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番外編(6) 意図しなかった告白

 レーゲンス公爵邸を出て、王都中心部の新興貴族用マンションに移り住んでから、約半年が過ぎた。


 新興貴族用のマンションは、特別爵位を持つ者達のために新築された建物だ。貴族の生活に相応(ふさわ)しいように、通常のマンションよりも間取りが広く、来客用に応接室が備え付けられている。一階のエントランスも、上級貴族の館に負けないほどの豪華絢爛な(しつら)えとなっていた。


 また、コンシェルジュサービスがあり、大抵の用事を代行してくれた。買い物はその窓口に頼むことができるため、自分で外出する必要はない。加えて、衛兵によってマンション周辺は厳重な警備が敷かれており、安全面にも配慮されていた。


 私は起床して各部屋のカーテンを開けると、いつものように王都の景色を眺める。最上階の私の部屋からは、王宮や政庁舎、緑に囲まれた公園など、様々な場所を一望することができた。


 ──伯爵家を出る時は一人でやっていけるか不安でしたが、こんなに素晴らしい場所なら、何の心配もいりませんでした。特別伯になることができて、本当に良かったです。


 私は一人で朝食を取った後、食器を別室の台所に運ぶ。そして、食器を洗って片付けた後、汚れても良い服装に着替えて、各部屋の掃除を始めた。特別伯のマンションの間取りは無駄に広いため、掃除には結構手間が掛かった。


 私が(はた)きでパンパンと棚のホコリを落としていると、玄関の扉がコンコンとノックされた。


 私は(はた)きをテーブルの上に置いて、口元に付けていた布を外し、急いで扉に向かう。そして、扉の向こう側のコンシェルジュに問い掛けた。


「どのような用件ですか?」


「シェラー特別伯様。レーゲンス公爵家フレイア様がいらっしゃいました」


「…………」


 私が扉を開けると、コンシェルジュの後ろから、フレイアがぴょこっと顔を見せた。


「こんにちは~、エレナさん。お元気ですか?」


「……フレイア様。一昨日ここに来たばかりではありませんか。それに、専属侍女のマリーはどうしたのですか?」


「マリーは買い物です。平民街にある人気店に、流行りのお菓子を買いに行かせています。当分帰ってこないと思います」


 私はコンシェルジュに下がるように伝えると、フレイアに部屋に入るように促す。そして、彼女の入室後、扉を閉めて施錠した。


「フレイア様。いくら安全性の高い貴族用マンションとはいえ、公爵令嬢が単身で動き回ってはダメです。誰かに襲われたらどうするんですか? お屋敷でマリーの帰りを待っていれば良いではないですか?」


「エレナさんは、いちいち口やかましいですね。私は王国一の神剣使いですから大丈夫です。……エレナさんは私と(おな)い年なのに、そんな風にいつも眉間(みけん)(しわ)を寄せていると、早く()けてしまいますよ?」


「はぁっ!?」


 フレイアは、私が眉間の皺を伸ばしながらカンカンになって怒っているのを余所(よそ)に、部屋の中を歩いていく。そして、テーブルの上に置かれた(はた)きを見つけると、それを手に取った。


「エレナさんこそ、いい加減に侍女ぐらい雇ったらどうですか? 貴族が自分で掃除をしているなんて、私の周りでは聞いたことがありません。領地の無い特別伯にも、毎月それなりの給金が支払われているじゃありませんか」


 私はフレイアから(はた)きを奪い取る。


「いいんです! 私はずっと、自分でこういうことをやりたかったんです! 夢の一つが叶ったんです!」


 フレイアは「ふ~ん」と言葉を返しながら、まるで自分の部屋にいるかのようにテーブルの椅子を引いて、勝手に腰掛ける。普通、公爵家の人間は自分で椅子を引いたりしないが、彼女は私と一緒にいる時、そういうことを気にしなかった。


 私は(はた)きを掃除道具置き場にしまうと、「はぁっ」と溜息を()いて、フレイアに声を掛けた。


「……フレイア様。いつもの紅茶、飲みますか?」


「はい。エレナさんのとても美味しい紅茶を是非いただきたいです。ついでに、お茶菓子も」


 フレイアは人差し指を可愛く立てて、満面の笑みを浮かべる。私は、その妖精の子供のような笑顔に弱かった。


 私達は、秘術の習得を終えた後も頻繁に交流していた。フレイアは私の部屋に宿泊はしないものの、一週間に二度三度は訪ねてくる。そして、半年経った今では、すっかり本物の友人だ。


 私は当初、フレイアに対して貴族の礼節を保っていたが、最近はその口調が徐々に崩れてきた。彼女に対して気を遣うことが少なくなり、今日のように、彼女を叱ることは何度もあった。


 その一方で、フレイアは随分と性格が穏やかになった。


 私が友人の立場で、彼女の我儘(わがまま)な振る舞いを注意し続けたからかもしれない。フレイアは口では文句を言いながらも、私の言葉を受け入れ、振舞いを改善していった。今では、侍女達の間でのフレイアの評判が良くなってきており、彼女に対する対応も変わってきたという。


 私はお盆に乗せた紅茶をフレイアに出しながら、ニヤッと笑って、彼女に問い掛けた。


「フレイア様は今日も女王陛下にあしらわれて、私に(なぐさ)めてもらうためにここに来たんですか?」


 フレイアはいつもなら、「あしらわれていません! ソフィア様は照れているだけです!」と反論したりするのだが、今日は私の茶化す言葉に寂し気に視線を下げた。そして、そのまま黙り込んだ。


 フレイアは、先週行われた第二回貴族令嬢天下一武闘会でベアトリスを破って優勝した。第一回優勝者の私は参加しなかったが、第二回はフレイアが優勝を掴んだのだ。


 そして、今日は優勝者がソフィアに「願い」を伝える日であり、フレイアはもちろん「ソフィアとの結婚」を申し出たはずだ。しかし、いつものように拒絶されたようだ。


 フレイアは(うつむ)いたまま、口を開く。


「予想はしていましたけれども、なかなかソフィア様に婚姻を受け入れて頂けないです……」


 私は、ひどく落ち込むフレイアに謝った。


「茶化すような質問をしてしまって申し訳ありません。でも、それはいつもの女王陛下の反応ですから、どうか、そんなに落ち込まないでください」


 私は彼女を励ますため、以前フレイアの部屋でしていたように、テーブルの上の彼女の手に自分の手を重ねる。すると、彼女は身体を震わせて、涙を流し始めた。


「これがいつもの反応だと分かっていても、とても(つら)いです……。今日、私は話す内容を事前に準備して、何度も練習して、本気で全ての想いを伝えたんです。その上で、武闘会の褒賞として『婚姻』をお願いしました。でも、ソフィア様はそんな私の願いを、一瞬で拒絶したんです。だから、特別に(つら)く感じます……」


 私はフレイアの背中に手を当てる。完全に心が折れてしまった彼女に掛ける言葉は出てこず、ただその背中を(さす)ってあげた。


 しばらくして、フレイアは涙を(ぬぐ)いながら、私の方を見て口を開いた。


「私、もうソフィア様のことを(あきら)めた方が良いでしょうか? エレナさんもきっと、そう思っていますよね? 無駄なことをしているって……」


 私は思わず、彼女から目を逸らす。たとえそう思っていても、私はそれを肯定することはできない。


 フレイアは正面に視線を戻して(うつむ)くと、黙り込んだ。いつも強気で陽気な彼女にしては珍しく、涙がポタポタと頬を伝って落ちる。私はそんなフレイアの姿を見るのが(つら)くて、悲しくて、彼女の背中に当てていない方の手をギュッと握りしめた。


 無言のまま、時が過ぎる。いつもは賑やかなフレイアとのお茶の時間が、今日はお通夜のようだ。


 しばらくして、フレイアが口を開いた。


「私は第二王配でも、第三王配でも構いません。第四王配だって良いんです……。ただソフィア様のお(そば)にいたいだけなんです。どうして私ではダメなんでしょう……。私はそんなに魅力がないのでしょうか……。私は性格が悪くて、一緒にいたくないと思うような人間なのでしょうか……」


 私はフレイアの言葉を聞いて、心のどこかでずっと我慢していた糸がプツンと切れた。


 私は椅子に座るフレイアの両肩を持って、自分の方を向かせた。


「そんなことはありません! フレイア様は世界で一番魅力的です!」


 私は驚いた表情のフレイアの手を取ると、その場に立ち上がらせた。そして、涙に濡れたその瞳をじっと見つめる。


「フレイア様は我儘(わがまま)で粗暴で多少強引なところはありますが、本当は心が真っ白で優しくて、一緒にいて楽しくて、とても(いと)おしい(かた)です! 私がその魅力を保証します! フレイア様の魅力が分からないなんて、女王陛下はおかしいです!」


 フレイアは私の言葉に目を大きく見開いて、硬直したように固まっている。


「フレイア様は、こんなにも綺麗で、可愛くて、美しくて、文武両道で、それでいて心が繊細で……。こんなに理想的な人、王国中を探しても他にいませんよ!! 女王陛下は一体何が不満なんですか!? 私には、求婚を受け入れないのが信じられません!!」


 (たが)が外れてしまった私は、フレイアを力一杯ギュッと抱き締めた。


「フレイア様! 私はフレイア様が心から大好きです!」


「えっ……?」


「人を見る目が無い女王陛下が、フレイア様を受けれいてくださらないなら、私がフレイア様と一緒になります! そして、フレイア様を幸せに……」


 私がそう言ったところで、フレイアが強い力で私の胸をグイッと押し、無理やり身体を離した。


「やめてください……」


 私はフレイアからの冷たい視線を受けて、自分がしでかした大きな過ちに気付いた。


 ──私、フレイア様の前で、フレイア様が敬愛する女王陛下を見下(みくだ)してしまった……。


 目の前のフレイアは涙を流したまま、私を(さげす)むような視線で見つめる。


「もっ、申し訳ありません!」


 私が深く頭を下げて謝罪するも、彼女からの返事は無い。


 そのまま、無言の時間が流れる。


 しばらくしてフレイアは涙を(ぬぐ)うと、私にニコッと作り笑顔を向けた。


「エレナさん。私、今日はこれで失礼いたします。お忙しいところ、大変お邪魔いたしました」


 フレイアは普段に無く丁寧にそう言うと、私の返事も聞かずに、早足で玄関から出て行った。


 部屋に一人残された私は、その場に呆然と立ち尽くした──。


    ◇ ◇ ◇


 私がフレイアに自分の気持ちを意図せず告白してしまってから、半年が過ぎた。


 ──私は女性同士の恋愛なんておかしいと思っていたのに、まさか、自分がこんなにフレイア様のことを好きになってしまうなんて……。


 あの告白以来、フレイアは私の部屋を訪ねてくることはなくなった。


 そして、私はフレイアのことを忘れるために、貴族のパーティに積極的に参加して、新たなパートナーを探す努力をした。しかし、パーティで男性と話しても、フレイア以上に心を通わすことができる相手はいなかった。


 また、フレイアが言った通り、実家としがらみのない特別伯の私に求婚してくる男性貴族も現れた。運命の出会いを願って、一緒に街に出かけたり、歌劇を観に行ったりしてみたが、表面的な会話だけでは相手を知ることはできず、全く心が動かされることはなかった。


 ──私は秘術を手に入れてしまったせいで、相手が男性でなくても良いと思っているのかもしれません……。少なくとも今は、自分の気持ちを(だま)してまで、好きでもない人と一緒にはなりたくない……。


 私は朝食を取る手を止め、明るくなり始めた窓の外を見つめる。


 ──自由になることはできましたが、独りは思っていたよりも寂しいです……。


 王国はすっかり秋を迎え、空の雲は高い。椅子から立ち上がって窓際に移動すれば、まだ薄暗い中、眼下に赤や黄色に色を変えた綺麗な街路樹が見えた。そして、外の冷たい空気が窓の隙間から流れ込み、無駄に広い特別伯の部屋と、私の心を冷やした。


 私が窓の外を見ていると、リビングスペースの方からチュンチュンと鳥の鳴き声が聞こえた。


「あっ、そろそろエサをあげなきゃ!」


 私は慌てて部屋を出て、マンションの共用エリアの保管箱に鳥のエサを取りに行く。そして、駆け足でリビングに戻ると、小さな皿にエサを乗せて、鳥かごに入れた。


「ごめんね、フレイア。今朝は私が早起きして先に朝食を取ったせいで、エサを持ってくるのが遅くなっちゃった」


 私は一人での生活の寂しさを(まぎ)らせるため、半月前から小鳥を飼い始めた。


 名前を「フレイア」と名付けた。


 我ながら、なんて未練がましいのだろうと思うが、どうせもう彼女に会うことはない。それに相手が人間ではないため、自分の心を嘘偽りなく話すことができる。話相手の侍女を雇うよりも、ずっと気楽でいられた。


 フレイアは赤い羽が特徴の美しい鳥だ。成長すると人の言葉を真似て、少しだけ話すことができるらしい。今はまだ何も話すことはできないが、少しずつ言葉を教えている。


 ちなみに、私はもともと何の動物を飼うかは決めていなかった。しかし、珍しく自らペットショップに出向いて動物を探していた時、小鳥のコーナーで、一羽だけ格が異なる美しいメスの小鳥がこちらを見つめていることに気付いた。


 ──まるで、フレイア様みたいに綺麗……。


 『彼女』の堂々とした美しさに、私はその場で()れてしまった。値段もかなり高額だったが、その場で買うことを決断した。


 私は、エサをつつくフレイアをじっと見つめる。すると、彼女はプイっと顔を背けた。


「ふふっ、フレイアはいつも冷たいね。名前の(あるじ)に似て、プライドが高いところがそっくり。少しは飼い主の私に、愛想良くしてくれても良くない?」


 当然、小鳥のフレイアからの反応はない。しかし、私はフレイアに優しい笑みを向ける。


「でも、私は、そんなフレイアが大好きだよ」


 すると、フレイアは小さな目でじっと私を見つめる。


『……どうして、そんなに私のことが好きなのですか?』


 私は耳に聞こえた声に、驚いて口元に手を当てた。


「わっ! フレイアが言葉を話すなんて! しかも、とても難しい文章を!」


 私はびっくりしながら、フレイアをじっと見る。彼女は興味深そうに、私に小さな目を向けていた。


 私は微笑(ほほえ)みながら、その質問に答えた。


「えっと、そうですね。フレイアは可愛くて綺麗っていうのもあるんですけど、なんとなく放っておけない性格というか、しっかりしていそうなのに抜けているんです」


 私は両手を胸の前で祈るように組む。人のフレイアを思い浮かべ、ほんのりと頬を赤く染めた。


「それから、フレイア……いえ、フレイア様は心が綺麗なんです。我儘(わがまま)ですが、それが少しだけ心地よくて。高慢でいるように見えて、私の言葉には素直でいてくれて。自己中心的だと思っていたのに、彼女は一人でここに住む私を気遣って何度も足を運んでくれて……」


 私の目から涙が溢れ出して、頬を伝う。


「会いたい……。大好きなフレイア様に会いたい……。寂しいです……。フレイア様……」


 部屋には誰もいない。私はテーブルの下の床に座り込んで、子供のように声を上げて泣いた。


『泣かないでください。エレナさん』


「えっ……?」


 私の耳に、突然聞き覚えのある声が聞こえた。


 私は目を涙で濡らしたまま、視線を上げて、テーブルの上にある鳥かごを見る。


「……フレイアが話したの?」


 私はテーブルの端を持って、ゆっくりと立ち上がった。すると、鳥かごの向こう側に、誰かが部屋の扉を開けて立っている。


「最初は聞き捨てならないことを言うのかと思いましたが、最後は私のことを褒めてくださって、ありがとうございます。私、少し照れてしまいました」


 扉の取っ手を持って、妖精のような笑みを浮かべる王国一の美少女が立っていた。銀髪をなびかせ、ソフィア特製のドレスを(まと)い、頭にキラキラと光る髪留めを付けている。


「フレイア様……? フレイア様なんですか? どうしてここに……?」


「どれだけノックしても誰も出てこないので、コンシェルジュと一緒に玄関扉の取っ手をまわしてみたら、開いてしまったんです。コンシェルジュは下がらせましたが、鍵はちゃんと掛けないといけませんよ。不用心です」


 どうやらエサを取りに行ったときに鍵を掛け忘れたらしい。それを釈明したくても、私はあまりの驚きで声が出なかった。フレイアは私を見て、ニコッと笑みを浮かべた。


「それに、小鳥に私の名前を付けるなんて不敬です。……エレナさんは、どれだけ私のことが好きなんですか?」


 フレイアは私に近付いてきた。そして、呆然と立つ私の両手を取った。


「……エレナさん。ごめんなさい。私は親友に、こんなにも(つら)い思いをさせてしまっていたんですね。私自身が、ソフィア様にそうされて(つら)かったのに……」


 私の両目から涙がとめどなく流れる。私は再び声を出して泣いてしまった。


 フレイアはそんな私に並ぶように立ち、背中に手を当てて、優しく(さす)ってくれた。


 しばらくして、私は泣きしゃっくりを懸命に(こら)えながら、フレイアに問い掛けた。


「……フレイア様。今日はどうして、ここにおいでになったのですか?」


 フレイアは私の背中を(さす)りながら、今まで見たことがないような優しい笑みを浮かべた。


「今日は、エレナさんに大切なことを伝えに来ました」


 私はその言葉を聞いて、ハッとして視線を落とした。


 ──あぁ、なるほど……。フレイア様は遂に、女王陛下に受け入れて頂けたのですね……。


 私は頬を涙に濡らしたまま、懸命に笑顔を作って、フレイアに向けた。


「フレイア様、おめでとうございます。女王陛下とご結婚されるのですね」


 すると、フレイアは首を左右に振った。


「いいえ、私はソフィア様とは結婚しません。どうしてそのようなことを伝えるために、公爵家の私が、エレナさんの家まで来なくてはいけないのですか?」


 私がフレイアの答えに戸惑っていると、彼女は私の正面に回り、床に片足を突いて(ひざま)いた。そして、私の手を取って見上げる。


「エレナさん。半年前は本当に申し訳ありませんでした。心からお詫びします。ですから、あのような態度を取った私を許してもらえないでしょうか?」


 私はフレイアに笑顔を返す。


「許すも何も、悪いのは私です。フレイア様は何も謝ることはありません。どうか、そのようなことはおやめになって、お立ち下さい。私達は『親友』なのですから」


 私がそう言うと、フレイアは立ち上がる。しかし、その後は不満げに視線を下げて、私の両手を持ったまま、ずっと(はな)してくれない。


「あの……、フレイア様? 紅茶をお入れしますので、手を放していただけませんか?」


 私がそう言うと、フレイアの頬がどんどん赤くなってきた。そして、私の両手を握る力が強くなる。


 私がフレイアに再び手を放すように言おうとした瞬間、フレイアが視線を上げて私をじっと見た。


「エッ……エレナさん!」


「はいっ!」


 私がフレイアの大声に驚くと、彼女は顔を真っ赤にして、私に頭を下げた。そして、再び大声で叫ぶ。



「どうか、私と結婚してください!」



 私は完全に言葉を失った。彼女はゆっくりと顔を上げる。


「私が求婚できる立場ではないと分かっています。エレナさんをあんな風に振っておいて、今さら求婚なんて、本当に虫が良すぎます……。ですが、あれから私の日々は味気ないものになってしまいました。何をするにも、エレナさんの顔が浮かびました。食事の時も、軍の業務の時も、ソフィア様を訪ねた時でさえ……」


 彼女は私の手を持ったまま、申し訳なさそうな表情で、視線を下げた。


「この求婚は、公爵家の力を使った強制ではありません。ここには誰もいません。ですから、もし断りたければ、どうぞ断ってください」


 私はフレイアの手を振り払う。フレイアが驚いて視線を上げると同時に、私の(ほお)を涙がツーっと流れた。


「……やっぱりフレイア様は意地悪です。先程の私の言葉をこっそり聞いておきながら、余裕な顔をして求婚するなんて……。フレイア様は、私がその求婚を喜んで承諾するとでも? ずっとフレイア様に無視されてきて、(つら)い思いをしていた私が何の抵抗もなく求婚を受け入れるとでも?」


 フレイアは、私が放った嫌味に残念そうに視線を下げた。


 私はそんなフレイアの視線の先に(ひざまず)いた。涙目のまま、彼女を見上げるようにして笑みを向ける。


「……そうですよ。全て、フレイア様の目論見通りです。私は単純で頭が悪い人間ですから、こうして、フレイア様の言葉を心から喜んでしまいます。嬉しくて仕方がありません」


 私はフレイアの手を取る。そして、(うやうや)しく(こうべ)を垂れた。



「フレイア様の求婚、私でよろしければ、(つつし)んでお受けいたします」



 私の言葉を聞いて、フレイアの顔がパアッと明るくなった。


「エレナさん! ありがとうございます! 大好きです!」


 彼女は私の手を強引に引っ張って起立させると、物凄い力でギュッと抱き付いてきた。


「ちょ、ちょっと、フレイア様! 待ってください! 抱き締める力が強すぎますっ! どうしてこんな時に身体強化してるんですか!? 私、このままだと、婚約前にフレイア様に殺されてしまいます!!」


 私が必死にフレイアの背中を何度も叩くと、彼女は何かに気付いたように私の身体をパッと放した。


「あっ、そうでした。魔導石の指輪をはめたままでした」


 彼女は左手薬指にはめた赤い石の指輪を私に見せると、テーブルに移動して、いつの間にか置いてあった手提げ袋から箱を取り出す。そして、その箱をパカッと開けた。


 すると、フレイアが指に付けているものとほぼ同じ赤い指輪が現れた。


「これは、私が数か月を掛けて古代フラン王国の遺跡の迷宮に潜り、その最下層部の鉱床跡から掘り出したものです」


 指輪には淡く輝く真っ赤な石がはめ込まれている。じっと見ると、赤い石の内部で(もや)のようなものが揺らめいていた。人が体内で産み出した魔力とは異なる異質な力を感じる。


「……これは何でしょうか?」


「この世界で、最も高密度の魔力を蓄えられる魔導石です。この魔導石一つに、私が持っている魔力の千倍の魔力量が貯めこまれています」


「せっ、千倍!?」


 フレイアはその指輪の箱を、驚く私に差し出した。


「これは婚約指輪です。エレナさんのために取ってきました。数か月も留守にしましたので、エレナさんが私以外の誰かと婚約しないことをずっと祈っていました。その祈りが通じて、エレナさんはまだ独り身でしたので、本当に良かったです」


 ──フレイア様は、この指輪の石を取りに行っていたから、ずっといらっしゃらなかったんですね……。


 私は、わざとらしくプイっと顔を背けた。


「そういうことは、あらかじめ伝えておいてください! フレイア様が不在の間、私、本当に別の相手を探してしまいましたよ!」


「えっ……? そうなんですか?」


 フレイアは顔を引き()らせるが、私は彼女をジト目で見る。


「でも、フレイア様のことが好き過ぎて、結局良い相手が見つかりませんでした。もし仮に、私が誰かと婚約した後にフレイア様から求婚を受けていたら、私は……、私は全てに絶望して……」


 私は冗談で言ったつもりだったが、無意識に目から大粒の涙がいくつも(こぼ)れ落ちた。


「あれっ? どうしてこんなに涙が……」


 私が両手で懸命に涙を(ぬぐ)っていると、フレイアが私に近付いてきて、私の身体を抱擁する。


「えっ……」


 それは一瞬だった。フレイアは、私の唇に自身の唇を重ねた。


 私はあまりにも驚いて身体を硬直させたが、すぐに力を抜いて、私もフレイアの身体(からだ)を抱き締める。とても幸せな時間が、私を包み込んだ。


 しばらくして、私達は唇と身体を離した。


「エレナさん。心から愛しています」


「……フレイア様のバカ。こうやって誤魔化されてあげるのは、今回だけですからね。……私だって、フレイア様を心から愛しています」


 フレイアは、私が赤い顔で話す言葉に、同様に赤面して笑みを浮かべた後、魔導石の指輪を持って私の左手を取る。そして、私の薬指にスッと指輪を挿し込んだ。


 すると、私の身体に膨大な魔力が流れ込み、今までにない活力を感じた。勝手に強化魔法も掛かるようで、身体能力が向上している。最初のフレイアの抱擁がとてつもない力だったが、この指輪のせいなのは間違いない。


 私は先程のキスの余韻に頬を赤くしたまま、フレイアに問い掛けた。


「フレイア様、ありがとうございます。婚約指輪、とても嬉しいです。……でも、どうして、フレイア様は何か月も掛けて、私に膨大な魔力の入った魔導石の指輪を取ってこられたのですか?」


 フレイアは口元に手を当てて、可愛らしく笑みを浮かべる。そして、少し頬を赤くしながら、その答えを口にした。


「これで、私達二人は秘術を何度も使えるようになりました。私も、エレナさんも、当分は魔力不足に(おちい)ることはありません」


「…………え?」


「二人で愛を育んで、一緒に元気な女の子を産みましょう。目指すは二人での同時出産です!」


 私が顔を引き()らせて絶句する一方で、フレイアは満面の笑みを浮かべた──。


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