滅びの詩
「お兄ちゃん!」
叫んだのと同時に敵が死んだ。眼前の兄は返り血に塗れていたが穏やかな笑みを妹に向けた。
「此処も時間の問題だな」
攻め入って来た敵は、かつての友人だった。同盟を結び、互いに交流も深めていたのだが、兄のロキが婚約破棄を示した事で国が陥落した。
「殿下。逃げ道を確保しました。此方へ」
騎士のヴァイラスとローズが現れ、ロキに耳打ちし敵の目を盗んで王室から出た。宮廷内は既にボロボロで崩れ落ちたシャンデリアや家具やらが散乱している。妹のエフレシアは兄の手を強く握りしめながら必死に走った。
「殿下!姫様!」
先に道を確保していた騎士達と合流し、些か安全な通路へと避難する。けれどその先は仄暗い森へと繋がっており、近付く者は誰も居ないと恐れられている場所。入った者は神隠しにあったかのように忽然と姿を消し帰らぬ人と化す。
「いたぞ!捕らえろ!」
後方から足音とともに敵兵が向かってきた。王国の兵士達は全滅で敵の方が武力に優れていた。ロキとエフレシアの側近達も呆気なく殺され、国の要であった騎士団に助けられて今に至る。その騎士団も半数が犠牲となり、無惨な死に方を眼前に捉えていた。
「ラン!二人を頼んだ!」
「えっ……おい!お前ら二人じゃ無理だ……!」
騎士のランが必死に止めるが、ヴァイラスとローズは覚悟を決めていたかのように笑みを浮かべた。
「行け!おれ達が足止めになる。お前と姫さんには生きて貰わなきゃ困るからな!」
ヴァイラスとローズはロキとエフレシアを仲間に託し、その場に残った。いくら腕の立つ二人でも多勢相手では勝ち目が薄い。
「ヴァイラス……」
「生き延びろよ、ロキ。妹を守れ」
ロキの肩を強く抱きながらヴァイラスは願いを託した。
「ローズ……!」
「姫様。ご武運を祈っています」
「嫌……一緒に……」
「姫様、ローズは貴方と共に過ごせてとても幸せでした。だからどうか生きて、生き延びて下さい。私の最後の願いです」
「……ローズ……」
「行って下さい!」
残りの騎士達を促し、ローズとヴァイラスは剣を構える。
通路の出入口が塞がれ、エフレシアは最期に微笑んだ二人の姿に涙した。
森の中は鳥の囀りさえなく、静かで不気味だった。先導するのは騎士のランとルフス。剣を手に警戒しながら進む。ロキは妹を気遣いながら足を動かす。二人の後ろを警護している騎士のアマレとグレイも剣を構えていた。
「この先にシュヴァルツがある。馬を用意してあるから姫様と殿下は逃げて下さい」
シュヴァルツ王国は同盟国の一つで資源の輸入や交流なども盛んな所だった。国の行事でロキとエフレシアも何度か訪れた事がある。国王とも面識があり、人々とも触れ合った。万が一の時はそこが避難場所になることも知っていた。
「ラン……!」
その気配に遅れ、気付いた時にはランの身体が貫かれていた。音もなく現れた敵兵に思わず足を止めてしまう。
「此処に逃げ込む事は想定内なんだよ。安易な考えで助かると思った?」
ランを刺した敵兵の一人が卑しく笑いながら言った。周囲に目を向けると完全包囲されている。どんなにハイスペックな騎士達でも数には勝てない。
「殿下と姫様を守れ!」
「たった数人で何が出来る?うちの姫さんはご立腹でね、全ての人間を殺せとの命令だ。逃がすもんかよ」
「……っ、たかが婚約破棄された位で大袈裟なんだよ!」
業を煮やしたアマレが言い返した。たかが婚約破棄。されど婚約破棄。国の為とは言え、破談の代償は大きい。
「たかが?キャロライナ様はそこの坊やを愛していた!婚約が決まった時も喜ばれていた。それなのに婚約破棄だと?許されるものではない!」
叫んだのと同時に剣が抜かれ、ランはその場に倒れた。
「ラン……!」
「お前ら全員皆殺しだよ。命乞いなんて許さない。特にお前は」
剣先を向けられ、ロキは妹を背に庇う。眼前にいるのはかつての友人であり、エフレシアの想い人。その恋は儚くも散り、残酷な結末だけを与えた。
「……ルーク……」
「お前が婚約を受け入れていれば国は落ちなかった。今も友人として楽しく過ごせてたんだ。それをお前は破棄した。キャロライナ様だけじゃない!お前の所為で沢山の命が散ったんだ!」
一方的に責められ、ロキは反論さえしなかった。非は全て自分にあると理解している。それでも婚約は出来なかった。
「何故キャロライナ様を傷つけた……?」
「……答えたら……お前はもっと傷つく」
「どうせ死ぬんだから言えよ。知る権利がある」
婚約破棄の理由はエフレシアも騎士達も知っている。
「……婚約破棄したのは…………あの子が巨乳だったからだ!」
「…………はぁ?」
惚けた声を出しながらルークは困惑していた。この理由は想定外だろう。
「俺は貧乳派だ……。あんなに胸が大きいのは目に余る……。それに化粧も派手なんだよ!」
「……なっ……!外見で判断したのか!」
「その上ナルシストだ。妹のことを見下した!自分より醜いものは死ねばいいって言ったんだ!そんな女と婚約なんか出来る訳が無い!」
「……っ、お前……!キャロライナ様を侮辱するか!」
「先に忌避してきたのはあのお嬢様だ!」
ロキも譲らない。事実、エフレシアはロキの居ない所でキャロライナに嘲笑されていた。嫌なことも沢山言われた。けれどロキの婚約者だからと何も言わなかった。あの日、エフレシアが無理矢理キャロライナに跪かされている所をロキが発見し、婚約破棄の理由に加算された。
「国より妹を取った訳か。我慢すればいいものを」
「フレアは限界だった。あのまま虐げられてたらおかしくなってた」
「見限れば良いだろう。キャロライナ様は深い傷心を負った。その罪は命を持って償うべきだよなぁ?」
「……そんなにあのお嬢様が好きだったんだな」
「俺にとっては恩人だ。穢す者は許さない」
ロキは装備していた剣に手を掛ける。だが、その腕は騎士達には及ばない。精々、護身術程度。ましてや殺すなんて勇気も無い。
「どうした?それで俺にかかって来なよ」
「……ルーク。お前が憎いのは俺だけだろ……?妹だけは見逃して欲しい」
「さっきの話聞いてなかったの?皆殺しだって言ったよね?」
「お願いだ……!フレアだけは……助けてくれ」
「お兄ちゃん……」
震える兄の背をエフレシアは支えることしか出来なかった。
「あのー……お話中悪いんですけど、周りも気にかけて貰えません?」
ルフスが介入し、ルークの視線を周囲に向けさせた。先程までいた敵兵が全員地に伏している。
「音なんて聞こえなかったぞ……」
「これも戦い方の一つってね。──ほら、後はキミ一人だけだ」
ルークに剣を向け、ルフスは余裕の笑みを浮かべる。
「……曲者の多い騎士達がいるとは聞いていたが……此方も万全の体制で来てるんでね」
木々が揺れ、緑葉とともに降ってきたのは大柄な男。背に二つの刀を備え、異彩を放っていた。
「命令だ。ゼウス、こいつらを皆殺しにしろ」
「御意」
低い声で返答した男は刀を両方抜き、目に見えぬ速さで兄妹の後ろを護っていたアマレとグレイを切り裂いた。血飛沫が舞い、その鮮烈な紅にエフレシアは悲鳴を上げた。
「一瞬で……」
振り向きざまに振り下ろしてきた刀をルフスが剣で受け止める。しかし、体格に差があり過ぎる為、その重さにルフスは後方へと追いやられた。
「何してんだ……ロキ。姫様連れて逃げろ」
「ルフス……」
「早く……!お前らに死なれたら堪らない」
「……っ、フレア!」
ロキはぐっと妹の手を握りしめ、先を急いだ。
「ルフスは……?」
「後で追いつくだろう」
不安に押し潰されそうになりながら足を動かす。振り返ったエフレシアの目に映ったのは、男に踏み潰され、頭を跳ねられるルフスの姿だった。
「お兄ちゃん、ルフスが……!」
「しっかり走れ!弱気になるな!」
兄の強さにエフレシアは涙を拭った。
「もうすぐ出口だ。足を動かせ」
「うん……!」
木々の隙間から明かりが見えてくる。森から出たらシュヴァルツ王国まではすぐだ。
「逃がさないよ!」
追ってきたルークが二人の前に現れ、道を塞いだ。
「しつこいな……」
「お前らだけは許さない……!」
ロキが剣を抜き、恐る恐る構えたその時、グサッとルークの身体を矢が貫いた。それは2本、3本と連続で放たれ、ルークの手足にも突き刺さった。
「な、に……」
「なかなか来ないと思ったら、何手こずってんの」
現れたのは騎士のククルだった。騎士団の中でも軍を抜いて戦闘能力が高い。剣に加え、弓矢の腕も相当で狙いを外した所など見たことがない程命中率が高かった。
「お前が最後の砦ってやつか……」
「まぁね。国でオレより強い奴なんて居なかったし。早く乗って」
引き連れていた馬に二人を乗せ、そのままシュヴァルツまで駆けた。追っ手はもう来なかった。
その後、無事にシュヴァルツ王国へ辿り着き、事情を知っていた国王の計らいによってこの国での居住を許された。
シュヴァルツ王国の国王には長男と次男、長女がおり、ロキよりも歳は上だった。
ロキは騎士見習いとして騎士団に入団し、戦力を鍛えることになった。王族という身分は継続されているが、優遇は無い。それでも受け入れてくれた恩に感謝でいっぱいだった。
騎士のククルはその腕と強さを認められ、騎士団の副団長に任命された。彼には統率力も備わっていたので適役だろう。
エフレシアは悠々自適な暮らしを与えられたが、自分も何かしたいと志願し、国王が売人から買い取った紛い物の世話役を任された。
その特別な部屋はまるで御伽噺に出てくるようなメルヘンチックな雰囲気で、玩具に囲まれて天井を見上げているのが対象物。
「……貴方が……囚われた紛い物……?」
エフレシアが声を掛けると、対象物は静かに彼女を見た。
端正な顔立ちに、ターコイズブルーの瞳と長い髪。妖艶な雰囲気に魅せられる。何より目に付いたのは、背に生えている翼。片方は立派な白い翼なのに対し、もう片方は半分欠けていた。
「新しい世話役だって?」
「エフレシアと言います。よろしくお願いします」
「メルヴィアだ」
そう名乗った彼は、口元に笑みを浮かべた。