Lost
レスティを連れたメルヴィアは泉の畔まで戻ってきた。この辺には人間達の気配はない。周りに警戒しながら、地に足を付けた。
「……どうして……こんな事に……」
「あいつら、どうやって入ってきたの?」
「分からない……。急に結界が破られて……いきなり馬車が突っ込んできた……。状況を理解する間に少年天使達が捕らわれていったよ……」
震える身体を擦りながらレスティは説明した。
「真っ向から戦ってもキリがなさそうだな」
「……守れなかった……。皆……連れていかれた……」
「悔やんでも起きたことは仕方ないよ。此処も、安全とは言い切れない。見つかる前に逃げよう……」
レスティの手を取り、移動しようとした時だった。
「……助けて!」
すぐ近くから誰かの声が聴こえ、二人は方向を探る。深緑の森の方から足音が近付いてきた。
メルヴィアは警戒態勢になり、徐々に露になっていく影を見つめていた。
「あ……メルヴィア……!」
現れたのは淫らな格好をしたアスだった。破かれた服から覗いた肌が傷だらけになっている。
「アス!」
「おー。ここにもまだ残党がいたのか」
アスの後ろから人間達が数人出てきた。
「まとめて捕らえちゃお」
一人がバズーカ砲らしきものを担ぎ、間髪入れずにドンッと巨大な網を放った。けれど、メルヴィアが向けた手に当たると光に包まれて音も無く消滅してしまった。
「逃げるぞ」
アスとレスティの手を取り、メルヴィアは空へと飛び立った。流石に上に逃げられてしまえば人間達は手の出しようが無い。
「高いなぁ。俺らもあれ位飛べたら良いのになぁ」
呑気な事を呟き、人間達はその場を後にした。
「追っては来ないな」
「ありがとう、メルヴィア。また、助けてくれた」
「当然だ」
「メル……。何処へ……」
「森の奥深くまでいけば見つからないだろ」
アダムの森と呼ばれる領域が在った。霧が濃く、一瞬で方向を見失い、行方を眩ませた者も多い。どんな生物が居るのかも把握されておらず、人間すらも近付かない。
「息が……」
濃霧が酷く、酸素も薄い。清廉な空気の下で過ごしていた天使にとっては些か毒だ。
「離れんなよ」
ふらつくアスの手をしっかりと握りしめ、メルヴィア達は前進する。濃霧のせいで辺りは何も確認出来ない。アスとレスティは息苦しさから足がもたついていた。
「レスティ」
距離が出来る前にレスティの手を取り、二人を率いる様にメルヴィアだけは不屈の精神を保ち続けていた。それもいつまでもつか分からない。
他の気配どころか周りに何があるのかも全く見えず、進んでいるのかすら怪しい。これでは追っ手にも気付けない。
「───見っけ」
スっとどちらかの手が離れた。メルヴィアは足を止め、掴んでいた方の手を自分の方に抱き寄せた。
「レスティか」
「……アスは?」
「急に手が離れた。捕まったかも知れない」
「そんな……」
「確認しようにも不用意に動けない。此処を抜けるよ」
「助けないの?」
「……仕方ないことだよ」
レスティは泣きそうな表情をしていたが、メルヴィアは気にせずそのまま走り出した。
二人が遠ざかっていく音だけが分かった。助けてはくれない。そう確信した瞬間、アスは涙を流した。
「一匹ゲット。あとはあの二匹だけか」
「残念だったねぇ。仲間に見放されて」
捕らわれたアスは無抵抗のまま、人間達に連れていかれた。
森の奥深くまで行くと些か呼吸が楽になった。丁度寄りかかれそうな木々があったのでそこにレスティを座らせた。
「顔色悪いな」
「ごめん……。この空気は合わない」
「そうだな。オレも息苦しい」
「メルも休んで」
「あぁ」
周りに気を張りながらメルヴィアも楽な態勢を取った。
アスの手が離れた瞬間、振り向くのを躊躇った。助ける隙はあったのかも知れない。リスクより保身を選んだ。この状況で仲間を守りながらの攻防は厳しい。
「……静かだね」
「怖いくらいだ。人間にはこの濃霧はただの霧にしかならないだろうから、時間稼ぎは出来ない」
「メルヴィア。もし、無理だって思ったら一人で逃げて」
「……やだ」
「でも……足手まといだろ?」
「だから何だよ!そんな事気にする必要無い」
「……私は……もう戦えない。仲間を見放した……。その報復はきっと抗えないものになる……」
「天使長のクセに弱気だな。別に戦わなくてもいい」
「えっ」
「捕らわれても殺されはしないよ、きっと。天使は貴重だ。人間は貴重なものが好きなんだろ?話し合いも無駄だろうから、もう何も出来なくなったら大人しく捕まって好機を待つ」
「好機……?」
「多分さ、この先の未来なんて凄い辛いものになると思うんだ。今までの平穏が恋しくなる位、恐怖と辛苦に耐える日々になるよ。仲間も皆、傷を負うと思う。また逢えるのは大分先になるかもな。けど、絶対屈しないって誓おう」
「……メル……」
真っ直ぐな彼の瞳にレスティは顔を上げた。
「一度屈したら、立ち上がるのは困難だ。だから、何があっても、何をされても、不退転の精神は捨てるな」
「……分かった」
それから数日は人間達が現れることも無く静かに過ごした。濃霧は少しづつ晴れてきている。呼吸も大分しやすくなってきた。
レスティは体力も回復し、メルヴィアも身体を動かしていた。
「そろそろ、此処から出ないと」
「うん……」
「───それは困るなぁ」
会話に割り込んできた声に二人はビクッと身体を震わせた。
二人が休んでいた木々の裏から人間が現れた。
メルヴィアはレスティを守るように前に出て警戒する。
「ずっと居たんだけど気付かなかったかな?」
濃霧が徐々に薄れていき、人間の姿も露になった。
優しげな青年。笑みを浮かべているがその気配から危機を感じた。
「もう天使族はキミ達二人だけだ。他の仲間は皆、高値で売れたよ」
「……売った?」
「天使族は貴重だからね。金持ちは放っておかない。買われた天使はそれはそれは可愛がって貰えるだろうよ」
青年の言葉にレスティはビクッと肩を揺らした。
「どの道、オレらを捕らえるんだろ?だったら、レスティと一緒に売れ。それが条件だ」
「メル……」
「ペアかぁ。まぁ、それもアリかな」
「なら、無駄な抵抗はしない」
「そっちの子も?納得してるの?」
「あぁ」
「そっか。話が早くて助かったよ」
ガチャンと手錠を嵌められ、メルヴィアとレスティはその森から連れ出された───。
二人が買われるまでに時間は要さなかった。
人間達にとっては高値で取引され、二人を競り落としたのは一国の王であるその息子だった。
屋根の下で眠れたのは良かった。けれど、息子の偏愛嗜好が強すぎて夜が来るのを恐れる様になってしまった。
国王の息子という肩書きだけで優遇され、我儘が通り、迷惑違反も趣味の範囲と見過ごされ、メルヴィアとレスティは心身共に彼に降った。
「天使ってどうやったら壊れるんだろうね」
笑った表情が不気味で発せられる言葉には嗚咽すら引き起こす。それ程までに精神が参ってしまい、拒絶反応が無くならない。
「……ねぇ。レスティは慣れてないんだ、こういうの。だから、オレだけにして欲しい」
「……は?なに命令してんの。玩具のクセに」
暴力なんて当たり前。有無を言わさず裸にされ、痛い思いをしなければならない。国王は何も言わず息子の好き放題にさせている。終わりすら見えない恐怖に息をするのも忘れかけた。
「メル……」
レスティはどうしても性行為に対して拒絶してしまうのでその役目はメルヴィアが負っていた。その最中にも暴力をうけ、痣だらけの彼にレスティは涙していた。
「従ってればこの程度だ。大丈夫、喧嘩に比べたら楽勝」
絶対に屈しないと誓ったメルヴィア。その意思はレスティにも伝わっている。
「ただの趣味なら、その内終わる」
ある日、国は落ちた。
何があったのかは分からなかったが国王もその息子も殺され、兵たちも無惨な死体となって転がっていた。
襲ったのは何処ぞの盗賊。二人の存在も見つかり、また同じような事を繰り返した。
その盗賊も何処ぞの騎士団に全滅され、天使達は大きな国に献上された。暫くそこで世話になった。変態皇子も居ない安寧の地。此処でなら普通に生活出来ると思った。
けれど、安定は長くは持たなかった。攻め入ってきた敵国に敵わず、少しの憩いも戯れと化した。
そして闇オークションへ賭けられ、二人は最初よりも更に高値で買われ、悪夢が再開した。
そんな事が結構続いた。代わる代わる玩具扱いされ、もうそれが理なのだと悟ってしまいそうになる位、ズタボロだった。
その後、散々な扱いを受けた挙句の果てにまた違う売人へと売られ、買い手が付くまで宝物庫に置かれていた時だ。
ふらっと現れた勇者にメルヴィアがお願いをした。
『此処から出してよ……。もう……愛玩具は嫌なんだ』
『……おれが買っても、何も渡せない。幸せになれないかも知れない』
『いいよ……!弄ばれるよりマシだ……』
『……お前は?』
勇者は黙って様子を見ていたレスティに声を掛けた。
『叶うなら此処から出たい。無理なら、その子だけでも連れて行ってあげて欲しい』
『……分かった。交渉してこよう』
『待って……!レスティも一緒に連れてって……!お願いだ……』
悲痛な叫びに勇者は無言で立ち去り、売人との交渉を進めた。
そして、天使二人は勇者に高値で買われ、深く頭を下げられた。
『お前達を金で買った。モノ扱いをした事、謝罪する』
『……必要な手続きでしょ……?なんで謝るの……?』
『寧ろ感謝しかない。助けてくれて嬉しかった』
『……先に言った通り、おれは何もしてあげられないし、寂しい思いをさせるかも知れない。それでも、いいか?』
『いいよ。今まで嫌な思いを沢山してきた。それから解放されるなら、何よりの幸せだ』
勇者は信用の出来る人間だった。それまでの人間の穢い部分を見てきた天使二人にとって勇者はとても優しく、平等に接してくれた。三人で旅をしていた頃が一番楽しかった……。