対話
「おはようございます」
目が覚めたのと同時に現実へと引き戻された。
メルヴィアが起きた頃には既に部屋は清掃されていて、香ばしい匂いが漂っていた。
「……おはよう」
「お風呂入ります?昨日は少し暑かったので汗かいてないですか?」
にこにこで聞いてくるエプロン姿の少女にメルヴィアは反応に戸惑った。
「お前……いつ寝たんだ?」
「メルヴィアが眠りについた後に就寝しました」
「オレ……何か言ってた?」
「いえ、特には。ぐっすり眠ってましたよ」
「そう……。水浴びてくる」
「はい。お着替え用意しておきますね」
テキパキと動く少女を窺いながらメルヴィアは浴室へ入った。
世話役という雑用は今までにもやって来たが全員メルヴィアの外見目当てで夜を期待してきた。そういう性癖は無いと罵ると泣きながら出ていき、また違う奴が入りその繰り返しだ。中には夜這いしてきた者もいて国外追放された奴もいる。そんな人間ばかりだと思っていたので、少女に対してどう接すればいいのか分からない。我儘だと突き付けられれば付き合い方も楽になっただろう。
「……着替え、ありがと」
久々の水浴びでさっぱりしたメルヴィアは素直にお礼を言った。
「いえ」
「あのさ……」
「何でしょう」
「……その格好、なに?」
フリフリのピンクエプロンは少女にとても良く似合っていた。雰囲気が可愛らしいので微笑ましいとも思う。だが、後ろ姿を見た瞬間、問いかけずにはいられなかった。
「すみません。洋服が無いもので……。カサンドラ様に下着は頂いたのですけど……」
エフレシアはエプロンの下にセクシーなベビードールを着ていた。生地が薄いので肌が透けている。
「年頃の女の子がそんなの着ていいの?」
「あ、やっぱり大人っぽい感じのやつですよね。あたしにはまだ早かったかな……」
「そうじゃなくて。オレの世話役なんだから、傍にいるのにそんな格好だと誤解されるって」
「そうですか?」
「エプロン脱ぐでしょ?」
「ガウンも頂いたので羽織れば大丈夫です」
「……羞恥心とか無いわけ?」
「そういう感情は捨てました。お偉い様方の目の前で服を剥ぎ取られて裸同然で謝罪させられた事があるので。この格好はまだマシな方ですよ」
笑顔を絶やさずに少女は平然と言った。
「誰にされたの?」
「隣国の令嬢様に。あたしには厳しく当たられてたから」
「……幾ら令嬢だからって、普通はそんな事しないんじゃない」
「そうなんですか?まぁ、見られて減るものでも無いですし」
「減るでしょ」
「……何がですか」
「新鮮味」
メルヴィアの発言にエフレシアは一気に青ざめた。
「あ、あたしを……食べる心算で……?」
「は……?」
「天使と言えど、人間も食肉なんでしょうか……?そしたらあたしはとても不味いと思います……」
「何言ってんの?バカも程々にしなよ」
「……違うのですか?」
「人間は食べない。天使は別に食べなくても死なないし、お腹も空かない 」
「えっ……!左様で……?どうしましょう……メルヴィアの分の朝食もお願いしてしまいました……」
「食べるよ。摂っても問題は無いし」
「本当ですか!良かったです」
花が咲くみたいに少女の笑みは柔らかく温かい。
「洋服が無いって、なんで?」
「逃げるので精一杯で……。其れにあたしはお兄ちゃんが居てくれれば何も要らない」
「兄想いか。いいねぇ、兄妹愛……じゃなくて。此処の姫さんに服とか貰えないの?」
「あぁ……その……カサンドラ様はこういう下着が好きらしくて……いっぱいあるので貰いました」
「……そうか。虐められてるとかじゃない?」
「いえ、そんな!カサンドラ様はとてもお優しい方です。美しくて聡明で……。メルヴィアは会った事無いですか?」
「見かけた事はあるけど、話したことは皆無だな。興味も無い」
「では会ってみては如何ですか?メルヴィアも、あたしとだけ一日過ごすのは寂しいでしょう?」
「然程、人間には興味無いんだよ。世話役だってただの暇つぶし。期待も何もしてない」
「えっ……」
「あぁ、ごめん。傷付けたなら謝る」
「期待されても困ります」
「……え?」
予想外な返しにメルヴィアはキョトンとしてしまった。
「あたし、特技も何も無くて……。姫っていう立場に居ただけのお飾りなの。お兄ちゃんはそれでいいって言ってくれて……。だから、高度な命令は遂行出来ないかもしれません……」
エフレシアは自分で言いながら膝を抱え、蹲った。
「命令ってなんだよ。そんな事しない」
「……でも、陛下は貴方の要望には答える様にと……」
「無視していいよ。オレを高値で買ってこんな所に閉じ込めてる奴だ。律儀に従わなくて良い」
「……分かりました」
「それと。一つだけお願い」
「なんですか?」
「その喋り方やめて。仲間を思い出す」
「……普通に話せと?」
「距離を作られてるみたいで嫌いなんだよ」
「……ごめんなさい。じゃあ、気兼ねなく」
少女は立ち上がり、メルヴィアに向き直った。
「改めてよろしく。メルヴィア」
「あぁ……」
「朝食持ってくるから待ってて」
「その格好で行くの?」
「大丈夫だよ」
不安そうに少女を見送り、メルヴィアは部屋で大人しく待つことにした。
城の構造はエフレシアが居た所と似ていて場所もすぐに覚える事が出来た。出入り出来るのは王家の人間と関係者、それと騎士団 だけ。イベントの時は他国から人が沢山来るので賑わっているが普段の日はそんなにすれ違わない。
「あれ。亡国の姫君じゃーん」
前方から騎士達が現れた。まだ休憩には早い時間だ。
騎士団は国の要とも呼ばれているので日々厳しい訓練を行っている。
「おはようございます」
「なにその格好。男誘ってんの?」
「相手してあげようか?」
エフレシアの格好に彼らは含み笑いを浮かべた。
「いえ。これから朝食なので」
「俺らさぁ、朝から頑張ってんのよ。ご褒美位あっても良くない?」
「しかも君のお兄サン、めっちゃ弱すぎ。訓練の邪魔になってんだけど」
「……えっ?」
「フォローしてる側としては体力使う訳。だから奉仕してくれてもいいんじゃない?」
ぐっと腕を掴まれ、逃げる隙を無くされてしまった。
エフレシアの知る騎士団はこんなのでは無い。皆、優しく接してくれた。いつも守ってくれた。誰も手なんて出さなかった。
「離してください……」
「大丈夫だよー。優しくするし」
「疲れてんだから癒してくれよ……」
言葉を遮るかのように何かが降ってきた。ゴトッと床に落ちたのはエフレシアの腕を掴んでいた騎士の物。
「あぁああ……っ……腕が……」
片腕を切り落とされた騎士は痛みに悶え、悲痛な叫び声を上げた。
「ヤリチン共が。サボった罰だろ」
「……ククル……」
「まだ襲われてない?フレア」
「うん……。ありがとう」
騎士団の副団長であるククルに騎士達は逆らえない。その強さを知ってしまっては敵わない事を悟った。
「いくら偉いからって、やり過ぎじゃないですか……」
「はぁ?訓練中に抜けて女口説いてる奴らに言われたくないね」
「べ、別に……口説いてなんか……」
「其れに。ロキの悪口も言ってただろ?許さないよ。今度は首を落としてあげようか……」
「ひっ……!す、すみませんでした……!」
ククルに睨まれ、騎士達はバタバタしながら去っていった。
「フレアもそんな格好で歩かないの」
「……ごめんなさい」
「天使の世話は?」
「これから朝食を一緒に摂ります」
「そう。オレが持っていくから部屋に居て」
「いいの?」
「またあんな輩に会ったら嫌でしょ?」
「……うん。ありがと、ククル」
エフレシアはククルに見守られながら部屋に戻り、その数分後に朝食が届けられた。
「少しは自覚して欲しいね」
「……何を?」
「女性であること」
共に朝食を摂りながら、メルヴィアはハッキリと言った。
「襲われたって文句言えないでしょ」
「……そうかな……」
「痛みを知らない様だから教えておくけどさ。身体の辛さはすぐ治るけど、精神的なダメージは消えないよ。ずっと」
「えっ……」
「それにあんたは女だ。その意思が無くても孕まされる可能性だってあるんだからね」
「……うん」
「これからは一人で出歩くな」
「でも……」
「行きたい時はオレも一緒に行く」
「……此処から出ていいの?」
「国の外へは行けないけど。城からは出れるよ」
「なんだ。鳥籠じゃなかったか」
安堵したエフレシアは美味しそうにサンドイッチを頬張る。
久々に誰かと話せてメルヴィアも表情が柔んだ。
「メルって呼んでもいい?」
「駄目」
「……ごめん。嫌だった?」
「仲間を思い出すから……」
「その仲間は、今何処に?」
「…………分からない。いきなり襲われて散り散りになった……。人間達はいつも勝手だ。此方の事情に関係なく天使を狩った」
「生け捕りにされたの?」
「そうだよ。ずっと在ると思ってた世界を壊された。仲間も奪われた。誰が何処に居るのかも分からない。だから勇者と旅をしたんだ。仲間に逢える事を願って」
「勇者……?」
「オレとレスティを助けてくれた人間だ。とても優しい人だった。でもその旅も壊された。傲慢な人間に奪われたんだよ。オレはもう何も失いたくない」
悲痛な想いを吐露し、また嫌な光景が蘇る。
震えるメルヴィアをエフレシアはそっと支えた。
「恨まれて当然だよ。あたしも好きだった人に国を落とされた。何もかも奪われた。もうあたしにはお兄ちゃんしかいない。もし、お兄ちゃんを奪うような人間がいたらきっと正常ではいられないよ……」
「……あんたにも、そういう感情あるんだな」
「あるよ。大抵の酷いことなら見過ごせる。でも、お兄ちゃんだけは駄目。誰にも触れさせたくない」
「そこまでいくと尊いな。そんなに素敵な兄なの?」
「そうだよ。会ってみる?」
「……まぁ、暇つぶしにはいいかな」
「お昼なら時間あると思うから、一緒に行こ」
「あぁ」
朝食を食べ終えるとメルヴィアはクローゼットを開け、ゴスロリチックなメイド服を出してきた。
「……着ろと?」
「その格好は目に余る」
「そうだね……。サイズ合うかな」
「お前位の奴が着てたから大丈夫だろ」
「じゃあ、着替えるね」
エフレシアは下着の上からバサッと袖を通した。バストはサイズ感がやや合わずぺたんこになってしまったがそれ以外はピッタリだった。
「一応聞くけど……メルヴィアの?」
「違う……。前の世話役が趣味で着てたものだ……」
「似合うと思うよ、メルヴィアも」
「いい。そういうのはお前みたいな奴が着た方が合うだろ」
「そう?ありがとう」
以前から着てみたいと密かに憧れを抱いていたのでエフレシアは喜んだ。
「───何も聞かないんだな」
メイド服を堪能している彼女にメルヴィアは寛ぐ体勢になりながら呟いた。
「……ズケズケと土足で踏み込む勇気は無いよ」
「まぁ……聞かれても答えたくないから助かる」
「あたしの事は何でも聞いていいよ」
「興味無いって言ったよね」
「わかった。そういう関係を築くなら、あたしも相応の態度で世話役を全うする」
「……物分りが良いんだな」
「これでも色々経験済みな訳ですよ。温々と寵愛を受けてた頃が懐かしい位」
「そうか」
メルヴィアは程良い距離感を保ってくれる事に安堵した。
彼女が害の無い人間であるのは解った。詮索も干渉もメルヴィアから発さない限りしてこないだろう。
「お昼まで寝てる?」
「……さっき、此処の騎士団に出会したって言ってたね」
「うん」
「国によって騎士団って違うもの?」
「んー……あたしの国の騎士団しか分からないけど、此処の騎士団よりは断然優しくて強かった」
少し頬を膨らませながらエフレシアは答えた。
「断言した」
「するよ。分かるもん。二人だけしか会ってないけど、一人がそうなら皆同じなんだって。お兄ちゃん、大丈夫かな……」
「虐められてないといいけどな」
「……凄く心配になってきた……」
「お昼じゃなくても会いに行けるんだろ?」
「訓練中は迷惑かなって思って……」
「あんたが行けばモチベーションも上がるんじゃない?」
「おぉ!そうかも」
「暇だし、外の空気吸いたい」
「そうだね」
「この窓からなら降りられるけど」
「……降りる?」
「オレが翔べるから。いちいち城の中通っていくの面倒じゃない?」
「うん。あたしも翔びたい」
「度胸あるな」
メルヴィアの部屋には一際大きな窓があった。見渡せる景色は絶景だが、城の上層部に位置しているので落ちたら死ぬ。
「暴れたりしたら即死だからね」
「しないよ」
軽々とエフレシアを腕に抱きながらバサッと羽根を広げる。
「行くよ」
一瞬、フワッと重力の差に身体が震えたがメルヴィアが確りと抱いてくれていたので恐れは無かった。
騎士団は訓練場にいる事が主だ。何より戦いの無い平穏な日々があるだけ幸せなのだが、いつ戦争が舞い込んでくるかも分からない。その為の力は備えて置かなければならない。
訓練場と言ってもだだっ広い庭の様な所で、辺りに何も無いので激しい手合わせも行える。どれだけ人数が多かろうがスペースは有り余っているのでそこら中で手合わせがされていた。
剣を持つ者、弓矢を持つ者、能力を駆使する者など多種多様で金属音や爆発音など絶えることがない。
その中で団長と呼ばれる者は国一番の強者であり、それに続く副団長も要として信頼が厚い。ククルが副団長に任命される以前にいた副団長だった騎士は己の弱さに落胆し、城を去ったらしい。
「お兄ちゃん、何処だろ……」
「あそこじゃない?」
地に降り立った二人は手合わせしている騎士団達の後方で数人と話しているロキの姿を見つけた。
「お兄ちゃん……」
エフレシアが呼びかけようとした瞬間、ロキを囲っていた一人が殴った。その口元には笑みを浮かべている。
「お兄ちゃん!」
倒れたロキに馬乗りになる騎士。その光景に耐えられず、エフレシアは駆け出していた。