番外編(2) 魔法実験の失敗から生まれたもの
アンとクレアが古代フラン王国を事実上滅ぼした後の日記は、暗い話が殆ど無くなった。
王国滅亡後、二人は現在のライゼンハルト王国王都にあたる小さな村で暮らし始めたそうだ。しかし、日記の記載にカーン文字が一気に増えたため、ヒラガーナ文字とカタカーナ文字だけを読んでいても、内容が全く分からない。どうやら二人の愛のイチャイチャ生活が記されているようだ。
フレイアはテーブルに身を乗り出してその内容を知りたがったが、私が読めないことを伝えると、渋々椅子に腰掛け直した。予想される内容が内容だけに、私が読めないカーン文字主体で助かった。
しばらくすると、日記の文体が変わった。どうやら、書き手がクレアに変わったようだ。
そして、「女性同士で子をなす秘術」に関する説明が現れ始める。クレアが秘術を後世に伝えたかったからなのか、説明文はヒラガーナ文字とカタカーナ文字を多用して書かれていた。
「フレイア様。アン様の日記部分が終わり、女性同士で子をなす秘術の節に入りました。ここからはクレア様による魔法の技術説明のようです」
テーブルを挟んで目の前に座るフレイアは、興奮した様子で頬を赤くしながら、私の翻訳を待つ。
「まず、基礎知識として、人が子をなす仕組みの説明からです。人が子をなすには『イデンシ』というものを融合させ、『ジュセイラン』という特殊な卵を作成する必要があるそうです」
「イデンシ? ジュセイラン? 魔法学園では聞いたことがない言葉ですね……」
フレイアが可愛く人差し指を頬に当てて、難しい表情を浮かべた。
「『イデンシ』は、男女に関係なく、万人が全身に持っている人体の設計図だそうです。子をなす時、男性は自らの形質を『イデンシの船』に乗せて放出し、女性はそれを胎内で受け止めて自身のイデンシと融合させることで、二人の形質を持つ子供の設計図とするそうです」
「う~ん、マリーから聞いた話とは異なりますね……。マリーからは、男性の子種が子供の原型であると聞きました。ですから、子種を女性の胎内に入れなければならず、それが夜伽という儀式であると……」
私はフレイアの言葉に頷く。
「私も家庭教師から、フレイア様と同じように教わりました。その時の話では、女性には形質を伝える特殊な霊力があり、その霊力で男性が提供した子種を育てるということでした。ですから、女性は子種に霊力を注ぐことしかできず、女性だけで子をなすことは不可能だと思っていました」
私は魔法書に視線を落とす。
「しかし、アン様とクレア様は『それは違う』と書いておいでです。子種の半分は、私達女性の中にあるそうです」
フレイアは怪訝な表情を浮かべた。
「……仮にアン様とクレア様が正しいとして、一体どこでそのような知識を得られたのでしょうか?」
私は魔法書を読み進める。すると、欄外に注釈が書かれていた。
「魔法書の記載によると、お二人は『ゼンセ』という知識の泉をお持ちだったそうです。もしかすると、『ゼンセ』は、あらゆる世界の知識を得るための魔道具だったのかもしれません」
フレイアは軽く溜息を吐いた。
「『ゼンセ』というものの信憑性は気になりますが、ライゼンハルト王国の開祖にあたる方々ですから、エレナさんのおっしゃる通り、伝説の魔道具をお持ちだったのでしょう。ここで『ゼンセ』を疑っても仕方がありませんので、とりあえず先の翻訳をお願いできますか?」
私は「はい」と頷いて話を続けた。
「お二人が開発した秘術の根本原理は、今お話しした『ジュセイラン』を作り上げることだそうです。そのため、お二人は様々な方法を試したと書いてあります」
アンとクレアは、ジュセイランを作り上げるために多くの魔法を開発したようだ。例えば、以下のような魔法だ。
二人の胎内から『ランシ』を取り出して、強制的に融合させる魔法。二人の皮膚の組織を少しだけ剥がして融合させ、それをジュセイラン化させる魔法。二人のランシから取り出した核だけを融合させて、ランシに戻す魔法。二人のランシを同じ場所に同時に強制転移させて、存在を重ね合わせて再構成する魔法……。
しかし、いずれの魔法も失敗だった。ジュセイランは生命を宿さず、子種として成長することはなかった。
フレイアが残念そうな表情を浮かべる。
「そうですか……。もしかして、このままお二人の魔法が完成することはなかったのでしょうか?」
「ライゼンハルト王家が存在していますので、そのようなことはないと思いますが……」
私はそう言いながら、魔法書のページをめくる。そして、次の段落の翻訳を行うと、フレイアの質問に対する答えが記載されていた。
「お二人は数々の魔法を試す中で、偶然、ある魔法を見つけたそうです」
「えっ!? そうなのですか!? それは一体、どのような魔法なのでしょうか?」
魔法書によれば、その魔法は、魔法実験の準備中に偶然見つかったそうだ。
ある日、アンとクレアは魔法実験用の「ランシ」を取り出すために、いつものように自分の腹部に強大な魔力を注いでいた。生身の身体を操作するこの魔法は、とても難易度が高く、複雑な魔法陣と特殊な詠唱が必要だったという。
しかし、魔力注入時、アンはそれまでの魔法実験の疲れから眠気に襲われ、魔法陣の一部の形状を間違えてしまった。加えて、詠唱時の重要な単語を一つ唱え忘れてしまう。
クレアが無事にガラスの器にランシを取り出せた一方で、アンは突然大きな吐き気に襲われた。
アンは崩れ落ち、その場に四つん這いになって、直前に取った食事を全て床に吐き出した。
彼女の下腹部は大きな違和感に襲われ、次第に高熱を帯びてきた。クレアがアンを救うため、下腹部に必死に治癒魔法を掛けるが、全く効果はなかった。アンは倒れたまま、眩い光に覆われた。
「そっ……それで、アン様はどうなったのですか!?」
私の説明に、フレイアがテーブルに身を乗り出す。
私は彼女に「次の段落を読みますので、少々お待ちください」と言って、続きの翻訳を開始した。しかし、その途中で、私は驚きのあまりメモを書く手が止まった。
「……エレナさん? どうしました?」
隣に移動してきたフレイアの声で、私は正気を取り戻す。
「何が書かれていたのですか?」
「……フレイア様。これは驚くべき内容です。こんなことがあり得るのでしょうか……」
「何なのですか? 気になるではありませんか。焦らさないで、早く教えてください」
私は隣のフレイアに視線を向けると、じっとその瞳を見つめた。
「アン様が魔法を間違えたことによって……」
私の言葉に、フレイアが息を呑む。
「アン様の性器の一部が……」
私は一呼吸おいて、最後の言葉を発した。
「男性化してしまったそうです!」
「……へっ?」
フレイアがポカーンとした表情を浮かべた。
無理もない。命の危険が迫っていたのかと思ったら、意外と間抜けな結果だった。
私はその先の段落の翻訳を再開し、順番にフレイアに説明していく。
性器が男性化する魔法は、一時的に発現する魔法だったそうで、二時間ほどでアンの性器は元に戻ったらしい。また、魔法で性器の形状は男性化したものの、その機能は何も無かったとのことだった。
しかし、アンとクレアは、この魔法実験の事故でひらめきを得る。
二人は間違えた魔法陣と詠唱を何度も繰り返し、詠唱者の女性器を安全に男性化させる魔法を開発した。しかも、そこに改良を加え、男性器の本来の機能を有効化させることにも成功したという。
「また、別の特殊な魔法によって、術者の皮膚や髪の毛の『イデンシ』から、少量の強靭な『セイシ』を生成できるようになったとも書いてあります」
「『セイシ』? セイシとは何でしょうか?」
私は途中の記述を飛ばして、魔法書のページをめくっていく。すると、数ページ先に、「セイシ」に関する欄外の注釈が見つかった。私はその注釈を翻訳した。
「注釈によると、『セイシ』は私達が知る『子種』のことのようです」
私は元の段落に戻ると、続きを指でなぞりながら、翻訳を進める。
「天の理により、女性の『イデンシ』からは女子の源となる『セイシ』しか生成できないそうです。しかし、それを魔法で生成した男性器に転移させることで、安全にジュセイランを作成できる見込みが立った、と書いてあります」
フレイアが席を立って私の横に移動し、お辞儀をするようにして、興味深げに魔法書に顔を近付けた。
「なかなか難しいお話ですね。イデンシやランシ、セイシ、ジュセイランの関係が、私にはさっぱり理解できません……。それで、お二人はその後、どのように子をなしたのですか?」
私は、古代ニホン語で書かれた続きの段落に視線を落とす。
「え~っとですね……」
子をなす方法に関する部分は、なぜか数行程度の記載しかなかった。そのため、私はメモを取らず、そのまま声に出して、文章を翻訳する。
「『アンは、魔法で変化させた自分の男性器にセイシを転移させると、私と夜伽を行い、普通の男女がするように性器を交わらせて、ジュセイランを作成した』……そうです」
「…………」
隣に立つフレイアが目を大きく見開いて、魔法書に視線を向けたまま固まった。
私は放心状態のフレイアを気にしながらも、その先を翻訳していく。
アンとクレアはこの秘術で何度も愛を育み、二人で合わせて四人の女子を産んだそうだ。アンが産んだ女子は後のライゼンハルト王国の初代国王となり、クレアが産んだ三人の女子はレーゲンス・ナヴァル・リーヴァイの三大公爵家の源流になったということだった。
私は、段落の最後に書かれた一文を、固まったままのフレイアに伝えた。
「『二人で色々と試したが、これが一番自然の摂理にかなっており、人間にとって安全で、子をなすには最も確実な方法だった』と結論付けられています」
フレイアは起立の状態に姿勢を戻すと、真っ赤な顔を私に向けた。
もしかして、女性同士でありながら、子をなすために男女の行為をすることがショックだったのだろうか。
彼女は、唇を震わせながら口を開いた。
「……素晴らしいです」
「えっ……?」
「本当に素晴らしいです! これこそ、私がずっと求めていた究極の魔法です!」
フレイアは興奮した様子で、嬉しそうにしながら胸の前で両手を合わせる。
「これなら、ソフィア様にご負担を掛けずに、私の子種をソフィア様に送り込めるではありませんか! もしソフィア様がそれを嫌がったとしても、ソフィア様にこの魔法を習得して頂ければ、私に子種を送り込んでいただけます!」
彼女は自身のお腹をさする。
「あぁ、早くソフィア様との子が欲しいです。夢にまで見た、ソフィア様と私の子……」
フレイアは顔を上げると、私の手をギュッと握った。
「今すぐその魔法陣と詠唱する魔法を教えてください! 練習したいです!」
私は魔法書に視線を戻して、ページをパラパラとめくる。
「……えっと、申し訳ありません。秘術の説明部分は、日記部分の約十倍の量があります。全てを読んだ上で魔法陣を理解し、詠唱をライゼンハルトの言葉に変換するには、おそらく一週間以上掛かると思います」
フレイアは不満げな表情を浮かべた。
「もう少し早くはならないのですか?」
「申し訳ありません。これが私の限界です」
フレイアは腕を組んで考え込んだ後、呟くように口を開いた。
「古代ニホン語を普通に読めるのはエレナさんしかいませんし、この魔法書の内容は機密事項ですから、他の魔導士に頼むことはできません……。であれば、仕方がありませんね……」
フレイアは再び私に視線を向けた。
「エレナさん。今日からここで、つまり私の部屋で、私と一緒に一か月間を過ごしましょう。エレナさんの滞在用の個室は準備しないことにします」
「えぇっ!?」
フレイアの部屋で心身が休まるわけがない。こんな人と一日中一緒なんて悪夢だ。
その感情が、思わず私の表情に出てしまった。
「おや、その反応はもしかして、私と一緒にいるのが『嫌だ』と言いたいのですか?」
「いっ……いいえ! そんなことはありません! でも、ご一緒の部屋で寝起きするなんて畏れ多いです! 私の気が抜けてしまって、きっと、たくさんの無礼を働いてしまいます!」
フレイアは私を見て、軽く眉間を寄せた。
「何を言っているのですか? エレナさんは既に、公爵家の私に随分と無礼な態度を取っていますよ?」
それを聞いて、私は言葉に詰まった。
確かに、ここに連れて来られた時から、私はフレイアに対等で遠慮しない物言いをしている気がする。
フレイアは私を見てニッコリと笑う。
「まぁ、エレナさんが、私の『友達』になりたくないのは分かっています。でも、そんな冷たいことを言わず、ぜひ仲良くしましょう。私はエレナさんと本当の友達になりたいと思っています」
「フレイア様……」
私はフレイアの言葉を聞いて、胸が熱くなった。
もしかすると、私は彼女のことを誤解していたのかもしれない。我儘なところもあるが、こうして二人だけの時にむやみに権力を振りかざさないところを見ると、根は良い人なのかもしれない。
フレイアは、椅子に座る私の両手を取った。
「さぁ、私の部屋で、寝る間も惜しんで魔法書を翻訳してください。私はこれから食事に出ますが、エレナさんにはサンドイッチとお茶を持ってくるように侍女に指示します。部屋には鍵を掛けておきますから、私が帰ってくるまで、心ゆくまで翻訳してくださいね」
──前言撤回です……。やっぱり早く帰りたい……。
私は部屋を出て行くフレイアの後姿を見て、溜息を吐きつつ、がっくりと肩を落とした──。