第15話「1ポンドの攻防」
それは争い事とはまるで無関係な、眠気を誘う弛緩した空気の、のどかなお昼休みのことである。
「ったく、売店にシャー芯と赤ペンを買いに行くのくらい1人で行けばいいじゃないか」
「なによー、ちょっとくらい私に付き合ってくれたっていいじゃなーい❤️」
今日も今日とて、いつものくだらないやり取りをしながら保奈美とゆうまの2人は、本校舎別館へと続く廊下を歩き、売店へ向かっていたのであった。
「売店開いてるといいんだけどなぁ~」
「さすがにまだお昼だし開いてるでしょ」
「だといいんだけど……、もし開いてなかったら午後からの授業、赤ペン貸してよね!」
「えぇー! 俺、自分の一本しか持ってないのにーっ!」
保奈美の言葉にゆうまが苦虫を噛み潰したかのような顔をしていると、遠くの方から「いらっしゃいませー!」という元気ハツラツとした明るい声が聞こえてくる。
「お! 良かったぁ、どうやら開いてるみたいだよ」
その声を聞き、2人は売店へと足を早める。
「あっ! いらっしゃいませー!」
そしてようやくパンや弁当といった食べ物や文房具が所狭しと並ぶ売店へとたどり着いた時、保奈美とゆうまは、思わず、商品ではなく、元気な声を発していたその売り子を見てしまった。
「あ、あれ! キ、キミは、うちのクラスメートの橘 まどかちゃん!」
ゆうまが目を真ん丸にして声をあげ、指差す。なんと売店に立っていた栗色のボブヘアにそばかすがチャームポイントのちんまり小柄な彼女は、保奈美やゆうまと同じクラスメートの少女、橘 まどかであったのだ。
第15話「1ポンドの攻防」
「これはこれは保奈美さんにゆうまさん! 売店に来るなんて珍しいですねー、どうしたんですか?」
女子制服の上から真っ赤な法被に身を包んだまどかは、これはビックリとばかりに目を輝かせて2人に尋ねる。そんな彼女の姿は、小柄なこともあり、純真な子供のようで可愛らしい。
「いやー、私がシャー芯と赤ペン足りなくなっちゃったから買っておこうと思ってね。それでゆうまと一緒に来たってわけ」
「あ、そうだったんですね。じゃあぜひ保奈美さん、買ってくださいな!」
まどかは、にっこりと笑い、手元に並ぶ文房具コーナーの方を指差して教え、保奈美は品定めを始める。
「にしてもビックリしたよ、まさかまどかちゃんが売店で働いてるなんて……、アルバイトなの?」
「あ、いいえ、違うんです。あたし、ボランティアでこの売店のお手伝いをしてて、それでお昼休みなんかにここで売り子をやってるんですよ」
ゆうまの指摘にまどかは首を振り、事実を説明する。
さらに「そ! 私がテニス部マネージャーと兼部してる接待部に実はまどかちゃんも所属してるんだけど、その部はそういう校内外のボランティアをやったりするのが主な仕事なのよ。ちなみにまどかちゃんは放送部と兼部してるわよ」という情報を保奈美が付け加える。
それに「ハイ!」と元気良く同調するまどか。
「え! まどかちゃんも接待部に所属してるのかい!? 保奈美がテニス部のマネージャー以外にも部に所属してるのは知ってたけどまさかまどかちゃんもだったなんて……、なるほど」
ゆうまはその事実に再び驚きつつも、2人の笑顔を見て納得する。そして気を取り直し、「それにしても、へぇー! ボランティアで働いてるなんてまどかちゃん、凄いなぁ~」と彼女の精神にゆうまは、改めて感心する。
「えへへ❤️ そんな、これくらいどうってことないですよ」
思わぬ誉め言葉にまどかは、得意げに鼻を擦り、頬を赤らめて照れているとちょうど保奈美の品定めが終了したようで、商品を持ってきて「とりあえずこの赤ペン0.5とシャー芯0.5くださいな」とまどかに手渡しする。
「分かりました!」
まどかは商品を受け取り、すぐさまレジで計算を始める。
「はい! まいどありです! えー、お値段は140円となっておりまーす」
「りょーかい、えーと、140円、140円……、えっ!」
140円と聞き、しばらく財布を漁っていた保奈美は突如、拍子抜けした声をあげる。
「どうしたの? 保奈美」
ゆうまが尋ねると「あのー、140円が今無いんだけど……、まけてくれないかな?」と急に保奈美は、まどかに懇願する。
どうやら小銭用の財布を間違えて持ってきており、財布には10円玉が13枚、つまり130円しか入っていなかったらしい。
「財布間違えて持ってきちゃった。ねぇ、まどかちゃん、どうか10円まけてよ」
保奈美は再びまどかの前で手を合わせる。が、しかし、まどかは困った顔で「そ、それは困りますよ。こちとらも商売ですから、たとえ10円だろうとあたしの判断でまけるわけには……」と渋る。
「そこをなんとか! 値切りをお願いします、同じクラスメートのよしみでさー」
なおも懇願する保奈美。
しかし「ダ、ダメです! たとえ同じクラスメートだろうと商売は商売です」と、まどかは、頑なに保奈美の提案を突っぱねる。
一方ゆうまも「10円足りなかったんなら別に俺が貸すからさ、一回教室に戻ろうよ、保奈美」と、ひとまず退くことを提案する。
しかし保奈美は、急に意固地になる。
「いいじゃないの、たった10円くらい。変わりゃしないんだしさ、それに同じ接待部のメンバーでもあるじゃない、まけてったらまけてよー!」と、譲らない姿勢を貫き、同じ部の仲間であることを出汁にまけてもらおうと揺する。
しかし、その要求にまどかも、商売人としての血が騒ぎ始めたのか「ダメったらダメです! そんなこと言ってもまけはしませんからね!」と対抗し始める。
どうやら平和なお昼休みは、値切り攻防の場へと化したようである。
保奈美はさらにまどかを揺すろうと仕掛ける。
「フン、そんなに意地張ってていいのかしらねー。まどかちゃんは、所詮準レギュラーキャラより下のゲストキャラでしょ。同じクラスメートだろうとこの作品じゃサブキャラ的な扱い。そんなあなたがこの作品のレギュラーキャラにしてメインキャラクターで主役を張る私に楯突こうとする……、この差を考えた方がいいと思うけど」
保奈美は自身がレギュラーキャラにしてこの作品の顔であることを楯にまどかに圧をかける。
その言葉には強気だったまどかも「くっ……、そ、それは……」と埋められない差を突き付けられ、たじろいでしまう。
「さ、分かったなら10円をまけてくださいな」
「い、嫌よ。絶対にまけないわ!」
「ならば今後一切まどかちゃんの出演はなくなるよう、プロデューサーに相談しようかしらね。この作品の顔である私にはその権利があるんだから。干されるといいわ」
「……いいんですか、YouTubeの編集をしてあげなくても……?」
保奈美に押されていたまどかは起死回生の一手、切り札を繰り出す。
「YouTuberホナキン、もとい保奈美ちゃんのYouTubeチャンネルの動画、編集してあげてるのは誰でしたかね。一回自分で編集しようとしてパソコンごと爆発したからというもの、放送部員で機械に強いあたしに頼ってきたこと、忘れたとは言わせませんよ」
それは保奈美を揺するには十分すぎる対価であった。つまり保奈美のYouTube動画を編集してあげることの放棄である。
「いつも動画を編集してあげているというのに……。保奈美さんがそんな態度ならこれからどうしようか考えなきゃならないですね!」
「くっ……、そ、それは……」
「さ、分かったならきちんと払ってください、140円。ま、払えないのなら商品を売る気はないですけど」
その言葉に保奈美は膝から崩れ落ちる。どうやら揺するのを諦めたようである。
「わ、分かった。私の負けね。ちゃんと払うわよ……」
これにて値切り勝負はまどかの勝利、保奈美は気を取り直し、財布を出す。
「ありがとうございます。まいどありです!」
「ほ、保奈美……、ホントに払えるのかい?」
約1ポンドの値段をめぐる攻防を見ていたゆうまは、保奈美の敗北を感じつつ、彼女が払えるのかどうか見届けようとする。
「とりあえず細かいのしかないからね、ちゃんと数えてよ。10、20、30、40……」と保奈美は10円玉を次々まどかの手のひらに出していく。
するとふと「そういえば、今の時間、13時何分だったかしら?」と保奈美は、まどかに尋ねる。
まどかは、壁にかけてある時計を確認し、「えーと、今は50ですね」と答える。
「あ、そっか。もうそんなに経ってたのね。まぁ、とりあえず支払いを続けて60、70、80、90、100、110、120、130、140と。あ、結局140円あったみたい」
「なんだ、保奈美さん! ちゃんと140円あるじゃないですか」
「ごめんごめん。私の勘違いだったわ。それじゃまどかちゃん、売り子頑張ってね! 私達もう行くから」
「ハイ! まいどありでーす!」
ということで無事支払いを終えた保奈美は、怪訝な顔をしているゆうまを無理やり引っ張りながら足早にその場を去っていく。これにてめでたしめでたし……
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数歩、歩いたところでゆうまは、保奈美に聞く。
「保奈美、もしかしてまどかちゃんをはめた?」
「ん? ゆうまったらなんのことかしら、私知~らない。それにね、長く生きてると、こういう知恵が身につくもんよ❤️」
そう言って小悪魔的な笑みを浮かべて舌をペロッと出す保奈美。
その数秒後、手元の小銭を見たまどかは10円玉が一枚足りないことに気づく。
「あれ? 手元に130円しかない! ど、どういうこと!? ちょと、保奈美さん!? 待ってくださーい!」
こうしてこの攻防の勝者は、結果的に保奈美で決着がついたのであった。
TO BE CONTINUED