番外編(4) 秘術の発動
フレイアが秘術習得の訓練を始めてから約一週間が経過したが、その進捗はとても順調だ。
フレイアは、王国で王族に次いで大きな魔力量を保持する公爵家の人間であることや、元来の頭の良さもあって、魔法陣の描出や詠唱の暗記を、普通の貴族ではあり得ない速度で成し遂げていった。
私は秘術に関する自分の解釈ミスを把握するため、フレイアと一緒に訓練を行っていたが、習得速度の速い彼女に付いていくことができず、訓練の途中で何度も彼女に助けられた。
もしフレイアが古代ニホン語を読むことができ、天下一武闘会の前にこの王族の魔法書を手にしていたとしたら、彼女は間違いなく優勝していただろう。それも、誰も寄せ付けない圧倒的な強さでだ。
そして、訓練を始めてから一週間半が経過した頃、フレイアは魔法陣・詠唱・手振りやポーズを完璧にマスターした──。
◇ ◇ ◇
「それで、ソフィア様ったら、飲んでいたジュースを急に口と鼻から吹き出してしまったんです」
「ふふっ。フレイア様のいつものアプローチに驚くなんて、女王陛下らしいですね」
「ソフィア様は横を向いてジュースを吹き出したのですけど、その吹き出した先にアリエッタがいて、彼女の服にジュースが大量に掛かってしまったから大変なことになりました」
「あらら……」
「そこから二人の大喧嘩が始まりました。そうしたら、しばらくして、二人はギャーギャー言いながら部屋を出て行ってしまいました」
すると、フレイアは可愛く頬を膨らまして怒った顔をする。
「私を置いていくなら、美味しいお茶とお茶菓子をたくさん用意してからにするべきです!」
「フレイア様が怒るポイントはそこですか!?」
私達二人は同時に吹き出すように、声を上げて笑う。私はフレイアと同じ部屋で過ごすうち、とても打ち解けた関係になっていた。
こうした関係になれたのは、公爵家に滞在し始めてから数日が過ぎた頃、フレイアが「その堅苦しい話し方をやめてください」と言ったのが発端だ。結果的に、こうしてお互いの身分を気にせず、おしゃべりを楽しむことができようになった。
「フレイア様。それでは、そろそろ魔法の勉強を再開いたしましょうか」
私はフレイアとの話に区切りをつけ、対外向けの口実を口にして、彼女に人払いをお願いする。彼女はそれに従って、マリーを含む侍女達全員に退出を命じ、部屋の出入口の扉に鍵を掛けた。
私はそれを確認して、フレイアに笑みを向けた。
「秘術の訓練はもう十分だと思います。今日は、完成した秘術を発動させましょう」
一般的に魔法の発動は簡単だ。魔法が必要とする一定量の魔力を注ぐことで発動する。一方、練習時には、魔法が誤って発動しないように必要量の魔力を注がず、最低限の魔力で、魔法陣の描出や詠唱の練習をするのだ。
「ただ、正直なところ、何が起きるか分かりません。命を失うことは無いと思いますが、心の準備をお願いできますか?」
フレイアは神妙な表情で「はい」と頷く。私は説明を続けた。
「それから、緊急時の解除魔法の準備もお願いします。即座に発動できるよう、こちらの紙に魔法陣を描いて、必要な魔力を込めておいてください。『魔法の効果持続時間は約二時間』と魔法書に書いてありますが、異常が発生した際には、私がフレイア様の代わりに解除魔法を詠唱します」
「分かりました」
秘術が必要とする魔力量が半端ないため、解除魔法にも膨大な魔力が必要だ。
フレイアが時間を掛けて緊急時の解除魔法の準備をしている間、私は秘術を誰かに覗き見されないように、部屋中のカーテンを閉めて回った。また、カーテンだけではなく、部屋の壁面にも防音魔法と魔法障壁を施した。かなり魔力を消費したが、用心するに越したことはない。
フレイアは解除魔法の準備を終えて、淡く魔力を放つ魔法紙を私に手渡す。私はそれを受け取ると、フレイアから数メートル後方に移動した。
「それでは、フレイア様。始めてください」
フレイアは私の合図を受けて、軽く目を閉じる。すると、彼女から普段とは異なる淡く白い光が漏れ始め、床面に魔力供給用の巨大な魔法陣が出現した。上級魔導士でも描出に苦労する非常に複雑な魔法陣で、彼女がこれを難なく使いこなせることが信じられない。
フレイアは目を開くと、目の前に右手でサラサラと秘術の魔法陣を描出する。そして、手を祈るように組んで魔法の詠唱に入った。
「人の創造主に願う。我は、人の理を超えて、新たなる命の創生を望む者なり……」
魔法書によれば、創造主への呼び掛けで始まるこの詠唱は、同一の意味であればどの言語で唱えても良い。しかし、ライゼンハルト語だと、その長さは、魔法書と同じ大きさのメモ用紙で二ページ分もある。
秘術は、その内容を間違えることなく、順番に唱えることが必須とされていた。そして、「多くの場合、詠唱を間違えると魔法は発動せず、魔力だけが持っていかれる」ということだった。
私はフレイアの詠唱に間違いがないか、魔法書とメモを両手に持ち必死に確認する。間違えた時に魔力が持っていかれてしまうなら、早めに詠唱を打ち切った方が良い。
しかし、彼女は一言も間違えることなく、魔法を唱え切った。
フレイアの目の前に浮かんでいる魔法陣が輝きを増した。そして、彼女の周りに風が吹き始めると共に、床面の魔法陣から光が立ち上る。この現象は、上級以上の魔法が発動する時の合図だ。
フレイアは服を風になびかせながら、一旦両手を左右に広げ、そのまま上方に持っていった。
最後に、魔法書に書かれた魔法発動のための言葉を叫ぶ。
「異界魔法、オルガナ・ゲニテリア・メタモルフォーシスッ!!」
フレイアの目の前と床面、二つの魔法陣の輝度が増した。
私はその光量に耐えられず、思わず魔法書で顔を覆って光を遮ったが、その端からチラリとフレイアを見ると、彼女の身体がふわりと宙に浮んでいた。そして、12本の虹色の光の矢が、フレイアの腰の周りを取り囲んでいるのが見えた。
──あれは何!? もしかして、詠唱の翻訳を間違えた!? 魔法陣に足りない部分があった!? 攻撃魔法に変わってしまったの!?
私が動揺している間に、12本の矢が一気にフレイアの腹部を貫いた。
「フレイア様ッ!!」
私は魔法書とメモを投げ捨てて彼女に駆け寄る。しかし、すぐに魔法は消え去り、その場には着地したフレイアが立っていた。腹部から出血している様子はない。
「フレイア様!! 大丈夫ですか!? お怪我はありませんか!?」
フレイアは目を大きく見開いたまま、呆気に取られたように突っ立っている。
私はフレイアの正面に立って、彼女の肩をゆすった。
「フレイア様!! お気をしっかりして下さい!!」
フレイアは私の声に正気を取り戻すと、視線を上げて、驚いたような表情のまま私の顔を見る。
「……エレナさん。秘術は発動したのですか?」
「分かりません。ですが、二つの魔法陣は一瞬で消え去りました。もしかすると、秘術の起動に失敗したのかもしれません」
フレイアはしばらくボーっとすると、視線を下げる。そして、右手を下腹部に持っていった。
「…………」
「フレイア様? どうされました? 痛いのですか?」
フレイアの顔が次第に真っ赤になり、目に涙が溜まってきた。
「もしかして、大量に魔力を使いすぎて気分が悪いのですか?」
フレイアはフルフルと首を左右に振った。そして、唇を震わせながら口を開いた。
「あっ……あります」
「えっ……?」
「……男性のアレがあります!」
私は無言のまま、視線をフレイアの下腹部に向けた。
「凄く違和感があります。なんとも言えない気分です。股の間が少し窮屈です。部屋に誰もいないなら、下着を脱いでおくべきでした……」
スカンツは元々布地に余裕があるため、外見上の変化はない。男性にしても、ズボンの上から性器の形状が確認できることはないため、それと似たような状況だと考えられる。
私は少し考え込んだ後、視線を上げてフレイアの瞳をじっと見つめた。
「フレイア様。秘術が成功したかどうかを確認したいので、スカンツを下ろして実物を見せていただけ……ぐぅっ!!」
フレイアの全力の平手打ちが、私の頬に炸裂した。
私は女性貴族らしからぬ声を上げながら、身体ごと数メートル吹き飛ばされた。
「バカッ!! バカバカバカッ!! そんなこと、できるわけがないでしょう!! 変化したとはいえ、これは私の陰部の一部なのですよ!? 絶対に見せられませんっ!!」
フレイアが戦闘以外で私に暴力を振るうのも、「バカ」と叫ぶのも初めてだ。それだけ動揺しているという事だろう。
私はぶたれてジンジンとする頬を押さえながら、眉間に皺を寄せて荒く息をするフレイアの下に戻った。
「お気持ちは分かりますが、秘術はまだ実験段階です。もし大きさや形状に間違いがあれば、魔法書を再び読み直さなければいけません。私がフレイア様の実物を確認しなければ、魔法書のどの部分を見直したら良いのかが分かりません」
フレイアは俯くと、涙目のまま口を噤む。
「エレナさんの言っていることは分かりますが……」
フレイアはそれだけ言って黙り込んだ。
しばらくして、彼女は私に上目遣いの視線を向けると、真っ赤な顔で身体を震わせながら口を開いた。
「……きっと、触ったりもするのですよね?」
私は「はい」と頷く。
「フレイア様の恥ずかしいお気持ち、とても良く分かります。しかし、秘術で変化させたフレイア様の性器は、将来、女王陛下の胎内に入れて子種を注ぐかもしれないものです。万が一のことがあってはいけません。女王陛下に怪我をさせないように、安全性を確認することは最も重要なことです」
フレイアは再び黙り込んだ。彼女は子供がべそをかいているような表情を浮かべている。そのまま、時間が過ぎていった。
「……分かりました」
彼女は突然、呟くように私の言葉に答えた。そして、顔を上げて私を睨むように見つめると、人差し指をビシッと私に向けた。
「ですが、このような辱めを受けるなど、やはり納得できませんっ! エレナさんも秘術を発動してください! 今すぐ!」
「へっ……?」
「お互いに見せ合いっこしましょう! 私だけ見せるのはダメです! エレナさんも恥ずかしい思いをするべきです! 恥ずかしさが分かるなんて言葉は大嘘です! 屈辱は友人同士で共有するべきですっ! これはお願いではありません! 命令です!!」
「えぇぇ~っ!!!?」
こうして私も、秘術を発動することになってしまった……。
私は秘術を使えるほどの魔力を持っていないため、フレイアの魔力を使って秘術を発動した。彼女と一緒に魔力供給用の魔法陣の中央に立ち、習得した秘術を詠唱する。
なんとか間違えずに一通りの詠唱を終えて、最後に魔法起動の言葉を発すると、私の目の前の魔法陣が光を発した。そして、先程と同じ現象が発生し、フレイアの魔力を得て生成された12本の虹色の矢が、私の下腹部に突き刺さった。
二つの魔法陣が瞬時に消えた後、私もフレイアと同じように呆然と立つ。そして、彼女がしたのと同様に、下腹部に視線を向け、右手を当てた。
「……フレイア様のお気持ちが分かりました。すごい違和感です。下着を脱いでおけばよかったです……」
私は半べそ状態でフレイアの前に移動した後、彼女とお互いに涙目で向き合った。
「それでは、フレイア様。私の掛け声と共に、スカンツと下着を下げてください」
「分かりました。でも、もしエレナさんが一緒に下げなかったら、私はエレナさんを本気で半殺しにします。いいですね?」
「ちゃんと一緒に下げますよ! 恐ろしいことを言わないでください!」
そして、私達は「せーのっ!」でスカンツと下着を下げ、魔法で変化させたモノを見せ合った。
「「…………」」
お互いの異様な姿を見た結果、私達は完全に言葉を失った……。
十秒ほどして、どちらからともなく、スカンツと下着を上げる。
「……フレイア様。見せ合いっこはやめて、そろそろ次の段階に進みませんか?」
「……はい」
フレイアは自分のベッドに移動して、倒れるように横になった。精神的なショックに加え、魔力を二人分供給した疲れもあるのだろう。
一方の私は秘術の成功を確認するため、フレイアの実物を確認するのを諦めて、椅子に座って改めて自分のモノを確認した。精神的なショックは大きいが、自分で秘術を発動したおかげで、形状や大きさを細かく観察し、状況を理解することができた。
観察の結果、意外だったのが、秘術によって女性器が消滅するのではなく、その一部が変化して男性器になるだけだということだった。秘術の発動中は両性具有の状態であり、女性器の機能は消滅していない。また、男性器は神経が通っており、魔法で形成した未知の物体ではなかった。
──大きさや形状が、図鑑で見た記述と一致します。秘術は成功と考えて良さそうですね。
フレイアが脱落する中、私はそのまま「セイシ」を生成する秘術の実験に移った。その原料は、身体の一部であれば何でも良いらしい。しかし、生成されるセイシの液量は、原料に含まれる「サイボウ」の量で決まるとのことだった。
魔法書では血液の利用を推奨していたものの、今回は単なる生成実験であったため、私は良く分からないまま、髪の毛をすいて落ちた毛を使って、セイシの生成実験を行った。
「……意外とあっさりと、セイシを生成できてしまいました」
私は性器を変化させる秘術と同様に、セイシ生成の秘術にも苦労すると思っていた。しかし、私の魔力量でも容易にセイシを生成できてしまった。私は、目の前の皿の上の液体をじっと見つめる。
──「セイシ」は子種ということですが、全く「種の粒」が見えないのはどういうことなのでしょう……。
私が顎に手を当てて考え込んでいると、私の生成実験に気付いたフレイアが、ベッドから起き上がって私に近付いてきた。
「エレナさん。これが『セイシ』ですか?」
「はい、そうです。私の魔力量でも簡単に生成できました。ですが、子種が見えないのです」
フレイアも皿の上の液体をじっと見る。
「先日聞いたジュセイランを作る基礎知識ですと、セイシはランシと融合させて初めて、本物の子種になるのではありませんでしたか?」
「そういえばそうでした。すると、この液体が女性の胎内でランシと融合して、魔法のように実体化するのかもしれません。初期状態が液体なら、男性器での注入時の扱いも簡単ですね」
私がそう答えると、フレイアが何かに気付いたように口を開いた。
「ふと思ったのですが、その液体をそのまま女性の胎内に入れてしまえば、秘術を使って男性器を生成する必要はないのではないでしょうか?」
私はポンと手を打った。
「確かにおっしゃる通りです。……ですが、魔法書の手法が、それを採用していないのが気になります」
私は魔法書をめくり、セイシ生成の魔法の原文を再確認する。すると、私が秘術解読を優先して翻訳を飛ばしたアンとクレアの日記部分に、その答えがあった。
「アン様とクレア様は、今フレイア様がおっしゃった方法を試したそうです。しかし、『ジュセイランを作成するには、秘術で作り出したセイシでは数が足りなかった』ということだそうです」
「どういうことですか? 子種用のセイシは一つあれば良いのではないですか?」
私は魔法書を指でなぞりながら、原文をそのまま翻訳していく。私は判明した事実に、口元を押さえた。
「これは……」
「なんと書いてあるのですか?」
私は顔を上げてフレイアを見た。
「……通常、男女がランシとセイシを融合させて自然にジュセイランを作成するには、数億個のセイシが必要だということです」
「すっ……数億個!? 子種の素が数億個必要だということですか!?」
「はい。ですが、秘術で生成できるセイシはせいぜい数万個だそうで、強靭化されてはいるものの、普通に女性の胎内に注入すると数分で全滅してしまうらしいです。女性の胎内には、セイシを外敵と見なして攻撃する結界のような仕組みがあるそうで、アン様とクレア様の実験では、強靭化したセイシでも全て排除されてしまったということです」
「信じられません……。そのような仕組みの中、人は子をなし続けているのですか……」
私はアンとクレアの日記の続きを翻訳する。
「そのため、アン様とクレア様は男性器を生成する秘術の方に改良を行い、身体に害のないレベルで、セイシに弱い魔力の保護膜を施すようにしたということでした。この技術は、セイシの通り道である男性器にしか実装できなかったそうです」
フレイアはテーブルの上に置かれた魔法書に視線を落とす。
「なるほど。それが、二種類の秘術が存在する理由なのですね……。アン様とクレア様の知識は、ライゼンハルトの学問とは全く違っていて驚くことばかりです」
私はフレイアに同意するように頷いた。
「きっと、これが『ゼンセ』という魔道具による知識なのだと思います」
私はそう言った後、笑みをフレイアに向けた。
「いずれにしましても、これで必要な秘術は一通りマスターできました。フレイア様、大変お疲れさまでした。あとは、女王陛下と婚姻を結び、夜伽の約束をしていただくだけです」
私がそう言うと、フレイアは困ったように苦笑した。
「簡単に言いますけど、それが私にとって一番難しいことなんですよ」
そして、フレイアは自分の下腹部に視線を向ける。
「……でも、コレ、どうやって使うのでしょうか。セイシを根元部分に転移させるところまでは分かりましたが、その射出方法が分かりません。……魔法で射出できるのでしょうか?」
「そういえば、アン様とクレア様は『男女のように夜伽をした』と書いていらっしゃいましたが、具体的な方法は私も把握していませんでした……」
私は魔法書をめくって、アンとクレアの日記を何度も確認する。
しかし、魔法書のどこにも、セイシの射出方法は書いていなかった──。