2024年10月13日午後5時52分目黒区
「おーい。起きろー」
…声が聞こえる。
「綺世ー、黒原綺世さーん」
プラスチックでできたデスクが黒原綺世の目に入る。
ここは彼の通う魔術育成の名門校、都立雨戸高校だ。
「おっ、起きたか。おはよう」
「飯田か。おはよう」
そう話しかけてくるのは前の席の飯田貴之。
椅子を後ろに向けて綺世に話しかける。
「しかしまぁお前は本当によく寝るな。今日は全授業寝てたな。そこまでいくと尊敬に値するよ」
「余計なお世話だ」
綺世は授業中毎回のように寝ている。一応赤点は回避しているが、かなりギリギリな成績である。
理由は夜にはやらなければならないことがあるのだと。このことを鑑みれば、綺世の成績はしょうがないと言える。
「お前が寝てるからって、みっちゃん先生泣きそうになってたぜ」
「眠くならないくらい面白い授業をして欲しいものだな」
「でもお前そう言ってる割にそこまで勉強できないじゃん、それって天才が言うもんでしょ。綺世が言ったって説得力ねぇーよ」
余計な一言を言うところが飯田の悪いところだ。このせいで飯田は周りからはあまりよく思われていない。
だが綺世も綺世で”やってないだけ“と甘ったれた言い訳を心の中で吐いている。
ここで不意に飯田は視線を綺世の胸元まで落として言った。
「てかお前そんなことより、どうしたんだよ、その汗」
そう言われて綺世は視線を落として自分の体を見てみると、確かに全身ぐっしょりと脂汗でまみれていた。心なしか呼吸も荒くなっている。
「すごい汗だな。怖い夢でも見たか?」
「そんなところだ。気にしないでくれ」
そう言うと飯田はにんまりとした顔で、
「何だよ綺世ー可愛いとこあるじゃん。いつもムスッとしてて無愛想なのに」
そう言われ、綺世はクラスメイトの自分への印象に若干ショックを受けつつ、ムカついた様子で飯田の顔面へ向けて、ストレートジャブを放つ。
しかし彼の拳は軽々と避けられ空を切る。
まさか避けられるとは思わなかったため綺世は驚いた表情を見せた。
そういえば、と飯田の魔術について思い出したところで、彼が質問をしてきた。
「そういえばお前、魔術の序列更新どうだった?」
この世界には一人一人が持つ、生まれたとき魂に刻まれる『魔術』と呼ばれる超常現象が存在する。この魔術には手から水を出したり、運動能力を強化する、遠い場所も見えるようになるなど種類は様々だ。
しかし、世の中に全く同じ能力を持つ人間は存在しない。同じ系統の魔術でも規模や条件などが少しずつ異なってくる。また、一人が複数の能力を持つこともできないとされているらしい。
そして俺たちの能力には、規模、有用性によって上位一万人に序列がつけられる。
この学校は魔術の育成が盛んであるため、序列がつけられる生徒なんてざらにいる。なんなら『名持ち』と呼ばれる序列十位以内の化け物がこのクラスにいるのだ。
そして丁度昨日、序列を上げる機会である序列更新が行われた。
「んーまぁ俺はそこそこだったよ。飯田は?」
「俺は前回から少し下がって5867位だった」
「でも一万人に入ってるんだろ。すごいじゃないか」
「俺の魔術は少し先の未来を見れるじゃん。でもなんか地味で好きじゃないんだよな。」
「贅沢言うなよ。物をほんの少しだけ動かすとかじゃないならいいじゃないか」
飯田はこう見えて意外と優秀なのだ。
魔術育成の名門校に入るだけのことはある。その点については綺世も認めている。
「そう言えば綺世って全然自分の魔術について語らないよな」
「別に言う義務もないからな」
「とか言って、ちょっと恥ずかしい能力だから、とかじゃないの?」
「そんなんじゃねぇよ」
「そうなの?まぁ言いたくないならいいや」
飯田はこれ以上は聞いてこなかった。
その辺りの線引きはしっかりしてるらしい。
「あーあ、俺になんらかの奇跡が起きて、序列十位以内になんねぇかなー。俺も十位以内になって、かっこいい異名が欲しいよ」
溜め息をつきながら飯田は言う。
綺世は飯田の全く努力をしようとしないその姿勢に失笑をしつつ、ふと窓際で友達と喋っている、綺麗な白髪を肩まで垂らした少女に視線を向ける。
彼女の名前は逢坂響。この学校では有名人だ。
「なぁ飯田。逢坂の今回の序列わかるか?」
「今回も変わらず九位だってよ。この学校唯一の『名持ち』だからな。すげぇよな!」
飯田は興奮したように語り始める。
日本に十人しかいない『名持ち』だ。憧れは誰にでもあるのだろう。
「水と氷を操るその魔術からついた異名は『氷姫』!かっこいいよなー。しかも先月、史上最年少で”魔術犯罪特務課”に入ったらしいぜ」
「…ふーん」
綺世がそっけない返事をすると、飯田はなぜだか知らないが下衆な笑みを浮かべた。
「逢坂さんのことを訊くってことは、もしかして綺世くん、彼女のことが……‼︎」
そして案の定そんな話をし始めた。
「綺世よ。逢坂さんは能力も凄いし、勉強もできるし、おまけにあの素晴らしいお顔ときた。(胸はないが…。)俺調べの『付き合いたい女性ランキング』で二年連続一位は伊達じゃないね」
「どんなランキングつけてんだお前は」
「しかし‼︎君は少し顔が整ってるからって、流石に高望みし過ぎだと思うぞ!」
飯田はさらに続ける。
「なぜなら、逢坂さんは恋愛に関しても『氷姫』らしい。数々の男たちが彼女に告白しにいったが、全員見事に玉砕だとさ。噂だと、サッカー部のイケメンキャプテン渦巻先輩も先週告ったが撃沈したんだと。お前も告白するなら慰めるくらいはしてやるぞ。」
「別に告白なんてしねーよ。あと何でフラれる前提なんだ!もしかしたらあるかもしれないだろ」
「いいや無いね。100パー無い!これだけは断言できる!」
そんな男子高校生らしい会話をしていると、ふいに後ろから声が聞こえてきた。
「あなたたち、何の話をしてるのかしら?」
綺世の全身に悪寒が走る。そして隣の飯田の顔も見る見る青くなっていく。
綺世はギギギっと音を鳴らしながら首を後ろへ向ける。
彼の悪い予感が見事に的中した。
そこには何を隠そう、ニコニコ笑顔の逢坂響が立っていたのだった。
「私がどうのこうのって聞こえた気がしたんだけど」
「気のせいじゃないかな。あはは、はは…」
「確かに聞こえた気がしたんだけど…、」
「きっと気のせいだよ。あはは…」
綺世が苦笑を浮かべながら何とか誤魔化そうと必死に努力しているとき、飯田が突然立ち上がって叫んだ。
「綺世が逢坂さんに聞きたいことがあるんだって‼︎あっ、そういえば俺これから用事あったんだ!先帰るね‼︎」
飯田は友達を見捨ててそそくさと帰っていた。
それを受けて綺世の血管が浮き出るも、逢坂の前ではキレたくないため必死で押さえ込む。
「飯田くん帰っちゃった。飯田くんがつけてるランキングと私の胸について聞きたかったんだけど。まぁいいわ」
飯田の死刑が確定した瞬間だった。
「で、黒原くん。聞きたいことって?」
「んぇ⁉︎」
突然名前を呼ばれて変な声が出てしまう。
綺世はどうやってこの場から離脱しようかと考えようとしたが、時すでに遅し。
完全に逢坂に捕捉されてしまったようだ。
特に聞きたいこともなかったのだが、何か聞かないとまずい雰囲気は漂っている。
顳顬の辺りに冷たい汗が流れる。
「じゃあ…、」
綺世は重い口を開け、質問する。
「逢坂は何で”特務課“なんかに入ったんだ?」
魔術を使った戦闘のエキスパートである魔術犯罪特務課。
殉職率が非常に高い一方で、これまで沢山の人々を救ってきた。最近だと魔術による爆破テロを防ぐなど、彼らの功績は輝かしい。
そんなことから国民からはヒーローのように扱われている。
だが誰も彼もが入れるわけではない。
適切な行動をとるための状況判断能力、人々を守ろうとする正義感、そして絶対的な実力。これらを兼ね備えた者のみが入ることができる。
毎年入隊試験を実施しているが合格者がいるかいないかの狭き門なんだそう。
逢坂はそんな“特務課”に先月入った。
さすがは我が高校が誇る『名持ち』だと素直に感心する。
綺世の質問に対して逢坂は少し考えた後こう言った。
「私は悪いことをする人が嫌い。みんなの幸せを踏みにじって、自分が幸せになろうって奴が許せないから」
「…、」
「あとはヒーローになって、みんなから慕われる存在になってみたかったからかしら。昔から憧れてたのよねヒーローって」
「……、」
「私は昔、魔術で友達を……、やっぱりなんでもない。ごめんなさい。忘れてくれるかしら」
どこからか逢坂の名前を呼ぶ声が聞こえる。
「ごめんなさい、呼ばれちゃった。また今度」
綺世は適当に返事をし、逢坂を見送る。
ふと時計を見ると時刻は十八時を過ぎていた。
このままだと今日の『仕事』に支障が出るだろう。
俺はカバンを持ち帰路に着いた。