トイレの使用方法
僕は尿意を催して、前方の車両に向かって進んだ。
トイレに入ってしゃがんだ。
母の『しつけ』で僕は、高速道路のサービスエリアだろうが、電車だろうが、どこでも座ってするのだ。
用を足して、明るい車両に戻ってきた。
自分の座席の肘掛けに仕掛けたスマフォが目に入った。
もう何時間撮っただろうか。
そして、この列車に閉じ込められてから、僕は三回か四回、トイレに行っている。
僕の場合は、イコール大の回数ではない。だが、トイレの使い方は女性も同じだろう。
かなり長時間この車内にいるのだから、同じくらい行き来しているはずだ。
ある程度経ったら確かめよう。
通路を歩きながら、僕は自分の席に戻るのではなく、東出の席へと進んだ。
「!」
東出の席に黄色い吹き出しの絵が描かれたカードが置いてあった。
例の『デバッガーズ』のアイコンを描いたものだ。
誰が置いたのか。
よく考えれば、このカードを置ける可能性から考えれば、犯人が絞り込めるはずだ。
僕は座席の関係を改めて整理しようと考えた。
まずは、どんな順序で座っているかだ。
先頭方向から順に、池内、西浜、西条、美木、柏、僕、沖田、小宮山、東出、三島という並びだ。
あくまで東出が死んでからカードが置かれたとすると、僕の見てないところでカードを置けるのは、沖田、小宮山、三島の三人になる。
ゆっくりと効果が現れるような毒ではなく、東出が前の車両に行っている間に殺害されている事から考えれば、小宮山と三島は犯人としては考えられない。やはり沖田だけだ。
「いや、違う」
と、僕は独り言を言った。
まず三島を懐柔する為、美木は車両の後ろへ移動した。
もう一つは、僕がトイレに行っている間に、誰か、車両の後ろに移動した可能性もある。
自席に座り、肘掛けに固定している予備のスマフォを操作して映像を確認した。
僕が前に行くと、トイレ使用中のランプがつく。
沖田がスマフォより前に行くと、今度は池内を連れて、スマフォの後ろに下がっていく。
トイレ使用中のランプが消えると、池内が自席に戻っていく。
そして、動かなくなってから僕の姿が映った。
そう考えると、美木はかなり不審な動きをしている。
沖田も死体の発見にずっと関わっている。
最後の池内については、まだよくわからない。だが、誰が殺したか分からない最初の死体も、美木に乱暴しようとして沖田と西条に取り押さえられ、縛られた末『誰かに』殺された二人、そして東出についても、全て沖田が発見しているのだ。
あくまで『デバッガーズ』での話だが、自分が死体を発見したと通報をして、疑われないようにするというテクニックは存在する。だが、計四人となると沖田が犯人だとするなら『やりすぎ』なのだ。
僕は寝ていたため、縛りあげた男が殺された時、誰が暗い車両へ移動していたかはわからない。だから、別の容疑者もいるかもしれないが、第一発見者の沖田が犯人である可能性が消える訳ではない。むしろ高い、と言っていい。
こうなってくると、やはり凶器が出てくることが犯人探しの近道になる。
持ち物検査をしても持っていないのだから、どこかに凶器を隠しているはずだ。それは明るい車両ではなく、トイレ、あるいは暗い車両のどこかである可能性が高い。
一度、徹底的に探せば、出てくるのではないか。
凶器が見つかってしまえば、次の犯行を防ぐこともできる。
「探そう」
僕は立ち上がると、いつの間にかトイレの使用中ランプが付いていることに気づく。
池内、西浜は座っている。振り返ると、小宮山も座っている。
確認の結果、美木以外、座席に座っていた。
つまり、トイレは美木が利用していたと言うことだ。
僕はこのまま一人で暗い車両に行って、凶器を探してくるか、誰かに協力を求めるか悩んだ。
すると、トイレのランプが消えた。
西条が立ち上がる。
僕が立って見つめていることに気づいたのか、西条は振り返ると言った。
「タバコだよ」
すると、僕の後ろで三島が言う。
「ご一緒させてください」
二人が通路を前へと進んでいく。
二人がこの車両を離れるなら、いま凶器を探すのはやめよう。
僕はそう思い、座ろうとした時、車両の先の方で西浜が立ち上がった。
僕は座りかけた体を、前の座席の背もたれに手をかけ、引きつけるようにして立ち上がった。
西浜は、僕の行動に気づき、振り返った。
「私もタバコを」
「……」
僕の顔がどんな風に見えたのか分からないが、西浜はさらに言葉を加えた。
「タバコを吸う、って言葉を聞いただけでも吸いたくなるものなの」
「ええ、どうぞ」
西浜はタバコを手にして前の車両へ向かった。
僕は自席に座り、通路側に体を寄せて、他に誰か前の車両に行き来しないか見ていた。
ぼんやりと通路を見つめながら、僕は勝手に想像していた。
それは『三島』が殺されるのではないか、というものだった。
最初の一人と、自殺したと思われる女性。それ以外については、美木と関わったものが殺されている。関わると言うより、三人とも美木を襲っている。
さっき、美木を犯人とする投票を回避するため、三島を懐柔していた。
三島は唆されている可能性がある。
殺された三人と同じように、三島は暗い車両で美木に手を出す。
「……」
僕の頭に『西条』の顔が浮かんできた。
確かに美木は度々西条の顔色を窺っているように見えた。
もし仮に二人が関係していたとすれば、どうだろう。浮気性の美木が、気になった男を誘ってしまう。それを監視している西条は、嫉妬に狂って美木に手を出した男を端から殺しているのだとしたら。
さっきからの行動にも繋がるし、今までの三人、そして今回三島が同じように殺された場合も、綺麗に説明がつく。
西条は東出の席にカードを置くことはできないが、西条と美木に繋がりがあるなら、カードを置くところだけ美木がやった可能性もある。
三島が殺されれば、西条を有力な犯人の一人として挙げることができる。
そもそも美木自体も疑いどころは沢山あるのだ、二人とも犯人と考えてもいいかもしれない。
そんな風に、僕は猛烈に『三島』が殺されることを祈っていた。
通路は誰も歩く様子がなく、こちらの車両に誰も戻ってこない。
帰ってこない、タバコを吸うにしては長いな、と思った時だった。
「まずい」
後ろで沖田がそう言って、僕の頭スレスレを歩いて、前の車両に向かっていく。
「待って、沖田さん!」
「止めるな。また殺人が起きたらどうする!」
そう言って白いヒゲが動く。
車両を出ていくと、入れ違いに美木が入ってきた。
また着衣が乱れている。
「どうしたんですか?」
僕は美木がなんと答えるか、予想を立て、構えていた。
「三島さんが……」
来た! そう思い僕はいろめきたった。
しかし、すぐに沖田の大声が聞こえてきた。
「三島が死んでる」
「……」
僕は仕方なしに、前の車両へ歩いて行った。
連結部分を過ぎると、沖田が言った。
「扉が開くなり、三島が倒れてきた!」
三島は、車両のオートドアの下に、うつ伏せに倒れていた。
何度も閉まりかけるオートドアが、三島の体にぶつかって戻っていく。
「三島さん!」
僕は言いながら三島の体を連結部側へ引っ張り、体を仰向けに返した。
「三島さん」
呼ぶが反応はない。
見る限り出血や外傷はなく、先ほどまでの殺され方と違う雰囲気があった。
鼻や口のあたりに、頬を近づけるが、呼吸の気配がない。
脈を測ったり、目の反射を見たりするのだろうが、保健の授業で倒れてしまう僕にはそんなことはできなかった。
それでも、結論として、彼は死んでいるとしか思えない。
「おい、ワシじゃないからな」
沖田はそう言って僕の背中に触れた。
「どうした?」
声がすると、暗い車内から西条と西浜が出てきた。
僕は慌てて説明した。
「西条さん、三島さんが死んでます」
「……」
西条からは焦りや驚きは感じられない。無言で冷静に見えた。
西浜は、見てはいけないものを見たように、体を引いた。
「お二人の行動を聞かせてもらってもいいですか?」
「疑ってるのか?」
「ずっとタバコを吸っていた、とは言わないですよね?」
二人は、互いの顔を見て黙り込む。
「喫煙室で顔を合わせなかったのですか?」
どっちが先に言い始めるか、探りあっているように黙っていたが、西浜が先に口を開いた。
「私が喫煙室に入った時、はっきり言うと、そこには誰もいませんでした。タバコを吸っていると、西条さんがやってきました」
「……」
何も口にしない西条に、僕は訊ねた。
「西条さんは、どこにいたんですか?」
「寝てた」
「寝てた? と言うのは」
「暗い車両の席に座っていたら、いつの間にか寝ていた」
もしそれが本当なら、西浜さんも見ているはずだ。
「西浜さんは、寝ている西条さんを見ているはずですね?」
「えっ?」
動揺している、と言う感じではないが、見ていないのは明らかだった。
「見てないってことですか?」
お互いに暗い車両の中ですれ違ったのに、気づかない。
待て待て、そんなことがあるだろうか。
いや、その前、お互いを確認する前、見ていないければならない重要な人物が二人いるのだ。




