第五話 女王陛下とのお茶会
カタカタカタ……。
私がカップをソーサーに戻す時の手が震える。
多くの貴族令嬢が天下一武闘会に向けて準備を整える中、私は一体何をしているのだろうか。
しかし、この方からの招待を断ることなんてできない。私の命やリヒター伯爵家どころか、伯爵領全体が消し飛んでしまうかもしれない。私が家庭教師に叩き込まれた知識によれば、ライゼンハルト王国で最高権力者に逆らうとはそういうことだ。
「さて、エレナさん。私の小説の感想を聞かせていただきましょうか?」
王宮中庭のガゼボで、目の前の美少女が私にニッコリと微笑み掛ける。私は思わず視線を下げた。
「そっ……その、女王陛下の小説はとても面白く、今まで読んだものの中で一番胸が高鳴るものでございました。続きが大変気になりまして、ヒロインの恋の行方がどうなっていくのかと日々心苦しく……」
「まぁっ!!」
「ひぃぃっ!」
私は突然のソフィアの大声に反応して変な声を出してしまう。しかし、彼女は気にしていないようだ。
「アリエッタさん! 聞きましたか? 私の小説を面白いとおっしゃっていただけています! だから、アリエッタさんも是非読んでみてくださいよ!」
斜め後方に控える上級侍女がジト目のまま、大きな溜息を吐いた。
「……エレナ様の感想は、どう考えてもお世辞ではないですか。エレナ様は、ソフィア様の存在に怯えておいでなのです。震えている手が見えないのですか?」
「えっ? 本当に?」
ソフィアがきょとんとした表情で私を見た。
私はすぐさま両手を机の下に隠し、必死に笑顔を作る。背中に大量の冷や汗が流れるのを感じた。
「とっ……とんでもございません。心からの言葉でございます。嘘偽りはございません」
私は、ソフィアの斜め後方に立つ上級侍女を笑顔で睨んだ。
──余計なことを言わないで欲しい。何事もなく私は家に帰りたいのだから、あなたは黙ってて!
すると、上級侍女は怯むことなく、私をじっと見る。その視線に、私の方が威圧感を覚えた。
「エレナ様。『この人』に遠慮は不要です。本当のことを伝えてあげてください。もしこの人がエレナ様がおっしゃったことで権力を悪い方向に行使するようなことがあれば、私はこの人を拳で十回は殴って全力で止めます」
「えっ……?」
私が上級侍女の不敬な言葉に驚いて呆然としていると、ソフィアは再び斜め後方の彼女を見た。
「ちょっと! 女王を前に『この人』はないでしょう!」
「でも、こうでも言わないと、エレナ様は本当のことを話してくださいませんよ? いいんですか?」
「うぐぐ……。一理ありますね」
ソフィアは私の方に向き直ると、ニコッと笑みを浮かべた。
「良い内容でも、悪い内容でも、本当のことをおっしゃっていただけたら、エレナさんに特別爵位を差し上げます。一代限りですが、独立を認めましょう」
「えぇっ!?」
私が目を大きく見開いて驚いた瞬間、上級侍女がソフィアの後頭部を物凄い勢いでスパーンと叩いた。
「権力を乱用してはいけませんっ!」
「だってー! これが一番効果があるじゃないですか! これなら爵位に目がくらんで、本当のことを話してくれるじゃないですか!」
「その叙爵を他の貴族へどうやって説明するんですか!? 皆、爵位を狙って、ソフィア様の『同人誌』とやらを持って殺到しますよ!」
「うっ……。まぁ、私の本を読んでいただけるのは魅力的ですが……」
ソフィアは上級侍女に「は?」と凄まれて、慌てて私の方に向き直る。
「……というわけで、目の前のお茶菓子ぐらいしか差し上げるものはありませんが、本当の感想を聞かせていただけませんか? それに、そんなに畏まる必要はありません。今日は、作家と読者のお茶会なのですから」
私は少し躊躇いつつも、上目遣いで彼女を見ると、太腿の上で両手をモジモジとさせながら口を開いた。
「信じてもらえていないようですが、本当に面白かったのです。嘘やお世辞ではございません。今まで読んだことがない世界のお話で、登場人物に魅力があり、感情移入してつい泣いてしまったり……」
私はソフィアの本に登場する人物達の詳細を話す。そして、お気に入りの会話や場面を説明していった。
すると、目の前のソフィアは目を大きく見開き、頬を赤くして私をじっと見る。その目には薄っすらと涙が浮かんでいるようにも見えた。
「……というわけで、女王陛下の本は出版すべきだと思います。『ペンネーム』という偽名のままであっても、陛下の本はきっと売れると思います。少なくとも、私はファンとして購入いたします」
目の前のソフィアが顔を真っ赤にしたまま、人差し指をビシッと私に向ける。
「あなたに特別侯爵の地位を差し上げます!」
上級侍女がソフィアの後頭部を物凄い勢いでスパーンと叩いた。
「だから、権力を乱用してはいけませんっ!」
すると、ソフィアは席を立ちあがって、私の隣に移動してきた。そして、満面の笑みで私の両手を持つ。
「私、こんなに嬉しい気持ちになったのは初めてです。『女王』という権力を使わずに、自分の力だけで書いた本をこんなに褒めていただけて……」
正直なところ、私はどう反応して良いか分からなかったが、ソフィアは余程嬉しかったようで、なかなか手を放してくれない。私はその子供のような姿に、思わず柔らかい笑みを向けた。
「私のような一介の女性貴族が申し上げるのは差し出がましいと存じますが、女王陛下はもっと自信をお持ちになっても良いと思います。私のような者でよろしければ、是非、陛下の小説の最初の読者にしてください」
私の言葉に、ソフィアはニッコリと笑みを浮かべた。
「続きが書けたら、またお渡ししますので、その時も感想を聞かせてくださいね。もちろん、良い評価、悪い評価、どちらでも構いません。私は良い作品を書きたいだけですから」
彼女はそう言うと、後方の上級侍女に視線を向けた。
「アリエッタさん。アレを持ってきてください」
上級侍女は「はい」と頷くと、ガゼボの端に置かれたテーブルから一冊の本を持ってきた。その本には金銀の装飾が施され、とても高価そうだ。
「エレナさんは天下一武闘会に参加される予定ですのに、私に無理やり小説を押し付けられ、鍛錬を積む時間を削られてしまいました。今日のお茶会の時間もそうです。ですから、これはそのお詫びです。王宮図書室の魔法書をお貸ししますので、天下一武闘会の参考になさってください」
ソフィアはそう言って、魔法書を私の前に差し出す。私がその魔法書を開くと、それが王族に伝わる古い魔法書であることが分かった。私は目を大きく見開いたまま、ソフィアを見る。
「女王陛下! このような大切な魔法書、本当にお借りしてもよろしいのですか!?」
「はい、問題ありません。図書室の書庫の奥にあったものですが、ざっと見たところ、王族向けの秘密は書いてありませんでした。殆どが古代文字ですので、残りの部分に記載されている魔法がどの程度役に立つかは分かりませんが、今回はエレナさんへのお詫びとして、この魔法書を貸し出します」
私は本を持つ手が震えた。ずっと読みたかった王族向けの魔法書が目の前にある。
「ありがとうございます!」
興奮して何度も頭を下げる私を見て、ソフィアは言葉を付け加えた。
「ちなみに、貴族令嬢天下一武闘会には、公爵家のフレイアさんとベアトリスさんも出ます。ご存じのことと思いますが、どちらも将軍職で、国王軍が誇る神剣使いです。お貸しする魔法書程度の力では、二人には及ばないと思います」
私は神妙な表情に戻って、手元の魔法書に視線を落とした。
「はい、分かっております。しかし、お借りした魔法書を熟読し、天下一武闘会では必ずお二人に対抗できる力をつけたいと思います」
私がそう言うと、ソフィアは笑みを浮かべた。
「と~っても期待しています。もし二人を倒すことができたら、エレナさんを特別侯爵に叙するだけではなく、国王軍南部方面軍の将軍の地位を与えても構いません」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「……もしかして、今度は本当のお話ですか?」
ソフィアは頷いて肯定する。
私はソフィアの後方に控える上級侍女に視線を移すが、彼女は何も口を挟まなかった。おそらく、結果に見合う褒賞には文句はないのだろう。とはいえ、正直なところ、私は将軍の地位には興味がない。
私が思わず苦笑していると、ソフィアはピッと人差し指を立てて話を続けた。
「それから、特別侯爵になれば、王宮への出入りは自由です。私と一緒に、恋愛小説の創作活動をいたしましょう! そして、王都の『創作小説即売会』にお忍びで出店しましょう!」
ソフィアがそう言った瞬間、後方の上級侍女の平手打ちがソフィアの後頭部に炸裂した──。