第十話 さあ、願いを言え!(エピローグ)
ソフィアがスカートの端を持ちながら、満面の笑みで、壇上を中央の玉座の前に移動していく。その服装は、以前、王宮図書室で見た不思議なデザインのドレスだ。
私とフレイアは、赤絨毯の上に跪いた。
私はソフィアが玉座に着席したのを確認して、家庭教師から習った国王への謁見時の口上を述べた。
「女王陛下におかれましてはご機嫌麗しゅう、恐悦至極に存じます。ライゼンハルト王国の益々の繁栄を願い……」
私が口上を述べていると、ソフィアが眉尻を下げ、面倒くさそうに手を左右に振って苦笑した。
「そんな挨拶は要りません。ここには私達四人しかいないんです。気楽にいきましょう」
私はソフィアの言葉に「ありがとうございます」と答え、その場に立ち上がった。隣のフレイアも同時に立ち上がる。
ソフィアは玉座から立ち上がると、数歩前に出て私をじっと見る。
「それでは……、コホン!」
彼女は軽く咳払いした後、右手の人差し指をビシッと私に向けた。
「さぁ、願いを言え! どんな願いでも、一つだけ叶えてやろう!」
ソフィアがそう叫ぶ背後で、上級侍女のアリエッタが額を押さえて首を振っている。
私はその様子に呆気に取られていたが、隣のフレイアに応答を促されて正気に戻ると、大声で自らの願いを伝えた。
「わっ……私の願いは、私がローゼンタール伯爵家のご子息と結んでいる婚約を、女王陛下の力で無効にしていただくことです! よろしくお願いします!」
私がソフィアに負けない大声でそう言うと、ソフィアはきょとんとした表情を浮かべた。
「……え? そんなことでいいんですか?」
「はい!」
「『お金持ちにしてくれ!』とか、『侯爵にして欲しい!』とか、『広大な領地を分けて欲しい!』とか……ではなく?」
私は真剣な表情でコクリと頷く。
「私はそのようなものに興味はございません。自分で将来を決められる自由が欲しいのです。もし、自由を得るために特別爵位が必要なのでしたら、私にその爵位をください」
私がそう答えると、ソフィアは残念そうな表情を浮かべた。
「意外と現実的な願いですね。もう少し夢のある願いを期待していたのですが……」
私はその言葉を聞いて申し訳なくなり、少し視線を下げる。すると、ソフィアは腰に手を当てた。
「いずれにしても、女王の審査結果としては、エレナさんの願いは全く問題ないです。今日中に婚約破棄を女王の名前で承認する書面を準備しましょう。そして、エレナさんが独立するために、特別爵位を与えます」
私は嬉しさのあまり、謁見中にも関わらず、手を祈るように組んで満面の笑みを浮かべてしまった。
「ありがとうございます! 嬉しいです! 本当に、本当にありがとうございます!」
私は何度も何度もソフィアに頭を下げる。すると、ソフィアは鼻を鳴らし、右手をバッと前に差し出した。
「お前の願いは叶えてやった! さらばだ!」
ソフィアはそう言うと、再び呆然とする私達を置いて、壇上の横にある出入口に向かおうとする。
すると、隣に立つフレイアが一歩前に出た。
「ソフィア様、お待ちください。お話があります」
ソフィアはフレイアの言葉を聞くと、それを制止するように片手を上げる。
「フレイアさん、大丈夫です。フレイアさんにもちゃんと参加賞を用意してあります。少しだけ待っていてください。神龍は先程『さらばだ!』と言いましたので、一旦舞台袖に下がる必要があるのです」
玉座の後方で待機していた上級侍女のアリエッタが、「一体それのどこが面白いのですか? 私には、全く微塵もこれっぽっちも理解できません」と本人に聞こえるように言うのを聞いて、私は苦笑した。
バンッッッッ!!!!!
突然、巨大な破壊音が謁見の間に響いた。
私とアリエッタが驚いて音がした方向に視線を向けると、フレイアが強化魔法を掛けた拳を、赤絨毯の上から床に突き立てている。
ソフィアが慌てふためきながら、オロオロした様子でフレイアに声を掛けた。
「フッ……フレイアさん!? 突然どうしたんですか!? 参加賞では不満でしたか!?」
フレイアはゆっくり立ち上がると、怒りを含んだ視線をソフィアに向け、そして睨んだ。
「ソフィア様! 今すぐ玉座に戻ってください!」
「でっ……でも……」
「おふざけは終わりですっ!! 早く戻ってくださいっ!!」
「はひぃっ!!」
ソフィアは変な声を出して、慌てて玉座の前に戻った。そして、怯えながらフレイアに視線を向ける。
「あっ……あの、フレイアさん。ご用件は何でしょうか?」
フレイアは、脇に抱えていた魔法書をソフィアに見せるようにして差し出す。
「ソフィア様。これは何でしょうか?」
ソフィアは一瞬驚いた表情を浮かべた後、動揺した様子で視線をフレイアから外す。
「それは……、魔法書です」
「何の?」
フレイアの声は低く、ドスが利いている。
「王族の図書室にあった魔法書……」
フレイアは魔法書を持ったまま、数歩前に進み出た。そして、魔法書を前後に振る。
「どうしてこれをエレナさんが持っているんですか? これは貸出厳禁ではないのですか?」
「いや、そのぉ……、貴族令嬢天下一武闘会前に、読書会でエレナさんの時間を奪ってしまいましたので、そのお詫びにと……」
「ソフィア様は、この魔法書に何が書かれているか、ご存じですか?」
ソフィアは落ち着きなく視線をあちこちに向けると、フレイアに視線を戻す。
「え~っと、攻撃用の中級魔法がたくさん書かれていたと思います。……違います?」
フレイアはジト目でソフィアを見た後、私に視線を向けた。内容を説明しろと言いたいのだろう。
私は一歩前に出る。
「私から説明いたします。この魔法書には古代ニホン語で書かれたいくつかの章があり、その一つに『王権代理魔法』の秘術が書かれていました。私が武闘会で披露した魔法の数々は、その『王権代理魔法』で生み出したものです」
ソフィアはそれを聞いて、「あっちゃ~!やっぱり凄い魔法が書かれていたんですね」と言いながら、両手で顔を押さえた。
フレイアは、ソフィアに鋭い視線を向ける。
「そのご様子だと、魔法書の内容をご存じだったのですね?」
「いやいやいや! 全然知りませんでしたよ! 本当に知りませんでした! ね、アリエッタさん!」
ソフィアは玉座の後方のアリエッタに同意を求めるが、アリエッタはプイっと顔を背けた。フレイアはソフィアへの尋問を続ける。
「先程、『やっぱり凄い魔法が書かれていたんですね』と言いましたよね? あれはどういう意味なのですか? 何か心当たりがおありだったのですか?」
「いや、その……、武闘会中に何度も大きな魔力を持って行かれた気がしたので、もしやとは思っていたのですが……。まさか、伯爵家のエレナさんが古代ニホン語を読めるとは思わなくて……」
ソフィアは俯いてお腹の前で指をモジモジとさせる。もはや、ソフィアとフレイア、どちらが女王なのか分からない。
「ソフィア様。この件は大きな問題です。そして、ソフィア様から魔法書を渡されたエレナさんには罪はなく、これはソフィア様の落ち度です」
ソフィアはフレイアに怒られて、「ごめんなさい……」と子供のようにしょんぼりと頭を下げる。
フレイアは話を続けた。
「大衆の面前で、公爵家の私やベアトリスは大きな恥をかかされました。本音を言えば、私ははらわたが煮えくり返る思いです。この件、ベアトリスにも伝えざるを得ません」
フレイアがそう言うと、ソフィアは壇上から階段を一気に下りてきて、フレイアの前で膝を折って縋りついた。
「どうか! どうかそれだけはやめてください! 特別にフレイアさんのお願いを何でも一つだけ聞きますから、どうか許してください! ベアトリスさんに言い付けるのだけは、どうか!」
女王であるソフィアと公爵家の二人の関係がどういうものなのかは分からないが、目の前のソフィアはとても情けない。私は武闘会で対戦しただけだが、ベアトリスはそれほどまでに怖いのだろうか。
フレイアはソフィアの言葉を聞いて、ニヤッと笑った。
「ソフィア様、私の願いはいつも同じです。私と結婚してください」
「すみません! まだ私の心の準備ができていないので、それはまた別の機会でお願いします!」
フレイアはわざとらしく大きな溜息を吐く。
「……分かりました。仕方がないですね。それでは、別のお願いですが……」
彼女は、跪くソフィアに魔法書を見せるようにした。
「この魔法書を私にしばらく貸してください。私は国王軍の東部方面の将軍として、エレナさん以上の力を付ける必要があります。私も『王権代理魔法』の秘術を習得したいと思います」
「そんなことで良いなら、全く問題ありません! その魔法書、好きなだけお貸しします! なんでしたら、フレイアさんにプレゼントします! でも、ベアトリスさんには絶対内緒でお願いしますね!」
フレイアは優しい笑みを浮かべた。
「はい、ベアトリスには絶対に話しません。ライゼンハルトの神々に誓います」
フレイアがそう答えると、ソフィアはパァっと明るい笑顔を浮かべて、その場に立ち上がった。
「フレイアさん、ありがとうございます! 大好きですよ!」
ソフィアがフレイアにギュッと抱き付く。すると、フレイアは顔を真っ赤にして固まった。
──フレイア様は積極的なことをおっしゃる割には、結構初心な性格なのですね。
私はフレイアの戸惑う表情を見て、クスクスと笑った。
◇ ◇ ◇
私はソフィアとの謁見を終えた後、アリエッタにすぐに別室に呼ばれ、そこで二つの書面へのサインを求められた。
一つ目は、ローゼンタール伯爵家の令息との婚約破棄を命令する女王の勅書。会ったこともない彼には悪いが、私は両親に勝手に決められた婚約には従いたくない。まだまだやりたいことがたくさんある。私は躊躇なく、その書面の同意欄にサインした。
二つ目は、特別爵位を叙爵するという旨の女王の任命書だ。私は「シェラー特別伯」の名を賜った。任命書に受諾のサインをした瞬間から、私は「シェラー特別伯エレナ」を名乗ることができる。領地は無いが、王国から年金が支給され、王都の貴族向けマンションの一室が与えられた。
サインを終えた二つの書面を持つ私の手が震えた。私はそれらの書類をアリエッタに手渡す。
「おめでとうございます。シェラー特別伯。これで婚約破棄と叙爵の手続きは終了です」
アリエッタはとても優しい笑みを浮かべる。彼女は上級侍女に相応しい佇まいで、ソフィアの前以外では愛想が良い。どうやら私の家の事情も知っている様子で、私の独立に必要な一連の手続きが書かれた紙を手渡してくれた。
「リヒター家に戻りたくない場合は、引っ越し作業を王国政府が代行することも可能ですので、必要でしたらおっしゃってください」
私は頬を紅潮させて「ありがとう。どうか、女王陛下によろしくお伝えください」と言葉を返した。
アリエッタが部屋を退室した後、誰もいなくなった部屋で、私は窓際に移動する。
まだあまり実感はないが、特別伯の地位を得た私を制限するものは何もない。リヒター伯爵と同格であり、全ての権利は私が持っている。婚約することも、それを破棄することも、私の自由だ。
──本当に良いタイミングでした。私がこうして自由を得られたのは、ライゼンハルト王国で女性貴族の地位が上がり、フレイア様やベアトリス様のような方々がその地位に相応しい実力を示してくださったおかげです。
私は我慢しきれない喜びをギュッと噛み締めると、片手を握りしめて、その拳を天高く突き上げた。
「やったーっ! これで自由です! 食事が好きな時に食べられます! いつ出かけても怒られません! 汚い言葉遣いをしても誰も何も言いません! 古い王国貴族なんて、クソくらえっ!」
こうしてライゼンハルト王国初の貴族令嬢天下一武闘会は終了し、私の第二の人生の幕が開けた。
【おわり……?】