亡国
「姫様、起きてください。朝になりましたよ」
エフレシアの朝はいつもローズの呼びかけから始まる。
「……まだ朝だよ、ローズ」
「もう朝なんですよ、姫様。今日は隣国へ行く予定なのでしょう?」
「う……?動きたくない……」
「いい加減起きないと朝食冷めますよ」
「……ご飯」
お腹も空いていたのでエフレシアはのそっと起き上がり、身体を伸ばした。テーブルからいい匂いが漂ってくる。ローズはエフレシアのベッドをセットし直し、テキパキと紅茶を用意する。
「お兄ちゃんは?」
「殿下も準備しておられます」
「ねぇ、ローズも一緒に来るんでしょ?」
「いえ、私は陛下の護衛に回るので。姫様にはアマレとルフスがお付きになりますよ」
「……そうなんだ。ヴァイラスも?」
「彼は殿下に付きます」
「なんでローズだけ……。あ、またあれ?お見合い?」
「……姫様には何でもバレてしまいますね」
ローズは困った様な笑みを浮かべた。
「午後からですけど。陛下からのご紹介なのでお断りする訳にはいきません」
「でも……ローズは願ってないんでしょ……?」
「私も家庭を持つ年頃ですので。そろそろ落ち着いた方がいいと陛下にも言われました」
「……結婚しても……側にいてくれる?」
「はい。姫様の事は他の者に託せませんから」
「そっか……。良かった……」
幼い頃からローズはエフレシアの世話役として色々面倒を見てくれていた。中性的な容姿なので女装しても全くバレない。なので、囮役も屡々担っている。騎士としての腕は一流なので心配はない。
「今日、ルークに会う日か」
「国同士の交流は大事ですよ」
「そうだね……」
「……キャロライナ嬢ですか?」
元気のない彼女にローズは聞いてみる。
「……あたしが気にしすぎなのかな……」
「あの方は私も苦手です。殿下をお慕いしている分、妹である姫様の事が気になるのでしょう」
「お兄ちゃんも好かれ過ぎだよね……」
「何かあれば私に申して下さい」
「……うん。ありがとう、ローズ」
「食べ終わりましたら着替えて下さいね」
「うん」
朝食の後に彼女はドレスに着替える為、ローズは部屋を出る。エフレシアの貞操もあるのだろうが意図的にしないと彼女は構わず脱ぎ始めてしまうので気を付けていた。
「追い出されたん?ローズ」
部屋の外で待っているとアマレが現れ、肩まで触れている髪を手で払い除けながら声を掛けた。
「姫様はドレスアップ中なので」
「あー……ローズは律儀だなぁ。姫サマは見られても恥じないんだろ」
「誰にでも肌を見せて良い訳ではありません。意識して頂かないといつか襲われます」
「……誰に?」
「私とか?」
「お前、そんな野蛮な事出来ないじゃん」
「分かりませんよ。私も男ですので」
「まぁ、普通は侍女が付くもんだよな。それを差し置いてお前が世話役になったんだから、姫サマからの信頼は絶大だ」
「貴方だって信頼されてます」
「姫サマは優しいから。俺ら騎士にだって嫌な顔せずに接してくれる」
「そうですね。だから命を懸けて守りたいと強く思います」
「殿下の事もだけど」
「アマレは姫様を迎えにいらしたのですか?」
「そう。準備整ったから」
「では、私は失礼しても宜しいですか?」
「おう。任せろ」
「ありがとうございます」
ローズは一礼してその場から離れた。
その直後にドアが開き、正装したエフレシアが顔を覗かせた。
「……ローズは?」
アマレしか居ない事に不安気な表情で聞いた。
「後は任されたから。ローズも用があるんだろ」
「……そっか」
「俺じゃ不満?」
「違うよ。黙って居なくなられるとちょっと怖いから……」
「大丈夫だよ」
「うん……」
「ルフスが馬の用意してるから。もう出れる?」
「あ。この格好、大丈夫かな……?」
「可愛いですよ、姫サマ」
「……ほんと?」
「よくお似合いです。さ、行くよ」
エフレシアの手を引き、アマレはさっさと外へ向かった。
城の外にはもう兄のロキとその世話役のヴァイラスがルフスとともに準備していた。
「お待たせしました」
「ご機嫌麗しゅう。フレア様」
ルフスに倣い、ヴァイラスも一礼する。
「ごめんね、遅れちゃって」
「時間的にはまだ大丈夫だから」
「姫サマは俺と乗りますか?」
「いいの?」
「どうぞ」
普段はルフスとともに馬に乗っていたのでアマレからの誘いは嬉しかった。ヴァイラスはロキと騎乗し、ルフスは単独で馬を走らせた。
モルガ王国とは昔からの繋がりで色々と協力し合っていた。そこの姫君がロキに一目惚れし、婚約を結びたいと申し込んできた事で更に親交を深めていた。
馬を走らせて30分程の距離にある。
「お待ちしておりました。ロキ様」
城の入口でロキ達を出迎えたのは煌びやかなドレスを纏ったキャロライナ嬢。綺麗な顔立ちに艶のある長い髪、それと柔らかそうな豊胸。一目見ただけで男が惚れる容姿。その上声も可愛らしい。
「ご機嫌麗しゅう、キャロライナ姫」
ロキに倣い、エフレシアと騎士達も一礼する。
「お会いしたかったです。さぁ、ロキ様。私の部屋へ」
「あ……陛下にご挨拶を……」
「それは妹様にお任せすれば大丈夫です。見せたいものがあるんです」
キャロライナはロキの腕を掴み、半ば強引に城の中へと連れて行った。
「エフレシア様。騎士の方々も。御足労頂きありがとうございます」
騎士のルークが残されたエフレシア達を案内した。
モルガ国王に挨拶するのはいつも妹のエフレシアの役目だった。騎士達も彼女の後ろ盾となり、護衛に着いている。
「今、うちの騎士達も人数いるからさ。手合わせしていけば?」
「そうだな。その間、フレアの事頼めるか?」
「あぁ。エフレシア様は責任を持って俺が預かる」
「ありがとう」
ヴァイラスはアマレとルフスを連れ、訓練場へと向かった。
何度かこの国の騎士達との手合わせは行っているので場所も慣れたものだ。
エフレシアはルークとともに城の裏にある庭園に来た。
色とりどりの花々が咲き誇り、澄んだ池には金色の鯉が泳いでいる。
「お兄さん取られて嫌じゃないの?」
「毎回の事だから……。キャロライナ様は本当にお兄ちゃんの事好きなんだなって思うよ」
「いつも言ってる。ロキ様に会いたいって。毎回、こちらに向かわせて悪いな」
「いえ……。外出は好きなので……」
「そうか」
「……ルークは、手合わせいいの?」
「あぁ。ほら、俺は強いし。フレアの所のあいつにだって負けないしさ」
「ククルの事?」
「そ。今度都合良ければ連れてきて欲しい」
「うん」
花に触れながら彼女は楽しそうに頷く。
「もし……お兄ちゃんとキャロライナ様が結婚したら、ルークは寂しくない?」
「……そうだな。居なくなってから初めて寂しいと思うのかなって。今はまだ側に置いてくれるから」
「そうなんだ……」
「フレアは?お兄ちゃん大好きだもんな」
「……誰かのモノになるのは仕方ないけど……。それでもお兄ちゃんが幸せなら壊す事はしない」
「そうか」
ロキがキャロライナと一緒にいる間、エフレシアは毎度ルークとともにこうして話していた。他愛ない話だ。だが彼女にとっては幸せな時間だった。
「ルークは……好きな方とかいるの?」
「いるよ。でも、俺は恋愛対象として見られてないから。一介の騎士にしか思われてないんだ」
「想いは伝えるの?」
「どうかな……。断られるのは好きじゃない」
「そっか」
「フレアは婚約の話とか来てないの?」
「……無いよ。あたしはそんな可愛くないし、女としての品も足りない。誰かに好きになって貰えたらそれだけで奇跡だ」
「まぁ……キャロライナ様と比べたら美しくもないし、気品も伺えないかな。でも、俺は可愛いと思うよ」
「えっ…」
「俺の話も聞いてくれるし、何より優しい。キャロライナ様はロキ以外の男には目もくれないし、騎士になんて声も掛けない。フレアは誰とでも親しくしていて羨ましいよ」
「……ありがとう」
「あと、馬鹿な所とかね」
「うっ……」
教養が備わっていないのは彼女自身も痛感している。馬鹿と笑われても何も言えない。
「ごめん。言い過ぎた」
「……いや……本当の事なので……」
「良いんだよ。変に賢くなくてさ。素直が一番」
「……喜んでいいのかな……」
「褒め言葉だって」
どう反応していいのか分からない彼女にルークは優しく微笑んだ。
この関係がこれからも続くものだと思っていた。
モルガ王国キャロライナ邸───
「……今、何と……」
床に落ちたグラスが割れたのにも構わずにキャロライナは動揺していた。
「婚約は破棄して貰いたい」
二度目の言葉を聞いてキャロライナは涙を零した。
「どうして……」
「キミには思い当たる節が無いとでも?おれは、フレアの事が何よりも大事だから。貴方との婚約は受け入れられない」
ロキは強い口調でハッキリと言い切った。
「……嫌です……!婚約破棄なんてイヤ……!お考え直して……」
「なら、態度を改める気はありますか?」
「……私が……?何故……」
「……話にならない。兎に角、婚約破棄はさせてもらう」
「なりません!」
泣きながらキャロライナはロキの腕を強く抱き締めた。
ふくよかな胸に腕が当たり、ロキは表情を歪める。
「私はロキ様を愛しています。貴方と幸せな家庭を築きたい……。妹様とも上手く関係性を保ちます……。ですから……」
「今更、キミが何を言おうとおれは許さない。キミがフレアを邪険にした事。それに、あの事も」
「……ロキ様……何故知って……」
「貴方の取巻達が教えてくれましたよ。酷すぎるから止めさせろって。そんなにフレアが嫌いか?」
「……っ、大嫌いです!あんな……騎士からも好かれててニコニコしてるだけの女……ロキ様には不要です!」
バシッ───
叩かれたキャロライナは何が起きたのか理解に遅れ、揺らいだ瞳でロキを見つめる。
「フレアを穢す者は許さない」
「……酷いです……。こんな仕打ち……」
「陛下にも伝えに行く」
「待って……。嫌……っ、ロキ様……!」
彼女を振り返りもせずにロキは部屋から出て行った。
「……あんまりです……。こんなの……」
取り残されたキャロライナは小さな声で呟く。
「許しません……。私を振るなんて有り得ない……」
ふつふつと湧き上がってきた怒り。身体が震え、治まりようがない。
愛は憎しみに、憎しみは恨みに。
そして、その怒りはロキを含む国全体へと向けられた。