兄の為なら。
国の要とされる【騎士団】は「信頼」と「実力」、「努力」と「忍耐」を掲げ、何時以下なる時も国の為にその身を捧ぐと宣誓している。訓練、鍛錬で一日を過ごす事が主で、国王の外出などには団長を筆頭に精鋭部隊が同行する。実力主義とされている為、強い者から第一部隊、第二部隊と配属されるが騎士達の間では二軍、三軍と簡易的に呼ばれている。その中でも実力が上回る者達は特殊部隊として国王、妃の側近としての地位を与えられた。上を目指す負けず嫌いな人間達の集まりなので堕落は許されない。それ以前に、弱くて役に立たない者を毛嫌いする者も中には居る。
そして今、その標的となっているのがロキだ。剣術もままならない、その上能力も持っていない。そんな彼が騎士見習いである事を認めない者たちがいる。周りはそれを「新人いびり」と囃した。
シュヴァルツ王国訓練場───
殴られたロキはバランスを崩し、倒れた。状況を飲み込む前に馬乗りにされ、また拳が降ってきた。打たれる度に脳が揺らいで目の前が霞む。数回殴られた後、無理矢理立たされ、羽交い締めにされた。そのまま今度は腹部に拳が食込み、朝食が込み上げてきそうになった。嗚咽だけで済み、鈍い痛みが息苦しい。
「邪魔なんだよ、お前。騎士見習いとか、慣れない事してるから足引っ張るんだろ?」
「王子扱いされとけばいいのに。元王族の考える事は理解できねぇな」
「さっきなんて、お前の所為で腕切られた奴いたんだぜ。責任問題だよなぁ?」
ロキに向けられる罵詈雑言がエフレシアにも聞こえていた。駆けつけようとした時、傍にいた騎士達が彼女を留めている。
「下手に助けたら彼の面が潰れる」
「あいつらは女にも容赦しないんだよ」
野蛮な印象が強く残った。彼らを見る度、自国の騎士団を思い出す。こんなに陰湿で暴力を軽視するような人間は居なかった。誰も、弱い者を踏みにじったりしない。尊重して互いの強さを促していく者達の集団だ。眼前にいるのは騎士でも何でもない。
「お兄ちゃんを傷付ける人間は誰だろうと許さない」
「落ち着け。お前が行っても襲われて終いだ」
エフレシアの手を取りながらメルヴィアも引き留める。
「なぁ?居るだけで迷惑なんだけど」
「どうせ努力したって部隊にすら入れねぇんだから。騎士見習いなんか辞めて、ちゃんと働けば?」
「可愛い妹にまで被害が及ぶのは嫌だろ?」
「こいつの妹、さっき下着姿でふらついてたってさ」
「マジ?誘ったらやらせてくれんの?」
「上手く言い丸めて相手して貰おうぜ」
卑しい話にメルヴィアが舌打ちした。
「……団長は?」
「副団長と一緒に陛下とお話されてるって」
他の騎士達は助ける素振りも見せず心配そうに静観している。
「諦めつくように、腕の1本でも折っておこうか」
その言葉にブチッと頭の中で何かが切れた。
「おい…!」
エフレシアはメルヴィアの腕を振り払い、ロキの元へ駆け寄った。
「噂をすりゃあ、妹のお出ましってか」
「媚びたメイド服なんか着ちゃって」
「下着姿見たかったなぁ」
騎士達の言葉など無視し、ロキを羽交い締めしている騎士を睨み付けた。静かなその視線に纏う雰囲気がただならぬものと感じ、ロキは解放され、その場に膝を着いた。
「お兄ちゃん」
「……フレア……?」
「立てそう?」
「……フラフラする……」
頭を抱えながらロキは息を整える。
「こんなに殴って……絶対許さない」
「……フレア?」
「お兄ちゃん、この剣借りる」
「フレア……待って……!」
兄の制止も聞かずにエフレシアは片手に剣を構え、騎士達に向き直った。
「なんだよ。俺らとやる気?」
「相手してやるよー。容赦はしないけど」
「傷ついたらごめんねぇ?」
ヘラヘラしている彼らを見据え、彼女は深く息を吐いた。
「ほら。かかってこい……」
言葉は遮られ、代わりに腹部から大量の血が吹き出た。一瞬でその騎士は倒れ、微動だにしない。
「なっ……!」
「嘘だろ……?」
彼女の動きについていけなかった残りの騎士達はヤバいと肌で感じ、剣を構えた。
「姫様風情が……!」
振り降ろされた剣を弾き飛ばし、そのままがら空きになった胸板を彼女は躊躇いもなく剣で貫いた。
「がはっ……」
「心臓は外したから死なない程度に痛いけど、充分だよね」
さっきとはまるで別人みたいなエフレシアにメルヴィアも止めることが出来なかった。
「あとは貴方だけ……。見せしめに殺す?」
「ひっ……」
冷たい言葉と視線に、残った騎士は腰を抜かした。
「兄を虐げる者は誰だろうと許さない」
「ま、待って……!謝るから……!ごめんなさい……!」
「謝る位なら最初からするなよ」
彼女は怯えている騎士にも容赦なく詰め寄っていく。腰が抜けた騎士は後ろに退いていくが恐怖で思うように身体が動かない。他の騎士達もエフレシアに畏怖を感じ、止められないままでいる。
「おい!お前、あいつの兄貴だろ?止めなよ」
呆然と妹の行動を見つめているロキにメルヴィアが呼びかけた。
「……無駄だ。切れたフレアは誰にも止められない。中途半端に仲裁に入って首切られた人間もいる」
「マジで……?」
「特におれが関わると誰にも容赦しない」
「……姫だったんだろ?なんだよ、あの強さ」
「フレアはおれよりも飲み込みが早いからどんな技でも吸収する。剣も弓矢もおれより上手い」
「妹が人を殺しても見てるだけか?」
「殺される奴が悪いんだ」
ロキは落ち着いていて、逆にその冷静さがメルヴィアには怖かった。その言い方はまるで、自分達は何も悪くないみたいな捉え方だ。
「どうすんだよ……」
エフレシアはもう追い詰めていた。背後にあった木にぶつかり騎士は逃げ場を失っている。何度も謝罪を述べているがエフレシアには届かない。
「待って……嫌だ……死にたくない……!」
「……命乞いなんて、騎士ともあろう者が情けないね。悪い子にはお仕置するのが礼儀でしょう?」
「……やめて……お願い……します……」
「ひっどい顔」
笑みを浮かべ、エフレシアは思い切り剣を突き刺した。
「……あっ……えっ……?」
騎士の顔スレスレに木に剣を刺したエフレシアは気が済んだのか、大きく身体を伸ばした。
「あ。失禁してる。騎士ともあろうお方が、なんて無様」
嘲るような微笑を向けられ、ボロボロになった騎士は暫くその場から動けなかった。
「───何の騒ぎ?」
ざわっと騎士達がバタバタしだし、その視線の先には団長と副団長のククルが居た。
「うわぁ、見事にやられてるし。何があったの?」
ククルはロキに事情を聞く。
「キミが、彼らをやったの?」
一際綺麗な声が聞こえ、エフレシアは振り返った。
端整な顔立ちをした騎士が彼女を見据えている。
長い金色の髪を左側で三つ編みにし、その腰には二本の剣が備わっていた。
「……誰、ですか?」
「あぁ、そっか。まだ挨拶していなかったね。私は、シンシア。この騎士団の団長だ」
「……団長……」
「キミは、先日この国に逃れてきた姫君かな?」
「……エフレシアと申します……」
「可愛い名だね」
「……兄が傷付くのは許せなかったので……」
申し訳なさそうにエフレシアは団長に剣を渡した。
「うちの団員が済まないね」
「……責任は取ります……」
「いいよ。そんな畏まらなくていい。どうせ先にちょっかい出したのこいつらでしょ?以前にもあったしね」
「……死なない程度にはしたつもりなんですが……」
「最近、団員達の秩序が乱れてるって陛下からもご指摘受けたばっかりでさ。ろくに強くもないのに威張り散らしてる奴らを粛清しようか悩んでた所なんだよ」
団長の発言に騎士達の姿勢がビシッと正された。
「騎士は己の命を懸けて国民を守る存在。それなのに、同じ仲間を傷付けるのは頂けないね」
「こいつらどうするの?」
倒れてる騎士達を見ながらククルが促した。
「魔物の餌にでもなれば少しは大義名分じゃない?」
「……サラッとグロいこと言うんだね……」
「要らない人間をいつまでも置いておく程、私は優しくないんだよ」
「じゃあ、さっさと処分しようか」
「あ。片腕切られたの誰だっけ?」
「ガウェイン」
ククルがその名を出すと呼ばれた騎士は怯えていた。側にいた他の仲間達は距離を置くように離れた。
「キミも要らないかなぁ。サボってたんだよね?努力を怠る人間は嫌いなんだよ。一緒に魔物の餌になってね」
「……お、お待ちください……」
「それに、片腕だけじゃキミは戦えない。戦力外通告だよ」
「いえ……。戦えます……」
「キミのその実力で?私が出来ないと言っているのに反抗するのかな」
「……い、え……」
「餌さえ上げておけば魔物はこちらの領地に入ってこない。私達の役に立ってよ」
「……ですが……その……魔物は」
瞬間、彼の首が音もなく消滅し、血飛沫が舞った。
誰も、分からなかった。団長は触れてさえいない。
「さっさと持っていって」
近くにいた団員達に指示し、団長はエフレシアに向き直る。
「お見苦しい所を見せてしまったね」
「いえ」
「……驚かないんだね」
「ああいう光景は見てきたので……。今更……」
「女性なら怖がって怯えるものと思っていたよ」
「それは、人生経験が浅いだけの幸せな女だけです」
「───そう。いいね、動揺しない女は好きだよ」
「……そうですか」
「私の妻にならないか?」
柔らかな笑みを向けられ、エフレシアは一瞬理解に遅れた。周りは驚きと困惑の表情を浮かべている。
「あんた、婚約者居なかったっけ?」
半ば呆れた様にククルが呟く。
「居るけどねぇ……。カサンドラも乗り気じゃないみたいだしさぁ。元々、陛下と妃が決められた事だからそこに愛は無い訳だよ。許嫁なんて保険に過ぎないんだよねぇ」
やさぐれ気味にブツブツと囁く団長にククルは溜息をついた。
「だからね。エフレシアみたいな女性を待ってたんだよ」
「……そうですか」
「前向きに検討して貰えたら嬉しいな」
無邪気な笑みにエフレシアはドキッとした。
「か、考えておきます……」
「ありがとう」
「──そういえば、何で姫と天使が此処にいる訳?」
最初の疑問を思い出したかのようにククルが聞いた。
「メルヴィアがお兄ちゃんに会ってみたいって」
「お前が勧めたんだろ……」
「会いに来たらあの様だったので……」
「まぁ、タイミング的には良かったのかな。団員達の士気も上がっただろうし」
団長が見渡すと騎士達はビシッと背筋を伸ばした。
「安易に来ない方が良いけど」
「ククルの顔も見たかったから」
「さっき会ったじゃん」
「騎士の姿も拝みたいなって」
「これからは幾らでも拝めるよ」
「副団長だもんね。かっこいいな」
「……ありがと」
エフレシアに褒められ、ククルは照れながら顔を逸らした。
「会いに来てくれたら訓練も捗るなぁ」
「団長さんも訓練するんですか?」
「皆同じ。位は関係なく、やるべき事をする。加えて私は司令塔だからね。上が倒れる訳にはいかない」
「さっきのは……能力?」
「そうだよ。間接的に攻撃出来ちゃうスグレモノだ」
「強いんですね」
「団長だからね」
「かっこいいです」
「ありがとう」
既に親しくなっている彼女を横目にメルヴィアは退屈そうに天を仰いだ。
「あの……」
「えっ」
怪我が落ち着いたのか、ロキが隣に居ることに気付かなかった。
「……なに?」
「妹のこと……よろしくお願いします」
「あぁ……うん」
「……名前……」
「オレの?メルヴィア」
「おれはロキです」
「聞いた」
「あ、そっか……」
「あんたが一番気を付けなよ。またさっきみたいな事があったら本当に罪を課せられるよ」
「……分かってる。フレアには笑って過ごして欲しい」
「その為には強くなる事だね」
事実を突きつけられ、ロキは表情を曇らせる。メルヴィアはあまり気にせず、団長とぺたぺたしている彼女の元へ歩み寄った。
「戻ろう」
「……あ、メルヴィア。もういいの?」
「あぁ。お前の兄にも会えたし」
「そっか。じゃ、戻ろっか」
「見学してていいんだよ」
余程エフレシアと別れ難いのか、団長が促した。
「飽きたんで」
メルヴィアは素っ気なく言い放ち、エフレシアの手を取りなが城の中へと戻っていった。
「残念」
「そんなに気に入ったの?」
「なかなかああいう子は居ないよ。ククルはあの子と一緒に来たんだろう?いいなぁ」
「物覚えは早い方かな。武器の扱いも慣れてるし、喧嘩も強い」
「手合わせ出来ないかな」
「団長ともあろう人が、もし負けたらどうするの」
「有り得ないから。私は絶対誰にも負けない」
目が怖い、とククルは思った。実際、団長は国で一番強いとされていて負けたという話は出てこない。騎士達も揃って団長の強さはヤバいと言う程だ。ククルもどんなものか手合わせ願いたかったが早々に実力を知られるのは嫌だったので内に秘めていた。
「切り替えていかないとねぇ。さぁ、頑張ろう」
訓練モードにスイッチが入り、団長は号令を掛けた。