第六話 貴族令嬢天下一武闘会、開幕
王都郊外にある競技場で、貴族令嬢天下一武闘会の幕が開けた。
開会式で整列した貴族令嬢は総勢294人。この世界の女性貴族は、神剣を生まれながらに体内に持つ戦士とはいえ、武闘会への参加人数は予想以上だ。皆、それぞれの家の紋章が入った華美な戦闘服を着用している。
──私の社交界デビューがお茶会ではなく、武闘会になるなんて予想外でした。
私は正面で進められる開会式に目を向けながら、自分の数奇な運命に口元を緩ませる。
私は結局、十六歳の誕生日を過ぎても社交界デビューできないでいた。その理由は、ライゼンハルト王国で内乱が起きたためだ。新女王ソフィアの即位に反対した辺境貴族達が蜂起し、周辺国も辺境貴族達に加担して、大規模な戦乱となった。
魔法学園にいた貴族達は、自領防衛のためにそれぞれの領地に戻っていき、全てのイベントが中止された。当然、私の社交界デビューは延期され、屋敷で花嫁修業をするだけの日々を過ごした。
そして、内乱が終結した今、礼儀作法を必死に勉強してきた私の社交界デビューが、「なりふり構わず貴族令嬢達を武力で倒す」イベントだというのは皮肉なものだ。
私は視線を少しだけ、周りの貴族令嬢達に向ける。
──王国の貴族令嬢達はもっと上品な雰囲気だと思っていましたが、実際はこんなにも殺気立っているんですね。
多くの貴族令嬢は家の意向を受けて参加しているためか、どの表情も硬い。おそらく、天下一武闘会に優勝した暁には、家の爵位を上げて欲しいと願い出るのだろう。
私は視線を正面に戻す。
すると前方で、先日のソフィア付の上級侍女アリエッタが、天下一武闘会について説明を始めた。
武闘会は、予選無しの一般的なトーナメント方式(勝ち抜き戦)で進められるとのことだ。くじ引きでトーナメント表での参加位置を決め、当たった相手と対戦する。負ければそこで終わり、勝てば次の対戦に進む。
また、武闘会での勝敗ルールはとてもシンプルで分かりやすいものだ。
基本的に戦い方に制限は無い。物理攻撃、魔法攻撃、頭を使った知略、騙し討ち、何でも許される。そして、戦闘で相手を打ち負かして「降伏します」と言わせるか、相手を対戦用舞台の下に落とした方が勝者となる。加えて、相手を戦闘不能にしたり、気絶させた時も、勝利が認められるとのことだった。
唯一、殺人は禁止されているものの、治癒魔法で回復可能な攻撃や、死に至らない身体への斬撃、つまり手足の切断などは禁止されていなかった。そのため、万が一に備え、再生魔法に特化した上級魔導士達が舞台袖に待機していた。
──思ったよりも、攻撃方法に制限がなくて驚きました。これでは流血を伴う戦闘が前提です。女王陛下はお優しいご様子なのに、何を考えていらっしゃるのでしょう……。とはいえ、私としては好都合ですけれども。
私は周りの貴族令嬢達に視線を向ける。怖気付く令嬢達がいるものと思ったが、皆、全く動じていない。むしろ、ほんの少し笑みを浮かべているようにも見えた。
すると、アリエッタが魔法を使って、会場正面の空中に、数名の貴族令嬢の名前を映し出した。
「今、正面に名前が映し出されている貴族の皆様は、二回戦からの出場となります」
一回戦は、国王軍で戦果を上げている貴族令嬢達にシード権を与えるとのことだった。フレイアやベアトリス、ソフィアンローズ戦隊に所属する貴族令嬢達の名前がそこにはあった。
これはシード選手を有利にするためではなく、むしろ初めて戦闘に参加する令嬢達への配慮のようだ。一回戦でいきなり強敵と当たってしまっては、参加者のモチベーションが下がってしまう。アリエッタからは一応、「戦闘の初心者が、天下一武闘会のルールに慣れるため」という表向きの説明がなされた。
そして、一通りのルール説明が終わった後、フレイアとベアトリスが代表して女王ソフィアに宣誓を行い、ついに貴族令嬢天下一武闘会の対戦が開始された──。
◇ ◇ ◇
第一回戦と第二回戦は多くの貴族令嬢が参加するため、初日を丸々潰して実施されることになった。
結界で隔離したスタジアム外の簡易な試合場を使い、地面に描いた白線を対戦用舞台に見立て、全166試合をこなすため、対戦が複数同時並行で行われた。不正を防ぐため、審判は、貴族ではない王宮付きの侍女達が担当した。
侍女とはいえ、先の内乱に参加した兵士達であり、その熟練度は未熟な貴族令嬢以上だ。判定は正確で、初日の対戦は順調にこなされていった。
二日目は、第二回戦に勝利した令嬢達で全120試合を実施した。
夕刻までに第五回戦を終え、トーナメント上、勝ち残った令嬢は16名となった。
三日目からは、女王や先王・王太后も観戦することになっており、競技場に特別に設置された舞台上で、16名による15試合、決勝戦までが順次行われて優勝者が決まる。そして、これらの試合は、一般民衆にも公開されることになっていた。
◇ ◇ ◇
私は、競技場中央の舞台上から観客席を見渡す。すると、多くの貴族令嬢達が、私達に鋭い視線を向けていた。
──正直なところ、何百人から睨まれるのは、あまり気持ちの良いものではありませんね……。
二日目の閉会式は、勝ち残った16名の貴族令嬢達だけが中央の舞台で参加することができた。一方の敗者は、初日で敗退した者を含めて観客席に座ることを強制され、早めに会場から抜け出すことはできない。
ソフィアは戦闘イベントの盛り上がりを期待してこのようにしたのだろうが、敗者にとっては屈辱的な配置だ。きっと、観客席の貴族令嬢達は私達に敵意を持ち、ソフィアの目論見通り、次回の天下一武闘会への闘志を燃やしていることだろう。
──女王陛下も意地が悪くていらっしゃいます。
私は正面に向き直る。すると、すぐに閉会式が開始された。勝ち残った16名の紹介と共に、明日の予定が説明されていく。しかし、私は疲れで、内容があまり頭に入ってこなかった。
私は運よく強敵に当たることはなく、ここまで順当に勝ち残ることができたが、この二日間はさすがに多くの魔力を消費しすぎた。
そのため、閉会式終了の合図と共に、私は思わず「はぁ」と大きな溜息を漏らしてしまった。
「ふふっ。とても大きな溜息ですね」
その声の先に視線を向けると、隣に立つ公爵令嬢のフレイアが、私を見て笑みを浮かべていた。銀髪が緩やかに風になびき、その美貌はこの世のものとは思えない。ソフィアも美人だと感じたが、フレイアはそれ以上だった。おとぎ話に出てくる妖精のようだ。
私はその美しさにしばらく呆けていたが、慌てて頭を下げた。
「フレイア様、申し訳ございません。お見苦しいところをお見せいたしました」
「いえいえ、そんなことは全く気にいたしませんよ。こんなに対戦ばかりが続けば、私だって溜息の一つや二つ、出したくもなります」
フレイアはそう言った後、私に歩み寄ってきた。
「先程の紹介によると、貴女のお名前はエレナさん……でしたでしょうか?」
私は再びお辞儀をする。
「はい、リヒター伯爵家のエレナと申します。どうぞよろしくお願いいたします」
「こちらこそ、よろしくお願いいたします。大変失礼な言い方になりますが、エレナさんは伯爵家の女性貴族としては異例の強さですね。良くここまで勝ち進んでいらっしゃいました」
「恐れ入ります。それにしても、美貌と聡明さを兼ね備えたフレイア様の強さは、皆の噂通りです。さすが、今回の天下一武闘会の優勝候補でいらっしゃいます」
私がそう言うと、フレイアは優しく微笑んだ。
「ありがとうございます。こういう時、本当は謙遜するのがマナーなのでしょうけれども、今回ばかりはそういう回りくどいことはいたしません。今回の天下一武闘会、私は必ず優勝を手に入れます。そして、積年の夢を叶えます」
フレイアはそう言うと、誰もいない王族専用観覧席に視線を向けた。そして、胸の前で拳をギュッと握りしめる。
私はそんなフレイアに、恐る恐る問い掛けた。
「僭越ながら、フレイア様はこのような大会に出ずとも大抵の夢は叶うのではないでしょうか? 公爵家には、地位も名誉もお金もあります。私にはフレイア様やベアトリス様が天下一武闘会に参加されている目的が分からないのですが……」
私がそう質問すると、フレイアは私に視線を向けた。そして、表情を硬くする。
「……ベアトリスは、次期王位継承権を狙っています」
「えぇっ!?」
私は思わず大きな声を出してしまい、慌てて口元に手を当てる。フレイアは話を続けた。
「とはいえ、天下一武闘会に優勝したところで、ソフィア様からの王位継承権の譲渡は認められないでしょう。ですから、ベアトリスは自分を養子にするように、ソフィア様に願い出るつもりのようです」
私はしばらくの間、言葉を失った。王国を支えるはずの公爵家の人間が、そんな野望を持っていることに驚いた。
「もしかして、フレイア様も王位を狙っているのですか?」
私がそう問うと、フレイアは一瞬驚いた顔をした後、すぐに軽く笑う。
「私は違います。この国の王位などに興味はありません」
「それでは一体、どのような願いを……」
私がそう言うと、フレイアは闘技場の出入口を指差した。閉会式が終わり、貴族令嬢達が闘技場からいなくなったため、歩きながら話そうということらしい。私はフレイアの横に並んで歩く。
「……私は優勝したら、ソフィア様の王配になることを願い出るつもりです」
「……ぇ?」
私は足を止め、ポカーンと口を開いたまま、先を歩くフレイアを見る。しかし、すぐに正気を取り戻すと、駆け足でフレイアを追い掛けた。
「あの……、フレイア様って、実は男性の方だったのですか?」
フレイアは私の言葉を聞いて、口元に手を当てて吹き出すように笑った。
「ふふっ、そんなわけがないでしょう。もし男性なら、私は神剣を使えないですよ」
「でも、王配というのは、女王陛下の配偶者のことですよね?」
私がそう言うと、フレイアは歩きながら頬を赤く染めた。そして、少しだけ視線を下げて、片手を頬に添える。
「はい、その通りです。私は必ず優勝して、ソフィア様と結婚したいのです」
「…………」
私が返す言葉を失って固まっていると、フレイアが笑顔で私に尋ねてきた。
「ちなみに、エレナさんは、どのような願いを申し出るつもりなのですか?」
私はフレイアを見て苦笑する。
「お恥ずかしながら、私はフレイア様とは反対の願い事です。女王陛下の承認を頂いて、親が勝手に決めた上位貴族との婚約を破棄したいと思っています」
「婚約破棄……ですか?」
「もちろん、ライゼンハルト王国においては、両親や貴族間の都合で結婚相手が決まるのは普通だと理解しています。ですが、私はその『普通』に納得できないのです」
「もしかして、どなたか、結婚したい方がいらっしゃるのですか? 将来を誓い合った相手とか」
「いいえ、いません。私はただ、両親が決めた『リヒター伯爵家のためになる結婚』に反抗したいだけです。利用されるだけの人生に疲れてしまいました」
私は前を向いたまま、視線を下げる。すると、横のフレイアが俯く私の顔を下から覗き込んだ。
「何も恥じることはありません。それは普通の感情です」
私は横を歩くフレイアに視線を向ける。
「……実は私も、隣国の王子との婚約が決まったことで心が荒み、公爵家ではひどい問題児になりました。癇癪を起して、屋敷の高価な花瓶を何度も割りましたし、窓ガラスを魔法で吹き飛ばしたのは数えきれない程です。他家とのお茶会では外面を取り繕っていましたが、すぐにでも公爵家から逃げ出したい気持ちでした」
フレイアの話に、私は目を見開いて驚く。こんなにも優しそうなフレイアが荒れている姿を想像できない。
「そんな時、私はソフィア様にお会いして変わったのです。ソフィア様もまた、問題児と言われていました。しかし、それは凡人達の誤解だったのです。ソフィア様は荒んだ私を受け入れてくださり、『そのままで良い』とおっしゃって下さいました。そして、聡明なソフィア様の助言によって、私は隣国の王子との婚約破棄に成功したのです」
「そうだったのですか。私はてっきり、隣国の王子が、フレイア様に理由なく婚約破棄を突き付けたものだとばかり思って……」
私がそう言った時、フレイアが人差し指を唇に当てて、可愛くウィンクした。
「ふふっ、公式にはそうなっています。ですから、これは秘密ですよ」
私は神妙な表情で頷く。しかし、婚約破棄を誘導する方法があるのなら、天下一武闘会にこだわる必要はない。私はフレイアに尋ねた。
「もしよろしければ、その婚約破棄の方法を教えていただくことは可能でしょうか? 天下一武闘会で優勝できなかった時のことも考えておきたいのです」
すると、フレイアは困ったような表情を浮かべた。
「ソフィア様が考えた案は素晴らしいものではあったのですが、残念ながら、その方法で婚約破棄を達成した後、王家と公爵家がとんでもないことになってしまいまして……。ですから、エレナさんにはあまりお勧めできる方法ではないです」
「そうですか……。残念です」
とはいえ、この会話から約一年後、フレイアが隣国の王子に自分の排泄物を送り付けて婚約破棄に誘導したと知り、具体的な方法を聞かなくて良かったと心底思った。もし聞いていれば、フレイアから結果報告を求められ、私も婚約者に排泄物を送る羽目になったに違いない……。
そういった会話をしているうちに、私達は闘技場の出口から外に出た。
別れ際、フレイアが私に尋ねた。
「ところで、エレナさんの次の対戦相手はどなたですか?」
私はその質問に、困ったように笑みを浮かべる。
「ベアトリス様です」
私の答えに、フレイアが一瞬言葉を失ったのが分かった。
「そうですか……。対戦前にこのようなことを申し上げるのは失礼だとは思いますが、エレナさんがベアトリスに勝利する可能性は低いと思います。今までの彼女の戦い方を見ていれば分かると思いますが、彼女は凶暴な女性貴族です。治癒魔導士がいるのを良いことに、対戦相手を死のギリギリまで追い詰めています。……どうか、命を大切にしてください」
私はフレイアに軽くお辞儀をした。
「お気遣い、ありがとうございます。ベアトリス様の強さは分かっているつもりです。ですが、私も弱くはありません。ベアトリス様に勝つつもりで、全力を出します」
私はそう言った後、フレイアを見て微笑んだ。
「それに、正直なお話、私の勝率は決して低くはありません。おそらく、私はベアトリス様に勝つことができます。ですから、もし私が勝利してフレイア様と対戦することになったら、フレイア様も遠慮なく全力でかかってきてください」
フレイアは私の言葉に一瞬驚いた表情を浮かべた後、困ったような苦々しい笑みを浮かべた。