聖域
「天界」──そう言えば聞こえは良いかもしれない。
実際には、人間達との交流を断ち切った天使族が聖地を乗っ取り結界を張った聖域を指す。出る事も入る事も出来ない、まさに「楽園」。それが、メルヴィアの生まれた世界だ。
「あ、天使長様!」
結界の様子を確認しながら天使達の動向を窺っていたレスティは、急いで駆けてくる少年天使に呼び止められた。
「どうした?」
「また喧嘩してるんですよー。メルヴィアが」
「……そうか。案内してくれるかな」
「此方です」
少年天使の後をついていくと、泉の畔で数人の天使達と対峙しているメルヴィアの姿があった。
「派手にやってるね」
「この間も乱闘騒ぎでしたよ。お陰で水浴びが出来ないって仲間達が困ってます」
「それは頂けないねぇ……」
暫く様子を眺めていると、メルヴィアを囲っていた天使達が一人、また一人と倒れていった。
ボキッと最後の天使の腕を折ったメルヴィアは息を切らせながらふと顔を上げ、レスティを睨みつけた。
「あらら……。バレたか」
笑って誤魔化すレスティの後ろに少年天使は怯えながら隠れた。
「見世物じゃないんだけど」
「騒いでるって聞いたものでね」
メルヴィアは溜息をつきながら歩み寄った。
「毎日乱闘騒ぎで楽しそうだね」
「嫌味か。喧嘩売られたから買っただけだよ」
「そうか。彼らも、キミには敵わないって認めたら良いのに」
地に倒れ伏している天使達を横目にレスティが呟く。
彼らの喧騒は日常茶飯事で殆どの天使達は呆れて見過ごしている。
「──で?態々注意しに来たわけ?」
「この子に助けを求められたから。天使長としてはそれなりの対応をしないとね」
「オレよりアイツらを叱れよ。毎度毎度絡んで来て意味わかんないんだけど」
「その態度じゃないかな」
「気に障るなら関わらなければいい」
「寧ろ気になって仕方なくて絡んで欲しいのかもよ?」
「反吐が出る」
「あ。メルヴィア、待って。怪我してるよ」
立ち去ろうとしたメルヴィアを呼び止め、血が流れている腕に触れた。レスティの手が傷口に当てられた瞬間、淡い光に包まれて元通りの綺麗な白い肌へと治った。
「……ありがと」
「これ位しか出来ないけど」
「大したもんだ。オレは自然治癒が遅いから助かる」
素直にお礼を言う姿勢にはレスティも好いている。いつも暴れているから天界一の問題児等とレッテルを貼られてしまうが、根は優しく仲間想いである事も。
「怖い思いさせて悪かったな」
レスティの後ろからメルヴィアを眺めていた少年天使に謝罪し、メルヴィアは去っていった。
「恐れる天使ではないんだけどね」
「……でも怖いです」
「話してみたら付き合いやすいと思うんだ。今度、機会を設けよう」
少年天使を寮まで送り届け、レスティは泉へと戻って行った。
その頃には、メルヴィアにバキバキにされた天使達も目覚めたらしく自然治癒が終わるまで寛いでいた。
天使には生まれつき、自身の傷や体調を整える治癒能力が備わっている。抜群に治りが早い者も入れば何時間も掛かる者もいる。レスティはそれに加えて、他人の傷や体調までも治せる程の治癒能力を秘めていた。
「お加減は如何?」
「あ、レスティ!お前からも言ってくれよー」
「メルヴィアの奴、手加減無しだぜ」
天使長に気付いた彼らは口々に気怠い言葉を発した。
「あの子に喧嘩で勝とうなんて馬鹿な考えなんだよ」
「でもさー、何も怒ること無いじゃんね?」
「俺ら、アスと話してただけなのに」
「喧嘩を売ったんじゃないの?」
首を傾げながらレスティが聞いた。
「そんなことしないよ」
「ただ、アスとは喧嘩みたいになっちゃって。それで突然乱入して来たんだよ、メルヴィアが」
「勘違いしたみたいでさ。お陰でエライ目に遭った……」
「治そうか?」
「平気。もうすぐ回復するから」
「ほんと、野蛮だよな。なんで、堕ちないんだろ」
あまりにも素行が悪いと、女神に見限られ堕天の烙印を押されてしまう者もいる。一度、堕天使となってはもう二度と天界へは入れない。聖域がその纏う空気を忌み嫌うからだ。
レスティは暫く彼らの言い分も聞いてあげた。
夜の噴水広場には天使達は寄り付かない。少し肌寒い事もあって昼間の方が憩いの場として利用する者もいる。
上がる噴水の水音を聴きながら、アスは天を仰いでいた。夜空が闇の様に広がり、此処では星はあまり見えない。恐らく結界の効力で外の景色が反映しないのだろう。
「帰ったんじゃないのか」
呆けていたアスに、メルヴィアが声を掛けた。アスは視線だけ彼に向ける。
「怪我は?」
「治った」
「お前、今回が初めてじゃないだろ」
「……だったら?」
「言えよ。怖い思いする前にオレを頼れ」
「……んー……そうしたいけど……」
まったりした口調で答えながら、アスはメルヴィアに向き直った。
外見だけなら綺麗で物静かな天使だ。けれど、後先考えずに行動してしまったり、性格も飄々としているのでどこか掴めない。
今回も、アスは彼らに誘われて泉の畔に行き、口論になって殴られた。その上、犯されようとされたものだから奇怪な声を上げてしまった。そのお陰でメルヴィアが気付き、助けに入る事が出来た。破られた服の合間から白い肌が覗き、目に毒だったのでメルヴィアが相手をしている間に勝手に移動してしまった。
「助けてくれてありがとう」
「おぅ……」
「キミみたいに強ければいいな」
「お前は自分の力量を知れ」
「…………えいっ」
キックのポージングをしながら、アスはメルヴィアの顔面まで足を伸ばした。
「……なに?」
「これが本気だったら、メルヴィア、死んだ?」
「その前に防御してそのまま押し倒す」
「やだ、野蛮」
「そういう態度だから、彼奴らに目つけられんじゃないの?」
「……あー……そうかもなぁ……」
アスは伸ばした足が傷んだのか、擦りながらそのまま腰を下ろした。
「メルヴィアだって、喧嘩売られてる」
「もう慣れた」
「馬鹿にされて怒るからだよ」
「うるさいな。気に入らないもんは仕方ないだろ」
「その手は、痛くないの?」
「……ん?」
「いっぱい殴り倒してたもんね」
「誰の所為だと……」
「うん。おれが馬鹿にされた時も怒ってくれた」
「……酷い言葉を投げたからだ」
「結構言われるなぁ。変な奴とか、欠陥品だとか」
「彼奴らの方だろ」
「分かってる。おれは皆と違う。考え方も行動も関わり方も。分かった風にやってるだけ」
噴水が止み、静寂が訪れた。
風が、二人の長い髪を靡かせていく。
「それで良いじゃん」
「賛否両論。ダメだって言う奴は、おれより上に立ちたいだけ。だから見下して平気で手を出そうとする。頂けないね」
「今回は未遂だったけど……」
「あるよ。違う子達に襲われて気持ち悪くされた。生きてる意味無いって罵声浴びせるクセに腰は動くんだよ。可笑しいね」
「……そういう事、サラッと言えるんだな」
「された事悔やんでも取り返せないし、無駄な抵抗。あの子達が 良い思いで済んだならまぁいいやって」
「お前がそんな風に言ったら、合意だったって逆らえなくなるぞ」
「だからいいよ。どうせ過去になるんなら、そのまま忘れて捨てちゃえばいい。思い出さなければ平穏」
「……諦観めいた戯言だな」
「ありがとー」
「褒めてない」
メルヴィアはアスに流されているような感覚に囚われてしまい、自分の言葉が合っているのか分からなかった。
「そういう相手も要らないしねぇ」
「……居た方が楽じゃないか?」
「楽なの?おれが?守られてればいいの?」
「あ、いや、ごめん……。そういう意味じゃない」
「恋人同士なら襲われないの?馬鹿にされない?見下されたり、暴言吐かれたりしない?そんなのただ利用してるだけじゃん」
「いや……。敬遠っていうか……」
「いつでも助けて貰えるとは思ってない。弱いなりに考えてる。だから、メルヴィア。次があっても見過ごして」
「……余計な世話か」
「ごめんね。恨みの対象になって欲しくないんだよ」
「そうか……」
アスの言う通りだ。いつも丁度よく助けに入れるとは限らない。それに慣れてしまわれても困る。メルヴィアは受け入れ、助言はしない事にした。
「そろそろ帰る。アス、身体冷やすなよ」
「うん。またね、メルヴィア」
それが、彼の笑みを見た最後の日だった。
翌日。
メルヴィアは朝からレスティと出会した。彼はまた少年天使達に囲まれている。
「大人気だな」
「今日はこれから能力試験があるからね」
「そうか」
「メルヴィアも見ていく?」
「いや。泉に行くからいい」
「そう。まぁ、キミの能力は見せびらかすものじゃないものね」
「悪かったな……」
「褒めてるんだよ」
「……そりゃどうも」
ひらひらと手を振りながらメルヴィアは泉の畔へ向かった。
普段此処は疲れを癒す場であり、乱闘騒ぎを招くような所ではない。昨日は偶々だ。
「やっと休める」
泉に浸かりながら昨日使った体力を補う。誰もいないと静かで心地が良い。
「───あ?なんだよ、先客いるじゃねーかよ」
舌打ちしながら現れたイヴを見てメルヴィアは「げっ……」と言う表情を浮かべた。
「明白な態度やめて?」
「……出る」
「待て待て……!一緒に入ろう?お願い」
可愛らしい笑みにメルヴィアは断りづらくなり、そのまま浸かる事にした。
イヴはこの「天界」を創った天使の一人だ。聡明で美しく、能力も高い。メルヴィアには何かと絡んでいる為、あまり好印象は持たれていない様だ。
「昨日も乱闘騒ぎしたって?」
メルヴィアの隣で泉に浸かりながらイヴが聞いた。
「……お前も混ざりたかった?」
「まぁなー。久々に身体動かしたいし」
「今日は少年天使達の能力試験だってさ」
「おぉ、今日か。見込みのある奴居るかな」
天使は生まれつき、何かしらの能力を秘めている。
天使長のレスティは治癒能力。
創造主の一人であるイヴは二重返還(ダブルリターン:倍返し)。
メルヴィアはあらゆる能力を無効化する。
その他にも高い能力を秘めた天使達は多い。
少年天使達も己の能力を測定し、そのレベルに合った教育を受けていく。
能力判断をするのは天使長と言う決まりがある。
なので、能力試験日は揉め事や争い事を起こしてはならない。
「見に行けば良かったか」
「行ってくれば?レスティだけじゃ大変だろうし」
「メルも行こう」
「やだ。面倒」
「疲れ取れただろ?」
「寛ぎたいんだよ」
「連れないなぁ……。じゃあ、見てくるから」
まだ数分しか浸かっていないにも関わらず、イヴは楽しそうに服を着ながら試験会場である広場へと向かっていった。
「───何かあるんですか?」
やっと一人になれると思った矢先、不意に隣から話しかけられ、メルヴィアはビクッと肩を揺らした。
いつの間に居たのか、気配すら感じなかった天使に目で訴える。メルヴィアの眼前に居るのは、イヴと同様、この「天界」を築いた創造主の一人であるラピス。
「驚きました?」
「……居るなら言えよ……」
「すみません、お邪魔したら悪いと思って気配消してました」
穏やかに微笑むラピスは天使達の中でも特に大人しい。存在自体は大きいのだが、目立つ容姿でもなく言動も控えめなので視認しにくい。
「大丈夫だって。邪険にしないよ」
「ありがとうございます」
「イヴも気付いてなかったな」
「あの子は目の前の事しか見えませんからね」
「分かりやすい」
「……それで?今日は何かイベントでも?」
「少年天使達の能力試験」
「あぁ。だから賑やかだったんですね!」
「見てきたのか?」
「ちらっと。レスティが頑張っていたので応援してきました」
「そうか」
「メルヴィアは行かないんですか?」
「……何で皆オレを行かせようとするんだ?」
「無効化能力を目の前で見たいからでしょう」
ハッキリした解答にメルヴィアは納得した。
「例外ですもんね」
「だから、体術も磨いたんだよ」
「喧嘩じゃ負け無しだ」
「本当はしたくないけどな」
「手合わせなら付き合いますよ」
「……お前、強いからやりたくない」
ラピスは破壊の能力を有しており、無機物も有機物も構わず触れたものは粉々にしてしまう。その上、動体視力も持ち併せているので相手の動きを捕え、ねじ伏せてしまう強さも兼ね備えていた。
「残念ですねぇ」
「他に相手いないの?」
「皆、遠慮されてしまって。私に勝つ心算ですかって位、その態度が余りにも下らなくて」
微笑む表情と発せられる言葉が合致しない。サラッと陰口の様に呟き、ラピスは愉しそうだ。
「……やったら笑顔で捻り潰されそうだな」
「本気は出しませんよ。破壊しちゃうので」
「笑顔で言うなよ……」
「メルヴィアなら、本気出してくれそうですね」
期待されるのは嬉しいが、ねじ伏せられてしまうのは勘弁だった。喧嘩と手合わせでは戦い方が違う。その意志を持った手で彼に触れられたら、片腕なんて砂上の楼閣みたいにあっさりと崩されてしまうだろう。
会話も程々に二人で水浴びをしていると、遠くから悲鳴のような声が聴こえてきた。
「……なに?」
「まずいですね……。結界が破られたかもしれません」
「えっ……」
冷静な口調で説明しながらラピスは既に着替えを済ませていた。メルヴィアも不安を感じ、さっさと泉から出る。
「破られたって……誰に?」
「……恐らく、外部からの能力者でしょう。人間にも能力を持った者達が存在すると聞いています」
「マジで……?」
「広場へ向かいます!メルヴィアも来てください」
ラピスに促され、二人は走るよりも空を駆けて広場へと移動した。
上からの景色は最悪だった。
紅いローブを纏った者達が銃らしき武器で少年天使達を捕らえていた。網に掛かった天使達はそのまま馬車の中に連れ込まれていく。
「レスティとイヴが居るのに何で……」
突然の侵入者にパニックに陥った少年天使達は逃げ惑い、その行動が誤ちとなり、人間達の罠に掛かってしまっていた。レスティが誘導するも阿鼻叫喚の中、従う者はなく混乱状態だ。
「オレらも行って……」
「駄目です!人間達を侮ってはいけません。恐らく、あの銃に撃たれると意識を失うのでしょう。網にも何か仕掛けがある筈です。立ち向かったらこちらが不利になる……」
「見過ごせって言うの……?」
「メルヴィアはレスティと逃げて下さい。私はイヴと人間達を食い止めます」
「……出来るのか?」
「お任せ下さい」
互いの意志を信じ、二人は降り立った。
メルヴィアはレスティの手を取り、再び空へと舞う。
「メルヴィア……」
「此処はあの二人に任せろだってさ」
「でも……」
「大丈夫だよ。イヴとラピスなら人間なんかに負けない」
自分にも言い聞かせるように言葉を放ち、人間達の目が届かない場所へと移動した。
結界が破られた以上、それまで清廉されていた空気は澱み、気分を害した天使達も次々に捕らえられていった。
「ラピス!ガキ共を守りながらじゃ無理だ!」
「頑張って下さい!」
「いやいや……。まともに戦えねぇって」
怯える少年天使達を庇いながら人間達からの攻撃を交わすのは中々の体力を使う。
ラピスは素早い動きで人間達の武器に触れ、次々と破壊していく。それでもあらゆる武器を駆使して捕らえようとしてくる人間達のしつこさには適わなかった。
───パンッ
背後から放たれた銃弾がラピスの腹部を貫いた。
天使は不老不死にも近い存在で身体を撃たれた位では死なない。頭か心臓か、最悪、半身を真っ二つにされれば息絶える。
人間達がどこまで天使族の生態を把握しているのかは分からない。けれど、殺さずに捕らえている時点で天使達を『商品』として見ている事だけは明らかだ。
「ラピス……!」
撃たれた衝撃で膝をついてしまったラピスに網が降り掛かってきた。すぐ破壊しようとしたが、動いた瞬間、バチィと静電気のような痺れを感じ、ラピスはそのまま人間達の元に持っていかれた。
「くそっ……!」
「どんなに足掻いても、全員、生け捕りだって」
その気配に遅れたイヴは背後に立つ存在に背筋が凍った。
身体に触れてきた手がとても冷たく、殺気にも似た恐怖に支配された。
「キミは僕が目を付けていたから、このまま連れていくね」
「……なんで……こんな事……」
「天使族は貴重だ。売れば大金になる。ひっそりと暮らしてたらその価値が下がってしまうからね」
「結局、お前ら人間は金目当てか。暇人だな」
「うん。生意気で可愛いね。僕がたっぷり調教してあげるから」
そのまま抱きしめられるように密着され、イヴは抵抗の余地を無くされた。
「それまでは眠ってていいよ」
耳元で囁かれた瞬間、意識が遠のき、倒れそうになるイヴを男がしっかりと抱き上げた。
「大量大量ってね」
嬉しそうに呟き、イヴを捕らえた男は馬車に乗った。