第七話 対戦相手、ベアトリス
三日目からは、闘技場の中央に設置された対戦用舞台で、一戦一戦を観客に披露する公開試合だ。
「アリエッタさん、見てください! エレナさんがベアトリスさんと対戦ですよ!」
私が闘技場の対戦用舞台を指差すと、アリエッタも舞台上の彼女に視線を向ける。
「こう言ってはなんですが、エレナ様はとても臆病な方、という印象でした。ですから、第一回戦で負けてしまうと思っていたのですが、意外と強かったのですね。正直なところ、ここまで勝ち残るとは思っていませんでした」
私は舞台を見たまま、アリエッタの言葉に頷く。
「私も同感です。彼女は臆病と言うよりは、典型的な女性貴族ですね。失礼な言い方をすれば、多くの女性貴族の中の一人でしかありませんでした。……もしかして、私がお貸しした魔法書が役に立ったのでしょうか?」
私が椅子の横に立つアリエッタに視線を向けると、彼女は怪訝な表情を浮かべた。
「中級以下の魔法ばかりが記載された、あの魔法書が役立ったとは思えませんが……」
アリエッタの反応に、私は苦笑する。
「やはり、そうですよね。他のご令嬢との公平を期すため、エレナさんには半分以上が古代ニホン語の魔法書を選んでお貸ししましたが、読むことが可能な現代語の記載があるページにも、大した攻撃魔法や防御魔法は載っていなかったと思います」
「おっしゃる通りです。おそらく魔法書は役立ってはいないと思います。ですが、彼女の実力は目の前で実際に見てみれば分かるでしょう。今度のエレナ様の対戦相手は、ベアトリス様です。もはや運だけでは勝てない相手ですから……」
私は視線を正面の舞台に戻した。
「そうですね」
玉座の肘掛け横のテーブルに置かれたエレナの戦闘記録を見る限り、彼女はフレイアやベアトリスに敵いそうにない。二人が対戦相手を平均5分以内に降伏させていたのに対し、エレナは試合時間の上限ギリギリ、約15分で勝負を決めていた。
「どちらにしても、フレイアさんやベアトリスさんを優勝させるのは避けたいです。エレナさんには全力で戦っていただいて、次の対戦者のために、ベアトリスさんの戦力をできるだけ削いでおいてもらいたいと思います」
私の言葉に、隣のアリエッタも大きく頷いた。
◇ ◇ ◇
「はぁぁーっ!!」
対戦開始早々、ベアトリスが赤色の瘴気を放つ神剣をエレナに振り下ろした。
エレナは後方にジャンプしながら、手に持った金色に輝く剣で、ベアトリスの神剣から放たれる瘴気を振り払うようにしてかわす。しかし、ベアトリスは、振り下ろした神剣で円を描くようにして、休まず次々と斬撃を繰り出していった。
中央の舞台周辺には強力な結界が展開されているため、赤色の瘴気が観客席まで飛んでいくことはないが、瘴気が結界に当たるたび、爆発音のような大きな音を立てた。
その爆発音から想像するに、あの瘴気は爆裂魔法の塊だ。もし万が一エレナが瘴気に触れてしまった場合、彼女はその場で行動不能になるほどに負傷してしまうかもしれない。
念のため、治癒系の上級魔導士で構成する救護班を待機させているものの、エレナに何事もなく、彼らが活躍する事態にならないことを祈るしかない。
エレナは強化した身体でジャンプを繰り返しながら、必死に赤色の瘴気を避け続けた。
民衆が歓声を上げる中、私は手に汗握りながら、二人の対戦をじっと見守る。
エレナは、ベアトリスの神剣をよけたり、手に持つ剣で攻撃をはじきながら、舞台上を逃げ回る。どうやら、移動しながらベアトリスの隙を狙っているようだが、それまでの対戦相手とは違って、全く隙を見つけられないようだ。
「一体いつまで逃げ回っているのですか! 王国の女性貴族として正々堂々、私と勝負しなさい! このまま判定に入ったら、あなたの負けは確定ですよ!」
ベアトリスの大声に、エレナが顔をしかめる。
しばらくして、エレナはベアトリスが繰り出した斬撃を弾くと同時に、一歩前に踏み込んだ。
「やぁぁぁー!!」
エレナが剣をベアトリスに振り下ろした。しかし、ベアトリスは難なくエレナの剣をかわし、エレナの剣は空を切る。
「あら、これは新兵の訓練ですか? そんなへっぴり腰で、よくここまで勝ち残ってこられましたね」
ベアトリスはそう言ってエレナを挑発するものの、彼女の剣術は上級貴族並みに綺麗だ。近接戦闘になると、その後は連続で刺突攻撃を繰り出す。ベアトリスにその剣は届かないが、素人の私から見ても、エレナの剣術が洗練されているのが分かった。
「ベアトリス様、戦闘中は油断大敵ですよ」
エレナは左手で魔法陣を出しながら、右手の剣を突き刺すように物凄い速度で動かした。おそらく、私が貸した魔法書にあったスピードアップの魔法だろう。
エレナの剣は、フレイアやベアトリスの神剣ように邪気を発していない。他の女性貴族と同じように、通常の剣からオーラが出ている程度だ。そのため、エレナは剣技や魔法の力で神剣のレベルの差を埋めるしかなかった。
エレナはベアトリスに全ての攻撃をかわされたのを確認すると、すぐに後方にジャンプして、右手に持つ剣を構え直した。ベアトリスもゆっくりと神剣を構え直す。
「エレナさん……でしたか? あなた、なかなかやるではありませんか。この武闘会で、私に手足を切断されずに5分間以上耐えた貴族令嬢は、あなたが初めてです」
エレナは荒く息をしながら眉間に皺を寄せた。ベアトリスは涼しい顔で言葉を続ける。
「ですが、今の剣戟で分かりました。あなたは私に勝つことはできません。なぜなら、あなたの神剣は、私の神剣と切り結ぶことができない属性だからです」
エレナは無言のままだ。ベアトリスは神剣をエレナに向ける。
「神剣同士でつばぜり合いをしたら、私の神剣よりも能力の低いあなたの神剣は、容易に折れてしまうのではないですか?」
ベアトリスの言葉に、エレナは片方の口角を少しだけ上げて笑みを見せた。
「さすがベアトリス様ですね。たったこれだけの手合わせで、こちらの剣の属性が分かってしまうのですか?」
エレナがそう答えると、ベアトリスは神剣を構えたままニヤリと笑った。
「あら? 当たり? あなた、頭の悪いフレイアみたいに自分から敵に弱点を教えていたら、すぐに死んでしまいますよ?」
フレイアの悪口にエレナが顔をしかめた瞬間、ベアトリスは剣を振りかぶって一歩踏み込んだ。
「それでは、答え合わせといきましょうか!!」
エレナは慌てて剣を構えて、ベアトリスの斬撃を受けた。しかし、彼女の斬撃を剣で受けるたび、エレナの剣から大量にオーラのようなものが漏れ出す。剣がひどいダメージを受けているのが、女王の観覧席からも分かった。
剣を守るためにエレナが後方に飛ぶと、ベアトリスはすぐに間合いを詰めて連続で斬撃を加えた。ベアトリスの神剣から放たれる赤い瘴気は元々目立つため、剣筋がまるで死神の鎌のようだ。
エレナはやむなく、ベアトリスが振り下ろす剣を自身の剣で受け止め続けた。
そして、エレナがベアトリスの斬撃の力を受け止めきれずに少しだけバランスを崩した瞬間、ベアトリスが神剣を大きく振りかぶった。
「これで終わりですわ!!」
ベアトリスはそう言うと、エレナに渾身の一撃を加えた。
「っ……!!」
エレナは剣で彼女の攻撃を受け止めたが、その瞬間、剣がポキリと折れた。彼女は慌てて、身体を捻りながらベアトリスの斬撃をかわして、後方に目一杯ジャンプする。しかし、体勢を崩した彼女は背中から倒れ、そのままの勢いで、舞台の端に向けて滑っていった。
「そのまま舞台の下に落ちてしまいなさい!!」
しかし、エレナは即座に手に強化魔法をかけると、舞台から落ちないように床に爪に立てた。彼女は爪で舞台をガリガリと削りながら、背中を下にして滑っていく。そして、舞台の端ギリギリで停止した。
「あら? 意外としぶといですわね。でも、神剣が無くなったあなたは終わりです。降伏しますか?」
ベアトリスは片手で神剣を軽く振る。既に勝利を確信した表情だ。一方のエレナは、ベアトリスに鋭い視線を向けながら、舞台の端で立ち上がった。
「さすが、ベアトリス様です。今のは危なかったです。私の本来の力を出すことなく、舞台の下に落ちて負けてしまうと思いました」
「まるで、今まで手加減して戦っていたような言い方ですね? 単なる負け惜しみですか?」
「負け惜しみではありません。これからが本番です」
「は? あなた、何を言っていますの? 神剣無しでどうやって私と戦うのですか?」
神剣を肩に乗せて首を傾げるベアトリスに、エレナはニコッと笑みを向けた。そして、両手を前に出して、ベアトリスからの遠隔攻撃を防ぐための防御結界を展開する。
「今から、その答えをお見せします」
エレナはそう言った後、防御結界の内側で祈るポーズをとった。
「……戦いを司る軍神マルスよ。偉大なる王国建国者の代理人として、エレナ・リヒターが命じる。全ての敵を天界へと誘う、華燭の剣を我が手に!」
エレナはそう唱えた後、片手を女王である私に向けた。そして、その手をギュッと握りしめる。
──えっ!?
私の身体中に悪寒が走った。そして、頭上から何かが抜けていくような感覚を覚える。
──何、これ!?
エレナは私に向けていた片手を下ろすと、両手を胸の前でパンっと音を立てて合わせた。
「出でよ! 我が剣、ローレライッ!!」
エレナの左手の手の平に剣の柄が出現した。彼女がそれを引っ張ると、虹色の花びらが剣と共に溢れ出す。その花びらはエレナを中心にして、渦を描くように会場中に飛び散っていった。
「綺麗……」
観客席にいた民衆の誰かが思わず声を漏らした。そして、全ての観客が、エレナが神剣を抜く姿に魅了されて言葉を失う。
エレナは虹色に輝くレイピアのような細めの神剣を取り出すと、花びらを振り払うように大きく一振りする。その瞬間、神剣からハープのような美しい音が会場中に響いた。
エレナの神剣は、私が今まで見てきたものの中で、最も美しく、上品で力強いものに見えた。
ベアトリスは眉を顰め、エレナをじっと睨んだ。
「……あなた、公爵家の私を相手に、よくも騙すような真似をしてくれましたわね。神剣を隠し持つなど、卑怯この上ありません」
エレナは神剣を正面に構え、展開していた防御結界を解く。
「ベアトリス様。お言葉ですが、騙し討ちは武闘会のルールで許されています。身分は関係ございません」
ベアトリスはエレナの指摘を受けてチッと舌打ちすると、神剣を振りかぶって彼女に襲い掛かった。
「私をコケにしたこと、必ず後悔させて差し上げます!」
しかし、エレナは微動だにせず、ベアトリスの斬撃を神剣ローレライで受け止めた。剣と剣が触れると、再び美しい音が響く。
「……っ!?」
ベアトリスが苦しそうな表情を浮かべた。エレナが神剣でベアトリスの神剣をはじくと、ベアトリスはそのまま後方にジャンプして、エレナから距離を取った。
「なっ……なんですの!? 身体に力が入らない!!」
「私の神剣、ローレライの力です。私の神剣は、音を使って他人の神剣から力を奪うことができるのです」
「そんなの、反則ですわ!」
ベアトリスの言葉に、エレナは驚いた表情を浮かべた。
「私は『貴族令嬢の決闘に反則は存在しない』と聞いていましたが、もしかして実際のお茶会では違うのでしょうか? 私はまだ社交界デビューしておりませんでしたので、無知で申し訳ございません」
ベアトリスはエレナを鋭い視線で睨むと、「ヒュドラ!」と言いながら神剣を大きく振った。すると、彼女の神剣から赤い瘴気がまき散らされ、エレナの視界を塞ぐ。エレナは神剣で瘴気を振り払って、ベアトリスの存在を必死に探すが、すぐには見つからない。
赤い瘴気の靄の中、ベアトリスがクスクスと笑う声が響いた。
「あぁ、そうでしたわね。ごめんなさい。『本物の決闘』に反則はございませんでした。ですから、こうして視界を塞いで、あなたを真っ二つにするのも反則ではございませんね?」
エレナのすぐ横で、いつの間にか移動してきたベアトリスが神剣を振りかぶった。
エレナは横に立つベアトリスに気付いて、笑みを向ける。
「やっぱりそうでしたか。良かったです」
「……えっ?」
ベアトリスはニコッと笑みを浮かべるエレナを見た後、熱くなった自分の腹部に視線を落とした。すると、エレナが当初使っていた光る剣が腹に突き刺さっている。
「そんな……。いつの間に……」
ベアトリスはその場に崩れ落ちた。それと同時に彼女の神剣は消え、舞台の上に立ち込めていた赤い瘴気も晴れる。
エレナは神剣を持ったまま腰の後ろで手を組み、倒れるベアトリスを見下ろす。
「『降伏』していただけますか? 降伏していただけたら、すぐにベアトリス様に治癒魔法を掛けます」
舞台に倒れるベアトリスは、口から血を垂らしつつも、エレナを見上げてギッと睨む。
「……降伏しなかったらどうなるのですか?」
ベアトリスのその言葉に、エレナは舞台袖を指差した。
「全力で、あそこにベアトリス様を放り投げます」
エレナは片手に強化魔法をかけると、ベアトリスの腰のあたりの服を持って、彼女の身体を引っ張り上げた。圧迫されたベアトリスの腹部から血液が滴り落ちる。
舞台袖では、上級魔導士達が心配そうに見つめながら、いつでも治癒に駆け付けられるような体勢を取っていた。
「ベアトリス様、どうされますか?」
「……『降伏』だなんて、私は死んでも絶対に言いません。私の一生の恥になります」
「では、投げますね。あそこの壁に思い切りぶつけますから、身体強化しておいてください」
エレナはベアトリスの身体を、まるで袋を持って投げるかのように振り回す。
「えっ!? ちょっと待ってください!! 壁にぶつける必要はありませんわよね!?」
「なんとなくですが、ベアトリス様が目を開けていると、反撃を受けるような気がしまして」
「もうそんな気力はございませんわ!!」
エレナはベアトリスの言葉を無視して振り回すと、勢いをつけて舞台袖の壁に向かって彼女を投げた。
ベアトリスは物凄いスピードで壁に衝突すると、壁面を大きく壊し、そのまま気を失って地面に落下する。上級魔導士達が、即座に彼女に駆け寄り、全力で治癒魔法を掛け始めた。
「ベアトリス様。お手合わせ、ありがとうございました。とても楽しかったです」
エレナは可愛らしい笑顔でそう言って一礼すると、審判の勝利の判定を受けて舞台から下りていった。
◇ ◇ ◇
「どっ……どういうことなんですかっ!? エレナさん、無茶苦茶強いじゃないですか!?」
「……確かにそうですね。とても意外です」
「アリエッタさん! どうしてそんなに落ち着いていられるんですか!? フレイアさんやベアトリスさんが優勝できないのは助かりますけれど、あの強さは異常です!! エレナさんは、他国のスパイや工作員ではありませんよね!?」
「そういった情報はありませんし、リヒター家は間違いなくライゼンハルト王国の貴族です。エレナ様の貴族籍も確認済です」
「では、どうして私達は、リヒター伯爵家にあんな凄い貴族令嬢がいるのを知らなかったんですか!?」
「それは確かに……」
私達二人はじっと黙り込む。しかし、しばらくして、アリエッタがポンと手を打った。
「やはり、エレナ様にお貸した王族の魔法書が関係しているのではないでしょうか? それしか考えられません。エレナ様は古代ニホン語が読めないと思っていましたが、魔法書の後半部分に強力な魔法が隠されていて、エレナ様はそれを解読なさったとか?」
もしそうだとしたら、かなりマズイ。
私は特定の女性貴族に有利な情報を与えてしまったことになる。
この事実が知られたら、私は女王であるにもかかわらず、フレイアやベアトリスに半殺しにされるかもしれない。
私は顔を青くしたまま、椅子に座り直して深呼吸をした。
「……アリエッタさん。魔法書の件、絶対に他言無用でお願いします。私の野生の感が、ビリビリと危険を感じます」
「そんな大袈裟な。フレイア様やベアトリス様は、ソフィア様の臣下ですよ」
「いやいや、全然大袈裟じゃないですよ! 私に一体何の力があるというんですか!? 私はいつも二人にイジメられてばかりじゃないですか!」
「……ソフィア様。自分で言ってて悲しくなりませんか?」
「事実なんですよ! 私がエレナさんに王族の魔法書を渡したことを知ったら、ベアトリスさんはきっと私を神剣で刺しに来ます! フレイアさんだって、『他の女に特別なプレゼントをするなんて!』とか言って、私を三日三晩、縄で拘束するかもしれません!」
「う~ん、確かに可能性はありますね……」
「あぁ~、どうしましょう!」
私が頭を抱えていると、アリエッタがピッと人差し指を立てた。
「とはいえ、エレナさんが優勝しそうなのは良いことではないでしょうか? この貴族令嬢天下一武闘会の最大の懸念事項の二つが解決します」
私は顔を上げてアリエッタを見た。アリエッタは話を続ける。
「ソフィア様が三日三晩拘束を受けるだけで、ベアトリス様が王位に就くという野望と、フレイア様がソフィア様に求愛するという変態行為に付き合わなくてすみます。長期的に見れば、良いことばかりです」
「表現がアレですが、確かにそうですね……」
私は視線を正面に戻した。
「とりあえず、エレナさんには何か袖の下を渡して、他言無用をお願いすることにしましょう」
「ソフィア様。女王が言う言葉じゃないですよ……」
「アリエッタさん。天下一武闘会が終わったら、エレナさんとのお茶会をセットしてください」
「承知いたしました」
その後も天下一武闘会は続いたが、私は魔法書のことが心配で、観戦になかなか集中することができなかった。