ダンスホール ②
ガシャン、と派手な音が響き渡り、同時に甲高い悲鳴が聞こえた。忽ち皆の視線が一定に集中する。
床には割れたグラスの破片。滴る紅い血。片腕を押さえているのはフレイでその眼前には狂気に満ちた女がナイフを振り翳していた。
「もう一度言ってみなさいよ!今度は首を落とすわよ!」
劈くような声にダンスをしていた人々も足を止めた。
団長とエフレシアも何事かと視線を向ける。
「……済まなかった」
フレイは言い返さずに謝罪した。だが女の気はそれでは済まないらしい。
「一国の王子ともあろうお方が姫に向かって飲み物をかけるなんて礼儀がなってないんじゃない?」
「しかも貴方、第二王子でしょう?お兄様と違って無礼が過ぎますわ」
女達は徒党を組むかの様にフレイを責める。
「折角のパーティが台無しね」
「───フレイ?どうした」
騒ぎに気付いたクロードとその嫁のクラウディアが現れ、女達は少し戸惑いを見せた。
「クロード様。この方がいきなり飲み物を頭から掛けてきたんですのよ」
一人が説明を始める。
「キリ姫様は何もしてないのに」
「酷くありません?」
「……本当に?」
クロードがフレイに聞くと彼は俯いたままだ。
「謝り方も雑でしたし」
「第二王子だからって好き勝手やるにも程があるんじゃないかしら」
「理由も無く、彼がそのような行動をするとは思えません」
静かな声でクラウディアが女達を宥めた。
「でも……!飲み物をかけられたのは本当で……!」
「本当に?」
揺らがぬ瞳が女達を捕らえた。
クラウディア嬢は他国からも評判の良いお嬢様で女も羨む位に美しい。女達の中には彼女を崇拝する者もいる。
「……確かに言い過ぎたかも知れませんけど……」
「謝るのはフレイだけなのですか?貴方達は数ミリたりとも罪悪感が無いと?」
そう問い質され、女達は怯む。
「フレイ。正しいと思った行為を間違いだったと謝罪するのは自分を曲げた事になりますよ」
クラウディアに言われ、フレイはグっと拳を握り締めた。
「取り敢えず、その怪我の治療が先ですね。クロード、一度抜けます」
「はぁい。よろしくねー」
変わらず伸びた声でクロードは出ていく二人を見送った。
「───それで?いい加減、本当の事話してくれないかなぁ?」
女達を見据えながらクロードがもう一度訊く。
「……わ、私達……その……キャロライナ様と親交がありまして……。この間、婚約破棄されたって聞いて、その人達が此処に居たからつい……その……陰口を……」
観念したのか、取り巻きの一人が話し出した。
「キリ姫様はキャロライナ様と親しいんです。だから、傷付けられたからには……その……気が晴れないというか……」
「その……ロキ?とか言う人と……エフ……?なんとかっていうお嬢様の事を呟いてましたらフレイ様が現れて……キリ姫様に飲み物をかけたんです」
「成程。確かに先に手を出したのはフレイだね。それは悪かった。オレからも謝るよ」
柔らかな声色だが、その目に優しさは点っていない。
「けれど、彼らの事情も知らずに好き勝手言うのは頂けないかな。口は災いの元って言うでしょ?」
「……すみません」
「違うだろ?謝るならフレイに直接謝って。それが出来ないならもう二度、この国に出入りしないで」
きつい言葉を浴びせられ、女達は勢いが無くなり肩をすぼめた。
普段は緩い雰囲気を纏って笑みを絶やさないクロードだが、怒るとその表情は一変し、冷たい空気が雑音までも黙らせる。
「何してるの?さっさと出ていきなよ」
女達は泣きそうになりながらダンスホールから出ていこうとした。だがその時、キリ姫だけはエフレシアと目が合い、抑えきれない衝動に身を任せた。
「キリ姫様!」
まだ持っていたナイフを勢いのままエフレシアに向かって振り降ろした。肉を切り裂いたような感覚にキリ姫は怖くなり、血に染まったナイフを床に落とした。
「……気は済んだかしら?おヒメサマ」
その一瞬、エフレシアの前に飛び出したフィンが片腕を犠牲にした。ザックリと綺麗に切り裂かれてしまっている。
「フィン……!」
「姫ちゃん、怪我は無いかしら?」
「あたしは大丈夫……。でも……」
「良いのよ。私達の身体は特殊だから自然に治癒するわ。人間が怪我を負うよりずっとマシでしょ」
「……なんで……」
「こういう人間はね、自分の手を穢さないと分からないから。人を傷付けるのがどれだけ罪深いか、身を持って知った方が良い」
キリ姫は顔面蒼白で震えている。
「彼女達を外に」
団長が衛兵達に声を掛け、彼女達は連行された。
「……フィン。出る幕が早過ぎた」
周りを見渡しながらメルヴィアが呟く。切り裂かれたフィンの腕はもう治りかけていた。それを見て、人間達が何やら囁いている。
「キミ達は部屋に戻った方が良い。私が同行しよう」
「団長さん……」
「エフレシアはまだ此処に居て」
「……はい」
団長に指示され、エフレシアは大人しく従った。
ロキとククルが彼女の隣に寄り添う。
「大丈夫かな……」
「お前は平気なの?」
「……何が?」
「見知らぬ女達に噂されて。精神大丈夫?」
「うん。直接言われた訳じゃないし」
「後でフレイの所に行かないと」
「そうだね」
「フレアちゃん」
話しているとクロードが現れた。
「嫌な思いさせてごめん」
「……いや……クロードが謝る事では……」
「気分を害した事に変わりないわ」
いつ戻ってきたのか、手当を終えたフレイとクラウディアがクロードの後ろから音もなく姿を見せた。
「クラウディア様……」
「今後は気をつけます。今日はごめんなさい」
「いえ。此方こそ迷惑をお掛けして申し訳ありません」
ロキが謝罪したのを見てエフレシアもそれに倣った。
「迷惑だなんて思ってないよ。強引に誘っちゃった部分もあるしねぇ」
「いえ……!」
「もうそろそろパーティーも終宴だし。フレアちゃん、ダンスは楽しめた?」
「はい」
「良かった。特訓頑張ったもんね」
「ありがとうございました、付き合って頂いて」
「いえいえ」
「最後に一曲踊っていきましょう。クロード」
「はぁい。フレアちゃんも」
そう促しながらクロードとクラウディアは先にダンスホールへとステップを踏んで行った。
「踊ってくれば?」
「……ククルは?」
「気分じゃないから。兄妹で踊ってきなよ」
ロキは背中を押され、そのままエフレシアをエスコートしながら踊り始めた。
「……久々にちゃんと顔を見たな」
「……お兄ちゃん、痩せた……?訓練、大変なの?」
「体力勝負だから。フレアこそ、ちゃんと食べてる?」
「うん……。食べてるよ」
周りとぶつからないように優雅に踊る二人をククルは端から眺めていた。
「本当はククルと踊りたかった?」
「……欲を言えばね。でもククルは乗り気じゃないから」
「そうだな」
「……クラウディア様、綺麗だね」
「品が良いんだろ」
「あたしもああいう風になりたい」
「女は恋すると綺麗になれるって」
「……恋……」
「いないのか?好きな人」
「……これからかな」
「団長はお前の事、本気らしいぞ」
「うん……。団長さんの気持ちに応えられるように親睦深めていくよ」
「そうか」
「お兄ちゃんも、訓練頑張ってね!」
「ありがとう、フレア」
自分達だけの世界に浸っていた二人は踊り終えた瞬間、周りから拍手喝采を貰った。「素晴らしい!」「とても素敵だ!」等と賞賛の声が溢れ、最初はクロード達の事を称えているのかと思った二人だったがどうやら自分達の事だと気付き、丁寧に一礼した。
「見事だったよー、フレアちゃん。ロキ」
「とても素敵でした」
クロードとクラウディアにも褒められ、二人は会釈する。
「楽しめたかな?」
「はい。とても」
「ロキは?」
「楽しめました」
「そう。良かった」
無邪気に微笑むクロードはまるで子どものようだ。
「クロード様、クラウディア様。ご婚姻、おめでとうございます」
ロキが改めてそう言うとエフレシアも兄に倣った。
「ありがとうございます。沢山の方に祝福されて喜ばしい限りです」
「本当に。無事に済んで良かったよ」
「今日はゆっくり休んで下さい」
「ありがとうございます」
二人はまた挨拶回りをしに行った。
「あ、フレイ……」
ダンスホールから出ていこうとする彼を発見し、エフレシアが後を追った。
「フレイ……」
「────エフレシア!」
彼を呼ぼうとしたのと同時に団長が戻ってきた。
「団長さん……」
「パーティーは終宴かな?」
「はい。ダンスも終わりました」
「そうか。ロキはまだ中にいる?」
「います」
「ありがとう。あ、彼に用だった?」
団長と擦れ違うようにしてフレイは行ってしまった。
「……いえ……」
「そう……。今夜、私の部屋に来るかい?」
耳元で囁かれ、エフレシアはすぐにその意味を受け取った。
「……親睦を深めるだけですよね?」
「勿論、それもある。もっとキミの事を知りたいからね」
「わ、分かりました……。着替えて行きますね」
「ありがとう」
「あの……メルヴィア達は大丈夫でしたか?」
「あぁ、心配ない。部屋で休んでいるよ」
「良かった……」
「中に戻ろうか」
「はい」
二人がダンスホールに戻るとまだ中は華やいでいた。
「シンシア」
「やぁ、クロード」
挨拶回りを終えたクロード達は団長を見つけ、歩み寄る。
「久しぶりですね、シンシア」
「今夜もお綺麗ですよ、クラウディア」
「ありがとうございます」
会話に入らなかったエフレシアはそっと離れ、一人端の方で飲んでいたククルの元へ向かった。
「団長と一緒に居なくていいの?」
「……今夜、部屋に招かれた」
「……そう。仲を深める良い機会じゃん」
「ククルは団長さんの事、信頼してる?」
「してるよ。それにあの人がいれば誰も死なない」
「……あたしが関わる事で、弱くなったり」
「無い。それは断じて無いよ、フレア。恋愛が絡んだだけで脆くなるのは覚悟の無い奴だけだ。団長はいつも死を捉えてる。だから恐怖も無いし、選別もしない。例えお前が敵になろうが、団長は構わず剣を振り降ろす」
「断言出来るんだ」
「まぁね。オレも、情には流されたくない」
「ククルはいつも冷静だしね」
「団長の部屋に行くなら送ってくよ」
彼の優しさにエフレシアは嬉しそうに笑みを浮かべた。




