全速走行中
「なんだ、何があった!?」
「血です、血」
女性が指さしたガラスを見て、僕は目まいがした。
同時に、耳鳴りがしていた。
「前の車両の方へ」
誰の声だか、考えることも出来なかった。
おそらく数名のものが、車両の前方へ、確認しに行った。
僕は貧血症状が出て、頭が回らなくなっていた。
恥ずかしい話だが、僕は学校の『保健の授業』が苦手だった。
勉強が出来ないということだけでなく、血肉や死というリアルな内容を、体が受け付けないのだ。保健を教える教師は大抵、嬉々として怪我や病気、流れる血の話をしたがる傾向にあることも関係していた。話が始まると、僕の体が反応し、耳を閉ざし、目まいが起きた。保健室に行くと、貧血の症状だと言われる。だが、普段から貧血体質な訳ではない。心理的ストレスで、貧血的な症状が起きる。簡単に言うなら『血の気が引いた』と言うことだ。
僕が椅子に座り込んでいると、ようやく具合が回復してきた。
メガネをかけている柏が、室内に戻ってきた。
「おかしいです。非常コックを使って扉を開けると、通常新幹線はそれを検知し、緊急ブレーキが働きます。この車両は働いていない」
「……あの、ちょっと聞きたいんですが」
その声は、最初に窓に血があると言った女性だった。
「あ、わたくしは西浜ミナと申します」
ミナと言う女性は立ち上がったようだが、あまり背が高い方ではないらしく、座っていると、頭の先しか見えなかった。
「で、何でしたっけ?」
「えっと、緊急ブレーキがかからないこともそうなんですが、ずっと走行し続けるものなんでしょうか?」
「まあ、ここがどこを走っているかと言う問題が残りますが、通常の路線を走っていたと仮定して答えましょう。例えば、運転士は健康管理していますが、突然心臓発作して亡くなることも考えられる。通常の人は、運転席には入れませんから、止めることが出来ません。なので、運転士が亡くなった場合、停止するように『デッドマン装置』と言うのがつけられます」
何かを待っているようだが、誰も口を開かない。
「デッドマン装置というのは、例えば、三分おきにブザーがなって、ボタンを押さないとブレーキがかかるとか、そういう装置です。生きて操縦していることがわかるような仕組みのことです。ウザいと言って切っていたらどうしようもないですが」
「そうですか。この車両が走行し続けていることとの解決にならないんですね」
「ええ、まずここがどこを走っているかもわからない。ドアが壊れているのか、ここと前の車両の二つしか行き来できませんから、運転席がある車両が連結されているのかもわかりませんし」
そうだ。僕は考えた。
柏が言った事も現状の把握として重要な部分だ。
どこを走っているかわからない。
そして、なぜ止まらないのか。電気が来なければ止まっても良さそうだ。
携帯の電波も届かない。
もしかして、電車自体が異世界漂流しているのだろうか。
だが、『異世界漂流』というのは考えを破棄しているようなものだ。
それなら何でも『アリ』だからだ。
前の扉から、数人が戻ってきた。
タトゥーの男と、白髭の老人が話している。
「ダメだ、外に棒を伸ばしてみたりしたが、やはり走行中だ」
「さっき騒いでいた女は、現状が夢か何かだと思って飛び降りたんだろう」
「……そして壁と列車でズタズタにされた」
僕は耳を塞いだ。
つまりこの車両は本当に『無限トンネル』を走行中で降りれない。降りようとすれば死が待っているということだ。
「自殺だ」
「違うだろ、さっき話してた二人が、モーターは回っているが同じ場所に止まっているんじゃないか、って言ったから、音だけしていて止まっている、と思い込んだに違いない。そういう意味じゃ、お前らが殺したことになるな」
タトゥーの男が、柏と僕の方を見た。
「勝手に勘違いして飛び出すなんてそれは防ぎ用がない。あんなに風の音がするのに、止まっていると思うなんて」
僕は女性が死ぬところを想像すると、また貧血になりそうなので、考えないように必死だった。
「お前は言い返さないのか」
「僕たちが全員同じ夢をみているとして、そこから抜け出すのが『死』だと思ってそれを実行に移すのはアリなのかもしれない」
走行し続ける状況は現実的には不可能だ。
思考停止と言われても、結論の一つに『これは夢』と答えるのはアリだ。僕は真剣にそう思っていた。
「はぁ? これが夢だって?」
「この国は、大人まで漫画やテレビの見過ぎなのか」
そう言うと、白髭の老人は、座席のヘッドカバーあたりを強く叩いた。
「じゃあ、うまく説明がつく仮説を言ってみてよ」
「トンネルが輪になっているんだ」
柏が言う。
「確かに、急勾配を上るトンネルを作る場合、ループ状に作りますが、それは螺旋のように上る形になっていて、同じ高さで無限にぐるぐる回るトンネルは存在しないですよ」
「保線区間に入って、モーターだけが回っているんだ」
柏がすぐに反論する。
「なら外は動いていないことになる。であれば、飛び出しても女性は死ななかった」
「……」
結局、誰も状況を合理的に説明できなかった。
僕だけかもしれないが『絶望』と言うふた文字だけが頭に残った。
目的は分からないが、全速走行中の車両に閉じ込められた。
出る方法が今のところ見つからない。
それが突きつけられた『絶望』の詳細だ。
そして、誰も喋らなくなり、それぞれ不思議と自らの座席に戻って行った。
僕は、疲れからか、また眠りについていた。