男女は関係ないとは言っても、実際のところ、世継ぎはどうするつもりなのか?』と言いたげですね?」
私は慌てて首を振って否定する。しかし、フレイアは話を続けた。
「いいんですよ。私も分かっています。……実はつい先日、どのようにして子供が女性のお腹に宿るのかを、専属侍女から教えてもらいました」
フレイアは少し頬を赤くして苦笑する。
「私はこの歳まで、男女関係なく、愛情だけで子供ができると思っていました。本当にバカです……。実際には性行為が必要だなんて知りませんでした……。自分の無知が本当に恥ずかしいです。そして、女性の私には、ソフィア様の子供を産むことができないことを知りました」
彼女は寂し気に視線を下げた。
「私はライゼンハルト王家のお役には立てません。ですから、ソフィア様が私と一緒にいてくださるとしても、私はソフィア様が、他の男性を第二王配として娶り、欲求に応じて側室を求めることに反対したりはいたしません」
私は身分を忘れ、思わず口を開いた。
「フレイア様は、本当にそれで良いのですか? 女王陛下が他の方と一緒にいるのは嫌ではないのですか?」
フレイアはコクリと頷く。
「私はソフィア様のお側にいられるだけで十分です。私の我儘で、ライゼンハルト王家を断絶させるわけにはまいりません。王国には、跡取りが必要です」
フレイアはそれまでの寂しい表情を消して、私に可愛らしい笑顔を向けた。
「私はこれからも、ソフィア様の幸せだけを祈り続けます」
私もフレイアに笑顔を返す。そして、話を終え、魔法書を抱えて正面を向いた。フレイアも正面を向いて、ソフィアの到着を待つ。
私は正面を向いたまま、隣に立つフレイアに話し掛けた。
「フレイア様のお覚悟、とてもご立派です。今回は私が優勝いたしましたが、次回は是非、フレイア様がお勝ち下さい。そして、女王陛下に求婚なさってください」
フレイアは嬉しそうにして、コクリと頷く。
私は胸元に抱えていた魔法書を少し離し、その表紙に視線を落とした。
「実は、この魔法書の最終章に『女性同士で子をなす秘術』の記載がありました。もしフレイア様と女王陛下が婚姻なされた暁には、それをお伝えしようと思ったのですが、自然の摂理を曲げることには抵抗がありました。しかし、お覚悟を決められたフレイア様には不要のものだったようです」
「…………え?」
「フレイア様はやはりご立派です」
…………。
…………。
…………。
ガシッ!!
魔法書から顔を上げると、目の前に血眼のフレイアが立ち、私の両肩を掴んでいた。
「フッ……フレイア様!?」
彼女は至近距離で大声で叫ぶ。
「今の言葉、もう一回言ってください!!」
「ひぃぃ~~っ!!!!」
私はその勢いに一歩後ずさる。フレイアはそれに合わせて一歩踏み出し、私に迫った。
「先程の言葉をもう一度! 早く!!」
「でっ……ですから、『女性同士で子をなす秘術』が、この魔法書の最終章に古代ニホン語で……」
フレイアは頬を赤らめて、唇を震わせた。そして再び、私に向かって叫ぶように言った。
「今すぐ、その方法を教えなさいっ!! これは公爵家の命令です!! 私に教えなさいっ!!」
私の顔面に、至近距離で叫ぶフレイアの唾が降り注ぐ。どんなに綺麗な人のものであっても、唾をかけられるのは気持ち悪い。私は腕で顔を覆いながら、服の袖で唾を拭う。
「そっ……そんなことを言われましても、私は秘術をまだ解読しておりません! 秘術の一部は難解なカーン文字で記述されていまして、私にも詳細は不明です! 秘術の記載は、フレイア様にご自分で読んで頂こうと思っていまして……」
私がそう言うと、フレイアは顔を近付けて、目を細めて私を睨んだ。
「は? あなた、私をバカにしているのですか? 私は古代ニホン語が読めないと最初に言ったでしょう?」
「いいえ、違います! フレイア様ではなく、フレイア様の力で多くの学者を集めて、魔法書を解読させることも可能かと……」
「私が知る限り、古代ニホン語をエレナさんの速度で読める学者はいません。それに、魔法書の内容をこれ以上、部外者に広めることは避けるべきです」
フレイアは先程までの悟ったような表情を消し去り、欲望丸出しで私に迫ってくる。
──フレイア様はお優しい方だと思っていたのに全然違います! 自分のことになると、我儘で凄く怖い人です! 私は今まで、大きな勘違いをしていたのかもしれません!
私は唇を震わせながら、なんとか言い訳を考えた。
「でっ……ですが、本日、この魔法書を女王陛下にお返ししますので、もう内容を読む機会はなくなりますし……」
フレイアは私の肩から手を離して、姿勢を元に戻す。そして、ニコッと微笑んだ。
「分かりました。その魔法書があれば良いのですね?」
フレイアは、私が胸元に抱える魔法書を引っ張るようにして手に取った。
「私がソフィア様を説得して、この魔法書をしばらく借ります。ですから、エレナさんは、今夜から一か月の間、私の屋敷に滞在してください」
「えぇっ!?」
私が驚きの声を上げると、フレイアは淑女らしい笑みを浮かべた。
「大丈夫です。エレナさんは私の初めてのお友達ですもの。最上級のもてなしで歓迎します」
──え? 私がフレイア様の人生で初めての友達……?
私は数秒固まって唖然とした後、正気を取り戻して、フレイアに反論する。
「でっ……ですが、本日は宿泊の支度をしておりません! 着替えがございません!」
「着替えや食事を心配する必要は全くありません。公爵家の名において、最高級品を揃えます。もちろん費用は請求しません」
「しかし、リヒター家は教育が厳しく、お父様やお母様が婚姻前の外泊を許可してくださいません!」
「エレナさんはご両親に反抗したいとおっしゃっていたのに、ご両親の意向を気になさるのですか? 意外と気が小さいのですね」
フレイアのもっともな指摘に、私は返す言葉が無く、口を噤む。
「ふふっ、冗談です。この謁見が終わりましたら、エレナさんのご両親に急ぎの手紙を出しましょう。厳しいご家庭のようですから、私が血の署名をした手紙で、エレナさんに出頭命令を出す形にします」
「出頭命令……?」
そんなものを公爵家から受け取ったら、両親は卒倒してしまうのではないだろうか。出頭命令は、最上位貴族が下級貴族を拘束する際に出すものだ。ほとんど犯罪者と同じ扱いだ。
いずれにしても、上級貴族に何を言っても無駄だ。巨大な力で全てをねじ伏せてしまう。確かに、こんな立場の女性貴族と友達になりたくはない。私が「初めての友達」というのも納得だ。
フレイアは私の方を向きながら、可愛らしく両手を合わせるようにして、花のような笑みを浮かべた。
「あぁ、とっても楽しみです! 夜は寝ずに、たくさん魔法書のお話をしましょうね! エレナさんの翻訳付きで!」
「はっ……はい……」
「それに、私がお友達を連れて来たなんて知ったら、お父様やお母様はどんな顔をするのでしょう。今まで、ソフィア様以外に屋敷に招きたいと思った人はいませんでしたから、二人の反応がとても楽しみです」
私がフレイアの言葉に苦笑していると、玉座の置かれた壇上の端からソフィアとその侍女が現れた──。