2024年10月13日午後6時39分渋谷区
1
黒原綺世は渋谷にいた。
魔術テクノロジーの進歩により、東京は見違えるほどに近未来的な街へとなった。空には飛行バスが行き来し、そのさらに上には無数の人工衛星が星のように瞬いている。
ここ渋谷の中心街には至る所に摩天楼が聳え立っていて、その足元を多くの人々が歩く。夕方の渋谷の活気は凄まじい。
仕事帰りの大人たちが居酒屋で騒ぎ、バイクに乗ったチンピラが大きなエンジン音をあげている。
夕焼けに染まり、燃えるように輝いている渋谷区の大通りを、綺世はするするとした足並みで闊歩していた。
彼のその碧い瞳がゆらゆらと揺らめき、真っ黒に染まった髪は風に当たって靡いている。
今の彼には先程までのような笑顔はない。それどころか犬や猫が逃げ出してしまうような重苦しいプレッシャーを全身に纏っている。
まるで、これから重大ななにかがあるかのような雰囲気だった。
2
黒原綺世は大通りを出て、居酒屋やラブホテルなどが立ち並ぶ路地に抜けた。
そこは仕事帰りの人が増える夕方とは思えないほどに不気味にしんと静まりかえっていた。そして、そこに立ち並ぶ店はどこもかしこも廃墟のように埃にまみれ、壊れた家具がゴミの様に積み上げられている。
しかし少年は特に何も気にする様子もなく、その場所を歩き始める。
その歩みに迷いはない。
まるで、いつもの通学路を歩いているような足取りをしていた。
周りが殺風景なおかげで彼がこの場所にいるのがとても不自然に感じる。だが、そんなことを気にする様子はなく、綺世は歩き続ける。
歩き始めて少ししたところで彼の足がピタリと止まった。
綺世の視線の先に、髪を金に染め、体の至る所にギラギラとした趣味の悪いアクセサリーを身につけている、いかにもチンピラというような三人組の男たちがいたからだ。
そして彼のほうをニヤニヤと悪意に満ちた顔で見つめている。
リーダー格のような男が口を開く。
「そこの可愛いお顔の兄ちゃん、ダメじゃぁないか。こんなところ1人で歩いたら、どうぞお金をとってくださいって言ってるようなもんだよ?」
また、別の男が言う。
「つーことで金だけおいてったら乱暴はしないけど、どうする?」
「……、」
「おい! なんとか言ったらどうだ⁉︎」
リーダー格の男が苛立ち怒鳴った。しかし、少年は無言を貫く。
「チッ、シカトかよ。まぁいい。すぐに分からせてやるからよ!お前ら行け!」
痺れを切らしたリーダー格の男は手下の二人に命令した。
そして命令を受けたチンピラたちが少年に向かって、拳を構えながら一直線に突撃してきた。
その拳は鉄のような銀色に変化していて、見るからに硬そうだ。おそらく、リーダー格の男が彼らの拳に魔術を付与したのだろう。
この状況、普通の高校生なら大抵さっさと逃げ走ってしまう。
ガタイのしっかりした男二人が殴りかかってきたら恐怖で顔を歪めて逃げ走るのは当たり前だ。よっぽど腕に自信がない限り、戦わない方が良いに決まっている。
ただ、もう逃げることはできない。チンピラの一人が目と鼻の先まで来ていた。
しかし、黒原綺世は動かない。
チンピラの拳が数十センチメートル先まで迫る。
しかし、黒原綺世は平然としたまま立っている。
チンピラの拳が数センチメートル先まで迫る。
『『『ズゥゥンッッッ‼︎』』』
辺りに鈍い重低音が響いた。
ただ、これは綺世が殴られた音ではない。
チンピラたちが突如地面に沈んだのだ。
チンピラたちは地面に突っ伏しながら失神し、彼らの周りの大地は大きくひび割れた。
「なっ!何が起こった⁉︎」
リーダー格の男が叫ぶ。
その問いに対する返事は帰ってこない。
「舐めるなよ‼︎」
仲間を一気に二人も失ったリーダー格の男は、自身の拳を鉄に変化させ、綺世に向かって攻撃を仕掛ける。
そんな男に対して綺世は何もしない。
だが綺世と一定の距離まで近づいたところで男は進行方向とは反対に強烈な抵抗を感じ、後ろへ倒れ込んだ。
「…何だ…これは」
正体不明の力というのは怖いものである。
リーダー格の男は何が起こったのかわからず恐怖で腰を抜かす。
綺世はそんな男へと一歩ずつ歩を進め始める。
その顔にはいつの間にか笑顔が戻っていた。
しかしその笑顔は先程まで学校で見せていた笑顔とは違う、狂気に満ちた笑みだ。彼の碧眼は大きく見開かれ、口元には笑みが溢れる。
まるでこの蹂躙を楽しんでいるかのように。
そんな彼の顔に恐怖したのか、男は逃亡を図った。
ところが、
『『『ズゥゥンッ‼︎』』』
再び重低音が響く。
地面に大きな亀裂が入る。
リーダー格の男はひび割れた地面の上に大の字になってに転がっていた。
だが辛うじて意識はあるようだ。
「クソッ!なんだこの体の重さはァ⁉︎これは…重力か⁉︎」
「せぇかい」
綺世が初めて口を開く。
男は驚きと恐怖が入り混じった表情を見せる。
そして何か思い出したように目を見開き震え出した。
「黒髪で碧眼、重力を操る魔術っつったら…おっ、お前は‼︎」
男は叫ぶ。
「序列第七位‼︎‼︎重力操作魔術の使い手『黒星』ッッ‼︎」
次の瞬間、男の意識は完全に暗転した。
3
すでに太陽は沈み、辺りが闇に呑み込まれていく。
ただでさえ不気味だったこの路地が日が落ちたことで、さらに不気味に感じられた。
「相変わらずの狂戦士ぶりやな」
綺世の後ろから声が聞こえる。
闇の中から二十代前半くらいの年齢のサングラスをかけた小柄な男が現れた。髪型は金髪に染めたオールバックで、その体からは香水の甘い匂いが漂っている。
「何だ、情報屋か」
綺世は答える。
「綺世クン、せっかくいいお顔してはるのに戦うとき下品にわろうてはるやん。あれ勿体ないで」
「うるさいな。黙っててくれ」
「反抗期かいな綺世クン。大人の言うことはちゃんと聞いたほうがええで」
「お前もそこのチンピラみたいになりたいか?」
綺世の口角が少し上がる。
だが情報屋と呼ばれる男はヘラヘラと笑いながら言った。
「そんなこと言わんといてや。酷いやないか、綺世クン。ワイが君のために居場所と"あの娘“の情報を探してあげてるんやで。もう少し感謝してもろてもええやんか」
少年はばつが悪そうに舌打ちをする。
「対価は『仕事』をして払っているはずだが」
「やけど、そんなに塩対応やとワイも寂しくなってくるんや。もうちょい優しくしてくれてもええやん」
「余計なことはいいからさっさと今日の『仕事』を教えてくれ。」
情報屋と呼ばれる男は、情報を独自のルートから入手し、それを売り捌くことを生業としている。
裏社会では情報が自分の生死を左右するため、需要は多い。
情報屋はそれ以外にも、社会の裏の住み着いている人間たちから依頼を受けるなど、いわゆる便利屋のようなことも行う。それの実行犯の役割をしているのが黒原綺世だ。
「つれへんなぁ。ほな今日の『仕事』を言うで」
情報屋は『仕事』ついて言及する。
「今回の『仕事』は流石の『黒星』でも難易度高めやで。多分やけど"特務課“の方も動いてくる」
「内容は?」
「国立魔術エネルギー研究施設ってあるやんか。依頼主によると、そこの『実験室』て呼ばれてる部屋で『魔核』を搭載した小型ミサイルが作られてるらしいんや。綺世クンにはそこへ行って、小型ミサイルの生産機能を停止させて欲しい」
「…なるほど」
「国の結構なお偉いはんが依頼してくれはった。あちらさんも、この前日本に喧嘩売ってきよったアメリカに宣戦布告するか、せえへんかで政府内で対立が起きとるらしいんや。ほんで"特務課“のトップが賛成派らしい。おそらく、ワイにこの依頼が入ったことはすでに"特務課“は把握してるやろな。ミスって死なへんようにな」
「分かってる。依頼主が誰だろうとやることは変わらない。俺は俺の『仕事』を全うするだけだ」
「あと、最近ワイらの動きが何者かに追われてるらしいからな。足元掬われんように気ぃ付けや」
夜が深く、濃くなっていく。
黒原綺世の今日の『仕事』が始まる。